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甘味の鉄人と座敷親父

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【十 御三家】

 敗因は何だったのか。
 各予選ブロックで決勝進出が叶わなかった参加選手達は、共同控室である第2大会議室にて、それぞれがそれぞれのスイーツを客観的に分析し、勝ち残れなかった原因を探ろうとしている。
「全力を出し切ったから、負けたことに悔いはないけど……それでも、勝負は勝負。敗因は何であったのか、しっかり理解しておかないといけませんよね」
 パイプ椅子に腰かけ、自らのレシピを前に難しい顔を作っているゆかりは、単純に、自身の出したテーマがなまものであったから負けた、ということ以上の何かを、必死に探ろうとしている。
 そこへ、同じく予選敗退の弥十郎が、うむ、と神妙な面持ちで、隣からゆかりのレシピを覗き込んできた。
「矢張り栗じゃないかなぁ。プロでもなければ、その真価を発揮させるのは非常に難しい食材だからねぇ」
「栗……ですか」
 弥十郎の解説に、ゆかりは改めて自身のレシピを見つめ直した。
 いわれてみればこのレシピ、上から下まで栗尽くしである。プロでもないゆかりが、これ程大量の栗に挑んだのは、ある意味、自殺行為ともいえたのかも知れない。
 一方の弥十郎は、これといった大きな敗因らしい敗因は見つからない。強いていえば、今回に限っては運が彼に味方しなかったというべきだろうか。
「まぁでも、負けは負けだからねぇ」
 戦場に於いては、必ずしも実力で勝る方が勝利するとは限らない。あらゆる要素(運も含む)が複雑に絡み合って、総合的に相手を上回った方が最終的に勝利の美酒を得る。
 弥十郎は戦場の厳しさ、摩訶不思議さというものを、よく理解していた。
 そんな彼らのように、あくまで勝負に拘った者も居れば、逆に勝負など最初から度外視という輩も居る。
 牡丹が、その典型であった。
 純粋にお菓子作りを楽しむ場を得られたことで、すっかり満足している牡丹だが、ただお菓子作りを楽しむだけではなく、他の参加選手達との交流も、今大会での楽しみのひとつであった。
「わぁ〜、美味しそうな芋栗きんとんだなぁ〜。ねね、ちょっとひと口、良いかな? あゆみのあんまんと焼き芋まん、あげるから」
「どうぞどうぞ」
 何となく好みというか、味覚の方向性が同じベクトルを向いているあゆみが、牡丹が決勝進出した際にと用意していた芋栗きんとんを美味そうに頬張っている。
 この芋栗きんとんの芋には、薩摩芋がふんだんに使用されていた。つまり、あゆみの焼き芋まんと発想はどこか似ている。
 と、そこへ――。
「いやいや皆さん、お疲れ様でしたぁ〜。美味しいお茶を御用意しましたよ〜」
 アキラが茶坊主宜しく、ルシェイメアと一緒に人数分の湯飲みと、幾つかの急須を大きなトレイに乗せて大会議室へと入ってきた。
 大会議室内はそこかしこで参加選手達による、各予選の吟味が続いている。つまり、あちこちのテーブルに余り物のスイーツがこれ見よがしに並んでいたのだ。
 この好機を見逃すアキラではない。
「おぉ、これは見事なスイーツ天国……良かったら、味見させて貰えませんかねぇ」
「あぁ良いですよぉ。一杯作ったんで、どんどん食べて下さいな」
 最初に応じてきたのは、春美であった。
 予選で敗れたマカロンの他に、新鮮な果物を盛り込んだフルーツサンドもテーブルに用意してある。アキラは遠慮なく、マカロンとフルーツサンドを胃の腑に放り込んだ。
「うほーッ、こりゃ美味い……これだけの出来なのに、負けちまうことってあるんですねぃ」
「やっぱり上には上が居る、っていうところなんでしょう」
 春美は、さばさばした表情で小さく肩を竦めた。
 負けたことは悔しいが、駄目元で出場したこともあり、春美自身は今回の結果を余り引きずっていないようであった。
 その一方で、敗北を物凄く引きずっている者も居る。美奈子などは、まさにその典型であった。
「あぁー、ねぇ美奈子ちゃん。負けたからって死んじゃう訳じゃないからさ、そんなに気にしない方が良いんじゃないかなぁ?」
「それに意外と、美味しそうだったじゃないですか。きっとコルネリアさんも、美奈子さんの頑張りを認めてくれてますよぉ」
