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【四州島記 外伝】 ~ひとひらの花に、『希望』を乗せて~

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【四州島記 外伝】 ~ひとひらの花に、『希望』を乗せて~

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第一章  〜 登山前日 〜

 四公会議から、数日後――。

 風祭 隼人(かざまつり・はやと)は、水城 隆明(みずしろ・たかあき)との会談に臨んでいた。
 もちろん、隼人としてではなく、影武者を務める広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)としてである。
 なにゆえ、隆明は東野藩主の座を欲するのか――。
 隼人は、それを見極めるつもりだった。

「此度は、わざわざご足労頂き、有難うございました」
「いえ。こうして湘景園にお招き頂いた事、嬉しく思います」

 ここ湘景園は、何代か前の藩主が、西湘から迎えた后のために、太湖を模して作らせたという庭園だ。
 そこかしこに西湘の風物を取り入れて作られたこの庭園を、隆明は気に入ったようだった。
 そこを会談の場に選んだのは、隆明との会談を至極和やかなモノにしたいという隼人の思い故だが、隆明にもその思いは伝わっているようだった。

 「今日の会見は、二人きりで」
 という隼人の要望通り、二人の側には供一人、侍女一人いない。
 二人はしばらくの間庭園の散策を楽しんだ後、一軒の四阿(あずまや)で足を止めた。
 そこには、予め隼人が準備させておいた通り、茶の湯の支度が整えられている。

「『隆明殿は、茶の湯に詳しい』と聞きました。それがしはつい先ごろまで市井にいた不調法者。出来ますれば、是非お教えを賜りとうございます」

 隼人は頭を下げた。
 四州の茶の湯は、日本や、マホロバのものとは作法が異なる。
 隼人もマホロバの茶の湯の作法を一応習ってはいたが、隆明のような風流の士には遠く及ばない。
 それならばいっそ、「素直に教えを乞うた方が、相手の心象もいいだろう」と隼人は考えた。
 また、あえて隆明に茶を入れさせることによって、『毒など入っていない』という意思表示にもなる。
 ともかく、隆明は隼人の申し出を、快く受け入れた。


「隆明殿。今日、二人きりの会談をお願いしたのは、他でもありません。どうしても、隆明様の本心を聞いておきたい事があったからです。もし藩主となられた暁には、隆明様は、どのような政治をなさるおつもりですか?」

 隆明の立てた茶を一息に飲み干し、隼人は訊ねた。

「私は――。私は父が東野公であると知らずに、これまで育って来ました。一介の市井の民であった者が藩主となって、それで藩が収まるのか、人々が幸せになれるのか……正直、まるでわかりません。ですが、貴方はちがう。貴方は藩主の息子として育てられ、既に政治に携わった経験もある。だからこそ、お聞きしたいのです。貴方が何のために、何を目指して藩主となるのかを」
「何のため、と問われれば、それは雄信殿。自分のためです」

 隆明は、改めて隼人の方に向き直ると、きっぱりと言った。

「自分のため……?」
「そう。自分のためです――と言っても、決して私腹を肥やそうとか、思うがままに権勢を振るいたいとか、そういう訳ではありません。貴方はご存知ないかもしれませんが、我が西湘藩では『水城の血の薄い者は、藩主になれぬ』という掟があります。そしてこの掟ゆえ、私は西湘を継ぐ事が出来ないのです」

 隆明の母は、東野公の妹。
 つまり隆明の中には、水城の血は半分しか流れていないことになる。

「そしてこの生まれゆえ、私は西湘では常に日陰者扱いでした。常に先例にこだわり、創意を嫌う父の言葉に、唯々諾々と従うより他なかったのです」

 隆明は、茶の湯の道具を片づけながら、淡々と続ける。

「しかし、東野の藩主となれば、それも変わってくる。東野の国力は、西湘を遥かにしのぎます。私が善政を引き、家臣や民の信頼を勝ち得、国を富み栄えさせる事が出来れば、いずれは西湘の影響力から脱する事も十分に可能でしょう。私はね、雄信殿。父から――あの旧弊が凝り固まって人の形を成したような化け物の手から、一刻も早く逃れたい。それだけなのです。そしてそのためには、父を超える力を手に入れるよりほか無い」

