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リアクション
七
水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は、甲斐家の奥の部屋で、一人の男と向き合っていた。
日当たりの良い、風通しも良い、おそらくこの屋敷で最も良い環境の部屋の真ん中に大きな布団が敷かれ、そこにその人物は半身を起こして座っていた。
「このような姿をお見せして、お恥ずかしい限りでござる」
甲斐 主膳は細面の穏やかな顔つきの人物だった。若い頃はさぞかしハンサムだったろう。だが、長い闘病生活故かまだ四十代だというのに頬がこけ、体中の肉が削げ落ちていた。それを隠すために寝巻きの上にもう一枚羽織っていたが、あまり意味がないようだ、と緋雨の護衛を務める天津 麻羅(あまつ・まら)は思った。
「どうかそのようなお気遣いはご無用に。こちらは見舞いに参ったのですから」
「いやいや……御花実様に失礼があってはなりませぬからな」
緋雨は、マホロバ前将軍の側室・御花実の名でこの場にいた。
「思ったよりお元気そうで何よりでございます」
見事な猫かぶりである。麻羅は感心した。が、次の主膳の言葉に二人は凍りついた。
「ところで――このような危険を冒した本当の理由は何かな?」
「『何だって? うちのじゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけが、頭を殴ったって? でもコブなんてねぇじゃねぇか』『名前が長すぎて、治っちゃったい』……毎度、お笑いの一席でございます」
ぺこり、と若松 未散(わかまつ・みちる)が頭を下げた。ホホホホ、と口元を隠しながら、主膳の妻・那美江は笑った。
切れ長の瞳、長い睫、陶器のような白い肌に赤い唇――。美貌の持ち主である。一度は子供を生み、三十路も半ばだというのに、とてもそうは見えない。二十歳そこそこといっても通用するだろう。ただし、醸し出す雰囲気は到底若い娘のそれではない。
那美江の前でスケッチブックに下書きをしているアスカには、よく分かった。
「娘」
扇子の切っ先を突きつけられ、アスカはびくりとした。パートナーの鴉も、瞬間、腰を浮かす。
「美しく描けよ。殿にお見せするのじゃ」
「し、承知しております」
「お前も、それからお前も」
扇子がアスカから未散へ移動した。
「殿にお会いしたいということであったな」
アスカと未散は、思わず顔を見合わせた。共に主膳への慰めになるかと思い――という理由で、甲斐家を訪れたのだが、病気療養中のためあっさり断られた。また、大奥から使いが来ているという噂も下男から聞いた。
「わらわが推薦してやってもよいぞ。お前、他に面白い話はないのか? 今の『寿限無』とやらは、なかなかであったぞ」
未散はぺろりと唇を舐めた。ええい、ままよ、とばかりに話し出す。
「では、人情話を一席。私ゃ、あちこち旅をしておりまして、これはとある国で実際に見聞きした話でございます」
「ほうほう」
「ある国の貧しい百姓が、生まれたばかりの赤ん坊を拾いました。百姓夫婦は子供がなく、その赤ん坊を我が子同然に育てました。病になれば何日でも看病し、怪我をすれば背負って山をいくつも越えて、医者へ行き。そうして、子供は十歳になりました」
「ほう」
げ、とアスカは鉛筆を落としそうになった。もしかしてこれは、当麻のことではあるまいか。そうであれば、彼女が話そうと思っていた内容そのものだ。
「ところがある日、その国の殿様の跡継ぎがぽっくり。殿様夫婦のお嘆きは、いかばかりのものか」
「分かるぞ」
那美江がそっと目元を拭った。
「しばらくして、百姓夫婦の元へ城から使いが来ました。何と子供は、殿様の子供だったのです。側室の子だからってんで、捨てられちまったんですね。このままでは国がなくなる。それに百姓でいるよりは子供も幸せだろうってんで、夫婦は子供を手放したんですが、この子供の悲しさも、百姓夫婦の悲しさも、想像するだけで涙が出てきまさあ」
ぐすっ、と未散は手首で鼻を擦った。
「奥方様にもお分かりになりやしょう?」
「子を亡くした悲しみは分かる」
「でしょ!?」
「分からぬのは、血の繋がりのない子を世継ぎに据えようとする、その奥方の考えじゃ」
「奥方様なら――どうされますか?」
アスカが恐る恐る尋ねた。
「知れたこと。親戚筋より養子を取る」
「ご自分の? 殿様でなく?」
と、未散。彼女は世継ぎにすべく、当麻を狙っているのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
「では――もし奥方様がその話の、お殿様の奥方なら?」
アスカの口の中は、カラカラだった。嫌な予感がした。
「どんな手を使ってでも、阻止をする」
「でも! あの、亡くなった若君だって、そんなことは望んでいないと思います。私には親がいませんが、もし私なら、親にそんなことはしてほしくありません!」
「そなたはわらわではなかろう」
「それはそうですが――」
「まして我が子でもない。わらわの気持ちが分かると? 馬鹿なことを。やれ、暇潰しになるかと思うたが、つまらん連中であったな」
那美江が手を鳴らした。甲斐家の家臣がわらわらと出てくる。
「放り出せ」
着物の裾がばさりと音を立てた。その一言だけを残し、那美江は去った。
「アスカ! 俺の後ろに!」
「う、うん!」
アスカは未散の腕を引っ張って、鴉の後ろに隠れた。
武器は屋敷に上がる際に取り上げられている。だが、鴉には奥の手があった。
見る見るうちに身長が二倍になり、頭に四本の角が生える。――【鬼神力】だ。
「お、鬼だ!」
「化け物め!」
切りかかってくる侍たちを、掴んでは投げ、投げては掴み、鴉は庭へ向かって駆けた。その後をアスカと未散が離れずついていく。
塀まで来ると、鴉は二人をむんずと掴んだ。
「鴉!?」
「逃げろ、二人とも!」
そしてそのまま、外へ放り投げる。ぎゃあっ、と未散が叫んだ。
「鴉! 鴉!」
アスカは何度もパートナーの名を呼んだ。
一人屋敷に残った鴉は、外へ誰も出さぬよう、両手を広げた。しかし、多勢に無勢。どれだけの時間が稼げるか分からない。だが、アスカさえ逃げてくれれば――。
刀が腕や足に傷を作っていく。三人の侍が同時に鴉に切りかかった。二人までは防いだ。三人目の刀が脇腹を突こうとしたとき、手裏剣がそれを弾いた。
「苦労しているようですな」
「お、お前は!」
覆面をしたゲイル・フォードが、塀の上に立っていた。
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