葦原明倫館

リアクション

　
　
第４章　大樹海風呂
　
　ザンスカールは森の中に存在する町である。
　世界樹イルミンスールには及ばなくても巨大な樹木が乱立し、その間を縫うようにして、家々などの建物が作られている。
　公共、共同の設備などは木の上に作られているものも少なくなく、町を歩いて上を見上げれば、ヴァルキリーが枝々の間を飛び交っているのを見ることが珍しくなかった。
　


「ハルカ、こないだやったお守り、ちびっと貸してみい」
　ザンスカールに到着し、町の中に入る際、光臣　翔一朗（みつおみ・しょういちろう）がハルカに言った。
　手を出され、ハルカは残念そうに首を傾げる。
「返すですか」
「違うわ、ボケ。貸してみい言うとるんじゃ」
「はいです」
　ポケットを探って差し出されたお守りは、前にあげた時とは少し形が変わっていた。
　形、というか、お守りの紐がリボンになっている。
「何じゃこりゃあ」
「かわいいでしょう」
　隣りで高務　野々（たかつかさ・のの）がふふふと笑った。
「女の子なんですから、もう少し可愛らしいものを持たせてあげたらいいのに……」
「余計なお世話じゃ」
　翔一朗は、お守りに改めて『禁猟区』を施すと、それを改めてハルカに返した。
「ほれ。しっかり持っとけえよ！」
「ありがとうなのです」
　わかりました、とハルカはお守りを大事にポケットに戻す。
　町に入る際に、一行が”とにかくハルカから目を離すな”と、誰も口にしなくとも揃って心を強く引き締めたことを知らないのは、ハルカだけなのだった。
「ハルカ、くれぐれも勝手にいなくなっては駄目ですよ？」
　念を押した樹月　刀真（きづき・とうま）に、はいです！　と力強く頷いたハルカだったが、ああ、何て信用ならない返事だろう……と苦笑を禁じえない一行である。


　ともあれ。

「ようやくザンスカールに着きましたね」
　長旅が終わり、特に問題もなくザンスカールに到着してほっとした、パートナーのナトレア・アトレア（なとれあ・あとれあ）の言葉に、そうですね、と高潮　津波（たかしお・つなみ）は相槌を打つ。
「この町におじいちゃんがいるのですね！」
　ハルカは物珍しそうにザンスカールの町を眺めながら、わくわくとした口調で言った。
「捜すの大変そうネ」
　レベッカ・ウォレス（れべっか・うぉれす）も、同じように町を見渡しながら呟いた。
　木々が生い茂り、上から下までが町として利用されている立体的な、しかも見遠しの良いとは言えない立地では、色々大変そうだ。
「とりあえず看板作っておかないとネ」
「……わたくしのサンドイッチマンは、既に決定事項なのですね……」
　レベッカのパートナー、アリシア・スウィーニー（ありしあ・すうぃーにー）は、ひっそり瞳をうるませながら、１人呟く。
　わたくしも単独でバイクで手分けして捜してはどうでしょう、と提案してみようかとも考えたが、それはそれで、サンドイッチマンの運命から逃れられるわけではないと思い、１人サンドイッチマンでバイクを運転するのなら、レベッカと２ケツで行動した方がいいと諦めた。

「それより、気になってたヨ」
　そうそう、と思い出したように、レベッカはハルカに訊ねた。
「ハルカ、パートナーはどうしたネ？」
　パラミタに来る、という話になった以上、パラミタの誰かとパートナー契約をした、という前提があるはずである。
　しかしハルカの周囲には最初から、パートナーの気配が全くなかった。
　それは何故だろう、と気になっていたのである。
　もし、契約者がいないのにこのシャンバラで活動できているのだとしたら、それはもしかして、ハルカの持つ”アケイシアの種”の効力なのではないだろうか――？

