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ノスタルジア・ランプ

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ノスタルジア・ランプ

リアクション

 見つけたホタルブクロの花の中に、そっとつかまえた蛍を入れる、花弁の先をねじりつぶすのが作法らしいのだが、そうするとうまく口がとじない。
 神楽坂翡翠は思案して、細く裂いたススキの葉の固い中心部を使って花弁の先を貫き留める。
「わぁ、蛍籠だね、いっぱい飛んでるの捕まえてくるから、私にもホタルブクロ頂戴!」
 花梨ははしゃいでぴょんと跳ねる、手を上げて蛍を追う。
「せっかくの浴衣が崩れてもしりませんよ」
「大丈夫だって」
 皆でせっかく浴衣を着たのだから、早速崩れては残念だから忠告しているのに、と翡翠は苦笑する。
 翡翠は白生地に竹の模様、黒の各帯を締めて、花梨は水色の生地に、朝顔の模様入りの夏らしくかわいい浴衣だ。
 美鈴は、黒地に蝶の模様の入った、花梨より大人びた柄を選んだ。それにふさわしく静かに蛍を鑑賞している。
「本当に幻想的で、綺麗です。夜の暗闇に淡い光がいくつ飛んでいるのか、数えてみたくなりますね」

「エメさん、足は大丈夫かい?」
 瀬島 壮太(せじま・そうた)たちは、納涼床ではなく、そこから外れた川辺や遊歩道を散策していた。
「大丈夫ですよ、それにしても壮太くんがこんなに器用だとは、びっくりしましたよ」
 エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は、彼に着せ付けてもらった浴衣を見ながら関心した。
「昔とった杵柄ってやつだな」
 バイト三昧の生活をしているうちに、何でも首を突っ込むようになった、今では着付けだって覚えてしまった。
 パートナーのミミ・マリー(みみ・まりー)の着付けもしたが、片倉 蒼(かたくら・そう)はさすがに執事の家系らしく自分でさっさと着付けて、かつこちらまで手伝ってくれた。
 実を言うと、壮太がこの日のために事前に復習していたことは、断固として内緒である。
 白地に紺と金銀の流水紋に紺角帯が、彼のプラチナの髪と相俟って栄える、壮太は自分の着付けの出来に満足していた。しかし当の本人はシンプルに紺の甚平なのがもったいないとエメは思う。
「そこ、段差になってる」
「はい、わかりました」
 ホタルは沢山いるが、流石に足元までは明るくできない、ダークビジョンで足元を警戒し、下駄をはくことができずサンダルにしているエメの足元に注意する。
「本当、綺麗ですねえ」
「ああ、…すげえよなあ」
 昼間はゆっくりと田舎の光景を楽しみ、今は蛍の乱舞が心をうつ。二人とも、日本古来の風景というものに縁がなかったので、その感動もひとしおだ。
 エメは藍色の地に蛍と露草がかかれた扇子を手にして軽く扇いでいたが、飛んできた蛍をひっぱたきそうになって思わず手を止めた。
「お、蛍が増えたぜ」
 扇子に描かれた蛍のとなりに、本物の蛍がとまる。二人はじっとその明滅を見つめて楽しんでいた。
「いけない、置いていかれます」
 少し先を行くミミと蒼が蛍の向こうに小さくなってしまって、追おうと足を速めたエメの足元が滑った。
「危ねっ…大丈夫か」
 咄嗟に壮太は前に転びかけたエメの腕をとった。壮太の肩を借りて体制を戻すが、やはり慣れないサンダル履きは、気をつけねば。
「ミミ様、足場が悪いですからお手をどうぞ」
 二人の先を行く彼らのパートナーたちも、睦まじく手を取り合って歩いている。さりげなく道の真ん中のおだやかなところをミミに歩かせている。
 蒼は藍地の流水紋に黒い角帯がすっきりとしていて、ミミは紺地に朝顔柄の浴衣に、山吹色の帯のコントラストが鮮やかだ。
 エメも壮太も二人を微笑ましく見守る、要するにかわいいカップルなのだ。
「蒼くん、すごいよ、綺麗だね、ね!」
 ひらめく蛍が二人の間を舞って、ミミははしゃぐ。
「ミミ様、わ、転びますよ!」
 などと慌しくしつつ、互いに手を離そうとはしないのだが。
「僕、田舎も蛍も初めて見たんだ、蒼くんと一緒に見られてよかった…」
「こんな風にゆっくりするのは、久しぶりですものね」
 遊歩道から川辺へ抜け、ほんのりと辺りが光度を上げた。ぼんやりと蛍だけでなく、川面を反射する痩せた月光が加勢する。
 偶然かもしれないが、一層幻想的な光が二人を包み、蛍がその数をもっと増やして飛び巡っていた。
「蒼ちゃん、露草が生えてる」
 月光のおかげか、足元に何にも負けない青い花弁を見つける。さっきまでずっとくん付けで呼んでいたけれど、不意に勇気を出してそう呼んでみる。
「じゃ、じゃあ…僕も、ミミちゃんって呼んでいいですか? それと、これを…」
 その時だけ手を離し、袂から、露草柄のトンボ球の根付を取り出した。同じ露草に、今こそと思ったのだ。
「実は僕と、おそろいなんです」
「…ありがとう蒼ちゃん! もちろんいいよ!」
 思わずぎゅうと抱きついて喜びをあらわした。
 蛍の光の中、びっくりする蒼ちゃんは、とってもかわいいとミミは思う。
 再び手がつなぎ合わされ、旅館に戻るまで、ずっとそのままだった。

