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リアクション
第二章 一日目 〜 先発隊、出発 〜
夜明け前――。
ここ、白峰の麓に設けられたベースキャンプでは、一列に整列した先発登山隊が、厳しい冷え込みの中を出発しようとしていた。
彼等の任務はシラミネイワカズラとミヤマヒメユキソウの自生地があると思われる、標高2700〜3000メートル付近までの登山ルートを構築することである。
先発登山隊のリーダーに選ばれた源 鉄心(みなもと・てっしん)を始め、登山隊のメンバーの士気はすこぶる高い。
それは昨日、円華が、『東野公が死んでいるという情報は、実は、公の暗殺を防ぐための偽の情報で、東野公は、本当は生きている』という事実を公にしたからに他ならない。
「一般参加者の皆さんは、東野公のために山を登りに来る。でも、私たち調査団員は、その東野公の生存情報は嘘だと思っている。この状況に、良心の呵責を覚えている方も、決して少なくないと思います。これをそのままにして置くのは、この登山行の成功を期す上で良くないと、私は考えたのです」
円華は、公表の理由をこう述べた。
「皆さんにウソを吐いていた事は謝ります。でも、どこに敵のスパイがいるかわからない状況では、仕方のない判断でした。そうは言っても、皆さんの中には納得出来ない方もいると思います。そうした方は、今、この場で申し出て下さい。この作戦は御上先生が提案し、定綱様の了承を得て、私の責任の元で実行に移したものです。全ての責任は私にあります。私は、如何様にでも責任を取るつもりです。でも――」
ここで円華は、声に一層の力を込める。
「でも、お願いです。この登山行から外れることだけは、しないで下さい。どうか、ミヤマヒメユキソウを――そして、シラミネイワカズラを手に入れるために、力を貸してください。お願いします――」
深々と頭を下げる円華。
――この夜、円華に異議を申し立てる者は、一人もいなかった。
「この作戦に、豊雄様と御上先生の命、そして東野の未来がかかってますからね。必ず、成功させます」
「鉄心さん、くれぐれも気をつけて下さいね。この間も、大雪崩が起きたばかりですから」
見送りに立つ五十鈴宮 円華(いすずのみや・まどか)が、心配そうに言う。
鉄心を先発登山隊のリーダーに選んだのは、円華である。
鉄心は、これまで円華たちとも幾度も共に行動したことがあり、気心が知れている。
何より、鉄心が以前、御上 真之介(みかみ・しんのすけ)と共にミヤマヒメユキソウを手に入れるため、冬山に登った事があるのが、決め手となった。
円華は、以前御上が、鉄心の登山を『堅実だ』と褒めていたのを、覚えていたのだ。
「もちろん。雪山相手に、無茶はしませんよ」
鉄心とて、自然相手に無理をする気はさらさらない。
とは言え、円華の気遣いは嬉しかった。
「言わなくともわかっとるとは思うが、定時連絡を忘れないようにの」
「はい、必ず。それじゃイコナちゃん、宅美さんたちの言う事を、よく聞いてね」
ティー・ティー(てぃー・てぃー)は宅美 浩靖(たくみ・ひろやす)の言葉に頷くと、傍らの
イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)に声をかけた。
「言われなくても、大丈夫ですわ!ね、おじ様♪」
「おお、イコナちゃんのことなら心配せんでもええ。安心して、花の捜索に専念してくれ」
イコナと宅美は、仲が良い。
イコナは宅美を慕っているし、宅美はイコナを猫可愛がりしている。
その様は『おじ様』というよりは、どうみても『祖父』である。
鉄心の聞いた所によると、なんでも宅美には絶縁状態にある娘の元に孫娘がいるらしいのだが、その孫とイコナを重ねている節がある。
「では、行って来ます」
「行ってきま〜す!」
「必ず花を見つけて来るから、楽しみに待っててくれよな!」
「う〜、さむいさむい!早く日が昇んないかなぁ……」
