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リアクション
●ランチタイム、ティータイム
いま、歌菜と羽純はレストランにいて、早めの昼食を食べているところだ。
「前もってお店に予約を入れてたんです。どうですかこのお店?」
これが本日の『合間に美味しいものを食べながら行こう作戦☆』のクライマックス、選びに選んだ究極のカフェだったりする。
「ああ……さすがにに歌菜は俺の好きなものが分かってるな」
気に入ったよ、という羽純の言葉はお世辞ではない。
羽純の好きな和食、しかも、ゆったりした完全個室なのだ。落ち着いたつくりの佇まい、畳の香りも優しい。防音もしっかりしているようで、外の喧騒はまるで聞こえない。石庭にしつらえられた鹿威しが、こーんと美しい音を響かせていた。
それにメニューも彼好みだった。デザートが充実、これは甘党には嬉しい。
二人は昼懐石を選んだ。刺身と天麩羅がメインで茶碗蒸し、五穀米、漬け物のアンサンブル。デザートの冷やし白玉ぜんざいと抹茶ゼリーも絶品だ。
「羽純くん、機嫌直してくれた?」
「直すもなにも、俺はずっと楽しんでるよ」
「本当に?」
「夫婦の間で気兼ねはしないさ」
優しい彼の微笑みを見て、歌菜は自分の苦労がむくわれたのを知った。
「ほら歌菜、口の端にクリームが付いてるぞ」
いうなり彼は、彼女のクリームを舌で舐めとった。
ぼっ、と火がついたように赤くなる歌菜である。
個室で良かった。……いや、個室だからこその嬉しいハプニング。
午後は家具を見に行くつもりだけど、のぼせちゃったから、もうしばらく一休みといこう。
広場のバザーをのぞいたのち、さゆみとアデリーヌはレストランに腰を落ち着けた。
なんだか、ぐったりと疲れた。
二人きりの時間が作りにくかったということもある。
人が多すぎたということもある。
陽差しもきつかったし……。
けれどさゆみはわかっていた。疲れている本当の理由はそれらにはない。
「さっきすれ違った人、こーんな大きなぬいぐるみ抱えてたよね」
暗い気持ちを払拭するように、できるだけ明るく話した。
アデリーヌは黙って笑っている。けれど彼女も、さゆみがときおり暗い気持ちにとらわれているのには気づいていた。言葉と言葉の合間にふっと表情が陰り、物憂げに瞳を伏せたりする。
やはり、さゆみの脳裏から離れないのだ。あの想いが。
――今はこうして二人で大切な時間を紡いではいても、いつかそれが終わるときは訪れる。
という動かせない事実が。
――どう言葉をかければいいんだろう。
アデリーヌはためらった。今のさゆみはよく熟れた桃のよう。どこから触れても、痛めてしまうように見える。
さゆみが、酷く遠いところにいるような気がした。
手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに。
なのに……。
「なんでもないよ。ちょっと言葉が途切れただけ」
アデリーヌの表情に気づいたのだろう。さゆみは笑顔を作った。
そして手を伸ばしてきた。アデリーヌの手を握った。
恋人繋ぎ、指と指とを絡め合う。
アデリーヌも想いを込めてさゆみを求めた。
二人の間に言葉は必要なかった。
少なくとも、今だけは。
瀟灑な喫茶店だ。黒が基調の壁にテーブル、BGMも静かで、話をするにはもってこいの環境と言える。
買い物の途上、休憩で立ち寄ったこの場所で、
「俺の思い違いだったらすまない……ただ」
と、匿名 某(とくな・なにがし)は切り出した。
「フェイ、なんだか今日、具合でも悪いのか?」
某は結崎 綾耶(ゆうざき・あや)、そしてフェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)の三人で買い物に来ているのである。
本日、綾耶は普段通り元気だがフェイの様子がなにやらおかしかった。フェイは今日ずっと黙りがちで、いつの間にか会話から外れていたりする。そればかりか、声をかけないと歩くのも忘れて立ち尽くしたりするのだから尋常ではない。といっても病気というわけでもなさそうなのだが。
視線を下にしたまま、フェイはぽつりと答えた。
「体調は……悪くない」
「だったら……なにか悩みがあるとか」
腫れ物に触るように、気をつけて気をつけて某は言ったにもかかわらず、フェイは瞬間的に、きっ、と鋭い視線を向けてきた。
――あ、怒ってる……?
