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リアクション
第5章 聖地の守り人
シャンバラ内において主な交通手段は馬、ないしは馬車である。
小型飛空艇等は長距離の移動には向かないし、通常の飛空艇は絶対的に数が少ない。
飛空艇というのは、シャンバラ王国滅亡以前のロストテクノロジーの産物であり、遺跡からの発掘品以外、現在新たに製造することができないからである。
そんなわけなので、飛空艇を手配して空京からイルミンスールまで移動できれば、と思った佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)の思惑は叶わなかった。
さすがにそれは、一介の学生が自由にできるものではなかったからだ。
「……まあ、それはそれとして」
弥十郎は、イルミンスールと『ヒ』という、あまりにも解り易い組み合せに、頭を抱えずにはいられなかった。
「どうしたんです」
パートナーの仁科 響(にしな・ひびき)に顔を覗き込まれ、
「いやあ……」
と、言葉を濁す。
「森といえばやはり、火事だよねえ、と思ってねえ」
「火事でしょうねえ」
あっさりと響も頷いたので、あああ、と頭を抱えた。
『ヒ』は、イルミンスールの森で、火攻めで来るのではないだろうか。
地球にいた頃、何度か、海外での山火事のニュースを観たことがある。
消火活動は全く追いつかず、半ば放置状態のまま、何日も、何週間も燃え続けていた。
「ここは地球とは違いますし」
隣り合うジャタの森まで含めれば、その規模は確かにアマゾンのジャングルも鼻で笑う感じだし、その大半は未開の地だし、火など投げ込まれようならその惨状は想像に難くないが、手をこまねいて見ているだけの自分達ではないと思う。
「だよねえ。イルミンスールとかにもあらかじめ、注意を喚起しておかないとねぇ」
対策は万全に。有事にはスムーズに。
呑気者でも、これでもやる時はやる男なのである。
「コハクが退院するそうだから、注意しておかないとねぇ」
清泉 北都(いずみ・ほくと)が、パートナーのクナイ・アヤシ(くない・あやし)に言った。
「……皆を巻き込まない為に、などとお考えにならないとよろしいのですが」
「うん。同じことを気にしてる人は結構いるみたいだから、交替でそれとなく注意してよう。
こっそり出て行ったりしないように」
護衛は、彼の周囲に大勢いるようだから、殊更近くに張り付いていなくてもいいだろう。
「……それよりも、身内に敵がいる、っていうのが気になるよねえ」
いや、身内、とはいえないか。
同じ「契約者」ではあるが明らかに他校生だし、一般市民を平気で犠牲に出来るような輩を仲間とは思いたくない。
けれど、純粋な環境で育ったコハクは、今のシャンバラを見て、この世界をどう思っただろう。
「…………」
考え込んだ北都に、
「北都様?」
とクナイが訊ねた。
「『ヒ』 『カゼ』 『ミズ』 『ツチ』、か。
彼等って、まさか鏖殺寺院と関係あると思う?」
「……それは、何とも言えませんが……」
「まあ、そうだよねえ」
肩を竦め、北都は苦笑する。
「とりあえず、道中の襲撃に気をつけておこうか」
「はい」
コハクを護り、そしてもしかしたら、『ヒ』を倒すことで、コハクの背中の呪いが解かれればいい、と思った。
お世話になりました、と、コハクは魔法医師に頭を下げた。
殆ど下宿の勢いで厄介になってしまった。
「いいや。治してあげられなくてごめんね」
痛々しい片翼は、結局今もそのままだ。
「いえ、あの、治療費……」
コハクの所持金は無いが、それでもごまかすわけにはいかず、ごにょごにょと言いかけると、医師は笑った。
「いいよいいよ。君の知り合いさん達、君のお見舞いにくる度、こっちにも色々差し入れとか大量に持って来てくれるしさ。
多分治療費以上貰ってるよ」
「え、でも……」
「気にしない気にしない。それに私はね」
肩を竦めて、彼は笑った。
「アクションものとかスパイものの映画でさ。怪我した主人公が、正規の病院に行けない事情があって、情報通の裏の闇医師のところに駆けこんだりするの。
ああいうのに憧れて魔法医師になったんだよねえ」
だから今回のことは面白かったよ、と笑う医師の言葉は、コハクにはさっぱり解らなかったが、
「うん、それじゃ、全部終わったら結果を教えに来てくれると嬉しいね」