 そう隼人に語る隆明の目は、しかし隼人には注がれてはいなかった。
 隆明は、ゾッとするような目で、虚空の一点を見つめ続けていた。




「そう……。あの隆明が、そんな事を……」

 その日の夜。
 隼人は、昼間の会談の一切を、風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)に話して聞かせた。

「ああ。あの堂々とした隆明が、親父の話になった途端、あんな目になるなんて……。ありゃ、本気だな」
「なら、『善政を引いて――』っていうくだりも、信用していいんだね」
「と、思う。まぁ、単に親父を倒すだけなら、無理やり軍備を拡張して、軍事力で西湘を攻め滅ぼす――って手もなくはないだろうが、そういうタイプにも見えないしな」
「そうだね――。でも良かったよ。万が一隆明が藩主になったとしても、そうヒドイ事にはならなそうで」
「なんだよ、弱気だな!雄信がドコに行ったのか、手がかりぐらいはあるんだろ?」

 優斗は、大倉 重綱(おおくら・しげつな)の協力を得て、本物の広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)の行方を探している。
 しかし、今のところ芳しい成果を挙げられずにいた。

「手がかりでもあったら、こんなこと言ってやしないよ……。てっきり西湘に連れて行かれたのかと思って、重綱様に色々と調べてもらったんだけど、今のところ西湘にそうした気配はない。次に西湘以外の、南濘や北嶺も含めて国外に出た形跡が無いか調べてもらったんだけど、これもダメだった」
「でも関所を通らずに、山を越えたり船で密航されたりしたら、お手上げだろ?」
「それは、確かにそうなんだけど……」
九能 茂実(くのう・しげざね)のトコロはどうだ?」
「大川?それも調べてもらってるけど、さっぱりだね。茂実の家臣の長谷部 忠則(はせべ・ただのり)
のトコロに潜入してる南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)からも、そうした報告は入ってないよ」
「そうか……。西湘か、九能か、そのどっちかだと思うんだけどな〜」
「まだいないと決まったわけじゃないし、もっと慎重に探してみるよ」
「ああ、そうしてくれ。俺もいつまで影武者が務まるか、わかったもんじゃないからな」
「そんな事言わないで、頑張ってよ。雄信様」

 口ではそう軽口を叩きつつも、隼人がそういつまでも保たないのは、優斗もよく分かっている。

(なんとか、四公会議が終わるまでに見つけないと……)

 手がかりすら得られぬ状況に、焦燥が募っていく優斗だった。
 




「今日はお忙しい所、お時間を取らせてしまって申し訳ありません、雪秀様。ご迷惑ではありませんでしたか?」
「迷惑だなんてとんでない。わざわざ貴女から会いに来て下さったこと、私は大変嬉しく思っています」
  
 大岡 永谷(おおおか・とと)は、襖の向こうから姿を現した峯城 雪秀(みねしろ・ゆきひで)に、ホッとした表情を浮かべた。
 北嶺藩藩主の名代である雪秀は、広城城下にある北嶺藩の屋敷に逗留していた。
 この屋敷は、ちょうど大使公邸のような役割を果たしている。
 雪秀に面会を申し込んだ永谷は、その屋敷の、奥まった座敷の一つに通されていた。

 雪秀は、その秀麗な顔に、とびきりの笑顔を浮かべて言った。
 見る者を陶然とさせずには置かない、そんな顔だ。

「それと雪秀様。この度は、我々登山隊を受け入れて頂いて、本当に有難うございました」

 永谷は、改めて居住まいを正し、深々と頭を下げた。
 神職の娘として生まれた永谷には、神域への立ち入りが許されるということが、どれだけ大変なことであるかは、人一倍よく分かる。

