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リアクション
●再会
降ったり止んだり、忙しい天気だ。
朝霧 垂(あさぎり・しづり)が短い休息を終えたとき、空から降るものは再び止まった。メイド服のスカートを絞って、吸った雨水を落とす。こんな程度でもやらないよりはましだ。やがて、
「よう!」
垂は威勢良く片手を上げた。街で級友を見かけたときのように。
歩み来たるのはクランジΠ(パイ)だった。彼女も垂同様に濡れ鼠である。しけったビーフジャーキーを、あまり美味しくなさそうにかじっている。
「パイじゃないか。奇遇だな」
垂はそんなことを言っているが、実は偶然でも何でもない。移動しながら彼女は情報を集め、ここで張ればパイが訪れるであろう地点を確保していた。
「何よ……何のつもり!」
パイは突然に声を荒げた。
パイが見ているのは垂ではなかった。
「パイ……ワタシ……」
彼女の視線の先にはローラ・ブラウアヒメル……つまりクランジΡ(ロー)がいたのである。
ローラは小鳥遊美羽に手を引かれている。グラキエス・エンドロア、桐ヶ谷煉ら一行も一緒だ。アルテッツァ・ゾディアックもおり、垂が教導団員なのを察して、
「ええと……パイと協力してみんなで、あの教導団員を集中攻撃するという話でしたよね?」
ごく平然とそんなことを言っている。
「ゾディ! 冷静になりなさいな」ヴェルディー作曲レクイエムが、子犬のしつけをする飼い主のような口調でそれを叱りつけていた。
しかしそんなことまるで聞いていない様子で、アルテッツァは小声で呟いていた。
「……ボクの、『彼女』を、返して、下さい」
「ああ、こりゃダメだわ。パピリオ、いざとなったらゾディのこと、頼むわよ」
ところがヴェルの言葉をどう聞いたのか、パピリオ・マグダレーナはひょこりと背筋を伸ばすと、
「え? 魔道書、何? 『野生の蹂躙』するの? いーけど? えーっと……」
あげく、『101匹魔獣大行進〜ん!』などとやろうとするので、親不孝通夜鷹が飛びつくようにして彼女を止めた。
「ぎゃぎゃ! パピ! どう聞いたらそうなるんだぎゃ! オメー、その技やりたいだけだぎゃ!?」
「え? ……ああ、テッツァが他人にめーわくかけそうだったんだ……。ちょっと残念」
「オメーの耳、どーなってるんだぎゃ!」
閑話休題。
パイとローは向かい合った。
「良かったわね。ロー、一時はどうなることかと思ったけど、怪我……治ったみたいで」
パイが言うと、ローラは、うん、と頷いて告げた。
「この人……グラキエスのおかげ」
どことなくぎこちない様子で、彼女はグラキエス・エンドロアを紹介した。
しかしグラキエスは愛想笑いのひとつすら浮かべなかった。それどころか厳しい顔つきになったのである。
「招かざる客が近づいているようだな」
彼が顔を向けた方向、そこから、白い波濤のように量産型クランジの『ピース』が姿を見せる。その中に一人、濡れた上着を脱ぎ捨て、ワイシャツ姿になった見慣れぬクランジ……クランジΘ(シータ)を目視することができた。
シータは現れるなり、丁重に一礼して名乗った。
「もう隠す気もないよ。そう、私がシータだ。うちのパイくんを惑わすのはやめてくれないかな?」
「惑わせてるのはそっちでしょ! パイをこんな悪だくみに引き入れて!」
美羽が食ってかかった。コハク・ソーロッドも構えを取る。シータの返答次第では、いつでも言葉のやりとりを中断する意志だ。
「悪だくみとは……いやはや……」
シータは、額に手を当てて首を振る。苦笑いしているようでもあった。
「あいつムカつくな……ぶっ殺していいかッ!?」
エヴァ・ヴォルテールが問うも、待て、と煉は止める。
「気持ちはわかるがこらえてくれ」
ゴルガイス・アラバンディットも同じく、浮き足立つ者たちを鎮めるようにかかった。敵は策士だと聞いている。下手な行動はつけ込まれる畏れがあった。
「どうやら見解の相違があるようですね、シータさん」
ベアトリーチェ・アイブリンガーが進み出てシータに一礼した。
「交渉をしませんか? 私たち、ここで全面戦闘をする気はありません」
「話がわかる人間もいるようだね」
シータが、チェスの駒をかたどった胸のペンダントに手を伸ばしたので、桐ヶ谷真琴は反射的に武器を抜いた。そして、武器を抜いたのは彼一人ではなかった。
「やれやれ」
シータは両手を挙げた。
