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リアクション
「――私としたことが、こんな重要な前提に気付かずにいたとは」
月詠 司(つくよみ・つかさ)は、百合園女学院の門をくぐろうとするまで、自分が男であることを忘れていた。
それほど、彼の頭の中は本に対する興味で埋め尽くされてしまっていた。
「かのヴァイシャリー家の蔵書――その一端に触れることが出来ると思っていたのですが、出直してきましょうかね」
眼鏡の奥の瞳が怜悧に光る。彼の脳は「出直し方」についての考察を進めようとした――その時、もう一つの考えが浮かぶ。
「マオくん、その、ちょっと本を借りてきてもらえませんか」
パートナーの魔道書、タァウ・マオ・アバター(たぁう・まおあばたー)の方を振り向いて言う。この人物の性別は全く不詳であるが、外見は……女性に見える。確かに学院内に入っていけるかもしれないが――。
「ム、構ワナイガ……1冊ヤ2冊デハ、済マナイノデハナイカ……」
「片っ端から読んでいき、終わった本を返しつつ、また借りてくれば良いのですよ」
「……成程……分カッタ」
そう言うと、マオはすうっと校内へ入っていく。
特に咎められる様子もなさそうだ。
(マオくん、どうか司書の方に嫌われませんように……)
司は安堵してその後ろ姿を眺めつつ、心の中でマオに虫のいい謝罪をした。
それから数刻の後。
学校近くの喫茶店の一角に陣取った司は、次から次へと、コンベア式に資料を読みこなしていった。
が、メデューサについてのごく一般的な記述は散見されるものの、人をそれに変えてしまう方法、または呪術などの手がかりは、見つかるどころか何の手がかりもなかった。
「……司ヨ、文書の資料ハ、アラカタ借リ尽クシテシマッタゾ」
「ええ……」
大きく伸びをして、頭を振る司。やはりそう簡単なことではないか。
その時、ふとあることに気がついた。
「メデューサ……その目を覗いた者を石にする能力を持つ。すなわち、いかに視線を合わせずに戦うか、ということですが……」
「……フム」
「メデューサと先に遭遇したのは、ランドール君ですよね? 視線を合わせるだけで石化するなら、なぜ美緒さんの方が石化したのでしょうか?」
「……確カニ……モシカスルト、イワユル『メデューサ』トハ、少シ違ウノカモシレヌナ……」
二人は完全に室温と同じ温度になったコーヒーを飲み干すと、地下へ向かったウォーデン・オーディルーロキ(うぉーでん・おーでぃるーろき)のことに思いを馳せる。
◇
ヴァイシャリー地下水道。
郊外にある入り口を降りると、そこは上水道である。通路と天井はアーチ状に配されたレンガで出来ており、中央の水路の周囲には整備された石畳があった。雨水や川の水を一次濾過した水がここを通り、さらに各所にある浄水場へ分配されていく。構造上、ヴァイシャリー全域に通じているため、非常に広大だ。
扉が開かれると、気温が一段低くなるのが分かる。
雨音は消え、代わりに、流水が轟々と響き渡る。
怪しい気配はない。が、全く光りが差さないため、足を踏み入れるには相応の勇気がいった。
「鉄格子の場所……やっぱり、変わっているようです」
前回と同じように、松明(たいまつ)を手に水路を進むフェンリルは、まるで誰かの悪意のように、目の前に黒々と立ちふさがる鉄の棒を見ながら言った。水路全体を塞いでおり、行き来は不可能だ。
枠に取り付けられた錠前は巨大で、しかも古い。
「どれ、わらわが試してみようぞ」
袖を大きくまくり上げ、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)がピッキングを試みる。
「せ、せっちゃん……ひゃっ」
刹那の影に隠れていたアルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)の首筋に、水しぶきが跳ねた。
元来怖がりのアルミナは、すでに涙目になっている。
手を止め、振り返る刹那。
「こんな暗がりは苦手であろう……引き返すか、アルミナ?」
アルミナは刹那の着物の裾を握りしめ、首を振った。
「ボ、ボク、頑張るもん……気を付けて、せっちゃん」
「安心しろ、鍵を開けただけで死んだ者などおらぬ……いや、そうとも言い切れぬか?」
笑いながら言うが、アルミナはその言葉を真に受けて固まる。