「いいえ、礼には及びません。他ならぬ東野公の御命に関わることであれば、きっと姫神様も許して下さいます」
「そういって頂けると、私も気が楽です」

 雪秀の言葉に、表情を和らげる永谷。

「ところで永谷殿、そちらの方は?」

 雪秀の目が、永谷の隣に座っている男に向けられる。
 男は、永谷と雪秀が話している間中ずっと、眉一つ動かさずに座っていた。

「はい。こちらは我が調査団の戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)さんです。どうしても雪秀様にお聞きしたい事があるというので、お連れしました」

「突然押しかけてしまい、申し訳ありません雪秀様。戦部小次郎と申します。以後、お見知り置きを」
「これは、ご丁寧に――」

 やや慇懃に過ぎるとも言える小次郎の挨拶に、対照的にゆるりとした返礼を返す雪秀。

「それで、私に聞きたいことと言うのは?」
「はい。雪秀様は此度の登山行、成功すると思われますか?」
「……あなたは、失敗すると思っているのですか?」
「正直、難しいと思っています。これ程大規模に挙行すれば、否が応でも敵に気づかれてしまいますし、そうなれば敵の妨害を受けることは確実。花など焼き払ってしまえば良いのですし、大勢で押しかけるのですから、その中に手下を紛れ込ませて騒ぎを起こすことも容易いでしょう。もし失敗したとなれば、いくら場所を貸しただけとはいえ、北嶺藩にも痛手となります。ましてや白峰は神域。一度穢されたとなれば、取り返しのつかぬことにもなりかねません。ですが、貴方は許可を出された。となれば、何か次善の策があるはず。それを伺いたくて、こうして参ったのです」

 小次郎は、雪秀の目をまっすぐに見据えて、言った。
 
「次善の策……?ありませんよ、そんなモノは」

 小次郎の言う事が余程意外だったのだろう。
 雪秀は、面食らった顔で言った。

「本当ですか?本当に――。本当に何もないのですか?」
「ありません」

 尚も食い下がる小次郎に、雪秀はピシャリと言う。
 小次郎は「どこかおかしい所はないか」と雪秀をじっと見つめるが、嘘をついているような所は見られない。

「そ、そうですか……」

 小次郎は、拍子抜けしていった。

「だから言ったでしょう、戦部さん。雪秀様は、そんな方ではないと」

 それ見たことか、と言うように永谷が言った。

「此度の東野藩の混乱は、一歩間違えれば、東野のみならずこの四州全体をも巻き込みかねません。後継者として、西湘の隆明様が名乗りを挙げられた事を取ってみても、既にその兆しは現れております。この混乱を大過なく収拾するには、東野公に本復して頂くより他ありません。であれば、次善の策など考える余地など無いのです。それに――」
「それに?」
「私は、恐らく成功するだろうと思っているのですよ。貴方とは違って。こう見えて私は、あなた達契約者の力を高く買っているのです」

