リアクション
* ボートを降りた場所は、ウルレミラの方からは見えない側で、島を半周ほど回った位置だった。 ぎし、ぎし、古い木の板を組み合わせた乗り場に着いた。 静かだ。 黒ずんだような家の壁が湖面に並んでいる。表から見えたのとは違い、廃墟のように古くさい。 「じゃあな。楽しんできなされ。 おっと、夜の十九時、二十一時、零時に迎えが来るでな」 橘を降ろすと、ボートはすうと乗り場を離れ、水面を静かに去って行った。すぐ、建物の影に隠れて見えなくなる。 「……十九時のには間に合うように戻ろう。 ……。まあ、別にちょっと情報収集するだけだし。 ……」 野良猫が魚の骨を齧っている細い階段を上がると、街に出た。雑居区のようだ。 ぼろぼろのアパートや木造の建築物が立ち並ぶ。遊郭だけで成り立っているわけではなく、この小島で暮らしている人々もいるのだろう。 ときどき路地に屯する、目つきの悪い、たちの悪そうな連中。 黒い影のような家の並ぶ路地もある。 それらを抜けると…… 「わっ」 けばけばしく彩られた沢山の看板。垂れ下がる灯かり。夜になればもっとすごいのだろうけど…… 乱立する、様々の建物。 遊郭街に出た。 「えーっと……、濡場喫茶、メイド……冥土の土産屋さん? ようこそ、三日月うさぎちゃん……ここに入ってみるか?」 「おにーさん♪」「あーら可愛い僕?」「うふふ」 「えっ、……オレ?」 どきどき。 * ここにも、遊郭を歩く三人。 「すごい」 周りを見回して、思わずそう呟く、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)。 「刀真、女遊びをする所に女連れで来るとは阿呆か?」 そう聞いたのは、玉藻 前(たまもの・まえ)。 「アホじゃありません、仕事で来ているんですからパートナーと一緒に来るのは当然です」 二人の間に立って先頭を歩くのは、樹月 刀真(きづき・とうま)。教導団に雇われの傭兵としてウルレミラへ来ていた。 パートナーと三人で遊郭のある島に入ったのには実際、ここが湖賊とつながっているだろうとの読みがあったからだ。 和風なものから洋風なものまでごちゃ混ぜの(パラミタ風ということなのだろうけど)つぎはぎのような建物がずらっと並ぶ、遊郭街を歩く。 「まあ女避けにはなるか、両手に花の男のところへわざわざ来る遊女がいるとは思えん」 ……でも、こちらに手を振っている女もいる。柄の悪い女連中。 遊女だけじゃなく、ならず者の類もいるようだ。 おそらく、湖賊も…… 「一仕事終われば此処に来ている可能性が高いです。彼らに会って話を聞きたいんですよ。 遊女の人達にしても、湖賊から何か話を聞いてる可能性もありますし、何か話を聞けるといいんですがね」 それに彼らを通して船を手に入れることができれば、行動範囲は広がる。 「ねえ」 月夜が、後ろから話しかける。 「花魁とか本に書いてあったけど、女の人達と主に何をするのかは書いてなかった」 「金が入れば酒と煙草と女、まあ殆どの男の基本ですね……俺には理解できない所がありますが」 「刀真、聞いてる? 女の人達と主に何をするのかは書いてなかった」 「……。ええと」 あやしげな男達が、寄ってきてくれた。今、街の中央辺りまで来ただろうか。 「よお」「女連れかよ、あんちゃん」「三人で楽しもうってのか。ホテルならウルレミラにたくさんあるぜ?」 「仕事で来ているんです」 「ほっほー」「おう、あんちゃんよ? ここがどこか知ってんのか」「俺達のシマに何しに来た」 「なるほど。君達は、湖賊ですよね」 男達は、黙って刀真をじっと見ている。 「船と人が欲しいのですが、話のできる方はいますか?」 二人は、顔を見合わせて、笑い出した。一人は、何も言わずぽりぽりと頭をかいてあくびしている。 「おっと危ねぇよ!」 笑っていた一人が、突然殴りつけてきた。 「……」 無言で避ける刀真。 「ほっほー」「おう、あんちゃん。速いね」他の二人は何もしてくる様子はない。殴りかかった男も、拳をおさめている。 「刀真!」 月夜、玉藻が駆け寄る。 「大丈夫です」 刀真は冷静に言う。 「どうするよ?」「お頭んとこ連れてくか」「面白いけどな、こいつ。お頭にかかったら死んじゃうよな」 「よお、どうするよ?」 「先程も言った通りです。船と人が欲しい、と」 男ら二人は今一度顔を見合わせたが、何も言わず、一人が「来な」とだけ合図した。 * いちばん高い遊郭の、最上階の一室に案内された。 「頭、なかなかの上玉ですぜ」 男達はそう言うと、笑いながら、去っていった。 月夜は、自分と玉藻がそう言われたということも気に留めず、部屋を見回す。 頭(かしら)、と呼ばれた者は、宝石の散りばめられた豪奢な椅子に座って、背を向けていた。 傍らには、けばけばしい一室に似合わない、飾り気一つない黒の執事服で身を固めた男が一人。顔に刻まれた皺が老齢を示しているが、背は真っ直ぐに立ち、190はある長身である。 