と言う言葉に、必ずと約束して、退院した。
退院したコハクを、閃崎 静麻(せんざき・しずま)が迎えにきていた。
「……空京を出るんだな」
自ら退院したということは。問いに、コハクは頷く。
「イルミンスールに行くのか?」
違うと言われればじゃあヒラニプラか、と言うつもりで問うと、「うん」とコハクは頷いた。
「……行くしかないって思う」
「そっか」
ぽん、と静麻はコハクの頭に手を乗せた。
「……あのな。話したいことがある」
ちょっと人気のないところにでも行くか、と、いう誘いに、コハクは黙って付いてきた。
「これ、俺の幼馴染み。……死んだけどな。俺を庇って」
ロケットの中の写真を見せて、そう言うと、コハクの表情にさっと陰が落ちた。
「アズライアが死んでるかもって話じゃないぞ。
これは俺の過去。
”悔やむのも泣くのも後回し。今できること、しなければならないことをまずする”
が、あいつの口癖だったな」
彼女のことを、今もずっと思い続けている。
テロで彼女と、家族を一度に失って、嘆きながらも体は救助に走っていた。
彼女の言葉が自分を動かしていた。
彼女に誇れる自分であったと、そう思う。
そしてその言葉が、今度はコハクを動かしてくれたらいいと、そう願った。
「何でかな。あんたに話したかった。レイナにすら、まだ話してないのにな」
後悔も悲しみも絶望も、後でできる。
だが今起きていることに対処するのは、今しかできないのだ。
「1人で無理だと思ったら、誰かを頼れよ。
誰だって、そうやって生きてるんだ。
俺でも、他の誰かでも」
絶望に、逃げたりせず、進み続けて欲しいと、そういう気持ちを込めて語った言葉に、コハクはじっと耳を傾けていた。
ひっそりと物陰から、その会話を静麻のパートナーであるレイナ・ライトフィード(れいな・らいとふぃーど)が聞いていた。
盗み聞きするつもりはなかったのだが、聞こえてきた会話に、立ち去ることができなかったのだ。
じっと物陰に潜みながら、いつか、彼がその話を自分にしてくれるのを待とう、と、その日が来ることを信じた。
今はただ、コハクを護ろう。
それが今自分ができること、しなくてはならないこと、だ。
同じヴァルキリーとして精神面で脆いところのあるコハクを支えてあげよう、と。
「特訓、しようぜ!☆」
開口一番、笑顔の一言に、コハクはきょとんとした。
「え?」
「だからー、お前弱すぎなんだって!
美人のおねーさんを助ける為には、ちっとは強くなってなきゃだろ!
教えてやるからさ。ほら、持ってみろよ!」
鈴木 周(すずき・しゅう)に剣を渡されて、手に持つ。
「……重い」
「そりゃあ、鉄だから。
こうやって構えて、振る。やってみな」
教えられた通りに構えてみたコハクだったが、一振りか二振りほどで、へなへなと座り込んでしまった。
息が上がっている。
「……ひ弱すぎ……」
差し入れのドーナツ片手に見物していた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が、その様子を眺めて苦笑した。
「皆……こんな重いの振り回してるの……?」
呆然としつつ、コハクは訊ねた。
セイバーやナイトには、華奢な少女などもいたように思う。
筋力があるようには見えないのに。
「あー、まあね、コツを掴むと、筋力使わないでも使えるようになるのよね。
筋力つけちゃうのが手っ取り早い方法だと思うけど、女の子はね〜」
美羽が笑う。
「だったらさ、護身術とか教えたら? 痴漢撃退法」
「痴漢撃退法? それがコハクの何の役に立つんだよ」
「あら、結構使えるよ。
突然背後から襲われた時に効果的に急所を狙って逃れる、みたいな」
実践してみよっか、ツンツン頭私の背後からつかまえてみてよ、と言うので、
「ツンツン頭ってのは俺のことか」
と呆れつつも、周は目をそらす。
「いや、やっぱ、男は剣だろ……」
「休憩にしようよ、コハク。
明日はザンスカールに出発だから、ミスドのドーナツ今日が最後だよ」
「聞けよ」
でも明日出発前にいっぱい買っておこーね、と言う美羽の言葉を聞き流しながら、とりあえず、周は、旅の道中も毎日特訓を続けなければと決意した。
「……で、結局やんのかよ! 俺は本気で触るぜ!」
「威張るな! 本気で蹴るからね!」
休憩の後、冗談かと思っていた実践を、何故か本当にコハクに見せることになった。
「コハク、よっく見ててね!」
コハクが覚えるんだからね!
