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リアクション
「まずいな、このままじゃ……」
光学迷彩で姿を隠し、状況を見守っていた源 鉄心(みなもと・てっしん)が、ぽつりとつぶやいた。
皆気を付けて、派手な技などは使わないように戦っているようだが、それでも激しい戦闘が続いている。
鉄心の目は、ぽろぽろと崩れ始めている岩壁を捉えていた。
「どうしましょう……このままじゃヒュドラさん、倒されちゃいます」
身をひそめている鉄心の横で、同じように成り行きを見守っているティー・ティー(てぃー・てぃー)が心配そうな声を上げる。
村を困らせているヒュドラ――とはいえ、幻獣を愛してやまないティーとしては、退治されてしまうのを見るのは忍びない。なんとか、おとなしくさせることはできないかと頭を巡らせる。
「私、お話してきます」
「あ、おいティー!」
ティーは意を決して歩き出す。
鉄心は心配そうに声を掛けるが、はかない外見とは裏腹に、ティーは相当なレベルのドラゴンライダーだ。
……過剰な心配は無用か、と自分に言い聞かせ、鉄心は次の作戦を練る。
「鉄心、鉄心、教導団と話がつきましたの。もしヒュドラを生け捕りにできたら、引き取ってくれるそうですの」
と、鉄心の横で、ベルフラマントを被って気配を消していたイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)がぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「何……そうか、それは良い知らせだ」
鉄心は何かを思いついたのか、にやりと笑う。
一方ティーは、鉄心が作戦を巡らせているとはつゆ知らず、ぺたぺたとヒュドラの前に進み出る。
愛らしく若々しいティーの姿に、ヒュドラの首はすぐに反応した。
大きな口をあけて、喰らいつこうと飛びかかってくる。
「話を聞いてください!」
――というような意のことを、ティーは龍の咆哮に乗せて叫ぶ。
しかし、ヒュドラは全く気にも留めない。興奮しているからか、はたまた、龍の言葉はヒュドラには通じないのか。
「攻撃したくはありません! おとなしく、住処をうつってください!」
降伏を促しながら、ティーはヒュドラの攻撃を右へ左へ飛んで避ける。その動作には隙がない。
「おとなしくしてったら!」
あなたのためなのに、とティーが一際強い気配を発する。
それは言葉ではない。全身から発する、強い闘気だ。
ヒュドラは、その気配に一瞬たじろぐ。
言語ではない分、本能に訴えるものがあったようだ。
けれど、ヒュドラはすぐに攻撃を再開する。水場を譲るつもりはないらしい。
「――どうしたらいいの……」
ティーは困惑して、悲しげに眉尻を下げる。
このままでは、倒さなくてはならない。
「ヒプノシスじゃ、やっぱり効きませんか……」
エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が残念そうな顔で呟く。
女性陣が囮になってくれている隙にヒュドラに接近し、ヒプノシスを掛けてはみた。しかし、やはり効く気配はない。
耐性があるのか、はたまた興奮しているだけか。それはわからなかったが、やはり眠らせるには、睡眠薬を使うほかなさそうだ。
「やっぱダメかぁ」
「ええ、駄目でした」
エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が、エオリアからの報告を受けて肩を落とす。ヒプノシスでおとなしくなってくれれば、それでよかったのだが。
「やっぱり、これの出番かな……問題はどうやって口の中に入れるかだけど」
エースはどこからともなく、バスケットボールほどの大きさの包みを取り出す。
「水の中に落ちたら溶けちゃうし、チャンスは一回……」
「それは、何ですの?」
興味深そうに、エースが取り出したそれを見てやってきたのは崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だ。
「おや、お嬢さん」
エースは慇懃に礼をして亜璃珠に向き直る。
「……対ヒュドラ用の、睡眠薬です。村長さんからいただいてきました」
「まあ、そんなものがありましたの。それなら、生贄の役はお任せいただけませんこと? 適任者がいますのよ」
亜璃珠がクスリと笑う。
「何か作戦がおありに?」
「ええ、必ず、うまくいきますわ」
自信たっぷりに笑う亜璃珠に、エースはそれならば、と薬を託す。
「くれぐれも慎重に。チャンスは一度ですから」
「分かっていますわ」
薬を受け取った亜璃珠は、ちょちょい、と後ろに控えているマリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)を手招いた。
「なんでしょう、お嬢様……」
マリカは亜璃珠に向かって深々と頭を下げる。
「ええ、とても大切な任務を与えるわ。この薬を持って、そのヒュドラに食べられなさい」
「…………はぁ」
あまりに突然のあまりにあまりな命令に、マリカは言葉を失う。
そんな、ちょっと買い物行ってきて、と同じテンションで頼まれるような内容ではないと思うのだが。
しかし亜璃珠の目は笑っていない。本気らしい。
「ええと、それは、囮になれと、そういうことですか」
「まあ、簡単に言うとそういうことね。その薬を、ヒュドラに食べさせるのよ。一緒に丸呑みにされると早いと思うわ
。……大丈夫、マリカに何かあったら私もただでは済まないもの。……私の言うことが信じられなくて?」
不安そうな表情を浮かべるマリカに、亜璃珠は優しい声色で声を掛ける。そっと肩を押してやると、マリカはちょっぴり涙目になりながらも、薬を持って進み出た。
するとすかさず、首の一つがマリカの姿を見つけて襲ってくる。
大きく開いた口の中に薬を投げ込もうかとも思ったが、薬が一つしかない以上、確実に食べさせるにはかなりギリギリまでひきつけなくてはならない。……自然、薬と共に自分も飲み込まれるだろう。
