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リアクション
エリュシオン
「ホスト喫茶とは呑気なものだな」
その言葉を、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)はスーツに腕を通しながら聞いていた。
微笑み、いかめしい顔をした衛兵の方へ言う。
「上等な店です。男性の方にも楽しんでいただけると思いますよ」
「気の荒い見回り兵に荒らされてないといいがな」
衛兵が、吐き捨てるように言って、
「用意が出来のたなら、さっさと行け」
顎でエメを急かす。
エメはスーツをきっちりと整えた格好で穏やかに一礼し、そこを後にした。
エリュシオンの関所の取り調べ室だ。
エメはユグドラシルにて自身が支配人を務めているホスト喫茶『タシガンの薔薇』へ向かうために、関所を訪れていた。
が、エリュシオンへの入国は叶わなかったどころか、軽いスパイ容疑もかけられ、取り調べを受けることになったのだった。
持ち物などの調べを経て問題は無いと判断されたようだが、このままシャンバラに戻るしかない。
取り調べ室を出て通路に出る。
「お疲れ様でございます、ご主人様」
先に調べを受けて待っていた片倉 蒼(かたくら・そう)が小さなブラシで、取り調べの際に付着しただろうエメのスーツの埃を払った。
「待たせましたね。何か面白い話は聞けましたか?」
「エリュシオンより出国した方から少々」
蒼がエメの問いに小さくうなずきながらブラシを仕舞う。
「エリュシオン内でシャンバラ人への風当たりは強くなっているようです。何らかの庇護が無ければ自由に行動するのは難しいかもしれません」
「衛兵の様子を見れば頷ける話ですね。
やはり、シャンバラはカナン、コンロンを私欲で侵略する『悪者』となっているのでしょう」
「一部の方以外は国際情勢について帝国政府を通した情報しか得られていないようですから。
そして、ほとんどの帝国民は帝国と大帝の正義を信じています」
「……さて。これは本格的に店の方が心配になってきましたね。上手くさばいていると良いのですが……」
ホストの多くはエリュシオン人であるため、よほどで無ければ酷い事になってはいないだろうが、確認が取れないとなると不安は大きい。
ともあれ、今はスタッフを信じるしか無く、エメたちはシャンバラへの帰路についたのだった。
エリュシオン宮殿。
選定神である白輝精と通じ、今は彼女の召使いであることをクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)に告げたクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)は、クリスティーから、友人が大帝に会いたがっている事を知った。
そして、クリストファーはそれを叶えることは出来ないか白輝精に相談したのだが、その答えは――
「協力する見返りに美少年・美少女の命を百人分、とか要求したら応えてくれるのかしら?」
白輝精の言葉に、クリストファーは渋面を浮かべた。
「率直に言ってくれていいんだけどな」
「そのくらいの難度の話だわ、彼の要求は。――彼の立場なら余計にね」
「そうか……」
「大帝と話したがった内容に関しても。エリュシオンで起きた過去の内乱については、昔のことだし、今に繋がるようなものは何も無いと思うわ。他の事についても、現状で大帝がまともに取り合うかは難しいところね」
「……なるほどな。伝えておくよ」
クリストファーは言って、白輝精から預かった書類を手に部屋を出ようとした。
「この後の予定は?」
問い掛けられて、振り返る。
「お姫様たちとのお茶会」
「そう」
「来る?」
「行かない。苛めちゃいそうだし」
彼女の返答に、クリストファーはからかうような笑みを向け、部屋を出た。
「あ……」
高原 瀬蓮(たかはら・せれん)が取り損なったカップが転がった。
「わわ、大丈夫? 瀬蓮ちゃん」
七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は慌てて瀬蓮に駆け寄り、カップから零れてテーブルの端に迫っていたお茶に布をあてがった。
白布がじわりと、お茶の色に染まる。
「ごめんなさぃ」
弱々しい声でこぼ瀬蓮に、歩は笑顔で軽く首を振ってやった。
「だいじょーぶ、気にしないで。それより、服は? 熱いの飛んでない?」
「え、あ、うん、へーきみたい」
瀬蓮が、どこか上の空といった様子でこくこくとうなずく。
(……やっぱり、ショック大きいみたい)
歩は心中で零して、テーブルに伸びたお茶を手早く拭きとった。
シャンバラとエリュシオンが本格的な戦争状態になったという事実は、やはり瀬蓮の心に重く響いているようだった。
「瀬蓮ねーちゃん」
七瀬 巡(ななせ・めぐる)が瀬蓮にチョコレートを差し出す。
「日本の文化なんだよね? この時期はチョコレートを食べると幸せになれるんだって」
励ますような笑顔で言った巡とチョコレートとを見やり、瀬蓮がふにゃりと微笑みを浮かべた。
「ありが――」
チョコレートを受け取ろうとした瀬蓮の前から、ひょいっとチョコレートが消える。
「そうか、日本じゃバレンタインでチョコレートを送るんだったか」
言ったのは、いつの間にか部屋に入ってきていたクリストファーだった。
手に取ったチョコを面白そうに眺めている。
巡が軽く頬を膨らませ。
「それは瀬蓮ねーちゃんの! クリストファーにーちゃんも欲しいなら、ちゃんとあげるから」
「はは、悪い。取り上げたつもりは無いんだ」
クリストファーが瀬蓮の小さな手のひらの上に、ふわっとチョコを乗っける。
「珍しくて、ついな。イギリスじゃ、バレンタインの贈り物に決まりはないけど、贈り主の名前を添えないのが習慣で――」
「それだと、だれがくれたかわからないよね?」
首を傾げた瀬蓮に、クリストファーが片目をつむりやる。
「そこがいいんだよ」
と――扉が開かれ、アイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)が入ってくる。
「アイリス。また、大帝のところに?」
巡の問いに、アイリスが席につきながら「ああ」と返す。
なんだか最近、余裕が感じられない。
瀬蓮が心配そうにアイリスを見やっていた。
巡はそちらをチラリと見てからアイリスに問いかけた。
「……聞いても、いいかな?」
一呼吸を置いて、微笑を浮かべたアイリスが小首を傾げる。
「何をだい?」
「アイリスさんが、シャンバラと戦いたがってるっていう噂。嘘、だよね?」
質問してから。
何だかバカバカしくて、恥ずかしくなって、あはは、と自分で笑ってしまう。
アイリスが百合園での平穏な生活を愛していたのは間違いないのだ。
だから、そんなことがあるわけ――
「本当だよ」
アイリスが微笑を浮かべたまま言う。
しかし、その声にはどこか硬く冷たいものが混じっているようだった。
巡は、アイリスの目を静かに見返し。
「本当……?」
「真実だ。僕はシャンバラと戦いと思っている」
アイリスは本心から、その言葉を吐いているようだった。
「……まけちゃった、から……?」
言ったのは、瀬蓮だった。
「……あの……あのね、アイリス……」
彼女はアイリスを見つめ、必死に次の言葉を紡ごうとしていた。
かすかに震えていた肩に、クリストファーの手が、彼女を安心させるように添えられる。
意を決した様子の瀬蓮が何かを言いかけた時、アイリスは席を立った。
「すまない。……片付けなければいけない用事を思い出した」
アイリスが静かに言ってから、巡たちを見やる。
「瀬蓮を頼む。急に環境が変わってしまったうえに、今のような状況だ。君たちがそばに居てくれているだけで心強いよ――礼を言う」
無理やり己のペースを保とうとするように言って、彼女は足早に部屋を出ていってしまった。
残された瀬蓮の手を歩がギュッと握りしめる。
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