 あゆみと春美が慰めにかかるが、春美が思わず口を滑らせた『意外と』のひと言が、ほとんど止めに近い精神的打撃を与えたようで、美奈子はそのまま室の隅にしゃがみ込み、ぶつぶつと独り言を始めてしまった。
「えぇそうですよ、良いんですよ、私なんか……元々期待も何もされてなかったんですよ。負けて当然なんですよ。そりゃね、分かってたんですよ。大体私は……」
 以後、延々その繰り返しであった。
 だが実際のところ、美奈子は予選敗退が悔しかったのではなく、もっと大勢の、色んな女の子と絡みたかったのに(肉体的な意味で)それが叶わなかったのが、何より悲しかったのだ。
 勿論、美奈子のそのような心情など、あゆみと春美の知るところではなかったのだが。

 そんなこんなで、わいわいと騒がしい雰囲気に包まれている大会議室なのだが、不意に扉がノックされ、新たな顔ぶれが幾つか並んで入室してきた。
 応対に出たアキラは、見知った顔ではあったものの、何故彼らがここに現れたのかが理解出来ず、訝しげな表情を浮かべている。
 この大会議室を訪れたのは、審査員席で数々のスイーツを吟味していた、ベルゼンでは良く知られている三人の豪商達であった。
 この三人が率いる商会は、ベルゼンに於いては御三家と呼ばれる程の威勢を誇っており、今回の大会に於いても、審査員としてジーバス太守に同行して参加していた。
「少し、宜しいでしょうか」
 最初に口を開いたのは、御三家の筆頭格とも呼べるベルゼン最大の富商カルヴァン商会の会頭ウラジミル・カルヴァンであった。
 ウラジミル会頭は背が高く、物腰の柔らかそうな壮年の人物である。ベルゼンに於いては市中経済の二割近くを牛耳っており、ベルゼン経済の中心を担っているともいって良い。
 それ程の人物が、他の御三家のそれぞれのトップと共に、この大会議室を訪れたのである。
 大会参加者達の間には、何ともいえぬ緊張感が走った。
「えぇっと……どういったご用件で?」
 何となく期待めいたものを感じつつも、扉近くに居た陣が表情を強張らせてウラジミル会頭に問いかけた。
 応じたのはベルゼン第三の富商ビーゼル商店の最高経営者エリーナ・ビーゼル女史であった。
「単刀直入に申し上げましょう。予選で敗れたとはいえ、あなた方のうちの一部のスイーツは、このまま埋もれさせるには非常に惜しい。出来れば交易品としてではなく、ベルゼン側にて製造権を得て、市場に流通させたいと考えている次第です」
 大人の色香を漂わせる妙齢の美女エリーゼ女史の言葉は、予選敗退で落ち込みムードにあった大会議室内に、ある種の明るい空気をもたらした。
 但し御三家は全員のスイーツを認めているという訳ではなく、あくまでごく一部の敗退者が用意したスイーツを、自分達の商標に迎えたいといっているに過ぎない。
 つまり、ちょっとした敗者復活戦に近しい戦いが、今からここで、繰り広げられようとしている訳なのだが、しかし結果は既に出ているといって良い。
 御三家がそれぞれが目を付けたスイーツに狙いを定めて、この大会議室を訪れたであろうことは、誰の目にも明らかであった。
 そして当然ながら、御三家の間でも、誰がどのスイーツを獲得するのかについては、内々で話をつけているだろう。
 となると、筆頭格であるカルヴァン商会に見初められたスイーツが敗者復活戦の中でも第一等の勝者、ということになるのだろう。
「ではまず、うちから取らせて貰いましょうかね」
 御三家第二の富商イロメラ興業の社長ウォルス・イロメラが、良く肥えた体をゆっさゆっさと揺らしながら、中年特有の低い声音で参加選手達の前に進み出てきた。
 ウォルス社長が顔を向けたのは、何故か緑のスリッパを握り締めて緊張に強張っている陣と、その隣に佇むティエンのふたりであった。
「あんた方のキャラメル・シフォンケーキを、うちの取り扱い商品に加えさせて貰う。レシピの方は、大会運営に提出されたのをそのまま頂いていくよ」
「なぁ……もし、こっちが拒否したらどうなるんだい?」
 そのつもりは無かったが、それでも一応の場合を考えて陣が訊いた。
 すると、そこへアキラが横から口を挟む格好で陣に回答を加える。
「あー、拒否権はないですねぃ。っていうのも、この大会に参加した時点で皆さんのレシピは交易品に認定される可能性がある……つまり、皆さんのレシピ保有権は、選手として参加した時にはもう、大会運営に譲渡したとみなされる訳でして」