と、くるりと背中を見せた美羽に、がば、と周が張り付き、ヒュ、と美羽が脛を蹴り上げた。
美羽の攻撃が解っていたので周は避け、蹴り上げられる美羽のすらりとした脚線美が光る。
おおー、と、コハクの背後にいつの間にか溜まっていたギャラリーが、ぱちぱちと拍手をした。
「ざっとこんな感じです」
えへん、と、美羽は拍手に気を良くする。
「いやー、いいもん見せて貰った」
「え、何が?」
「オレンジのチェック」
「………………」
はた、と美羽は気付いた。
それは、ひょっとして今日の、パンツの柄では…………まさか……。
「…………コハクも見た?」
恐る恐る訊ねると、コハクは赤くなって、
「……う、ん」
と頷く。
「きゃ――! もう何やってんの――!!!」
誰がだ、と、勿論しっかりパンツを見た周はひっそり突っ込み、苦笑いしていたコハクがやがてくすくすと笑い出した。
イルミンスールへ出発の日。
美羽と、道すがら偶然会ったファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が、出発前のドーナツ買い出しへ連れ立った。
コハクのドーナツ好きは、空京に来て初めて食べた、美羽の差し入れドーナツがきっかけだ。
なので美羽は今日までに既に、少しずつ、一通り全てのドーナツを制覇してしまった。
ちなみに代金は色々なところから出ている。
今回、ファルはちゃんとパートナーの早川 呼雪(はやかわ・こゆき)からドーナツ代を預かっていた。
「ボクは苺のチョコレートが掛かってるやつが一番好きなんだ、って言ったら、コハクは、色々好きだけど、基本のオールドのやつと、チョコ生地に生クリームのやつが一番好きなんだって言ってた」
「じゃあ、そのみっつは押さえておかないとね!」
ちなみに私はね〜、と、ドーナツの並べられたウィンドウを目移りしつつ眺める。
そして買ったドーナツを、美羽ははいっとファルに手渡した。
「昨日は私があげたから、今日はドラちゃんからあげるといいよ」
ドラちゃん?
ドラゴンニュートだからドラちゃん?
ボクファルって名乗ったけどドラちゃん?
と、言おうと思ったけれどもドーナツの箱を渡されたら全て吹っ飛んでしまったので、嬉々としてドーナツの箱を手に、2人は帰途についた。
宿の前の庭で、呼雪とコハクが何か話し合っている。
「悪かったな。一度、ちゃんと謝ろうと思っていた」
呼雪は、コハクが目覚めた最初の頃、”光珠”のすり替えの案を出したことを謝って、コハクは驚いて首を横に振った。
「そんな、僕こそ……」
あの時は、気が動転していて、酷い態度をとってしまったと思う。
皆本当に、本気でコハクを護ろうとし、また護ってくれたのに。
おろおろとしているコハクに、ふ、と呼雪は静かに笑って、
「傷はもう、いいのか」
と訊ねた。
明日からはザンスカールへ向かう旅だ。
コハクの健康が旅に耐え得るものなのか、魔法医師に確認に行った者もいたようだが。
「うん、大丈夫」
そうか、と言った時、ファルが
「ただいま〜!」
と駆け込んで来る。
「コハク、ドーナツ! 大丈夫? 背中痛くない?」
はいっ、と箱を差し出しながら、矢継ぎ早に訊いてくる。
「うん、もう大丈夫。ありがとう」
コハクは笑って、ドーナツの箱を受け取った。
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