　　ハルカはきょとんとしてから、右を向き、左を向き、上を見て下を見て、少し考えてから後ろを振り返り、
「あれ？」
と首を傾げた。
「気付いてなかったんかい！」
　その有様に、今の今迄忘れていたのか！　という突っ込みが、そこにいた全員から入る。
「ええっ……どうしていないですか？　迷子になっちゃったです？」
　ハルカ置いてきちゃったですか？　と、困ったようにレベッカを見上げた。
「パートナーはどんな方なのです？」
　アリシアが訊ねると、ハルカは両手を広げて、
「アナさんは、きれいなキラキラの羽根の、守護天使なのです」
と言った。
　名前は、アナテース、というらしい。

　ごめんなさい。

　不意に、ハルカの脳裏に浮かんだ言葉があり、あれっ、とハルカは首を傾げた。
「どうなさいました？」
「……何か、ごめんねって言ってたのです？」
　どうして謝るのだろう、そんな必要はないのに。
　思い出した言葉に、ハルカ自身もわけが解らないようで、レベッカ達は顔を見合わせた。

　とりあえず、まずは一息つきませんか、と提案しようとした津波は、名案を思い付いて仲間達に伝えた。
「まずは食事をして、そして、長旅の疲れを癒すために、皆でお風呂に入ったらどうでしょう」
「それは素敵ですね」
　それを聞いた野々も賛同し、食事をする為に入った近くの食堂で、皆で一緒にお風呂に入れるような宿か共同浴場は無いかと食事がてら店の人に聞いてみると、
「それなら、温泉がありますよ」
と教えてくれた。
　しかも露天風呂らしい。
「広くてとても気持ちのいい温泉ですよ。
　まあ何分……こういう町での温泉ですので……問題がなくもないんですけど」
　苦笑いをしながら、ザンスカールの町の中心地からは外れた郊外にあるという温泉の場所を教えてくれた。

「温泉もいいですが」
　楽しみですね〜と色めき立っている女性陣を尻目に、刀真は、ふと気になったことをハルカに訊ねてみた。
　ハルカと同性の人達には風呂も楽しいだろうが、男である自分には無関係な話である。
　無口なパートナーは何も語らないが、しっかりハルカと一緒にお風呂に行くつもりでいることにはとりあえず気付かないフリをして。
「パラミタにはおじいさんと一緒に来られたという話ですが、ハルカのご両親はどうしているのです？」
「おとーさんとおかーさんは、いつも忙しいので、ハルカはこっそり来たのです」
　しー、と人差し指を立てて口にあて、秘密ですよ？　という仕草をして、ハルカは答えた。

　ハルカの両親は共に仕事で忙しくしていて、中々一人娘に構えず、ハルカは、やはり海外滞在も長いけれど、近年は半ば隠居生活に入りつつあった祖父がなるべくマメに帰ってくるようにして、ハルカを構い、発掘や冒険譚など、色々な話を聞かせてくれるのがとても好きだった。
　それでも両親は娘を愛していないわけではなかったので、ハルカがパラミタの者と「契約」を交わした時、ハルカがシャンバラに渡ることを反対したのだ。
　行くとしたら相性的にハルカは、イルミンスールに入学するのがいいかも、しかし年齢が１つ足りないので、１年待ちながら両親を説得しよう、と提案したパートナーに、善は急げ、と祖父がこっそり連れ出してくれたのである。
「年が足りんことなど、なぁに、わしが土下座して頼んでやろう。
　任しておけ、じじいの土下座はうっとうしいからの！
　コネだろうがズルだろうが、入ってしまえばこっちのもんじゃ！
　薔薇色のスクールライフをエンジョイするんじゃぞ！」
　と言って、パラミタに来ることに、ハルカより自分の方がわくわくしていたくらいだが、両親がいてもいないようなハルカの孤独を助けてあげたいと思っているのだと、パートナーは気付いていたらしく、笑ってそれに従ったのだ。

