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まほろば遊郭譚 第二回/全四回

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まほろば遊郭譚 第二回/全四回

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第一章 権現様1

 東雲(しののめ)遊郭で発見された影蝋は、鬼城 貞継(きじょう・さだつぐ)その人であった。
 しかし、貞継は自分はマホロバの初代将軍鬼城 貞康(きじょう・さだやす)であると名乗る。
 貞康(さだやす)は二千年前にとうに亡くなっている。
 齢五百歳の大往生……だったはずだ。
 貞康本人か、体のみの貞継はどうなったのか、人々が問おうと遊郭で彼の出現を待った。


「……どうも城の者にバレたみたいだにゃー。たばかられたかにゃ……?」
 もとは鬼城の忍者部隊である八咫烏(やたがらす)に、後をつけられていたことに気付いた様子の貞康。
 だが、遊郭通いはやめてなかった。
「どーゆうわけかはしらんが、うまく泳がされとる気がする……」
 そういう貞康自身も気に止めた風でもなく、東雲遊郭の座敷の上がりこんでは、遊女に勺を求めた。
「素敵な飲みっぷりですわ。私のお酒も召し上がってくださいまし」
 ルディ・バークレオ(るでぃ・ばーくれお)が磁製の銚子を差し出す。
 黒い着物を纏った彼女は、この華やかな茶屋では嫌でも目を引くものである。
 貞康は一目で気に入ったようだ。
 声色が急に変わる。
「まるで喪服のようだ……綺麗だ」
「私のような女にそのそうなことをおっしゃって。あなた様が本当に貞康公でいらっしゃるのなら、それこそマホロバの美女という美女を知り尽くしているのではなくて?」
「無論。だが若い女は久々なので……」
 ルディは女の勘ともいうべきか、この目前の御仁は、鬼城貞康その人に違いないと確信した。
「貞康(さだやす)様、ご無礼を承知で申し上げます。実は私は、あなた様の人となりを気に入ったのです。他国の後ろ盾をかさに侵略を始める瑞穂藩主など……それも自国の故郷をですよ」
 ルディは瑞穂藩主であり、エリュシオン帝国の七龍騎士である蒼の審問官 正識(あおのしんもんかん・せしる)に嫌悪感を表した。
「貞継(さだつぐ)様のお身体を借りてまで、あなた様が何をなさろうとしているのか。私、賭けてみたいんですの。私が『目』となりましょう。影時間しか動けぬというあなたのためにも。それとも……あなた様は、今どこかでマホロバの夢を見てらっしゃるのかしら?」
 彼女の言葉に、貞康は片目を瞑り、にやりと笑った。
「わしのことが知りたければ床を共にするのがてっとり早い……今宵はどうか? 時間も限られていることだし――」
 貞康がぐっとルディに唇に顔を寄せたとき、頭に粉のようなものが降りかかった。
 ルディが、ごほごほと咳をしながら顔を背けている。
 貞康は振りかけた相手を振り返りみて、「どうした?」と優しく尋ねた。
 少女が立っている。
「私の大切なもの。……猫を……探してる」
 スウェル・アルト(すうぇる・あると)は大きく目を見開きながら言った。
影蝋(かげろう)……買いに来たの!」
 影蝋とはマホロバの男娼のことである。
 前将軍の貞継公に似た面立ちの影蝋がいると噂だっていたのだ。
 スウェルはそれを追っていた。
 貞康が仁王立ちする少女を見つめる。
 頭に降りかかった粉は、どうやら彼女が投げつけたマタタビの粉末のようだ。
「猫は猫でも、わしゃあ、そなたが思うような猫ではないかもしれんぞ」
「じゃあ……これも」
 スウェルの差し出す小さい手には、カツオブシが握られていた。
 貞康は大声で笑いだした。
「面白い娘だにゃあ! お前も一緒に……抱いてやろうか!」
 貞康が手招きしながら、スウェルの白い振袖を引こうとしたとき、マタタビの実がピンッと飛んで、貞康の手の甲をはじいた。
「――ああ、ごめんね。ちょっと手元が狂ってね。痛かった?」
 作曲者不明 『名もなき独奏曲』(さっきょくしゃふめい・なもなきどくそうきょく)は、へらへらと笑いながらスウェルの間に立つ。
「猫は猫でも、手癖の悪い寝子(ねこ)は勘弁だなあ。お嬢ちゃん、気は済んだかい。この人は、貞継にいさんにそっくりだけど、違うみたいよ。さ、帰ろう?」
「いや。……ムメイ……まだ話すの」
 スウェルはムメイこと『名もなき独奏曲』の制止も聞かず、貞康に詰め寄った。
「私……守りたかったのに……守れなかった。どうしたら、みんなを幸せにできる? あの人も……マホロバの人も、猫も」
