リアクション
* 「瀬蓮……」 「よかった、……間に合ったんだね」 瀬蓮は小さな手を伸ばすと、アイリスにの手に重ねた。お互い消して温かとは言えない、その手の温もり。 微笑む瀬蓮の口からは、血が一筋零れ落ちている。 「もうすぐだから、もうちょっとだけ待っててね」 それは、彼女の言葉とは裏腹に決して状況が楽観視できるものではないことを示していた。 アイリスの周囲には今も尚、夥しい数のスポーンが現れ続けていた。 スポーンは契約者によってかなりの数を減らされていたはずで、巨大なスポーンも窓の外のイコン部隊によって倒れているが、アイリスの容体は悪くなり続けているようだ。 ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)は、そんなスポーンからアイリスを守ろうと駆け寄ったが、不思議なことにスポーンはアイリスを襲う様子がない。 「クレア様、これはどういうことでしょうか?」 「……アイリスが原因というわけか」 クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)は目を覚ました彼女の枕元に近づくと、 「アイリス」 「?」 「いざとなったら殺してやるから、迷わず安心して抗え」 きっぱりと言い切った。その言葉に、周囲の契約者がざわめいた。だがクレアは眉ひとつ動かさなかった。 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は、護衛していた瀬蓮から離れ、クレアに向き直る。 「そ、そんなの駄目です! みんなの想いはぜったいとどくんです! アイリスおねえちゃんをみんなで助けるですよ!」 ヴァーナーはみんなの笑顔に誓って、この戦いを戦い抜いてきていた。レゾナント・アームズが彼女の歌う『小さな翼』のメロディに共鳴して、イコンをも倒す力で。 「あのこわいインテグラルをやっつけてくれたアイリスおねえちゃん。でも百合園の貴公子のアイリスおねえちゃんです」 クレアは抗議も意に介さないように、声の調子を変えない。 「『ギリギリまで待つ』。言うのは簡単だ。しかし、『ここまで』という明確な線引きの無いギリギリは、十中八九、手遅れになる。 どうしたところで、人は『まだ大丈夫』『もう少し頑張れる』と思いたがる」 その言葉にヴァーナーは、悲しそうな顔で、でも怒りながら。 「ロイヤルガードとして、停止命令です。インテグラルになってもボクが倒れるまでは攻撃しちゃダメです!」 とはいえ、クレアもまたロイヤルガードの同期だ。 悲しくて、怒っていて、でも止められない──そんな複雑なヴァーナーの心境をなだめるかのように、アイリスが苦しげな息で、優しい声でクレアに問う。 「君は……現実主義者だね。……でも……軍人としては……甘い……かな、それとも……僕への……優しさと……いうわけかい?」 「……どちらでもないな」 クレアには、彼女の思惑がある。そして割り切れないことがあるのも、確かだった。彼女自身、非情、というわけではない。 (一方で、まだ頑張れると思えるだけの意志も絶対に必要だ。手遅れになってはいけないと自分にいいわけした瞬間、意志の力は雲散霧消するだろう) クレアはアイリスという人物をどれほど知っているかといえば、そうでもない。だが。 「本当に苦しくなった時、『これ以上耐えようとすることが許されるのか?』という迷いはあるだろう。 だから、こちらで線を引いてやる。シャクティ化が完全に進行するその寸前には、殺してやる。安心して抗うがいい」 「そう……ありがとうと……言いたい……ところだけど、……せっかく瀬蓮が……ここまでたどり着いてくれたんだ。……もう少しだけ……抗ってみせるさ」 「軍人として、ロイヤルガードとしては、国民に犠牲が出るくらいならあなたが死ぬべきだ、とは思うが。犠牲を出さずにすむ範囲なら、抗うべきだろう。 生き残った時、あなたは多くの人を救える人物だ」 「……クレアおねえちゃん……」 ヴァーナーはどうしてもクレアを止めたいと思った。