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甘味の鉄人と座敷親父

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甘味の鉄人と座敷親父

リアクション


【十一 観客席がただ観戦するだけの場だと、誰が決めた】

「いらぁしゃぁい」
 耳障りな独特の鼻声が、レフトスタンド席の一角にこだまする。
 セレンフィリティはファイティングポーズを取り、セレアナは眩暈を感じ、ジェイコブとフィリシアは戸惑いの表情を浮かべ、そして何故かその場に居合わせてしまったコハクは、呆然とその光景を眺める。
 黒いラメ入りのタキシードと、七色に染まる派手な蝶ネクタイ、そしてびちっと綺麗に揃えられた七三分けの黒髪と、焼き海苔のように太く濃い眉――知るひとぞ知る白昼の悪魔、サニー・ヅラーそのひとであった。
「パラミタ1800億人のマダムの皆様方、長らくお待たせ致しました。あなたのおそばに可憐な一輪、窓辺のマーガレット、サニー・ヅラーでございます」
 妙な口上を終えると同時に、サニーさんはいつもの如く、どこからともなくフリップボードを取り出して、その場に居る全員にこれ見よがしにと見せつけた。
 ただ見せつけるだけでなく、
「はっ、はっ、はっ」
 と、わざとらしい笑い声を絞り上げるようにして虚空に放つのも、これまたいつもの光景であろう。
「さぁ皆様お待ちかね、サニー渾身のクイズコーナーでございます」
 サニーさんが掲げるフリップには、どうやら地名らしき文字が記されている。今回は難読地名シリーズでの勝負、というところであろうか。
「これは……手強いわね」
 セレンフィリティはごくりと、喉を鳴らした。
 フリップボードには、以下の四地名が記されていた。

  『御幣島』
  『放出』
  『帝塚山』
  『北恩加島』

 従来は三つまでだったのだが、今回はひとつ増えて、四つの難読地名。
「うぅ……またレベルアップしてきたわねッ!」
 唸るセレンフィリティ(いや、単純に一個増えただけなのだが)。
 その傍らでは、セレアナがすっかり途方に暮れている。この展開は本当にどうにかならないものだろうかと、必死に考えている様子であった。
 そしていつものように、いきなりどこからともなくマンボのメロディーが大音量で流れ出し、サニーさんがひとり、意味不明な踊りを披露し始めた。
 悪夢だ――セレアナのみならず、今回初めて遭遇するジェイコブやフィリシアですら、そう思った。
 やがてマンボのメロディーが終了し、バックコーラスによる締めの『ゥゥウッ!』というお決まりの唸り声が響くと同時に、サニーさんは右掌で七三分けを払い上げる例のキメポーズをビシっと決めた。
「さぁ、御答え頂きまっしょーッ! 皆様の回答や、如何に!?」
「えぇっと……一番上のは、ごへいじま!」
 意を決して、セレンフィリティが叫んだ。
 するとサニーさんは、
「ブフゥーッ!」
 と吹き出しながら、派手なモーションでその場に転倒した。
 のみならず、サニーさんはひゃっひゃっひゃっと気持ちの悪い笑い声をあげながらのそのそと立ち上がり、
「きみぃ、めちゃめちゃアホやなぁ」
 と、幾分大袈裟なモーションで顔を上下に揺らしながら、腹の底から癪に障る声を搾り出した。
 セレンフィリティの顔が、見る見るうちに憤怒の色へと変色してゆく。
 またもや、サニーさんの牙城を崩せなかった。教導団少尉としての日々を過ごすうちに、サニーさんとの戦い方を忘れてしまったのか。
 今のセレンフィリティには、歌い方を忘れたカナリアに等しい喪失感が漂っていた。
 っていうか、実際はそんな大した話でもないのだが。
 ところが、意外な刺客がこの場に潜んでいた。
「もしかして一番下のは、きたおかじま、って読むのでしょうか」
 サニーさんの控室から不審者を追ってきた鈴が、追跡の果てに行き着いた場所にサニーさんが偶々居合わせたのに驚きながらも、この場で唯一漢字に強い特性を活かして、何気なくさらっと読んでみせた。
 すると、サニーさんはいきなりむくれた表情になり、それまでのハイテンションはどこへやら、そそくさとその場を去っていってしまった。
「あ、あら? 何かお気に障ることでもいいましたでしょうか?」
 ひとり戸惑う鈴に対し、周囲からは物凄く気の毒そうな視線が飛んできていた。