思い思いの言葉を口にしながら、登山道へと向かう先発隊。
その登山道の入り口には、『神域につき、何人も立ち入るべからず』と書かれた高札が立つが、そこに張られていた注連縄は既に取り外されている。
『ここから先は、通常であれば神職以外は立ち入ることの出来ない場所である』
その事実を知らせる高札の存在に、改めて気を引き締めた一行は、厳しい顔で、山へと入っていった。
ベースキャンプでは先発隊の出発を見送ってすぐ、一般登山者を受け入れるための準備が始まった。
毛皮を身にまとい、二人一組で丸太を担いだ北嶺藩の男たちが、入れ替わり立ち代わりやって来ては、丸太を積み上げていく。この丸太で、登山者が前泊するための仮小屋を建てるのだ。登山者たちはこの仮小屋で一泊し、翌朝まだ暗いうちから山に登ることになっている。
この木材やそれを運ぶ人足たちは皆、峯城 雪秀(みねしろ・ゆきひで)が大岡 永谷(おおおか・とと)に約束したモノだ。
そうして木材の運び込みが一段落すると、今度は荷を満載した馬車が列を成してやって来た。
積まれているのは、はるばる東野から運ばれてきた、食料や設営資材を始めとする、様々な物資である。
これらは皆、シャレン・ヴィッツメッサー(しゃれん・う゛ぃっつめっさー)が【至れり尽くせり】や【博識】を使って厳選し、最短で到着するルートを使って届けられていた。
「ああ、その馬車の荷物はここに下ろしてくれ――そっちはなんだい?ちょっと見せてくれ」
書類の束を手にした緒方 章(おがた・あきら)が、【財産管理】次々と運び込まれる品の一つ一つを確認し、運びこむ先を指示していく。
東野からの道中は、ヘルムート・マーゼンシュタット(へるむーと・まーぜんしゅたっと)が警護に当たったのだが、ここでも『東野公の御生命をお救い申し上げるための義挙』という宣伝文句が予想以上に効果を発揮した。
進路上にある村々では何処を通っても村人が総出で炊き出しをして出迎えてくれ、役人たちはみな自分たちの管轄する領内の端から端まで、片時も離れる事無く警護に当たってくれたのである。
そのあまりの厳重さに、ヘルムートは、『私は全く必要ないですね。この厳重さなら、たとえ三歳の幼児が一人で旅をしたとしても、無事白峰までたどり着く事が出来るでしょう』と漏らしたほどである。
ともかく輸送隊は、道中なんらのトラブルにも見舞われること無く、実にスムーズに到着することが出来たのだった。
「いいですか!資材の運び込みが終わったら、すぐに小屋の建設に取り掛かります!手の空いた人は、僕の所に来てください!!一般の参加者は、すぐにいらっしゃいます!」
章が、周囲の物音に負けじと声を張り上げる。
予定では、一般参加者は明日の夕方には到着する事になっている。
兎にも角にも、作業を急がねばならない。
ベースキャンプは、朝の静けさから一転して、戦場のような騒ぎとなっていた。
「どうした、白姫?お腹でも痛いのか?」
エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、足元で丸くなっている白姫岳の精 白姫(しろひめだけのせい・しろひめ)に訊ねた。
いつもはうるさくでどうしようもない位なのに、今日に限って、しゃがみこんで俯いたまま、一言も喋ろうとしない。
「どうせまた、食べ過ぎたんだろー。だから俺がお代わりは3杯までで辞めておけと――イッてぇ!!」
足を抱えて飛び上がるエヴァルト。
したり顔で説教を続ける彼のスネを、白姫が蹴り飛ばしたのだ。
「腹痛などではないっ!全く、人をまるでアホの子のように言いおって!」
「何しやがんだ、このチビっ!まるでも何も、アホの子じゃねぇか!!」
「なんじゃと!!仮にも地祇であるわらわに向かってなんという言い様!」
「おう、なんだやるってのかコラ!」
と、いつもの取っ組み合い(というかエヴァルトによる一方的なイジメ)に備えファイティングポーズを取るエヴァルト。
しかし、どうしたコトか。