　孤独、と、刀真は脳内で呟いた。
　それは自分が密かに抱える孤独とは随分違うものだけれど、それでも、反応してしまう。
　彼が考えていることに気付いているのか、不安そうな表情でパートナーの漆髪　月夜（うるしがみ・つくよ）が見つめている。
　それに気付いて刀真は静かに
「何でもありませんよ」
と言って薄く目を閉じた。
　
　
　
　一方、ゲー・オルコット（げー・おるこっと）とパートナーの藤波　竜乃（ふじなみ・たつの）は、ザンスカールに向かわずにジルコンの村でハルカ達と別れた。
　できる限り火山に近づいてジェイダイトの足取りを追ってみることにしたのだ。
「帰り姿を誰も見ていない、っていうのが気になるよな……」
「ねーねー、これでも砂漠じゃ足跡追っかけらんないんじゃん？」
　砂は、痕跡や気配を隠してしまう。
　山岳部には砂もないが、足跡を残すような足場でもなかった。
「じゃあ魔法で何か探せないか？」
「どんな魔法を使えってえのよ」
「探知魔法とか」
「んなもん持ってないって」
　竜乃は肩を竦めてから、
「探知魔法は無いけど、まあフツーに魔力の気配はビンビン感じるかな。
　何かがあるってより、この土地そのものが、って感じカモ」
「まさに考古学者が興味を示しそうな、てところか」
　ジルコンの村を経由したなら、このルートで火山に訪れているに違いない、という道を辿り、野宿の跡などを発見したが、それがジェイダイトのものという特定も、火山に向かう目的の推定もできなかった。

「……１人、じゃない……？　あのじいさんが使った場所じゃないのか？」
　野営の跡を調べて首を捻るゲーに、
「何？」
と竜乃が訊ねる。
「うーん、複数の人数の痕跡があるとしか思えない。
　誰かと一緒だったのか？」

　その後２人は、出来得る限り火口に近い場所まで行ってみたが、特に目に留まるようなものはなく、収穫なく戻ることになった。

「でもま、ヤバいのに出くわしたりしないで帰れそうね」
と言いつつ一度調べた野営の跡地を通り過ぎながら、竜乃がゲーに
「なにまたむっずかしい顔して考えこんでんの？」
と声をかける。
「……いや、あの野営地、行きのものなのか、帰りのものなのか、と思って」
「両方じゃない？」
　行きも帰りも同じ場所で野宿をするのは珍しいことではない。
「そうだが……」
　ジルコンで目撃されたというのは、本当に行きの姿だったのか、それとも帰りの姿だったのか、という疑問が、ゲーの脳裏を掠めたのだった。

　
　　葉月　ショウ（はづき・しょう）もまた、ザンスカールには行かずに、途中で立ち寄った村、ジルコンに残り、情報収集をすることにした。
　ハルカの祖父がこの村で目撃されていることから、もっと詳しい話が聞けないかと思ったのだ。
　しかし彼は、この村には水や食料を買いに寄っただけで、宿屋に泊まるなどはしなかったらしい。
　ただ。
「２人？　爺さんは２人連れだったのか？」
「ああ、随分体格のいい女性と一緒だったよ」
「体格のいい女性！？」
　ハルカではないのか？

　２人は、長旅で疲れた老人とその面倒を見る連れ、という印象だったらしい。
　ハルカが所持していた”アケイシアの種”を携帯で撮影した画像を用意し、祖父の足取りと共に、村人に見せて回ってみるが、それについては、特に詳しい者はいないようだった。
「特に珍しい鉱石にも見えないけどねえ？」
　画像を見て首を捻る村人に、確かに一見、どこにでもある石にしか見えないかもしれない、とショウも唸る。
「じゃあ、アトラス火山って、何があるんだ？」
「何って……うーん、そうだねえ、あそこがある意味シャンバラの中心と言っていいしね。
砂漠地帯には、シャンバラの何処よりも貴重なお宝が発掘できるって、ここ何年かの間にトレジャーハンターの類が随分増えたよ。
　そうそう、砂漠地方に行くなら、気をつけた方がいいよ」
「何を？」
　首を傾げたショウに
「砂漠には、砂賊が出るからさ」
と、村人は声をひそめる。
「砂賊？」
「それはもう恐ろしい一団だという噂だよ。
　彼等に襲われたら、髪の毛一本残らないという、凶悪な強盗集団さ」
「砂賊、ねえ……」