百合園女学院

リアクション

１．匂い


「…何か美味しそうな香りがします……」
　百合園一大きな温室の近くに偶然いた藤原　優梨子（ふじわら・ゆりこ）は、匂いに釣られて人だかりの中へと足を踏み入れた。
「ふわぁ～、試食会ですか？　こちら、頂いて良いのですか！？」
　優梨子の喜々とした声に、温室の管理人であるオーバタ・マナーブ（６３）は、大きく笑った。
「おぅおぅ、好きなだけ食ってくれ！」
「ありがたく、ご相伴に与りますー♪」
　はちきれんばかりの笑顔に、周りにいた生徒達は尊敬の眼差しを向ける。
「ふむふむ、蝗の佃煮やシャコみたいなものでしょうか？」
　佃煮の山を嬉しそうに見つめる優梨子。
　管理人は微笑むと「それじゃあ…」とケルベロスを見上げ、何やら呪文のようなものを唱え始めた。
「え？」
　ケルベロスの首や足に嵌められている巨大な錠が徐々に光り出し──

　消えた。

　慣れた様子でケルベロスは首を回し、どこに隠していたのか大きな羽を広げ始めた。
「ケルベロス君、羽があったんだ……」
　生徒達の中から小さなどよめき。
　管理人はその背にひょいと飛び乗った。
「じゃあな～！　こいつの散歩は日数がかかるんだ。そこの佃煮、綺麗に平らげといてくれよ！！」
　そう叫んでケルベロスと一緒に、空の彼方へと消えて言った。
　残された生徒達。
　そして、佃煮。
「……ちょっとそこどいてくれ、ちょっと…あれ？　久しぶりにケルベロス君に会いに来たって言うのに居ないのかよ～？」
　朝霧　垂（あさぎり・しづり）が人波を掻き分けながらやって来ると、ケルベロスの不在に口を尖らせた。
「ちょうど今、散歩に出かけた所ですよ」
　優梨子の言葉に、なるほど、と頷く。
「で、皆は何やってるんだ？　……ん？　佃煮の実験？？　あぁ、試食か！」
　目の前の黒い塊の山を見ながら、垂はぽんと手を叩いた。
「おお～い、ライゼ！　栞！　面白そうだから俺達も参加しようぜー！」
　後から追いかけて来た二人は、その言葉を聞いて愕然とする。
「え……これを食べるつもり？」
　拒絶の色をあからさまに出しながら、ライゼ・エンブ（らいぜ・えんぶ）は言った。
「マジかよ……こんな気味の悪いもの…」
　朝霧　栞（あさぎり・しおり）も頬をひくつかせながら呟く。
「え？　だって食い物だろコレ。問題あるか？　へぇー！　味は三種類あるんだ？　『シンプル醤油』と『南国風味』と『タネ子エキス』か……やっぱタネ子エキスだな」
「………」
　何の危惧も戸惑いも無い垂に、ライゼと栞はため息をつく。
「…コレを作ったのはごく普通の管理人さん……垂が作った訳じゃないんだから、食べた所で死ぬことは無いはず」
　物体をジト目で見ながら、自分に言い聞かせるライゼ。
「落ち付け、落ち付け……ＯＫ、大丈夫。コレは『垂が作った物じゃない』。ちょっとお茶目な管理人さんが作った物だ、食った所で死にゃぁしない……」
　同じようにその隣でも、必死に自分を落ち着かせる栞の姿が。
　佃煮を汚物のように箸で転がし続けている。
「食べたら虫になっちゃうのかな……ははは、別に良いよね、三日三晩生死の境を彷徨ったりする訳じゃないだから。それに何？　フルーツが混ざってて美味しそうじゃん！？」
「アレだ。日本では蜂の子を食べたりするみたいだし、地球上にはそれこそムカデ酒なんてものも存在するらしい……ん？　なんだ、ムカデの佃煮なんて一般的な食べ物ジャマイカ！！」