「謝らなきゃいけないわ」
 そこへ、同じく警備員室から駆けつけてきた理沙が、鈴に警告の声を発した。
 理沙とセレスティアは、矢張り謎の影がレフトスタンド席へと向かうのを監視カメラの映像にて確認し、偶々この場に駆けつけてきたに過ぎないのだが、サニーさんが居るとなると、お約束の展開に持っていかねばならぬという妙な義務感が湧き起こってきたようで、一も二も無く、鈴に謝罪を要求したのである。
 勿論、謝る相手は理沙でもセレスティアでもなく、サニーさんなのであったが。
「ええと……どうして、謝るのでしょうか?」
「ごちゃごちゃいわないの。何でも良いから、とにかく謝って。でないと、話が先に進まないから」
 いや、別にサニーさんなんてどうでも良いじゃないですか、というひと言が喉まで出かかっていた鈴だが、この異様な雰囲気に気圧されてしまい、取り敢えず理沙の指示に従うことにした。
 気が付くと、いつの間にかサニーさんが戻ってきている。
 後ろ手に手を組んだまま、レフトスタンド席最前列通路のフェンスに向かって立ち、哀愁漂う背中を披露していた。
 とにかく、訳が分からない。正直なところ、鈴自身は納得している訳ではなかったのだが、話が進まないと諭されてしまった以上、謝らない訳にはいかなかった。
「師匠……すんませんでした、師匠」
「もう、ええねやッ」
 鈴が謝罪の言葉を口にした瞬間、サニーさんは物凄い勢いで輝くような笑顔を見せながら振り返った。
 まるで待ってましたといわんばかりの反応に、鈴は何だか物凄く腹が立ってきてしまった。
 だがしかし、今は己の怒りを爆発させている場合ではない。
 鈴は、自分が何を為すべきかをよく理解していた。
「……っと、そんなことより、そこのおふた方ッ!」
 いきなり鈴に呼びかけられたジェイコブとフィリシアは、戸惑い気味に鈴の真剣な眼差しを真正面から受け止める。
 一方の鈴が見据えていたのは、バウアー夫妻の手元。即ち、スイーツを乗せた簡易トレイであった。
 その簡易トレイに、何者かの手が伸びようとしていたのである。
 鈴のみならず、元々この場所へ駆けつけてきた目的が謎の人影の追跡であった理沙とセレスティアも、その存在に気づいていた。
 更に――。
「確保ーーーーーーーーッ!」
 予選と決勝の合間の野球デモンストレーションの際、同じく何者かの気配を感じたリカイン、アレックス、シルフィスティの三人も、プレイグラウンドから足早に駆けつけてきていた。
 バウアー夫妻は何事かと仰天し、慌ててその座席から跳ねるようにして飛び退いた。
 そこへ鈴、理沙、セレスティア、リカイン、アレックス、そしてシルフィスティの六人が一斉に殺到したものだから、こっそりスイーツに手を出そうとしていた謎の人物は、逃げることも叶わず、あっという間にお縄にかかってしまった。
「うひゃぁ」
 予想外に甲高くて貧弱な、非常に情けない悲鳴がその場に響いた。と同時に、こんな影の薄そうな声は、ちょっとやそっとでは聞けないという感想を、その場の誰もが抱いた。
 六人の追跡者達は、ロープでぐるぐるに巻き上げたその人物の正体を間近で眺め、それぞれが、何ともいえぬ表情を浮かべて互いの顔を見合わせていた。
「あらま……誰かと思って捕まえてみたら……ネオさんじゃない」
 リカインがや呆れ気味に、やれやれと肩を小さく竦めた。
 六人が捕えた謎の影の正体は、ネオ・ウィステリアであった。
 かつてはオブジェクティブ・オポウネントバティスティーナ・エフェクトといった対オブジェクティブ戦の特殊効果をコントラクター達に付与する協力者であったが、今ではただの座敷親父に落ちぶれていた――というのが、どうやら今回の真相らしい。
 尤も、ネオ自身にはそのような自覚は無かった模様である。

「ネオさんって、ブルトレインズのファンだったの?」
「今年からファンを始めました」
 いわゆる、にわかファンというやつらしい。
 だがその程度ならば、ブルトレインズの低迷にそれ程の心痛を覚えるとも思えない。
 では一体何が、彼をして座敷親父への道を邁進させたのであろうか。
「いやぁそのぅ……最近、漫画の売れ行きが悪くてですねぇ、食うに困っていると、球場の方から、こう、美味しそうな匂いが毎日漂ってくるもんですから、ついふらふらと……」
「って、それじゃあただの、物乞いじゃないの」
 ネオの余りにも情けなさ過ぎる説明に、リカインは軽い頭痛を覚えた。
 ところがネオは、切実そうな面持ちで訴える。
「漫画家なんてのはですねぇ、売れてなんぼなんですよ。会社員や公務員みたいに安定した生活は、望めないんですよ。毎日が生きるか死ぬかの戦いなんですよ。私のように一旦落ちぶれてしまうと、どうにも浮上の切っ掛けが掴めなくてですねぇ……」
 よもやこんな場所で、ここまで世知辛い話を聞かされようとは思っても見なかった六人は、同情して良いのか呆れて良いのか、それすらも判別がつかない。
 ただひとり、サニーさんだけは無駄に超越した感覚の持ち主らしく、ネオの説明を聞いている間も、
「はっ、はっ、はっ」
 などとわざとらしい笑い声をあげるばかりであった。
「まぁでも、ネオさんって確かに存在感無いから、座敷親父だっていわれても全然不思議じゃないもんね」
 シルフィスティの歯に衣着せぬ台詞は中々に強烈ではあったが、しかし誰も否定しないところが悲しい。
 だがとにかくも、座敷親父の正体は暴かれた。そして正体が判明した以上、後は監視さえ怠らなければ、対応はどうにでも出来る。
 他人の食事を奪うのはモラルに反する行為であり、歴然とした犯罪行為であることを懇々と説教する六人。
 ネオは神妙な面持ちでじっと聞き入っていたが、しかし本人の自覚の無いところでの行為であることもまた明白であり、この場合、心神耗弱が適用される可能性が高く、仮に書類送検となっても、立件されない可能性が大いにあった。
「まぁ、ネオさんには今まで色々お世話になったから、今回は厳重注意で済ませるけど……これからは、もうやっちゃ駄目よ」
「はい、反省します」
 と答えた傍から、フィリシアの手にしている肉まんにそっと手を伸ばそうとするネオ。
 理沙とリカインが慌てて取り押さえるという有様に、本当に大丈夫かと鈴が疑念を抱いたのも、無理からぬ話であった。