「あ、有難うございます、雪秀様……!今回の登山行、なんとしても成功させて見せます!」

 雪秀の言葉に深く感銘を受けたらしく、永谷は深々と頭を下げる。

「ええ。お願いしますよ、永谷様。我々北嶺藩としても、此度の登山行に協力を惜しみません。何か出来る事があれば、遠慮なくおっしゃって下さい」
「は、ハイ!実は――」

 永谷は渡りに船とばかりに、雪秀に仔細を語った。

「つまり、登山ルートの構築に必要な資材を、提供して欲しいと」
「はい。資材と言っても、それほど特別なモノは必要ありません。北嶺藩には主に木材を提供して頂きたいと思っています」
「木材?」
「はい。ベースキャンプの建設にも、登山ルートに打ち込む杭としても、そして煮炊きの燃料としても、木材は必要です。はるばる東野から運んでくるよりは、北嶺の山々から調達出来たほうが時間も労力も少なくて済みます」
「成る程……。いいでしょう。ただし、白峰は霊山。みだりに木を切ることは許されてはおりません。ですから、周辺の山々から切り出した木材を提供しましょう」
「もちろん、それで結構です!」
「それと、北嶺山に住む民に、あなた方への協力を命じておきます。あの山には、狩人や木こりといった、山と生活を共にする者が少なからずいます。きっと、役に立つでしょう」
「有難うございます!」
「これからも、我が北嶺藩の助力が必要になったなら、いつでも遠慮なく私に会いに来て下さい。屋敷の者にも、そう告げておきます」
「雪秀様――」

 永谷は、雪秀に繰り返し礼を述べた。

 
「さて、難しいお話は、この程度にしましょうか――」

 一通りの話を終え、永谷がそろそろ暇を告げようと思っていた時。
 不意に雪秀が、「パンパン」と手を叩いた。
 抑えた足音がして、女中が姿を現す。

「お呼びでございますか?」
「酒肴の用意を」
「畏まりました」
「ゆ、雪秀様!?い、いえ!私はもうお暇致しますので――」

 いきなり酒宴の用意を命じる雪秀を、慌てて引きとめようとする永谷。

「なに、長くはお引き留め致しません。少しの間、お付き合い下さい――ダメですか?」
「だ、ダメ、という訳では……」

 拗ねた子供のような表情を浮かべる雪秀。
 その顔を見ている内に、永谷は、それ以上言葉を続けることが出来なくなってしまった。

「そうですよ、大岡殿。私も雪秀様とは、まだ話したい事が山のようにあるのです」

 黙って二人のやり取りいた戦部が、突然口を開いた。

「先ほどは見事に読みが外れてしまいましたからね。もう少し『出来る』トコロを雪秀様に見せねば、次からは会ってももらえません――。雪秀様。山国である北嶺藩に相応しい開発の有り様について、少しご進言しとうございます」
「ほう、それは面白そうな――」

 小次郎の話に興味に示す雪秀。

「では早速聞かせて下さい。永谷様もよろしいですね?私は以前お会いした時からずっと、また貴女と外国の話をしたいと思っていたのです。お二人共今日は、『私が帰っていい』と言うまでは帰れないモノと覚悟して下さい!」

 楽しげに、そう言い切る雪秀。
 こうまで言われては、永谷も断る理由がない。
 膳の支度も整わぬウチに話し始める小次郎を横目に見ながら、ドコかウキウキしたモノを感じている自分に気づき、永谷は思わず苦笑した。




「たとえ自分では山に登れなくても、この白峰講にお金を差し出せば、あなたも豊雄様のお命を救う手助けが出来ます!あなたが差し出した浄財が、山に登る人たちの食事となり、お足代となって、ミヤマヒメユキソウを探す役に立つのです!お金が無い方は物でも結構!あなたが差し出された物は、どんな物でも必ずお役に立ちます!差し出す物も無い方ならば、働いて浄財の代わりにする事も出来ますぞ!さぁあなたも、豊雄様のお命を救う義挙に加わりませんか!」
「やる!オレは講に加わるぞ!」
「私も加わります!」
「オレもだ!金はねぇが、身体には自信がある!なんでもやるぜ!!」
「亭主に内緒で貯めたへそくり、全部持って来たよ!」
「老後の蓄えにと取っておいた貯金を持って参りました。是非お役立て頂きとうございます」

 街頭にたち、大声で登山行への寄付を呼びかける興行師。
 その呼びかけに応じ、手に手に金や物を持った人々で、ごった返す受付。
 その、いつまでたっても途切れる様子のない人の波を見つめながら、シャレン・ヴィッツメッサー(しゃれん・う゛ぃっつめっさー)は、改めてこの国の人々の東野公に寄せる敬愛の深さに感嘆の念を抱いていた。

