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【重層世界のフェアリーテイル】魔術師達の夜宴(前編)

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【重層世界のフェアリーテイル】魔術師達の夜宴(前編)

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   3

「バリン様所縁の地……ですか」
魔法協会で雑事一般を仕切るキルツは、些か太めで人のいい顔つきの中年男性だ。
 葉月 可憐(はづき・かれん)アリス・テスタイン(ありす・てすたいん)は、第二世界についてもう少し調べようと考えて、彼に声をかけた。思った通り快く答えてくれたが、
「この第二世界の本当の名前などご存じありませんか?」
「だいにせかい?」
「前会長様所縁の地や、会長様やイブリス様が若い頃に修行された場所など……」
「イブリス――様?」
「い、いえ、イブリス。イブリスです」
といった具合で、ほとんど役には立たなかった。
 分かったのは、前会長の名前がバリンであること、十年前に死去したこと、しかしその前から弟子たちに実権を譲り、自分は隠遁生活を送っていたことなどだ。
「十年前……というと、会長は二十歳そこそこで会長になったってこと? 優秀だねぇ」
 アリスがのほほんとした口調で言うと、キルツはくすりと笑った。
「ああ見えて、会長は結構なお年なんですよ」
「え?」
と可憐。
「いえつまり、それだけ優秀だということなんですけどね。二十歳ぐらいのときに、修行の成果で不老化に成功したんです。不老化といっても、人よりゆっくり年を取るってことですが。遅老化と言うべきですか」
「じゃあ、本当はいくつなの?」
「さあ」
と、キルツは首を傾げた。「私が入ったときには、既にああいった感じでしたから」
 やや薄くなった頭を撫でて笑うキルツは、四十代。イブリスのことも詳しくは知らないという。
 その時、仕事をさせてくれと南部 豊和がやってきたので、可憐たちは礼を言って早々に立ち去った。他の人間と関わりたくない理由が、彼女にはあった。
 可憐とアリスは、すぐに前会長バリンが晩年を過ごした小屋へ向かった。きちんと手入れはされていたが、そこには何もなかった。本の一冊ぐらいはと思ったが、考えてみれば遺品があれば全てきちんと保管しているはずだ。恐らくは、書庫に。
 可憐に言われて、アリスが小屋やベッド、椅子に対して【サイコメトリ】を使う。キン、キンという頭に突き刺さるような音と共にイメージが浮かんだ。

 一人の老人……とても穏やかな気持ち……。
 子供たちが遊んでいる……。
 女性がやってくる……会話をし……別れる……。
 願うのは、この世界の平穏のみ……。

「異郷より来たりし者、閉ざされた世界に光を照らさん」
 可憐は伝承を呟いた。
 バリンは分かっていたのだろうか。近い未来、または遠い未来、「それ」はどう足掻こうと蘇ることを。
 それでも、街と世界の平和を祈り、全てをエレインに託したのだろうか。
 そしてイブリスは――「それ」を甦らせた先にしか、「この世界」が望む未来はないことを……。
 だが今は全て、可憐の想像の域を出ない。「大いなるもの」が復活しなければ、答えは分からないのだろうか?


