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そんな、一日。

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そんな、一日。

リアクション



3


 手練相手は、一瞬の隙が命取りとなる。
 幾度となく背中に嫌な汗が走り、心臓が跳ね、それでも無事に依頼はこなした。だからここ――『Sweet Illusion』の奥にある、情報屋用の部屋――で、結果の成果報告ができる。
佐野 和輝(さの・かずき)は、内容をまとめたデバイスをフィルに渡して息を吐いた。
「お疲れ様ー。大変だったみたいだねー」
 するとすかさず彼女は言った。緊張感のない声と、意図の読めない笑顔で。フィルのこういった反応を見るたび、食えない奴だと和輝は思う。
「仕事も溜まってるし、早いところ帰らないといけないんだけどな」
「うん?」
「……少し、店に寄らせてもらう」
 フィルが言うように、疲れを自覚しているし。
 それに何より、今回も一緒に頑張ってくれたアニス・パラス(あにす・ぱらす)たちのことを労ってやりたかった。加えて、休むべき時に休んで体調を整えておかないと、何かと目敏い面々から強制的に休養を取らされかねない。そんな暇はないというのに。
「色々気を揉むところが多いねー」
「ああ。全くだ」


 店内の一角、日当たりのいい端の席に陣取ったルナ・クリスタリア(るな・くりすたりあ)たちは、和輝の報告が終わるのを待っていた。
「ふぃ〜、今回のは疲れましたですぅ〜」
 テーブルの上に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながらルナは大きく息を吐く。さすがに今回は、疲れた。そんなルナとは対照的に、
「でも、アニスたちに掛かれば問題なしだよ!」
 アニスは元気良く返す。
「終わってないわよ」
 ぴしゃりと言うのは、スノー・クライム(すのー・くらいむ)だ。スノーの言葉に、終わってない? とアニスが疑問符を浮かべる。
「和輝の様子がおかしいわ」
 答えに、ルナは頷く。同じタイミングで、アニスも頷いた。どうやらアニスも気付いていたようだ。
「そうですねぇ。和輝さん、少し調子が悪そうでした」
「うん。仕事中から変だった」
「早く帰って休ませなくちゃ」
 スノーが言うと、アニスも同意を示す。が、ルナは反対だった。和輝は多忙ゆえ休むことを嫌うだろう。けれどふたりだって譲らないのは目に見えている。するとどうなるか。喧嘩だ。
 それはいただけないと、ルナは考えを巡らせた。結果。
「今の和輝さんは、弱ってる草食動物ですよぉ」
 ぽそりと小さく、しかしはっきりと、告げる。
「……草食動物……」
 言葉を受けて、スノーは想像しているようだった。腕を組み、視線を宙に巡らせている。次いで顔色を変える彼女を見て、考えていることが手に取るようにわかった。
 弱って憂いを帯びている和輝のことを、あまり人目に触れさせたくない。何か、よからぬことが起こりそうだ。――きっと、そう考えているに違いない。
「ね? 肉食動物に、食べられてしまいそうですよねぇ?」
「そ、そうね……これ以上、和輝の周りに女性を増やしたくないし――」
 不意に零れた本音に、ああやっぱり、とルナは苦笑する。そんなルナに気付いているのかいないのか、スノーは咳払いをして「わかったわ」と言った。
「すぐにでも帰って休ませたいけど、途中で倒れてしまったら困るものね。ここで少し休んでからにしましょう」
「ええ〜……平気かなぁ、すぐ休ませなくて……」
 けれどアニスは心配でしょうがないらしい。不安そうに、眉を下げて俯く。
「そうやってアニスさんが心配すると、和輝さんは余計意地を張ると思いますぅ。男の子は、女の子の前でかっこつけたいものなのですから〜」
「う、うーん……」
「そうすると、常に気を張っていなければなりません。でも、アニスさんが普段通りにしていれば、心も休まるというものですよぉ」
「そ、そう? なのかなぁ? ……でも、ルナがそう言うなら、そうなんだよね。きっと」
「はいです。アニスの元気を和輝さんに分けてあげるくらいがちょうどいいですぅ」
「うん、わかった!」
 アニスのいいところは、こういった素直で単純なところだと、ルナは思う。
 その意気ですよぅと頷いた時、和輝が奥の部屋から戻ってきた。
「お疲れ。ケーキ食ってくぞ」


 いつもより、視線を感じる。
 フォークを咥えながら、和輝はアニスたちを見た。目が合う。しかし次の瞬間には、過剰なまでの反応で逸らされた。そんな態度は違和感だらけだ。
(もしかして、気付かれたか?)
 内心、焦りが沸いたがすぐにそれはないと否定する。気付いているなら、スノーが何か言ってくるはずだ。それがないのだから、きっと気のせいなのだろう。調子が悪いせいで、自意識過剰になっているのかもしれない。
 いけないな、と自省しながらケーキを一口食べる。美味しい。なのに、アニスの表情はどこか暗い。
(これも、気のせいか?)
 自分の具合が悪いから、そう見えてしまうのだろうか。
 ルナはどうだろう、と目をやると、ケーキに夢中だったルナが視線に気付いて顔を上げた。にこっ、と満面の笑みを浮かべる。つられて和輝も笑った。
(なんだ。いつも通りじゃないか)
 やっぱり考えすぎなのだと、ほっと息を吐く。
 調子が悪いことを、気付かれていないのならいい。
 余計な心配をかける前に、ある程度まで回復してくれるのを願うとしよう。