「それにしても、すごい人の数ですね、ヴィッツメッサー殿」

 そうシャレンに声をかけたのは、この東野有数の豪商の一人、東屋(あずまや)だ。
 シャレンは、彼のような豪商に対しても、登山行への協力を訴えた。
 
『あなた方の商品が東野公のお生命を救う役に立ったとなれば、御棚の評判はどれだけ上がるか知れません。人々は皆こぞって、あなたの店の商品を買うようになるでしょう』
 
 と、単に寄付を求めるのではなく、商う商品そのものの提供を持ちかけたのである。
 シャロンのこの訴えは、利に聡い商人の心を揺さぶり、数多くの商人が商品の提供を申し出た。
 東屋は、そうした商人たちの中でも、最も多くの支援を申し出た、いわば最重要スポンサーである。
 【貴賓への対応】を心得たシャレンは、彼等を丁重にもてなすと共に、支援物資の使途などについて疑念を抱かれる事の無いよう、適切な情報開示を心がけていた。

「本当に、そうですわね」

 そう答えながらも、シャレンの目は、寄付のために集まった人々の群れから片時も離れなかった。
 【旦那様、朝でございます】を使い、連日睡眠時間を削って寄付を受け入れる体制を整えたが、実際に応対に当たる人員には不慣れな者も多く、【使用人の統率】よろしく常に指示を出さねばならないからだ。

『国民から深く尊敬を集める東野公ならば、きっと沢山の寄付が集まるのではないか』

 そう考え、寄付の呼びかけを調査団に発案したのは他ならぬシャレンだったが、まさかこれ程反響があるとは思ってもいなかった。

「……おや?どうなされました、シャレン殿?」

 シャレンの目尻に光る物を見つけ、東屋が顔色を変える。

「あ!すみませんわたくしったら……」

 慌てて涙を拭うシャレン。

「今、少し考えていたのです」
「考えていた?」
「はい。『これ程国民から深く敬愛されている指導者が、一体今の世にどれだけいるだろうか』と……。わたくし達が敬愛する金 鋭鋒団長も、もちろん我々団員からは絶大な信頼と忠誠を寄せられてはいますが、それが広く市民一般と言う事になると、決してこうはまいりません。そう考えたら、なぜだか胸に熱いモノがこみ上げてきて……」
「あなたも、民が豊雄様に寄せる『想い』の強さに感動しているのですね。手前と同じ様に」
「東屋さんもですか?」
「……はい。手前も今、この東野の民として生まれた事を、心から誇らしく思います」

 二人はその後も、寄付に集う人々を、飽きること無く見つめていた。 




 先発隊の出発前日。
 白峰の麓に設けられたベースキャンプには、既に現地に到着した隊員たちのテントが、色とりどりの花を咲かせている。
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は、大型テントの一つに近寄ると、声をかけた。

「林田さん、こんばんは」
「おお、空大の庭師さんか。中に入ってくれ」

 林田 樹(はやしだ・いつき)の声にエースがテントに入ると、樹は、難しい顔で、テーブルに広げた地図とにらめっこをしている所だった。
 樹たちは、登山隊が使用する地図の作成を担当している。

「わざわざ呼びつけてすまないな。ちょっと、こっちに来てくれ」

 エースとメシエは、呼ばれるままに樹の、傍らに立つ。

「どうぞ」

 緒方 章(おがた・あきら)が、手早く用意したホットコーヒーを差し出した。
 
「ああ、どうも。これは……白峰の地図か」

 コーヒーを啜りながら、地図を眺めるエース。

「そうだ。とりあえず、空から測量した大雑把なデータと、山に出入りしている神職たちから聞き取った、登山道を書き込んでおいた」
「登山道なんてあるのか?」
「ある。白峰には八合目に白峰大社の本宮が、五合目に遥拝所があるんだが、そこに行くための道が存在するんだ。途中までは、これが使えるはずだが……。ただどちらにせよ、あまりに情報が少なくてな」