だがフェイは、怒ってるのではないらしい。少なくとも、某に対しての怒りではない。
「名無し馬鹿に見抜かれるとはなんたる失態。万死に値する」
と、ここまでは威勢がよかったが、すぐに魂が抜けたように力なく彼女は続けた。
「まあいい。この際聞いてやる……女の子が女の子のことを好きになるって、おかしい事なのか?」
聞いた瞬間、某は思わず、口にした飲み物を気管に入れかけてしまい咽せ込んだ。
「某さん、失礼ですよ!」
と声を怒らせながらも、綾耶は彼の背中をさすってやっている。
「フェイちゃんが何か悩んでるなぁとは思ってましたが、まさかそんな悩みだったとは思いませんでした……よければ、詳しく話してもらえませんか?」
「……やはり普通ではないらしいな」
「いや、本当にすまん。決して俺はおかしいとは思ってないぞ。恋の悩みということに驚いただけだ」
深く陳謝して某は、フェイに続きをうながした。
「まあ、相談の前に相手が誰か聞こう。まずはそこからだ……」
フェイは明かした。その相手とは、シェリエ・ディオニウスであると。
「……あの喫茶店の三姉妹の次女で、前に父親の楽器をめぐって怪盗めいた行為をしていた子かぁ……なんか説明口調なのは気にするな」
誰に「気にするな」と言っているのかは謎だが、そういうことらしい。
「なんで好きになったかなんてわからない。結い髪が綺麗な、色々事件通して仲良くなった友達……と思ってたのになんか違って、いつだったかもらった手紙の内容がふとよぎった時に、この気持ちに気づいて……こんなのは初めてだが、変だってことはわかってる」
うつむき加減で話すフェイは、まさしく恋する乙女だった。
「それに相手は今は色々問題抱えてるが、それが終わった後やりたい事が『彼氏を作ること』だ。その時点で無理だってわかってるけど、どうしようもないじゃないか……」
「叶わぬ恋、ということですな」
このとき突然、誰もいなかった方向から渋いトーンの声が響いた。
フェイ、某、綾耶と一斉に振り返る。
シルクハットにサングラス、黒いスーツに身を包んだ白髪白髭の紳士がそこにすっくと立っていた。
ミスター ジョーカー(みすたー・じょーかー)、その人である。
「……なんかどこからか髭が現れたが、なんだあいつ。知らない髭だなぁ」
思いっきり冷めた目を某は紳士に向けた。ところが厚顔という意味では並ぶ者のないジョーカーはそれを華麗にスルー、
「失礼。乙女の初々しき恋心を感じ取り、参上仕ったという次第でしてな」
などと言いながらながらコツコツと、革靴の靴音高く迫り来る。
「えぇいこっち来るな。グラサン割るぞ」
しっしっ、と野良猫でも追い払うような手つきを某はするわけだが、紳士は軽く笑うだけだった。
「苛烈な挨拶ありがとう。……乙女よ、私でよければ君に、忠言差し上げようではないか」
フェイは追い払う気力もないようで、黙ってジョーカーを見るだけだった。
それをゴーサインと見たか、紳士は滔々と語り出す。
「同性への恋慕。通常なら禁忌の一つだが、昨今の世界を鑑みるに珍しいことでもなくなってきたのが現状ですな。道化にして永遠の傍観者たるこの私が、ざっと挙げられるだけでも事例には事欠きません。某校長然り十二星華の蠍座然り、最近では魅惑の果実の乙女も……おっと、話の仕入先については黙秘ということで」
怪しい口調ではあるが、ジョーカーの語るのは事実だろう。
「ゆえに、巨躯なる乙女の恋慕はある種特別なものではないと言わせていただきたい……が、その成就の成否は別だがねぇ!」
急に伝法な口をきいた紳士に、ぎょっとしたようにフェイは背筋を伸ばした。
「それに、君の認識も怪しいところだがね。君の精神は幼い上に、親交を深めた相手も片手ほど! その中で特別友好的な相手への思いを『恋』と認識してるだけという可能性もなきしにもあらず」
紳士らしからぬムービングでそそくさとフェイの正面に移動すると、ジョーカーは厳しい口調で問い糾すのだ。
「その現実を知ってなお、君の想いはそれと断言できるかね? 言い換えれば、単に恋に恋する状態ではないと言い切れるのか!?」
曙光銃エルドリッジを瞬間的に抜き、ぴたりと髭紳士の額に狙いを付けてフェイは呟いた。
「不安を煽るな、髭。それ以上言ったら射殺するから」
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」
店内だから、ここ、と某はフェイをなだめ、
「髭もたいがいにしておけよ。口は災いの元、なんだからな」
とジョーカーを叱責してなんとか場を収めた。
「それにしてもシェリエ・ディオニウスか……まああの子に会った回数は少ないけど、確かに美人ではあるからなあ。目の付け所はいいと……」
某はそれ以上話すことができなくなった。精神的に。