 そして男の赤い瞳を覗き込む。スウェルはぽつりと言った。
「あなたは……誰?」
 貞康は黙ったまま、杯を手に取り雫をぺろりとなめた。
 『名もなき独奏曲』ムメイが横から言う。
「嬢ちゃん無表情だから分かり辛いけど、『守られて、守れなかった』っての、結構ショックだったみたいよ。兄さんが、貞継にいさんだろうとなかろうと俺はどっちでもいいけどさ、お嬢ちゃんの保護者としては、はっきりしてほしいのよ。色々とさ」
 貞康は眉根を寄せて言った。
「鬼城の血を引く……将軍ともあろうものが。これ程、民に心配されとるゆうのか。貞継(さだつぐ)という男は……度し難いな!」
「なにをイラついておられる。貴方様がこの二千五百年続く太平の礎を築かれた貞康公であれば、何か目的あってのこととお見受け致します。まさか、ただ『女遊びがしたいから』というだけで、遊郭をうろついておられるわけではありますまい」
 影月 銀(かげつき・しろがね)が、パートナーのミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)とともにひざまずいている。
 彼らは、貞康の言葉を待った。
 しかし――次の言葉は。
「……遊郭をひと目でみたかった」
「は?」
 その場にいた者が、互いに顔を見合わせる。
「まさか、本当に遊び目的で?」
 と、おそるおそる尋ねる銀。
「この東雲遊郭が完成する前に、わしはおっちんじまったからにゃ。ここがなおも続いていると知って安堵した。二千年もったのだ。この後も続けられよう――!」
 心底嬉しそうに語る貞康は、こうも言った。
「数百、数千年……この後も。ずっと、未来永劫、マホロバの繁栄を続かせるために……必要なものをわしはつくった」
 急に元将軍のの声色が変わる。
「しかし、わしは過去の人間……所詮、現世(うつしよ)には生きられん。今を生きるものの手でしか、マホロバを救うことはできんのだ。わしがこの世にこうして現れたのは……天子様のお力だろう。あの方の悲鳴が聞こえるようだ……」
「……でも、扶桑の噴花は? 噴花が起これば、マホロバの多くの命が失われるんですよね?」
 大奥の女官であり、今は旗本の奥方となったリース・アルフィン(りーす・あるふぃん)が、この座敷に上がりこんだ。
 本来なら、そのような身分の奥方が来るような場所ではない。
 しかし、リースは緊急を要した。
「天子様がそのようにおっしゃったって。未来永劫続く平和ってあるんですか? 貴方が貞康様ならわかりますよね? 天子様と……お話ししてくだいませんか?」
「天子様……マホロバになくてはならない方……マホロバそのものだ」
 貞康の瞳がうつろになる。
「未来永劫……たしかに、そんなモノはこの世には存在しないもんかもしれん。だからこそ、わしゃあ、生涯をかけてありとあらゆる手を打っておこうと思った。この遊郭もそのひとつ……」
 隣で話を聞いていたルディの瞳が貞康を捕らえる。
「やはり、なにかお考えがあったんですね。私もお手伝いいたしますわ」
 銀もミシェルと共に頭(こうべ)を下げる。
「俺達も微力ながら協力いたします。貞継様のお身体のままでは、何かとご不便もございましょう。我々が手足となります」
 『名もなき独奏曲』ムメイもふふんと笑った。
「ふぅん、じゃあ俺達も手伝ってやろうか。モチロン、お嬢ちゃんが怪我しない範囲で、ね」
「……貞康……考えてるの?」
 スウェルが貞康の額に手を置く。
 熱は……ないようだ。
 貞康は急に熱く語りだした。
「ああ、マホロバ人が何としても守りぬかなくてはならないもの。それは一に『扶桑』、二に『鬼城』! それと『大奥』と『遊郭』の二壁は欠いてはならん!」
「鬼城ばっかじゃないの。というか、『大奥』と『遊郭』は兄さんの趣味だろう? もっと真面目に……」と、ムメイ。
「当たり前だ、わしは鬼城貞康ぞ。鬼城家を守らずしてどうする。いつだって真面目、堅実第一。何事も慎重にならずしてどうする。わしは、石橋を叩いて叩いて……壊す男だぎゃ!」
「壊してどうするんですか! もう、行きますよー! いつ敵さんが襲ってくるかわからないんですからね?」
 リースに急かされながら、茶屋を後にする。
「まだ……夜は長いではないか。鬼の時間はこれからだというのに。もっと、暖かいところでヌクヌクしてたい……おい、年寄りをもっと大事に扱えよ!」
 貞康は愛刀『宗近(むねちか)』を携え、ゆるゆると足を向ける。
「今いちど……天子様にお会いできたときには……そのときはわしは……」
 貞康は小さな声でつぶやく。
「わしでない……所詮は『影』」