刹那はそれから幾通りかの手順を試してみる。が――やはり解錠はできないようだった。
「すまぬ、源。期待には添えぬようじゃ」
「なるほど。――ティー、あれで開くかな」
「試してみましょうか、鉄心」
図面に没頭する鉄心の側に控えていたティー・ティー(てぃー・てぃー)が、その華奢な容姿とは全く似つかわしくないソードオフ・ショットガンを取り出した。
錠前の強度自体は、案外低いようにも見える。
「皆さん、離れて下さい――」
ティーは表情も変えずに引き金を引く。
瞬間、閃光が水路の壁が白く照らす。
立ち上る硝煙と轟音は、すぐに水流にかき消された。
しかし。
「――ダメですね」
錠前には僅かな傷がついたばかりで、変形さえしない。
「なんて堅さだ。ヴァイシャリーの治安、恐るべしだな」
――その時、呀 雷號(が・らいごう)の神経に違和感が走る。
「近い……。これほどの接近を許すとは」
視界には何も怪しいものは見えない。
しかし彼の超感覚は、けたたましく鐘を鳴らしている。
それの正体に気付くのと、それが何を狙っているのかに気付くのが、同時だった。
「ランディ、危ない!」
「……!」
フェンリルの頭上から降り注いだのは、暗緑色のスライムである。
レンガの隙間を伝って上まで来ていたのだ。
とっさに、持っていたたいまつで薙ぎ払う。スライムの一部を焼くが、火は即座に消されてしまう。
たいまつ以外に明かりを持たないフェンリルは、一瞬方向感覚を失った。
「伏せてーっ!」
ファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が声を上げ、死角となった暗闇に光精の指輪で明かりを作った。視界外からの襲撃を意識に置いていた彼の反応は、抜きん出て早い。続けざまに弓をつがえ、フェンリルの背後から二連射。スライムに突き刺さるが、これは効果がない。
「一応やってみたけど……やっぱり効かないかぁ」
視界を取り戻したフェンリルが距離を取る。
「感謝します、ファル様」
「ファ、ファル様? 確かに一応先輩だけど、照れちゃうな。あはは」
小柄なドラゴニュートは、思わず頬を赤らめる。
……と、スライムの背後から、巨大な鉄の塊が、ぬっと姿を現わす。
「いっ、きぃ、ま……すぅ!」
アルティマ・トゥーレをまとい、噴水のように凍気を吹き上げるウォーハンマーを、高々と振りかざしたメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)がそこにいた。
百合園の制服とあいまって、それはもう有無を言わさぬ偉容である。
「てぇーーーい!」
その禍々しい物体を、思いっ切り振り下ろす。
ものすごい金属音と共に、スライムはひとたまりもなく凍りつきながら飛び散る。
それは一瞬の出来事であり、魔物は地面から氷柱が生えたような状態で、完全に氷結した。
「まさか上水道で襲われるとは……」
フェンリルは息を調えつつ、スライムのオブジェを見下ろした。
「このペットさん、どなたが飼われていたのでしょうねぇ」
メイベルが、誰も想像しなかったことをさらっと口にする。
ファルが笑った。「メイベルさん、いくら貴族でも、さすがにスライムを飼うほどムチャな人なんて……えええ!?」
何気なくスライムを眺めた彼は、ある一点に釘付けになった。
真実は定かではないが、凍ったその体内には陶製の名札が浮かんでおり、それには確かに「粘一郎」と書かれていたのだった。
再び、下水道への道を探し始めるフェンリルにミハエル・アンツォン(みはえる・あんつぉん)が声をかける。
「フェンリル殿、宜しければ、これをお使い下さい」
手渡されたのはノクトビジョン。
「光源がないのは心許ないだろう。たいまつでは、片手もふさがるしな」
ミハエルを従えているのは橘 恭司(たちばな・きょうじ)。地下水道に入るのは初めてだが、暗がりでの戦闘はお手の物、といった佇まいである。
「しかし、あなたは?」
ミハエルは笑顔で頷く。
「私のことはご心配なきよう……魔鎧、躍進」
そう言うと、彼はローブと籠手に変化して、恭司のスーツと一体になる。
(……主の鎧となりますゆえ)
「そういうことだ。遠慮はいらん」
「はい。あの、ありがとうございます」
恭司のどこを見ればいいのか迷いながら、フェンリルは礼を言った。
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