 ブスッとした顔でいう樹。
 なるほど、確かに地図に描かれている等高線はひどく大雑把である。
 上空からの測量だけ得られる情報では、これが精一杯なのだ。

「それじゃ、『コレ』があれば、もう少し地図らしくなるんじゃないか?」

 そういって《銃型HC弐式・N》を開くエース。
 そこに表示された情報を、樹に示す。

「これまでに調べあげた、四州島の植物についてのデータと、以前採取したミヤマヒメユキソウのデータを元に、シラミネイワカズラとミヤマヒメユキソウの自生地を予測してみた」
「よし、そのデータを登山道と重ねてみよう――コタ?」
「はい、いつきしゃん!」

 林田 コタロー(はやしだ・こたろう)は手際よく《シャンバラ電機のノートパソコン》を操作し、登山道とエースの予測図を重ねあわせていく。
 間もなく、エースのHCに新たな地図が表れた。

「うーん……やはり、登山道の側には、自生地は無いようですね……」

 メシエは、少し気落ちした表情を浮かべている。

「難しいだろうな。少なくとも巫女たちは、そうした花を見た事は無いと言っていた」

 樹には、ある程度予想された結果だったようだ。

「まぁ、探す楽しみが増えたと思うさ。それで?他にも何か『内密』の用があるとか?」
「ああ、それなんだが……ちょっと、ここを見てくれ」

 樹が指差す所を覗き込むエース。
 そこには他よりも目立つ字で、『落石・落雪注意』と書いてある。

「落石と……落雪?」
「巫女から聞いた所によると、そこを通る道の上の山肌が切り立った崖のようになっていて、頻繁に石や雪が落ちてくるらしいんだが……実は、ここには抜け道がある」
「抜け道?」
「ああ。このルートに差し掛かる手前に、大きな岩があり、その岩から大きな杉が一本生えているんだが、その岩の裏手からこの危険地帯の真上を通るルートに出られるらしい」

 樹が、地図を指でスッとなぞる。

「これは、あんたの他には『葦原の忍び娘』にしか伝えてない極秘情報だ」
「あしはらの……忍び娘?」
「それは、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)さんの事です」

 樹独特の言い回しに慣れていないエースに、章がすかさず補足する。

「ああ、彼女の事か……。でもなんで、これが極秘情報なんだ?」
「樹ちゃんは、内通者の存在を心配しているんです」
「内通者?そんなモノがいるのか?」
「まだ確証はない。ただ、あのメガネの先生が呪詛されたことといい、その可能性は高いと思う。今、コタローにも調べさせてるんだが……」
「こたは今、ぱしょこんれ、みんなのよてーを調べてましゅ。へんにゃとこがないか、ひとりひとり調べてるんでしゅ」

 樹たちの奥のテーブルにいるコタローが言った。

「でも、まだ見つけられていましぇん。だから、『ずるっこさくしぇん』をかんがえたんれす!」
「ず、ずるっこさくせん……?」
「つまり、こういうことだ――もし内通者がいるとしたら、この登山道の情報を外部に流す危険性がある。だから、安全なルートは秘密にしておきたいんだ」

 コタローの話を、樹が引き継ぐ。

「つまり、敵に危険なルートを進ませて、私達には安全なルートを行けと、そういう事ですね?」
「そうだ。空大の庭師さん。この地点に到達したら、あんたが皆を安全なルートに導いてくれ。頼む」
「敵を罠にかける訳か……」
「この情報は、あんたが『信用できる』と思った人物には話してくれて構わない。ただし、決して他には漏らさないよう、念を押すのを忘れないでくれ」
「そうか……。出来れば、花の事以外にかかずらりたくはなかったんだが……。まぁ、ここまで聞いておいて『イヤだ』という訳にもいかないか。わかったよ」
「面倒かもしれないが、頼む」

 肩をすくめて承諾するエース。
 そのエースに向かって、樹は頭を下げた。