リアクション
************************* 同じ日の夕方。 黒いボートが滑るように魍魎島につけた。 そこから下りてきたのはアウリンノール・イエスイ(あうりんのーる・いえすい)である。 午後だがまだ陽差しがあるので、彼は丸いサングラスをしていた。サングラスの色は濃く、その下の表情は判らない。 「記録開始。魍魎島。翌々日。16時21分。記録者:アウリンノール・イエスイ。所属:ブラッディ・ディバイン外部メンバー」 持参したボイスレコーダーに声を吹き込みつつ、アウリンノールはカメラで、入り江の形状を撮影した。 「……これより、クランジΚ(カッパ)の残骸を捜索し回収する」 記録によれば、Κのパーツは腕ひとつしか見つからなかったという。他の部分が見つかれば今後の技術研究に役立てる(※クランジシリーズはブラッディ・ディバインとは別の塵殺寺院グループの手によるものである)であろうし、記憶回路から重要な記録を引き出せるかもしれない。可能性は無限大だ。そういう意味では、Κの残骸は『財宝』であった。 ところがアウリンノールは、想像していたものとまったく異なる『財宝』にたどり着いたことを知った。 「塵殺寺院……だな」 冷たい音に振り返ると、そこには九歳くらいの少年が、片手に銃を握って立っていた。 それにしても酷い姿だ。外套は破れて泥だらけ。銀色の髪もバサバサである。胸に包帯のようなものを巻いているが、汚れきって腐っているようみ見えた。酷い匂いだ。 「クランジΙ(イオタ)、とかいうやつのようね。どうやって教導団の捜索を逃れ……」 とするとあれは、男のようだが女だということか。 イオタは苛立たしげに、銃の台尻で岩場を殴りつけた。 「質問しているのはこっちだ!」 海岸の岩がボロボロと崩れ、海にぱらぱらとこぼれ落ちた。 「どうしてわかったの?」 「あのボートは教導団のものじゃない。僕たちが使っていたのと同じだ。シータが死んだ以上、塵殺寺院しかないだろうよ」 見た目は子どもなのに、なんとも生意気な口を利くではないか。 しかしむしろ、それだからこそアウリンノールはイオタに興味を持った。 「その体。修理が必要のようね。来る? 私たちのところへ?」 よろめきながらボートに座ったイオタをじっと観察し、アウリンノールは呟いた。 「神に覚醒……してはいないようね……」 イオタは一瞬、狼のような目でアウリンノールを睨んだが、何も言わなかった。 ************************* ドアをノックするべきかどうか、迷った。 そのために来たというのに。 柊真司はこの日、教導団の敷地を訪れていた。 たまたま用事があったので……ということにしているが、実はその用事のほうこそ後付で、本当はここ――宿舎を訪れるのが目的だった。 ドアに書かれた文字は、飾り気のない手書きだが、彼女自身がしたためたものだという。 こう書かれている。 ――ユマ・ユウヅキと。 もう、ユマ・ユウヅキは独房には入れられていない。解放されたのだ。事件が終わって二日、今日から晴れて、この部屋で一教導団員として暮らしているというのだ。四月からは正式の団員として入学が決まっているという。だから、今は少し長い春休みである。 言うべき言葉は決めてある。 花だって、用意してきた。スイートピーの花束だ。赤や桃、白の淡い色使いをした花々に混じって、ユマの髪とそっくりな、凛と青い可憐な花も含まれている。 ええい、ままよ! と真司はドアをノックしようと手を……上げたところで、そのドアのほうがスライドして開いた。 「じゃあ、おいとましますね、ユマさん」 「元気そうで良かった。それでは失礼する。健康に気をつけてな」 「ばいばーい」 ちょうど、コトノハ・リナファとその夫ルオシン・アルカナロード、そして、義理の娘になる蒼天の巫女夜魅が帰るところだったのだ。 「また来て下さいね。今度は……ぜひ赤ちゃんを連れて」 見送るユマは、名残惜しげに手を振った。 「うん……でも、私たちはこういう立場だから、いつでも来れるとは限りませんよ」 「そんなこと言わずに」 ユマはコトノハの手を握った。 「コトノハさん一家は、私の大切なお友達です」 「うん……ありがとう」 少し目が潤んでしまって、慌ててコトノハは背を向けた。 「じゃあ、また……」 三人は手を振って立ち去った。 (「何をやっているんだ……俺は」) 柱の影で、真司は三人が去っていくのを見ていた。とっさに隠れてしまったのだ。なぜだか、とても照れくさかった。 ユマが部屋に戻ろうとしたとき、 「そ、その……なんだ、新生活おめでとう。近くまで来たものだから、様子を見に来た」 我ながら似合わないと思いながら、そんなことを言いながら真司は花束を差し出した。 「これを……私に?」 「ああ。つまらないものだが、祝いのつもりだ」 「ありがとうございます」 すっと眼を細めてユマは微笑んだ。 「どうぞ、お客様が帰ったばかりですが、よければ上がっていって下さい」 「いや、女性の……ひとり暮らしの部屋に上 がるのは……良くないと思う。では、達者で……」 そんなことを言いながら立ち去りかけて、真司は足を止めた。 違う。花を渡しに来ただけではない。自分は想いを伝えに来たのだ。 「お前の悲しみを消し去るのは無理でも、傍に居て和らげてやりたい、共に歩んで行きたいと思っている……この先どんな時も、どんな事があろうとも。だから……俺のそばにいてくれないか?」 えっ、とユマは瞬時、言葉を失ったのだが、ああ、と合点がいったように微笑んだ。 「優しいんですね……柊さん。ありがとうございます。学校は違いますが、これからは自由に会いに行けますものね。柊さんとも、ずっと近しい関係でいたいものですね」 どうやら、友達でいたいという意味に受け取られたらしい。大人びているようで、こういったことには童女のように疎いユマなのである。 やっぱり上がっていきませんか、という問いかけを丁重に断って真司は帰路についた。 その肩が、どことなく落ちているように見えるのは気のせいではないだろう。 もっとストレートに言った方が良かっただろうか。とりあえず、あとで電話してみようか……? |
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