いつもならすぐにでも飛び蹴りをかましてくる白姫が、今日に限ってはかかってくる素振りを見せない。それどころか、
「……フン。今日のわらわは気分が優れぬ故、見逃してつかわす」
と、一つ大きなため息をついて、またその場に座り込んでしまった。
「どうしたおい。腹痛はともかく、どこか具合にが悪いなら九条にでも見てもらった方が――」
「別に……、体調はどこも悪くない」
「なら、どうした?」
白姫の隣に座り込んで、その顔を覗き込むエヴァルト。
本人はなんともないと言っているが、明らかに様子がおかしい。
「なんでもない。なんでもないが……」
「が、なんだよ?」
「なんというか、気に入らないのじゃ、この山は」
ブスッとした表情のまま、白姫は言った。
「気に入らない……ね。そりゃそうだろうな。なんたってこの山にいる神様は、お前の兄妹を封印してるようなモノだからな」
先日知泉書院で見つかった古伝承によると、この四州島と、白姫の二子島は元々一つの島であり、白峰に祀られている『白峰輝姫(しらみねのてるひめ)』は、かつて四州島で暴れていた炎の魔神を封じるために召喚されたのだという。
そして白姫の本体である二子島の白姫岳も、火山であり、炎の魔神と同じように強い火の属性を帯びた存在である。
エヴァルトが白姫と炎の魔神を『兄妹』と言うのも、決して故なき話ではない。
「兄妹などと……。わらわを無辜の民草を苦しめるような魔神と一緒にするでない」
「それじゃ、何が気に入らないんだよ」
「……知らん!」
白姫はブスくれたまま、プイッとそっぽを向いてしまう。
「知らん……か。それじゃなおさら、山に登るしかないな」
「何故じゃ?」
「実際に自分で山に登って、気に食わない理由を自分で確かめるしか無いだろ?」
「ふむ……なるほど。そなたの言う事も、一理ある……」
「山に登って、理由を確かめて、ついでに東野公のために花を摘んでこい。な?」
「なんだか上手く乗せられたような気がするが……。まぁ良い。そなたの言うとおりにしよう」
「お、ようやく笑ったな、お前」
白姫がふと浮かべた微笑に、釣られて笑うエヴァルト。
二人の視線の先に、白峰はただ静かに佇んでいた。
「定綱様。今朝、登山隊がキャンプを出発したそうですよ」
「そうですか……。いよいよですね……」
ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の話に、大倉 定綱(おおくら・さだつな)の顔がほころぶ。
先日毒を盛られた定綱は、軽傷とはいえ未だ床から起き上がれず、広城内に設けられた特別病室で、寝たきりの生活を送っていた。
定綱付参与であるルカは、そんな定綱が病床でも政務を取れる様、枕元で書類を読み上げたり、定綱の口述筆記をしたりと、何くれとなく気を配っていた。
それは、参与というよりも介護士と言った方が相応しい献身ぶりだった。
「定綱様」
ガラリ、と襖が開いて、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が部屋に入ってきた。
ダリルは、定綱の診察を担当している。
彼が手配した薬や天敵などのお陰で、定綱はすこしずつではあるが、着実に回復していた。
しかし今日のダリルは、いつになく、不機嫌な顔をしている。
「円華さんから聞きました。豊雄様が、生きていらっしゃるそうですね」
部屋に入るなり、定綱に訊ねるダリル。
「えっ?生きてるって、豊雄様が!?」
驚いて、定綱を見るルカ。
その表情から、定綱はその事実を知っていたのだと悟った。
「お許しくだされ、ダリル殿、ルカ殿」
定綱は、頭を下げる。
「決して、皆様を信用していなかったのではござらぬ。謀事とは、どれ程密なるを努めても、必ず何処かで漏れる物。それを防ぐには、真実を知る者を一人でも少なくするより他無かったのでござる」
「そ、そんな!頭を上げて下さい定綱様!そ、そりゃちょっとは驚きましたけど、それで怒ったりはしませんから!ね、ダリル?」