しかし彼女自身もアイリスが生きていることを望んでいるのだ。 「わ、分かってます。でも……ボクはみんなの笑顔を守るって誓ったんです! ……アイリスおねえちゃんも、もうすこしだけ頑張ってください。アイリスおねえちゃんと瀬蓮おねえちゃん、いっしょに笑顔でなれないと意味が無いんです! おねえちゃんは、今でも百合園のかっこいいキレイな先輩です!」 「ありがとう、ヴァーナー。……撫でられなくて、済まない」 アイリスは微笑すると、苦しげに、咳き込んだ。 * 一方その頃、街中にて。 「……破れおったわ」 式神の術を自身のルーン魔術カードとリンクさせていた鵜飼 衛(うかい・まもる)が、声をあげた。 ルーン魔術カードは彼が使用する魔術符セットなのだが、それと感覚をリンクして遠隔呪法で操作するにはかなりの集中を必要とする。目の前のスポーンを倒すのと同時にはできない。 彼の目の前では、パートナー達が戦っている。メイスン・ドットハック(めいすん・どっとはっく)は、手のウルフアヴァターラ・ソードの具合を確かめつつ、 「しかし衛の奴も厄介な依頼を持ち込んできよるのー……」 スポーンの頭に剣を突き刺し、敵を見据える。 「さて、次はどいつじゃ?死にたい奴は前に出ろ」 メイスンの後から襲い掛かるスポーンに、ルドウィク・プリン著 『妖蛆の秘密』(るどうぃくぷりんちょ・ようしゅのひみつ)がホエールアヴァターラ・バズーカを放った。 「後ろはお任せ下さい。屍の山を築いて見せますわ」 そうしていた二人だが、衛の声に振り返った。 「……依頼は失敗ですの?」 「急に感覚も途切れた故な。その辺のスポーンにやられたらしい」 激戦だから無理もないだろう。 「まぁ、依頼は暴れまくればまぁ、半分はいいわけじゃろ。だから、暗殺なんぞ領分じゃないんじゃけー、断ればよかったのじゃろうが」 「わたくしは衛様のご判断にすべて従いますわ。その上で、その御身はこの身命を賭してお守り致します」 それならそれで。気持ちの切り替えも早い二人に、衛も機嫌良く笑った。 「うむ、わしは暗殺より、いつか全力のアイリス殿と直接手合わせ願いたいのじゃからのう、カッカッカッ!」 ──と。そこで彼は気が付いた。 「依頼の内容はアイリス殿の友人から、瀬蓮殿の方法が失敗に終わった場合、インテグラルという化物になって、かつての仲間を傷つけるようになるなら、いっそのこと、ということじゃな」 それで首を掻き切るために式神を同行させていたのだが……。 「……うむ、良く考えてみたらそれは勘違いじゃった」 アイリスの個人的な友人は少ないだろうし──いや、そもそもそんな気がしていただけのような。 いや、失敗して良かったのだ。もし害意を持って近づいていたら、それが明らかになれば、彼らの立場は非常にまずいことになっていたに違いない。 * そしてさらに、その頃。 茨に覆われ、冠と蛇、そして目玉を中心とした薔薇で飾られた三人の美女の顔という異貌のイコン・へルタースケルター。 そしての内側で、沈痛な面持ちで呪詛を唱え続けている彼がいた。 ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)だ。 (インテグラル化すれば、アイリスほどの強さならどれほどまで強くなるのか想像も出来ない。確実に息の根を止めた方がパラミタの為だ……多くの契約者が可能性に殺される前に) 沈痛な面持ち、暗く沈む心のその裏で、奥で、どこか心踊るような感情が芽生える。 (──そう、アイリスを消す大義名分ができる、千載一隅のチャンス) そうなればこの世界にはさまざまな混乱がもたらされるだろう。アイリスの存在は今後、彼の望みに何かと邪魔だ。 彼から紡がれる呪詛はアイリスの心臓を蝕もうと空を漂い続ける。 脳でなく心臓を狙うのは、インテグラルとして生きる方が残酷だろうという、彼なりの歪んだ優しさだった。 だがアイリスの抗いは思ったよりも強力で、呪詛の念は病室の彼女に纏わりつこうとすると跳ね返され、なかなか届かない。