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リアクション
第一章 駅渡屋
「――灯が見えました」
ヘルムート・マーゼンシュタット(へるむーと・まーぜんしゅたっと)の緊迫した声に、シャレン・ヴィッツメッサー(しゃれん・う゛ぃっつめっさー)は船縁から身を乗り出すようにして水面を見つめた。
目を凝らしてみると、確かに、何かぼおっと光るものがある――と思うと、それはユラユラと揺らめきながらこちらに近づいてきた。
サオリ・ナガオ(さおり・ながお)の情報にあった、駅渡屋の密輸船だろう。
米の裏の流通ルートについて調査していたサオリは、夜半駅渡屋の廻船から離れ、御狩場へと向かう不審な小舟を見つけ、後を追った。
そしてその小舟から大きな荷が幾つも積み下ろしされるのを、目撃したのである。
月の出ない闇夜、立ち入りの禁止されている御狩場に、人目を避けるようにして荷を運ぶ理由――密輸と見て、間違いなかった。
そこでサオリは、予め待機させておいたシャレンとヘルムートの2人に連絡を取った。
港へ帰ろうとする小舟を、追跡するサオリと待ち受けるシャレンたちとで、挟み撃ちにしようというのである。
「見えました。サオリさんの情報に、間違いはなかったようですね」
そう言いながら、灯から片時も目を離そうとしないシャレン。
じっと見つめる内、薄明かりに照らされて、小舟の輪郭が明らかになって来た。
サオリの情報通り、小舟には人影が2つある。
小舟は、高く茂ったヨシの後ろに隠れたシャレンたちの屋形船にはまるで気づいた風もなく、川を下ってくる。
全く速度を緩めること無く進んできた小舟は、もう、すぐそばまで近づいていた。
目を凝らせば、舟上の男たちの人相までわかるほどだ。
傍らのヘルムートに向かって、小さく頷くシャレン。
その合図を見てヘルムートは、用意しておいた耳栓を耳に嵌める。
それを確認するとシャレンは、小さく息を吸い込み――ゆっくりと歌い出した。
川面を行く風に乗って、シャレンの【子守り歌】が辺りに響き渡る。
彼女には、「手荒な真似をせず、出きるだけ穏便に事を済ませたい」という願いがあった。
突然の歌声に、ハッとして身構える男たち。
だが、シャレンが口ずさむ甘美な調べは、一仕事終えて油断し切っていた男たちの心の隙を巧みに突いた。
抗いがたい睡魔が、男たちの全身に染み渡っていく。
万一に備え、男たちを注視するヘルムートの目の前で、小舟の男たちは、一人、また一人と眠りに落ちていった。
「ご歓談中の所、失礼致します。旦那様――」
青い顔をした番頭が、主人の応(いら)えも待たずに駆け寄り、耳元で何かを囁く。
見守る久我内 椋(くがうち・りょう)の目の前で、駅渡屋の顔色が、サッと変わる。
駅渡屋が、二言三言耳元で呟くと、番頭は、挨拶もそこそこにそそくさと部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送り、駅渡屋は大きくため息を吐く。
「いかがなさいました、駅渡屋さん?」
「……あなたの言った通りになりました、久我内屋さん。ウチの者が二人、昨日の夜から行方不明だそうです」
さっきまで何ともなかった自分の肥満体が、急に重みを増したかのように、ぐったりとソファに沈み込む駅渡屋。
このソファも、駅渡屋の歓心を買うために、椋が贈ったものだ。
自分の“闇の商売”の販路を四州に広げるべく椋は、その足掛かりとして駅渡屋に目をつけた。
駅渡屋は、禁足地となっている御狩場を隠れ蓑に、密輸を繰り返している。
その密輸に一枚噛ませて貰おう――そしてあわよくば、駅渡屋に成り代わり密輸を一手に引き受けよう――と画策する椋は、ここ数日というもの、何くれと無く手土産をぶら下げては、駅渡屋の元を日参していた。
その手土産の一番の目玉が、調査団の情報である。
椋は、「調査団が、現在東野で見られる不審な物資の動き――つまりは、駅渡屋の絡んでいる密貿易だ――に目をつけている」
という情報を、つい今しがた駅渡屋に渡したばかりだった。
「活動を始めてまだ一週間も経っていない調査団が、既に自分の尻尾を掴んでいる」という情報に半信半疑だった駅渡屋も、
これで否が応でも椋の話を信じざるを得なくなった訳だが――。
「大変!それじゃ、駅渡屋さんまで捕まっちゃうの!?」