綾耶が、氷のナイフのような視線を彼に向けたから。
「ところで某さんは、一体いつその美人さんと知り合ったんですか? 私全っ然知らなかったんですけど?」
「綾耶、あのちょっと睨むのやめてくださいそういうんじゃないから! 俺は綾耶だけだから!」
まだ疑わしげな表情の綾耶だが、くるりとフェイに向き直ったときはもう元に戻っていた。
「某さんからは後で『お話』を聞くとして、まずはフェイちゃんですね。女の子を好きになるって気持ちは、さすがにわからないしジョーカーさんの言う事も認めたくないですが間違ってなくて……それでも、そう思ったなら結果が出るまでとことん向かっていくしかないんじゃないかな?」
「さきほどは厳しいことを申しましたがこれも道化の務め、覚悟して進むのであれば止めはいたしませぬ」
ジョーカーは恭しく一礼する。
某はジョーカーを見て、またフェイに視線を戻した。
――髭の言い分も一応、筋は通っている。フェイは精神的に幼いところもあるし……。
だがジョーカーの言う通りとも思わない。思いたくない、というほうが正しいか。
「フェイ、打ち明けてもらったからには俺も協力はさせてもらう」
「余計なことはせんでいい」
「根回しするとかそういう話じゃないさ。その…………経験者とか気持ちがわかる人に、相談に乗ってもらうとか」
「そんな人がいるのか」
「それは……」
ここで、はたと某は考え込んでしまった。
同性カップルも知り合いにいないことはないが、さすがに「同性を好きになった場合どうしたらいいですか」なんて聞くわけにはいかないじゃないか。パラミタは比較的こういうことに寛容ではあるが、ずかずか踏み込んでいっていい領域とは思えない。
「どうしよう……」
「名無し馬鹿! やはり馬鹿の考え休むに似たりだったな! 髭ともども土中に埋まっているがいい!」
「土中って……」そんな反応しかできない自分をもどかしく思う某だった。
「綾耶、親身になってくれてありがとう。今日はもう帰って頭を冷やす」
「え、フェイちゃん……」
綾耶が止めるのも聞かず、フェイは席を立って出て行ってしまった。
しばし、無言の時間が流れた。それを破ったのは綾耶だ。
「それで、さっきの『お話』ですけれど」
再び綾耶の眼が氷の蛮刀に変わる。
「ちょ、さっきより目つき鋭くないか!? 髭、なんとかしろ……って、いないし!?」
いつの間にやらジョーカーは姿を消していた。
別に某は悪いことをしているわけではないのだが……ここからしばらく、厳しい時間を過ごすことになりそうだ。
サングラスにシルクハット、白髪交じりの口髭という謎の初老の紳士が、悠乃と渉のテーブル横を優雅に歩いて行った。
大人っぽいカフェだ。全体的に黒の色調、心なしか周辺の客も年齢層が高いように見える。
渉としてはもう少し明るい店のほうが好みだが、悠乃が入りたがったので仕方がない。それに、お買い物ではなくデートというのなら、これくらいのほうが似合いとも言えよう。
バザーで悠乃が買ったブローチを眺めつつ、渉は彼女が注文するのを待っていた。
「じゃあ、アイスコーヒー……」
おや、と思ったが渉は言わないでおく。悠乃にしては珍しいものを頼んだものだ。オレンジジュースにでもするかと思ったのだが。ちょっぴり背伸びして、普段だったら頼まないようなものを注文してみたのだろう。
緊張気味の悠乃に聞こえないよう小声で、
「僕はアイスミルクで」
と渉は注文しておいた。
やがてコーヒーが来た。きちんとしたカフェだから、ローストした豆で淹れた濃い味である。ようするに……苦い。
「!」
一口飲んで、もう悠乃は目を白黒させている。渉にとっては予想通りの展開だ。なにせ悠乃は砂糖も入れていないのだから。
「苦いかな? じゃあ、カフェ・オ・レにしてみませんか」
そこでさりげなく、渉は注文したものの手をつけていなかったミルクを悠乃のグラスにたっぷりと注いだ。さらにガムシロップを入れて丁寧に混ぜて返した。
「カフェ・オ・レ?」
「そう、cafe au lait、フランス語ですよ」
というより実際はコーヒー牛乳のような気もするが、そんな無粋は言わないでおく。
「……美味しい」
飲んで悠乃は目を輝かせた。
それでいい。渉の口元に微笑が浮かんだ。
少しずつ成長しようとし、そして成長していっている悠乃の姿を見つめる。
彼の心の中には嬉しい気持ちがあったが、反面、寂しい気持ちが芽生えていることも事実だった。
いつまでも、悠乃も子どもではないだろう。
――娘を持つ親ってこんな気持ちなのかな。
そんなことを考えたりもする。
これからも兄として、悠乃の成長を間近で見ていたい。
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