「そうだ、私もこれを差し上げようと思ったんです」
 初々しくプレゼントをやり取りする蒼たちを見て、エメも袂から小さな包みを取り出した。自分とおそろいで買った根付で、蛍籠の中に小さな蛍石でできた蛍が入っている。
「おお綺麗じゃん、サンキュー。いいのか?」
「去年の夏祭りで風鈴をいただいたでしょう? それのお返しを、ずっと考えていたんですよ」
 それに、誘っていただいたお礼も兼ねまして。
「ありがと、そういやそんな事もあったな、思い出したぜ」
 彼はそう言うが、忘れていたなどとは嘘である。また今年も4人揃うとは、かつては思いもしなかったものだけれど。それにやはり、エメがそうやって去年の記憶を持ち出してきたことも、どこかくすぐったかった。
―今年も、オレみてえな不良くずれに付き合ってくれてありがとな。
 そう言いたかったが、オレの柄じゃねえ。しかし抑えきれずにへら、と笑った壮太の笑みが、どうやらエメにもうつったらしい。
「どうしたんですか、へんな笑い方をして」
 くすくす笑うエメに、がーっと半分噛み付くように反論する。
「なーんでもねえよっ。…でも、ほんといいもんだな…」
「ですねえ、またこうやって、遊びに行きましょうね」
 壮太はまたもやにへらと笑った。ほんとうにいいものだ、田舎も蛍も、特に友達ってやつがだ。

 黒崎天音たちは、鬼院尋人たちが掘った温泉に浸かりながら、蛍を眺めていた。しかし着替えを持参していないので、足湯だけだ。
「先輩、どうです? 温泉と蛍が一気に楽しめます」
「すごいね、よく見つけたものだ」
 その横で、そろそろと雷號が温泉に足をつける、昨日彼も温泉を掘ったものの、川の水を浴びただけでお湯に浸かろうとはしなかったのだ。
「…! …お湯に入ると言うのは、…悪くないな」
 どうやら、ようやくその気持ちよさに気づいたようだ。浅いがざばりと頭までつける。
「こら雷號! 迷惑だろ」
「………」
 雷號が跳ねた湯の余波をもろに被った霧神は、とりあえず耐えた。
 ちなみに彼らは一日目の夜には既に蛍を堪能していた。
「パラミタにもこういう発光体系の動物はいる…ただしもっと巨大で凶暴だが…」
「へえ、そうなのか…」
「彼のいたところは、そりゃあ野蛮なところなんでしょうよ」
 感心する尋人に霧神がまたもちくりとやる。どうにもライバル意識がわき上がるようだ。
 地域によってはここと同じような蛍はいるようだが、彼の見たことのある発光する生き物は、…とにかくでかく、まぶしく、凶暴で風情など微塵も感じられないものばかりらしい。
「でも、素敵だねえ」
「ああ、繊細な光だ」
 天音の言葉に、ブルーズはふむとうなずく。
 天音にならって足湯をしているが、じわじわと体が温まるのが、暑さとは違って気持ちよく、しっぽの先が小刻みに揺れていた。
 獣人もドラゴンも、思うところは同じようだ。昨日も見たのに、雷號などは飽きずに星のような蛍の群れを眺めている。
「これが地球の蛍か…美しいな。…いい場所だな」
 霧神が一足先に上がって、山の中から汲んできた清水でダージリン茶を入れた。恭しく天音に差し出して、評価を問う。
「いかがですか?」
「ありがとう、素敵だね。やはり水が違うんだろうね」
 蛍の光に囲まれて味わう紅茶は、おそらくパラミタでは味わえない貴重さだ。
「まあ、たまにはこういうのもいいかもしれませんねえ」

