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甘味の鉄人と座敷親父

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甘味の鉄人と座敷親父

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【九 オヨヨ】

 レフトスタンド席の、とある一角。
 この日、夫婦で甘味の鉄人を観戦しに来ていたジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)フィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)は、交代でサービスコーナーと観客席とを往復し続け、参加選手が観戦客用に増産した各種のスイーツを片っ端から受け取っていた。
 一見するといかつい強面のジェイコブだが、実のところ、彼は相当にスイーツ好きらしい。
 らしい、というのは、実はフィリシア自身もジェイコブがここまで甘いものに目が無いという事実を知らなかったのである。
 最初にサービスコーナーから戻ってきた時、裁のシュー山から十数個のシュークリームをトレイに乗せてきたジェイコブの姿に、フィリシアは初めて夫の意外な一面を見た思いで、心底驚いた様子を見せていた。
「男が甘党で何が悪いッ!」
 そんなフィリシアに、ジェイコブは全く照れも悪びれた様子も見せず、そういい切った。
 確かに驚いたし、実際目を丸くしたフィリシアだったが、しかしジェイコブの新たな部分を見出すことが出来たという嬉しさから、無言でシュークリームにかぶりつくジェイコブを微笑ましげに眺めていた。
 まぁ要するに、幸せ全開で新婚を楽しんでいるだけの、ご両人なのである。
「しかし水原大尉は、残念だったな。栗を使ったスイーツで挑んだのは大したものだが、しかし栗は、案外難しいものだ。誤魔化しがほとんど利かないからな」
 まるで審査員さながらに、参加選手達の披露する各種のスイーツを値踏みするジェイコブ。
 ついでに登場した全てのスイーツをメモに収め、今後の買い物リストに加えようというのだから、この男、相当に筋金入りの甘党のようである。
「きっとレシピも、公開されるのでしょうね。勿論、交易品に選定されたものはどこかの企業が権利を買い取るでしょうから、予選敗退した方達の分だけ、ということになるのだろうけど……」
 それでもフィリシアは、これはと思ったスイーツのレシピは全て自分のものにしてみようと考えていた。
 愛する夫がこれ程までにスイーツ好きであるのなら、自ら腕を振るって沢山のスイーツをご馳走するのも、また楽しいであろう。
 何より、数々のスイーツを前にして、少年のように一喜一憂するジェイコブを、今度は家庭の中でも堪能したいという独占欲がフィリシアの中で強く湧き起っていた。
 同じくレフトスタンド席、バウアー夫妻の椅子からほんの数席程度しか離れていない位置では、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が、同じように参加選手の配布スイーツを大量に抱え込み、物凄い勢いで消費しにかかっている。
 もともと、セレンフィリティは選手として参加する意思を持っていたのだが、セレアナが、
「セレンが作るスイーツは、私以外の人には食べさせたくない」
 だの何だのいって拝み倒した為、結局出場を取りやめた。
 しかし実際のところ、セレアナの本音としては、
(視覚的にも味覚的にも、超殺人級の破壊兵器に近しい料理しか作れないセレンを出場させては、東カナンとの国交断絶に発展するかも知れない……それだけは、絶対避けなくては)
 というのっぴきならない危機感だけが、彼女をして、セレンフィリティの選手出場阻止を達成せしめたといって良かった。
 世界平和の為には、セレンフィリティを決してキッチンに立たせてはいけない――そんな強烈な使命感が、今のセレアナを突き動かしていた。
 いや、冗談ではなく、本当に国家間の危機に発展する可能性が高かっただけに、セレアナの今回の制止行動はグッジョブだったというべきであろう。
「それにしても、すんごい美味しいッ! 審査員席が羨ましいなぁ〜、なんて思ってたけど、観客にもこうして普通に分けてくれるんだから、素晴らしい大会よね。こんな大会なら毎日だって開催してくれても良いのよ」
「そうね……セレンは、そうやって食べているだけで十分だから……」
 そこから先は、セレアナは言葉を呑み込んだ。
 ともあれ、何とか無事に今日という一日を無事に終えることが出来そうである。
 セレアナは内心で、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 ところが――。

 スタンド席から屋内通路へと続く金属製扉が、雷鳴の如き轟音を響かせて、叩きつけるような勢いで押し開かれた。
 直後に響いた、何となく背筋に悪寒を感じさせる甲高いだみ声で、ひと言。
「オヨヨ」
 どこかで聞いた覚えのあるその台詞を耳にした瞬間、セレアナは頭を抱えた。
 平和な一日を過ごすという彼女の目論見が、根底から瓦解した瞬間であった。
「……終わったわ、何もかも……」
 愕然と呟くセレアナの隣で、逆にセレンフィリティは眠っていた闘志が叩き起こされたかの如く、猛然と立ち上がって声の響いた方角に美貌を振り向けていた。