「その通り。つまり我々がここに現れたのは、あんた方の許可を取る取らないの話じゃなく、単なる通達の為って訳さ」
 アキラとウォルス社長の説明を受けて、陣はそれ以上、何もいわなかった。
 ある程度、想定した答えだったからであり、同時に陣もティエンも、自分達のレシピがベルゼン市場に流通することに対しては特に抵抗する意思を持っていなかったからでもあった。

 一抜けは、陣とティエンが用意したキャラメル・シフォンケーキであった。
 次いで、エリーナ女史がウォルス社長に代わって参加選手達の前に進み出ると、手にしたメモに一瞬だけ視線を落として声を張り上げた。
「ビーゼル商店は……霧島春美さんのマカロンを指名致します」
 まさかの展開に、春美は一瞬、何が何だか分からないといった様子で呆けた顔を見せたが、しかしすぐにその表情は明るい色に染まり、あゆみとふたりでハイタッチを交わす。
 御三家の代表者達の後ろには、同じく審査員としてスイーツを吟味していたエクス、セラフ、ディミーアの三人の姿があった。
 エリーナは特に、この三人の意見を重要視していたらしい。
「あのマカロン、本当に美味しかったもんね〜」
「採算性と味のバランスもまぁまぁ、でしたし……」
 エクスとディミーアからの評価は決して悪くないようだったが、唯一、セラフだけが『手間がかかり過ぎる』と難色を示していた。
 しかしエリーナ女史は、ビーゼル商店の生産技術ならば十分賄えると判断してのマカロン指名であり、そういう意味ではエクスとディミーアの意見を強く採用したといって良い。
 ついでながら、ジェライザ・ローズ組のティラミスはエクスの逆鱗に触れたらしく、味見すらされなかったという経緯がある。
 理由については、レシピを見れば一目瞭然であったろう。
 そして当然ながら、御三家の目にも留まらなかったという結果に落ち着いている。但しジェライザ・ローズ自身は然程に気にしている節は無かったのだが。
 最後に、御三家筆頭格のカルヴァン商会が残った。会頭ウラジミルが選んだのは――。
「佐々布牡丹殿の、柿の水羊羹を我が商標に加えさせて頂きましょう。あの味と舌触りは、実にセンセーショナルでした。交易には向きませんが、我が商会での市中生産ならば、十分に採算が取れます」
 敗者復活戦で最高の勝利を得たことに、全く実感らしい実感を覚えることが出来ない牡丹であったが、周囲の参加選手達から祝福の声が相次いだことで、照れ笑いを浮かべながら頭を掻く。
 正直なところ、勝ち負けは全く意識していなかっただけに、嬉しい誤算だったといえよう。
 この柿の水羊羹に関しては、エクス一押しということで、特に高い評価が得られていた。
「これもまぁ、交易品としては全くの論外なんだけど、市中生産なら良い商品になるわよねぇ、きっと」
 珍しくセラフが、前向きな評価を下していた。
 ディミーアからも決して否定的な意見が出なかったように、実はこの柿の水羊羹がダークホースとして君臨していたのである。
 かくして、牡丹の『柿の水羊羹』、春美の『マカロン』、そして陣とティエンの『キャラメル・シフォンケーキ』がベルゼン市中に流通する運びとなった。
 但し、あくまでもベルゼン市場に限定された話であり、カナン全土に商品として流通する訳ではない。
 日持ちや生産性、輸送面に於いて、ベルゼン市場に限定しなければ採算が取れないという枷がある訳だから、当然といえば当然の話であろう。
 それでも、自分達のレシピが富商の目に留まるということは、決して悪い気分ではなかった。
「我が鮑は……遂に通用しなかったか」
 セリスはしかし、ある程度納得した表情で小さく溜息を漏らした。
 輸送面と流通面で、鮑は東カナンには不向きだった――いわば、地の利を得られなかったが為の敗退なのであり、決してアワビマスターとしての技量面で劣っていた訳ではなかったからだ。
 実際、御三家からも、商品としての価値を度外視すればとの注釈付きで、高い評価を得ていた。
 他の審査員達も、鮑を用いた発想には驚きと共に、好感を持って判定を下していた。
 そしてアワビマスターの戦いは、ここで終わるという訳でもなかった。
「次なる戦いに備えて、更なる修練を重ねるのみ……アワビマスターの道に、終わりはない」
 セリスは、前を向いた――と、その先に何故か、ジェライザ・ローズの姿があった。
 ここに、新たな因縁が生まれた、と考えるのは穿った見方であろうか。