「涼司にーちゃん、どこいくの? 真にーちゃんが心配するかも」
「大丈夫、ちゃんと言ってある。いーもん見せてやるから、声をあげるなよ」
 そろそろ旅館に帰ろうという人々の中で、見かけたちびたちを片っ端から引き連れて、涼司は蛍も少なくなる森の奥へ踏み込んだ。
「い、いまどこかでガサっていったよ蒼ちゃん!?」
「お、おちついてミミちゃん…!」
 少し開けた場所を見つけ、頃合を見てランタンを消し、子供達を座らせる。
「…いいか、じっとしてろよ、本当の野生の生き物見せてやるから」
「ビーストマスターじゃないから無理なんじゃ…?」
「んなもんならなくたって、大丈夫だって」
 子供達はいわれたとおり息をひそめた。呼吸するときは絶対に音を立てず、頭をからっぽにして、ただじっとしていた。
 暗闇の中で、目だけが動く。だんだん目が慣れてきて、ぼんやりと涼司の姿が見える。やがて彼の合図があって、子供達はみんなそちらを向いた。
 すると、藪をかき分けて、のっそりとタヌキが現れたのだ。そいつはてくてくと無防備に、一塊になった子供達の傍を通り抜けようとする。
 思わずみんな息をのんだ、タヌキが一番近くに寄ってきた子が、思わずびくりと身体を揺らし、がさりと音を立ててしまった。
『!!!!?』
 とたんに、タヌキはそこに何か別のイキモノがいたのだと気づいて、一目散に藪に飛び込んだ!
 リアルな野生とごくごく間近にまで接近し、子供達はどうしても興奮冷めやらぬ。思わずほかの動物達をも驚かせないよう、ひそひそと、かつ喋りたくてたまらないと額を付き合わせた。
「ち…ちーちゃん、タヌキを見たよ…!」
「瑠璃も見ましたの、すごいの…!」
「お前ら、いーもん見ただろ?」
『見たー!』
「じゃあ、今日はこれでおしまい、戻るぞー」
 ランタンに明かりをつけて、涼司について旅館まで行進する。

 その夜、蒼はもういっぱいいっぱいになるまで真に喋り倒していた。満点の星とも見まごう蛍の群れに、ずっと言葉をなくしていたのが嘘のようだ。蛍だけではなく、涼司にーちゃんのタヌキがどうとか、興奮していてちょっと要領を得ない。
「…タヌキ?」
 傍らに置いた鞄には、いつの間にか石ころなどが詰め込まれていて、これをおみやげにするのだという。
 確かにきれいな色の石や、奇妙な模様のついたもの、どう見ても化石じゃないかと思うものまで様々だ。
 しかしとうとう力尽きて、布団に押し込まれる。
「俺も寝るから、おやすみなさい」
「…おほしさまも…あのこに…みせてあげたい…」
「? ああ、あれかあ」
 天井に、蛍がとまっていた。一匹だけではなく、数匹が星座のふりをしてあちこちにいる。きっとこっそり捕まえて持ち込んだのだろう。
「そうだな、お土産を持って帰って、お土産話もいっぱいしないとな」
「うんー、おや…すぴー…」
 とっくに蒼は夢の国に旅立っていた。きっとそこではお土産話をしたい誰かと一緒に、昼間の続きで遊んでいるのだ。