     * * *


「あれ? 座敷親父じゃなくて、サニーさんが出たの?」
 まるでお化けでも現れたかのような扱いなのだが、五十嵐 理沙(いがらし・りさ)はサニー現るの一報を聞きつけて、センターバックスクリーン付近から急ぎ足でレフトスタンド席へと向かった。
「んもう、理沙ったら……ああ見えても、ガルガンチュアの敏腕GMさんなのよ? 少しは敬意ってものを……うぅん、何でもないわ」
 理沙と肩を並べて足を急がせているセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)は、いいかけて、やめた。
 サニーさんの味方をしてみたところで何の意味も無いことを、セレスティアはよく知っていた。
 寧ろその逆で、恩を仇で返される可能性の方が遥かに高い。
「まぁ何ていうかね、サニーさんも座敷親父も、迷惑度でいったらどっちも大差無いし……ワイヴァーンドールズとして、ファンを守らなきゃいけないってことには変わりないわよね」
 普通に聞いたら無茶苦茶な理論だが、相手がサニーさんとなれば、理沙のこの台詞も極々普通に説得力を持つようになってくるのだから、恐ろしいものである。
 ともあれ、ふたりはサニーさん出現の報が流れたレフトスタンド席へと急行するが、その最中、妙な現象に遭遇した。
「あら? 理沙ってば、いつの間にそんなものを持ってたの?」
 セレスティアに指摘された理沙は、思わず足を止めて自らの左手を見た。同じく足を止めたセレスティアが、理沙が左手に握り締めている美味そうなマカロンを、不思議そうに覗き込んでいる。
 理沙自身、マカロンを誰かから受け取った記憶は無く、何故そんなものを持っているのか、自分自身でも甚だ疑問であった。
 しかしセレスティアと異なり、理沙はあまり深くは考えないことにした。
「まぁきっと、あれよ、私達のファンがどこかに隠れてて、気づかないうちに、お疲れさ〜んてなところで分けてくれたんだわよ、きっと」
 のほほんと笑う理沙であったが、セレスティアはいまいち納得のいかない様子で小首を捻っている。
「でも一体、いつ間に……」
「ほら、さっき構内ステージで応援歌メドレー歌った時に、色んな球団のファンのひと達に、もみくちゃにされたじゃない? そのどこかで貰ったんだと思うわ。うん」
 理沙自身はそれで納得してしまったようだが、セレスティアは尚も唸り続けた。
 ステージで歌を披露してから現在まで、相当な時間が経過している。その間、理沙の左手にはマカロンなど握られていなかった筈だ。
 しかもこのマカロンは、ただのマカロンではない。
 予選ブロックで春美が製作し、観戦客配布用にとサービスコーナーに出品してあったものだ。
 理沙とセレスティアがステージで歌ったのは予選開始前だから、まだその時点では春美のマカロンはサービスコーナーには置かれていなかった筈だ。
 つまり、理沙が手にしているこのマカロンは、セレスティアが気付く直前に理沙の手に渡っていたと考えるのが妥当であった。
 問題は、誰がいつ、どうやって、ふたりに気づかれぬまま理沙の手に握らせていたのか、というところであるが、幾ら考えても分かる道理が無い。
「この道中までの監視カメラを確認するのが手っ取り早いかしら……」
「そんなまどろっこしいこと、やってらんないわ。だって今、サニーさんが現れてるのよ?」
 それも確かにそうなのだろうが、しかしふたりの本来の目的はサニーさん対策ではなく、座敷親父を捕えることであった。
 そしてセレスティアは、理沙にこのマカロンを握らせたのは座敷親父なのではないかと疑っている。
「あれ? 座敷親父ってさ、他人の飲食物を勝手に持って行っちゃうひとなんじゃなかったっけ?」
「今までは確かにそういう話だったけれど、でもこの現象は、座敷親父さんでなければ出来ない芸当だと思わない?」
 セレスティアに問いかけられ、理沙はようやく、事の重大性に気づいて低く唸った。
 座敷親父対策に現れた自分達が、その座敷親父の出現にも気付かず、良いようにあしらわれてしまっていたのである。
 これはワイヴァーンドールズとしても、看過出来ない事態であった。
「サニーさんは、またいつでも会えるし……まずは親父さんを探す方に気持ちを切り替えるしかないか」
「その方が、賢明ね」
 かくしてふたりは監視カメラの映像を確認すべく、警備員室へと向かった。