「はい。確かにそのぐらいのコトで、怒りはしません。オレは、自分の不明に腹を立てているだけです」
ダリルは、相変わらず不機嫌な顔のまま、言った。
「ちょっと、ダリル!今の『不明』ってどういう意味?」
診察を終えたダリルの後を追うように退出したルカは、廊下でダリルを掴まえると、訊ねた。
ダリルがこれ程不機嫌になるなど、そうそうあることではない。
「俺は以前、豊雄様を暗殺したのは定綱様なのではないかと疑って、豊雄様の死因や検死の状況について調査した」
「あの、豊雄様の運び込まれた病院とかにハッキングしたヤツのコト?」
「そうだ。調査したのに、オレは豊雄様が生きているコトを見抜けなかった。俺は、病院のセキュリティを突破出来なかったんだ」
ダリルは苦虫を噛み潰した様に言った。
「不明って、そういうコト……」
「ああ。そればかりか、敵が用意しておいた偽の情報を掴まされ、しかもその事実に今の今まで気づかなかったんだ。全くもって、間抜けもいい所だ」
ダリルは吐き捨てるようにそう言うと、相変わらず不機嫌そうに、その場を後にした。
その背に言葉をかけようとするルカ。
しかしすんでのところで思いとどまる。
完璧主義者で内省的なダリルの事だ。
今自分が何か言っても、きっと聞き入れないだろう。
(今は、そっとしておくより他ないわね……)
ルカは、ただ黙って、ダリルの背中を見送った。
「ローズ、メシの時間だぞ」
シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)の声に、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は書き留めていたカルテから顔を上げた。
「ああ、もうそんな時間なのね。有難う」
ローズはベッドの側を離れると、簡素なテーブルへと向かう。
「一日中部屋ん中こもってから、時間の感覚が無くなるんだ。少しは、外の空気吸ってこい」
テーブルに食事を並べながら、呆れ顔で、シンが言う。
「そうね……。先生の容態も安定してるし、そうさせてもらうわ」
ベッドに眠る御上 真之介(みかみ・しんのすけ)に目をやるローズ。
地球から急ぎ取り寄せた薬のお陰で、御上は当座の危機を脱しつつあった。
「おう、そうしろそうしろ。掃除もあるからな、当分帰ってこなくていいぞ」
ことさらにローズを邪険に扱うシン。
しかしローズは、シンのその言葉が本心からのものではない事を知っている。
「また、掃除するの?」
「学人が、また『生霊返し』すんだってよ。『汚れ』は『穢れ』につながるとかで、念入りに掃除しろってウルセーんだ、アイツ」
冬月 学人(ふゆつき・がくと)は御上が呪詛にあってからというもの、徹底的に呪詛対策をしていた。
ローズから借りた《浄化の札》と祟り祓い印を書いた手製の護符を御上の病室の四方に貼り、毎日のように
『不動王生霊返し』の修法を行なっている。
時には、【不寝番】で寝ずに修法を行うこともあり、そうした日には御上の病室には一晩中「不動明王、火炎不動王、波切不動王、大山不動王、吟伽羅不動王、吉祥妙不動王、天竺不動王、天竺逆山不動王……」という学人の声が響くのだった。
「そう嫌がらないで、協力してあげてよ。学人は先生の呪詛を防げなかった事に、責任を感じてるのよ」
「わかってるよ!別に嫌だなんて言ってねーだろ。しかし、毎日毎日あんなコトしてて、大丈夫なのかね、アイツ?」
「……心配?」
「だ、誰が心配なんてするかよ!アイツにまで倒れられちゃ、面倒だから言ってるだけだよ……ホラ、早くメシ喰え、メシ!」
シンはぶっきらぼうにそう言うと、病室を出て行く。
「でも、本当に今の状況が長続きすると、みんな参っちゃうわね……。早く花を見つけてきてね、みんな……」
ベッドに横たわる御上を見つめながら、ローズは、そう願わずにはいられなかった。
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