その男が、口を利いた。 「船と人が欲しい、そうだな。さて、どうする?」 男はそれだけ言うと、じっと押し黙る。身じろぎ一つとしない。ただこちらをじっと見ている。 沈黙。 頭は、後ろを向いたまま、葉巻を吸って、ただ真っ白い煙をふかーっとふき出している。 玉藻がきり出す。 「よし、賭けをしよう。 お前と刀真が一対一の勝負をする。お前が勝てば我をくれてやる、刀真が勝ったら船と人をよこせ」 「お前、とは頭(かしら)に向かってのことか」 「そうだ」 玉藻は、後ろを向いたままの頭に向けて、言い放つ。 執事服の男は、押し黙る。 頭は、相変わらず、葉巻を吸うては、巨きな輪っかを作り出しては窓の方に放るばかり。 「ほう、我にその船と人ほどの価値は無いか?」 艶やかに微笑する玉藻。 そこへ月夜、 「私も玉ちゃんと一緒、それでも釣り合わない?」 「ふふふふ。小娘風情が、何をほざいておる」 姿勢はそのままに、言葉を発する。しゃがれた声だ。 「月夜、玉藻の影響を受け過ぎだ迂闊な事を言うな」 刀真が、二人を止める。 刀真は、玉藻の出した賭けに怒り、今までの表情が消え、殺気をまき散らす。 「玉藻、お前を封印するのは俺だ」 「そうだ刀真、我を封印するのはお前だ」 「おやおや。仲のいい三人だ。 テバルク。ここへ剣を持て」 「……」 男が、無言で壁にかけてあった一振りを頭に渡す。 剣は、魔宝石が切っ先に施された幅広のパティッサだ。 刀真も、柄に手を置く。彼の武器はバスタードソードである。 「この勝負は負けるつもりも、容赦もするつもりも無い。剣の勝負なら死ぬぞ」 刀真の目は冷たい。 頭は無言で剣をゆっくり眺めている。 「殺し合いがしたいなら別にかまわないぞ」 玉藻が言い放つ。 「玉藻。もう言うな」 「さて。続きは生きて帰れたらにしてもらおうかね。 剣の勝負なら死ぬ。その言葉、そのまま返してあげよう」 頭が椅子から立ち上がり、こちらを向いた。 「な……女?」 「あたいが遊郭を取り仕切るシェルダメルダ。 ほう。なかなか可愛い娘二人じゃないか。いいだろう、遊郭でたっぷりと働いてもらうとするさ。 いやあたいが可愛がったげてもいいけどねえ。うふふふ」 相当年は経ている筈だ。しかし、女は異様な綺麗さを感じさせる。ただ、笑みを浮かべるときその顔は奇妙に歪んだ。 「男の方は……あたいの下僕だね。 まあ、もちろん可愛がってやるさ」 「……いいのか?」 「刀真が勝つから平気」 「月夜の言う通りお前が勝つから平気だ」 刀真はバスタードソードをかまえた。……容赦はしない。 頭は、笑っている。剣はかまえない。 …… …… 数分とも数秒とも取れる時間。向かい合った二人。 「ふむ、殺気立ち過ぎだ……」 刀真は、剣を仕舞った。 「刀真?」 「くっ……貴様」 男が、デリンジャーを抜く。 「テバルク。おやめ」 「……」 がらん。女は宝石の剣を床に放った。 「こんな剣は飾りだ。あたいの右腕は、萎えちまったんだ。 戦えない湖賊だね。だけど、今の湖賊は皆、このあたいの振り上げられない腕と同じ」 頭は、再び椅子に座り、こちらを向いて話す。 「で、何に船が要り用だ。言うだけ言うてみい」 「黒羊郷で何があったのか? それに、軍勢が向かっている、と噂を耳にした。 ウルレミラには教導団の遠征軍。何が起ころうとしている?」 「あたいらは知っているよ。 今でこそ、三日月湖からせいぜい数百メートル上流を握るまでの湖賊に成り下がっているが、昔は川を上って、川を下ってヒラニプラの水路を自由に泳ぎ回っていたからねえ」 そこへ、ノックの音。 「なんだね?」 「教導団の者を捕らえました」 「ほーう」 「……!」 刀真らは、顔を見合わせる。 刀真らは、教導団の傭兵としてここへ来ているわけだ。今、そのことを話してはいないが、教導団が何か問題を起こして湖賊と対立したのなら、状況はまずくなる。 「入りな。何をやらかしたね?」 さっきの男の一人だ。 「えーと。店に入ったはいいのですが、何でも、所持金が50Gしかなかったらしく」 「……」 連れられてきたのは、確かに教導団軍服を来た生徒。幼さを残すが刀真と同じくらいに思える青年だった。 「名前は?」 「……橘 カオル(たちばな・かおる)だ」 「ふゥん。あんた面白い子だね。気に入ったよ。 さてさて、この坊やを黒羊さんへの手土産に北上するか、どうかねえ。 問題はこの坊やに人質なり何なりの価値があるか」 「……手土産? 黒羊郷は、教導団に何か手を出そうとでもしているのか?」 「あんた、黒羊郷に行きたいのなら、どうだね、湖賊になるてえのは? あんたの理由は聞かないよ。 まあ、そうさねずっと雇ってやることはできないけど、……黒羊郷に着くまででどうだい? その間はみっちり働いてもらうことになるよ。楽な仕事じゃあない」 「刀真……」 不安そうに、刀真を見る月夜、玉藻。 |
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