……二人の思考回路は壊れ始めていた。

「えっと……それじゃあ、せ……せっかく作って下さったのですし、食べ物を粗末にするのは、ダメですよね。頂き…ますか」
　ごくりと唾を飲み込みながら、七那　夏菜（ななな・なな）が言った。
「食べ物を粗末にしちゃいけないって──そもそも食べ物にするなよって話だろ？　あたしはダメ。無理。いや、好き嫌いとかじゃなくて、普通無理だ！」
　七那　禰子（ななな・ねね）は頭をぶんぶん振りながら訴える。
「あぁ、うん。ねーちゃんとのんちゃんは、食べない方がいいと思うよ」
「ほ、本当に食べるつもりなのか！？　温室で佃煮っていう取り合わせからして嫌な予感がしてたんだ。頑張り屋なのはわかるけど、頑張りどころがかなり間違ってる。無理するな！」
「え……う…うん」
「んー、でも、いうほどひどくないと思うけどな」
　きょとんとしながら七那　勿希（ななな・のんの）が言った。
「ゲテモノ料理と普通の料理の違いって何？　同じに見えるんだけど。でしょ？」
「そ、そう言われると……」
「３種類あるんだよね！　お姉ちゃん、どれ食べる！？」
　勿希の問いに、夏菜は詰まりながらも答える。
「じゃ、じゃあボクは、この南国風味で」
（これなら、フルーツの味でごまかせると思うし……）
　夏菜はきつく目を瞑って精神統一を始めた。
「あれっ、南国風味にするの？　やっぱりね～、私も！　普通の佃煮なら地球でも食べられるし、タネ子エキスは美味しいか分からない。というわけで南国風味☆」
「そっちも南国風味？　私もだよー！　同じ同じっ！」
　真白　雪白（ましろ・ゆきしろ）が夏菜に笑いかけた。
　その横で、アルハザード　ギュスターブ（あるはざーど・ぎゅすたーぶ）が青い顔をしている。
「食べたくない……」
「ん？　何か言った？」
「いや……」
　こんな物を食べて万一パートナーがごきぶりにでも変身してしまったら。
　そして間違えて殺されたら、自分も死んでしまう！
「真白と真黒が食べて異常がない場合は食べてもいいが……それでも…」
　一抹の不安は消えない。
「巨大ムカデの味付けや調理法はどんなものかしら……？」
　真黒　由二黒（まくろ・ゆにくろ）がぼんやりした声を出した。
「おいしかったら今後の調理に生かすわ」
「美味しいに決まってるよ！」
　雪白が由二黒の言葉を完全否定して明るく笑う。
「バリバリ食べちゃうよ！　古代の１０ｍくらいある巨大トンボになりたいなー、あはははあ☆」
「………」
　アルハザードが相変わらず青い顔をしながら、虫に変身した時の捕獲用として空京で買った、食器用洗剤（パパ檸檬）を強く握った。

「久しぶりに来ましたね。……それにしても皆さん、よく食べる気になりますねえ……お腹壊さないと良いのですが」
　佃煮の山を囲む人達の群れから少し離れた場所で、神楽坂　翡翠（かぐらざか・ひすい）は呟いた。
　手には、管理人から預かった記録ノート。
「試食ねえ……しかも、俺達が手こずったムカデだし。何気に管理人強いとかか？」
　頬をぽりぽりと掻きながら、レイス・アデレイド（れいす・あでれいど）が言った。
「管理人さん、一体どんな方なんでしょうか？　魔法も使えるようですし」
「魔道師？　いや、魔闘家？」
「なんにせよ、奥の深い方には違いないですね」
　翡翠が意味深に微笑む。
「だな。……おい、そんなことより、それ。書くんだろ？」
「あ、そうでした」
　レイスに促されて、翡翠はノートを開いた。

「気温は書かなくても大丈夫ですかね？」
「どうだろうなぁ…まぁ、書いといて悪いってことは無いんじゃないか」
「そうですね」
　かりかりとペンを走らせる翡翠だった。

「──…聞いた？　あの二人の会話」
「聞きました、しっかりと…」
　霧雨　透乃（きりさめ・とうの）と緋柱　陽子（ひばしら・ようこ）が、ノートに何事か書き込んでいる翡翠達を見ながら呟いた。
「っていうか、あのムカデって確か凄く強いというか打たれ強かったんじゃ…それを倒すって管理人ちゃん何者！？　ケロちゃんやタネ子ちゃんを使役したりしたのかな…？」
「分かりません……でも、今までの事から察するに、かなりの人物であることは確かかと」
「あんなに大きな首輪と足枷、一瞬にして消せる魔法が使えるなんて、上級者でなければ不可能だよね」
「はい」
　お互い真剣な眼差しで見詰め合っていたが。
　透乃は小さく笑って。
「とりあえず管理人ちゃんのことは置いとこう。それよりも……！」
　視線を佃煮へ向ける。
「折角変わった物が食べられるんだから、その中でも一番ヤバそうなタネ子ちゃんのエキスが入ったのを食べるよ！」
「私は巨大ムカデの佃煮なんて食べたくはありません……」
　ぽそりと囁く陽子。
「…………。うん！　陽子ちゃんは食べなくていいよ！」
「え？　…えっと…その…一瞬の間が空きましたが…何ですか？　透乃ちゃん…」
「ううん、なんでもないよ！」
（もしタネ子風味を食べて触手が生えたりなんかしちゃったら、陽子ちゃんを犯すしかないね。私に気付かれてないと思ってるみたいだけど、触手を期待してることはお見通しだよ！！）
　透乃は笑いを堪えた。