 如月 玲奈(きさらぎ・れいな)は、パートナーのレーヴェ・アストレイ(れーう゛ぇ・あすとれい)レーヴェ著 インフィニティー(れーう゛ぇちょ・いんふぃにてぃー)を連れ、協会本部の書庫へと向かった。協力するのだから見せてくれるだろうという期待は、すんなり通った。
 ずらりと並んだ本の数々に、あまり考えることが得意ではない玲奈はちょっとげんなりしたが、すぐに手当たり次第本を抜き出し、椅子に座り、机の上に広げた。
 ――が。
「よ、読めない……」
 書いてある文字が、全く、一切、一字一句も読めない。理解不能だ。
「どれ」
と、レーヴェが横からその本を取った。ふむ、ふむ、と頷きながらページをめくる。
「よ、読めるの、師匠?」
「当然です。読めない方がどうかしています」
 眼鏡を中指でくいと持ち上げながら、レーヴェは答えた。
「私も読めますよ」
 インフィニティーがレーヴェの横で言った。
「フ、フィーまで……」
「当然です。彼女は私の著書なんですから」
 レーヴェの魔力と記憶の込められた魔道書であるため、インフィニティーとレーヴェはほぼ同じ能力を有する。
「い、いいもん、私だって竜語ならちょっとは分かるもん……」
 長机の一番端っこで膝を抱える玲奈に、レーヴェはやれやれと嘆息して尋ねた。
「それで、何を調べたいんですか?」
「え?」
「これだけの量です。片っ端から読んでいくわけには……まさか、そうなんですか?」
「う、うん。そのつもりだったけど?」
 レーヴェは絶句した。次いで、温和な私でもキレるぞ? というオーラが彼から漂っているのを見て、玲奈は更に落ち込んだのだった。


 姫宮 みこと(ひめみや・みこと)本能寺 揚羽(ほんのうじ・あげは)も、書庫にいた。
「敵を知り己を知れば百戦して危うからず、だな」
 背表紙を眺めながら揚羽が言った。
「伝承の語るところによれば『大いなるもの』とは『人の心に潜む負の感情から生まれた邪悪な存在』だそうですが……これだけでは何ともつかみどころがないですね。戦いについて記した伝承があればいいんですが」
 みことは、「大いなるもの」が国家神の一種ではないかと考えていた。そのため、スプリブルーネを含む「国」に関する書物を探すことにした。
「ふむ……これとこれ、それにこれ」
「え? え?」
 揚羽がひょいひょいと本を抜き出し、みことの前に積み上げていく。「スプリブルーネへ―トレビナの旅人日記」「美しき街スプリブルーネ」「ギルド一覧」「聡明なる賢者の伝説」「紳士録」etc…
「さあ、存分に調べるがよい」
 山積みにされた本を見上げ、みことは呆然とした。
「あの……これ、全部?」
「何じゃ、足りぬか? さるは熱心じゃのう、よし、もっと探してきてやる。待っておれ」
 止める間もなく、揚羽は更に本を積み上げていく。みことは泣きそうになりながら、一番上を取った。
 トレビナという田舎町からやってきた商人が、スプリブルーネに至るまでに見聞きしたことを記した本だ。旅自体は四十年前、書かれたのも二十年前と古いものだが、資料としては優れているため、こうして書庫に置いてある。ただしこの本は、街の図書館でも読める。
 それを読んでいたみことは、一つのことに気づいた。どうやらこの世界では、「宗教」がないらしい。魔法がそれに代わっていると言ってもいい。また、悪いことは全て「大いなるもの」のせいとされる節がある。たとえば、夜更かしする子供に「大いなるものに食べられちゃうよ!」といった具合だ。
 すると「国家神」――いや神という概念そのものが、ないことになる。或いは、言い方が違うだけで、似たようなものなのだろうか?
「大いなるもの」との戦いについては、伝承以外にこれといった記録はない。しかし、「美しき街スプリブルーネ」に気になる記述があった。
 スプリブルーネは、噴水を中心に出来た街だ。この噴水を作った人物が、アルケーという賢者で、街の創始者の一人であるという。
 アルケーの名は、「聡明なる賢者」としても知られている。薄っぺらい、小冊子のようなおとぎ話の本によれば、どこからか忽然と現れた男は生まれついての賢者で、欲も邪心もない人物であったらしい。しかし魔力はずば抜けており、山を動かしたり川の流れを変えたり、砂漠に井戸を掘ったりと眉唾な話が伝わっている。晩年は魔法協会の会長としてこの街に暮らし、家庭も持ち、幸せだったという何のオチもつかない物語だ。
「つまらん! もっと血沸き肉躍る話はないのか!」
と、揚羽は切って捨てたが、平穏に憧れるみことには実に羨ましい一生に思えたのだった。