これまで、椋と駅渡屋の間で酌をしていた夜・来香(いえ・らいしゃん)が、大仰に言った。
椋は、自分が駅渡屋に近づく一方、来香には影で店の使用人たちに、調査団の不穏な噂を吹聴させていた。
曰く、「印田で起こった暴動で、警備員たちが使った武器の出処を、調査団が調べている」とか、
「調査団が怪しいと睨んだ者は、藩の役人に逮捕され、拷問されて洗いざらい白状させられる」といったモノだ。
店の者から駅渡屋の耳へと噂が入り、彼が不安に陥って自分を頼って来ることを狙ったのである。
この来香の活動が、調査団の情報を握る椋の価値を上げるのに一役買ったのは、おそらく間違い無い。
「捕まった二人の中の内一人は、ウチの手代です。大した事は知りませんが、裁きの場で証言でもされると、少々マズい事になります」
駅渡屋は、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「そう悠長な事は言っていらませんよ、駅渡屋さん。いずれ早晩あなたにまで、捕り方の手が伸びるのは間違いありません。そうなれば、貴方は破滅だ」
椋は、敢えて駅渡屋の不安を煽るような言葉を選んだ。
駅渡屋には、何としてもここで自分を頼って貰わねばならない。
「それは大丈夫ですよ。イザという時の手は、打ってあります」
大丈夫、という割には、駅渡屋の顔色は冴えない。
椋は、駅渡屋の次の言葉をじっと待った。
「ですがお縄になる前に、手元にある荷を何としても捌いてしまわないといけません。それで久我内屋さん、一つ、お願いしたいことがあるのですが――」
(来たな――!)
内心喝采を叫びつつも、椋は、顔には何一つ出すこと無く、静かにスコッチのグラスを空けた。
「お願い――?それは、どのような事で?」
獲物に狙いを定めた蛇の様な目で、椋は言った。
「どうですぅ?何かわかったですかぁ?」
渋い顔をして部屋に入ってきた藤門 都(ふじかど・みやこ)に、サオリ・ナガオ(さおり・ながお)が独特の間延びした声で訊ねる。
「ハイ。駅渡屋が、次に取引を行う日時がわかりました」
都は、疲労困憊といった様子で椅子に腰掛けた。
しかしその顔には、笑顔が浮かんでいる。
御狩場から戻ってきた所に待ちぶせを受け、眠らされた男たちは、今度は都によって執拗な尋問を受けた。
彼等は記憶の“洗濯・掃除”と称して、幾度も【ランドリー】【ハウスキーパー】による拷問を受けた結果、
一人の男が、ついに白状したのだ。
男は、駅渡屋の手代で、全てとは行かないまでも、駅渡屋の不正取引について知っていた。
取引日時以外にも都は、手代の口から、駅渡屋の屋敷の構造や、駅渡屋が裏帳簿や書状といった、不正取引の証拠を隠していそうな場所を聞き出すことが出来た。
「それでサオリさん。あの男たちはどうなさいますか?」
「もうしばらく、何処かに閉じ込めておいてくださぁい。駅渡屋を裁きにかける際には、重要な証拠になりますからぁ」
「わかりました」
「それと――時平様?」
「なんでおじゃるか?」
これまで、一言も発する事無く傍らに控えていた藤原 時平(ふじわらの・ときひら)に、サオリは声をかけた。
「……いよいよ、最後の手段を使いますぅ」
「駅渡屋に、潜入するのでおじゃりますな?」
「ですぅ。駅渡屋が決して言い逃れ出来ないように、動かぬ証拠を掴むんですぅ!」
「畏まっておじゃる。では、すぐに手の者を呼び寄せるでおじゃる」
「お願いしますぅ」
内心、ずっとこの時を待っていたのだろう。
時平は、何処か楽しげに、部屋を出ていった。
「いかがですか、佐橋さん。これでもまだ、そんな事実はないとおっしゃるんですか」
水無月 徹(みなづき・とおる)は目の前の侍に、畳み掛けるように言った。
徹の差し出した書類を、その侍――名を佐橋源之新(さはし・げんのしん)と言った――は、両の目をカッと見開き、凝視している。
佐橋は、遠野地方における洪水の被害を調査し、藩に提出する報告書をまとめた役人である。
その佐橋に徹は、洪水被害助成金の不正受給の証拠を突きつけていた。
そこには報告書に載せられた被害の数値と、実際の被害の数値とが一覧にされている。
両者の数字には明らかな差異が見られた。実際の洪水による被害が、申告よりも遥かに少ないのだ。
この数値は全て、徹に仕える十嬢侍、神楽美月(かぐら・みつき)が村々を一つ一つ回って集めたモノである。
今回こうして役人に詰め寄る事が出来るのも、全て彼女のお陰と言える。