――確かに、確実に食べさせるためには……一緒に……丸呑み……
マリカは亜璃珠の言葉を信じて目を閉じる。大丈夫、お嬢様には何か考えがあるはずだからと。
ばくり。
マリカを飲み込んで、ヒュドラの口が閉じた。
一瞬、周囲に冷たい沈黙が落ちる。
蛇のような頭部は、やはり咀嚼という言葉を知らないらしい。マリカを飲み込んだ首が、少しだけ膨らんでいる。
もとより頭の一本一本は一抱えほどもあるので、マリカの体はすっぽりと喉を通りぬけて行っているようだ。
「よくやったわ、マリカ」
うふふ、と満足そうに笑うと、亜璃珠は空中にちょいちょいと印を描く。
契約した悪魔を呼び出すための印だ。これでマリカはここに現れる――はずだった。
「……あ、あら?」
亜璃珠の顔に焦りが浮かぶ。
再び印を描くが、何度描いてもマリカは現れない。
召喚者が知覚している範囲にいる悪魔は、呼び出すことができないのだ。
「……どうしたのかしら……」
心なしか、亜璃珠の顔が青ざめる。それを見ていたエースたちも、まさか、と顔を見合わせる。
「召喚、できませんわ……」
「それってまずくないですかね?」
「……とても、不味いですわ……」
へなへなと、亜璃珠はその場にへたり込む。
その様子を見ていたメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)はやれやれ、と肩をすくめる。
「詰めが甘いね……どれ」
メシエはヒュドラに向き直ると、その全身からおぞましい気配を放つ。
まともに正面から受けたヒュドラは、突然苦しそうにもがきだした。なにやら気持ち悪そうに、口をかぱかぱと開け閉めする。数回それが繰り返されたが、ついに。
ぽん、と音を立てて、ヒュドラはマリカを吐き出した。……ついでに、睡眠薬も。
「ああ、マリカ……」
亜璃珠の顔に、ほっと安堵が浮かぶ。
吐き出されたマリカは、ヒュドラの体液でぺっとりと濡れそぼっていたが、至って元気なようだ。
立ち上がるときに少しふらついたものの、それでも自力で立ち上がり、亜璃珠のもとまで歩いて戻ってくる。
「無茶をさせてごめんなさい、無事でよかったわ……ところで、汚れてしまったわね。あとで湖で洗いなさいな」
前半はしおらしく反省の意思を見せていた亜璃珠だったが、しかし後半はすっかりいつもの調子を取り戻している。
マリカはちょっぴり、泣いた。
「睡眠薬もダメ、しかも不死身、か。厄介だな」
エースと亜璃珠たちの作戦を見守っていたグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が、やれやれとため息を吐く。
「よし、あれ、やってみるか」
グラキエスはパートナーたちに目で合図する。
ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)は、わかったと頷くと、グラキエスの周りにヘルハウンドの群れを残し、ヒュドラをひきつけようとそちらを向く。
「グラキエス、魔力の調整には気をつけるのだぞ……エルデネスト、グラキエスを頼む」
「心得ていますよ。お任せを……」
ゴルガイスからグラキエスを託されたエルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)は、口元にフッと妖しい笑みを浮かべる。
それをちらりと一瞥して、ゴルガイスは地面を蹴った。
ヒュドラは先ほどから女性たちに翻弄され、だいぶくたびれてきているようだ。
しかし、念には念を。ゴルガイスはイーグルフェイクの爪をヒュドラの腹に叩き込む。
分厚い皮膚はそう簡単に引き裂けるものではないが、それでもドラゴンアーツの怪力でもって振るわれた爪は、ヒュドラの皮膚に深々と突き刺さる。
おおお、とヒュドラが吼えた。
「よし……今です」
エルデネストがグラキエスに合図する。
グラキエスはふぅと息を整え、ヒュドラに向かって魔力を集中させはじめる。
「そう……その調子です」
魔力の流れを慎重に見守りながら、エルデネストはグラキエスの肩にそっと手を添える。
「封印呪縛……!」
声と共に、練った魔力をヒュドラに向けた。
すると、魔力の光がするするとヒュドラの体を包んでいく。先ほどアンリを助けた時に使ったのと、同じ術だ。
術の発動を察知し、ヒュドラを攻撃していた人々は慌てて撤退する。
「そう、そのまま、慎重に」
グラキエスは、封印の術がそれほど得意ではない。どうも攻撃魔術の方が向いている性質らしく、どうしても封印直後に魔石が割れてしまう。
そこで、今はこの術を得意としているエルデネストが手伝いについている。
エルデネストはグラキエスの肩を柔く抱き込むと、テレパシーを使って微妙な感覚を伝える……のだが、いちいち接触する時の手つきがなまめかしい。
肩を抱いていたはずが、やがて腕になり腰になり、すっかり後ろから抱きすくめるかたちだ。
そのおかげなのかどうなのか、封印の方は順調で、みるみるヒュドラの影は小さくなり、魔石に封じ込められようとしていた。
しかし。
「そう、上手ですよ……」
「ちょっ……エルデネスト!」
耳元で低い声に囁かれ、グラキエスの集中が乱れた。
途端魔力は暴れ出し、一気に封印呪縛を完了したかと思った次の瞬間には、封印の魔石がぱりんと砕ける。
「ああ……また失敗だ……」
グラキエスはしゅん、と肩を落とす。
その間にも、みるみるヒュドラの影は膨らんで元の大きさに戻ろうとしている。周囲に緊張が走る。
と。
「封印呪縛―っ!」
幼い子供の声が響いた。
イコナだ。
ほどけかけていた封印が、再び施される。
中途半端に解凍されていたヒュドラは、再び光に包まれて、そして――
ぱしゃん、と小さな音を立てて、魔石が水面に落ちた。
一瞬の沈黙。
「……成功ですの!」
イコナの、嬉しそうな声が響いた。
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