そのうちにブルタはミア・マハ(みあ・まは)によって姿を確認・通報され、事件後速やかに彼は捕えられる。 そして既にかつての後ろ盾を失っていた彼は、薔薇の学舎追放の処分が下った。 * 瀬蓮、山葉、リンネ、梅琳、ルドルフ、そして王。それぞれがそれぞれの友人に守られつつ、アイリスのベッドの横に集う。 「いいな──行くぞ、必殺技だ!」 山葉がベッドの端に屈んだ。それはまるで馬のようなポーズだ。ルドルフと王がそれに続いて、三つの台を作る。 「さあ、リンネ」「うん」 梅琳とリンネが顔を見合わせて、その上にまた同じように乗る。さながら組体操のピラミッドだった。 瀬蓮が更にその上に登ろうとした時──。 「きゃあっ」 「瀬蓮!」 スポーンの炎が梅琳とリンネの背の上を横切った。避けた瀬蓮は崩れるように床に座り込む。 「……大丈夫。もう一度っ……」 心配げな仲間にそう言って、よろよろと彼女は立ち上がった。 「畜生、戻って来たのか!?」 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が叫んで、先のスポーンを振り仰ぐとジャンプし、“勇士の剣技”で敵を五月雨のように切り刻んだ。 戻って来た、というのは、彼の死守する扉の入り口だ。 女王蟻を守るかのように、外に這い出していたスポーンたちが首を巡らせ、こちらに戻ってきているのだった。 (ともかく、あの6人も、アイリスさんも、大切な仲間だ…それを放っておけるほど俺は薄情じゃないんでな) エヴァルトは非常事態と、好みでない魔法も進んで使っていた。こんな状況にとファイアストームで廊下を一掃しようとしたが、既に契約者たちが入り乱れており危険だ。 代りにドラゴンの怪力でレプリカデュエ・スパデをスポーンに突き刺すと、消えぬうちに、そのまま振り回して契約者の上空にぶっ飛ばす。 (スポーン共に感情があるか分からんが、厄介な相手だと思わせられれば重畳だ) エヴァルトは、戦いの手を休めず、背後の6人に叫んだ。 「お前達は確実に合体技を決めろ! 絆の力で、奇跡を必然へと変えて、強引にでも引き起こしてみせろッ!!」 「もう一度──やろう、瀬蓮。頑張れ」 「うん」 瀬蓮は王の肩に手をかけると、体を引きずるように重い足を上げ、王の肩を、リンネの背を這い上がっていく。 それを上方に見ながら、 「これが発動すればきっとアイリスを助けられるよ。ジュレ、あともう少し!」 一番危険と思われるところ──アイリスと六人の前にカレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)が入り込んで、“オートガード”の構えを取った。自分の身を挺しても守る、集中力を切らさせないつもりだ。 (それにあまり考えたくないことだけど、正気を失ったアイリスがこちらに攻撃してくる事も充分考えられるし) 本当は、単なる自分の好奇心で技を見たかった。早く後ろを振り向きたくなりながら、それでも万一に備える。 パートナーのジュレール・リーヴェンディ(じゅれーる・りーべんでぃ)は瀬蓮たちの背後に立ち、近づこうとするスポーンを機晶姫用レールガンで打ち抜いていく。 (瀬蓮の状態はアイリスと連動しておると言う事じゃな。これ以上のダメージは失敗につながる……) だからこれ以上、傷一つ、もう付けさせない。 (一体たりとも我より後ろにスポーンを通さぬ!) やがて瀬蓮はふらつく体を何とか立て直した。 本来の構えである、立つことはもはやできなかったが、震える両膝を梅琳とリンネとの背に突くと、両手を広げた。 「『小さな翼!』」 瀬蓮たちの体が光り輝き、白く清いビームのようなものが放たれて、アイリスに注いでいく。 元々、対闇龍用の技だ。効能は浄化に近いのだろうか。光が彼女を包み込むと、アイリスの苦痛の表情は薄れ、少しずつ纏わりつく嫌な気配が削がれていった。 そして……。 |
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