「貴方がこんな不正をする人じゃないことは、あたしたちよく知ってるよ。村の人たち、部下の人たち、色んな人に話を聞いたけど、みんな言ってたもの。佐橋さんは正直者で、誠実な人だって。だから佐橋さん、本当の事を話して!」
華月 魅夜(かづき・みや)の飾らない言葉が、佐橋の心に抜き身の刃のように突き刺さった。
しかし佐橋は、答えない。
俯いたまま、何かに耐えるように、じっと身体を震わせている。
「話して下さい。佐橋さん――」
「お願い、佐橋さん!!」
不意に、血が滲みそうなほど強く握り締められていた佐橋の拳が、ふっと緩んだ。
佐橋は、ゆっくりと顔を上げる。
「……わかりました。全てをお話しましょう」
観念したようにそういう佐橋の顔は、一気に十歳以上も年老いた様に見えた。
「少し、待っていて下さい。今、帳簿と日記を取って参ります。それを見れば、今回の事件について全てわかるはずです」
佐橋はそう言うと、ノロノロと部屋を出ていった。
「本当によかった……。佐橋さんが、話してくれる気になって」
「これもみんな、美月が一生懸命情報を集めてくれたお陰だよ。有難う、美月」
後ろに控えていた神楽美月の手を取って、嬉しそうに言う魅夜。
「そんな、勿体無い……。私は、自分の仕事をしただけです――」
口ではそう言いながらも、十嬢侍の顔は、望外の喜びに赤く染まっていた。
そんな二人を、徹は、微笑みを浮かべ見つめる。
「――失礼致します」
そこに、中年の女性が、盆にお茶を載せて入ってきた。
恐らく、佐橋の妻だろう。
「主人が、しばらくかかる故、お茶でも飲んでお待ち頂きたいと……」
「す、すみません、わざわざ……」
「有難うございます」
「お気遣い、痛み入ります」
3人はそれぞれに居住まいをただし、お茶を受け取った。
入ってきた時に同じように静かに出ていく婦人を見送り、口をつける。
熱いお茶が、火照った身体に心地良い。
緊迫していたその場の空気が、一気に和やかになった。
「……ねぇ。いくらなんでも遅くない?」
ようやく飲み頃になったお茶を一息に飲み干して、魅夜が言った。
「そういえば、そうですね――」
腕時計を確認する徹。
佐橋が出ていってから、既に10分以上過ぎている。
「少し、様子を見て参ります」
美月が、立ち上がりかけたその時――
「キャアァァァーー」
遠くから、女性の叫び声がした。
徹たちは一瞬顔を見合せると、すぐに声のした方へと駆け出していく。
2度ほど角を曲がったその廊下の先、突き当りの部屋の障子が開け放たれている。
「どうしたんですか!」
そう言って室内に踏み込んだ徹が、その姿勢のまま絶句する。
徹の少し先に、腰を抜かし、呆けたように部屋の中央を見つめる婦人がいる。
その視線の先には――。
手に脇差を握り締めたまま、血だまりの中に倒れ伏す、佐橋の変わり果てた姿があった。
「そんな……切腹するなんて……」
後から駆け込んできた魅夜と美月も、そこに広がる光景を驚きの目で見つめている。
「どうして、こんな……。あなた、あなた……」
力無く、ヨロヨロと佐橋に近づいていく婦人。
その手に、べっとりと血糊が付く。
その出血の多さに、初めて佐橋が死んでいるという事実が実感できたのか、婦人は佐橋の身体の上に、
倒れこむようにして泣き崩れた。
徹は、部屋の奥にある机の上に、手紙が一通置いてあるのに気づいた。
表書きには、「筆頭家老様」とある。
書いたばかりらしく、墨がまだ乾ききっていない。
徹は震える手で手紙を取り、目を通す。
そこには、今回の一連の不正は全て自分の一存で行ったものであり、他の誰にも責任は無い事。そして罪を背負って切腹するに辺り、
上司や部下に迷惑を掛けて申し訳ないという事が、淡々と記されていた。
「佐橋さん、そんな……」
徹に続いて目を通した魅夜も、それ以上二の句を告げることが出来ない。
上層部に類が及ぶのを恐れた佐橋が、罪を一身に背負って死ぬ事を選んだのは間違いない。
そしてその原因の一端を作ったのは、紛れも無い自分たちなのだ。
「くそぉっ!」
ダンッ!と力一杯拳を机に振り下ろす徹。
その手は、怒りとやるせなさに震えている。
(なんで、なんで気づかなかったんだ……。すみません、佐橋さん……!)
徹は、自分を責めた。
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