「ほら、催眠術なんかかける気はないよ。まったく、もう少し信用してくれたらいいのになあ……」
さっと腕を下ろすと、シータはこう提案したのだった。
「なら、パイくんは置いていくよ。説得したかったら説得するんだね」
「何を……!」パイが抗議するもシータはお構いなしだ。
「私たちは急ぐんでね。邪魔立てしないなら好きにするがいい。けれど、そんなに簡単に……」
「やめて……!」
パイは愕然とした表情を浮かべるも、シータは無視して言った。
「そんなに簡単に説得できるかな?」
「やめてぇぇぇ!!!」
パイがシータに組み付こうとした。しかしこれを、シータは簡単にいなして哄笑したのである。
「行かせてもらうよ。いいね? 諸君が『ユマ』と呼んでいる彼女を始末しなくてはね。ま、これくらいは置かせてもらっていいね? きみたちが約束を守るかどうか確かめるための見張りさ」
片手を上げて命じると、大型犬ほどある蜘蛛型機械が進み出て足を止めた。
そして本当に、シータはピースを引き連れて去ってしまったのである。
最初に口を開いたのは煉だった。
「あのシータとかいうのがどこまで信用できたかわかったものではないが……パイ」
彼は二刀を抜き、パイの前に立った。
「きみがいくら嫌がろうが連れ帰らせてもらう!」
腕ずくでも、というのだろう。破壊はしない。ただ、行動不能状態にして連れ帰る決意だった。
それと悟ったか、パイは煉に超音波を吐き出した。
「バカ……バカよ、あんたたち!」
備えのない煉ではない。右脚を引き気味に、逆に左脚は前に出し、神速で音波の流れを読む。
両刀を交差させさらにここに魔法の刃を加え一気に押し出す。正しくは生み出す……広域の真空波を。
超音波が真空波と真っ向からぶつかった。音は空気の振動だ。すなわち、
「真空では音が伝わらない」
煉の目の前で超音波は消失した。
「やめて! 煉! それ、だめ!」
たまらなくなったのか、ローが飛び出してパイの前に立った。
「戦い、いや。パイ、話せばわかってくれる」
しかしパイは、哀しげに首を振るだけだった。
「もういいの。パイ。もう遅いんだから……」
「遅いなんてこと、ないでしょ」
美羽もパイの手を取っていた。
「あなたには居場所があるんだから。素直に来てくれればいいの。私たちの元へ……パイの居場所なんて、パイを慕ってる人たちのそばに決まってるじゃない!」
「『慕ってる人』ならここにもいるぞっ! それも、特大で慕ってる! いわばビッグラブ!」
急に、青空のように澄みわたった声が響き渡った。
頭上だ。小型飛空艇から声がする。
声の主はそこから飛び降りた。大きな刀を肩に担いだ少年だ。いや、少年と青年の間のようでもある。
「やーはーパイ、会いたかったぜぃ」
からからと大笑する彼は七刀 切(しちとう・きり)、大股に歩んで、
「ん? なんだこれ、邪魔だな」
パイを観察すべくうずくまる蜘蛛機械をドカドカと踏み超えた。(こんなことをされても、蜘蛛機械は命令厳守なのかまるで動かなかった)。
いつの間にか切の両側に、二人の護衛が出現している。二人とも飛空艇から降りてきたものらしい。
「貴殿らには悪いとは思うがな、少し、うちの切にも話させてやってくれ。重大な告白があるそうだ。重大な……な」
忍び装束の彼女は黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)という。普段は切に厳しい彼女であるが、今日ばかりは彼のために一肌脱ぐ決意である。なぜなら彼が、この上なく真剣なのを知っているから。
ストイックな音穏に比べると、「ごーめんなさいねー」と周囲に告げて回るリゼッタ・エーレンベルグ(りぜった・えーれんべるぐ)はいささか浮かれ気味である。彼女は一頭の犬を連れている。
「ふふっ、楽しい事になっているみたいですね。本当は私、戦場大好きなので北岸の守りに行きたかったし、おいかけていってシータさんと一戦交えてもよかったのですがね〜。まあ切君が一生のお願い、とまで言うんですもん、仕方がないですね。切君の時間を作ってあげます。どうか皆さんもご協力を〜」
花でも振りまくように楽しげに、それでも、不意な攻撃にも対処できるように隙のない足取りでリゼッタは歩んだ。
「わんちゃんは、あの蜘蛛さんを見張っててくださいねー」
リゼッタが軽やかに手を振ると、
「グルァアア!!」
わんちゃん、という可愛い呼び名には大変似つかわしくないドスの効いた吠え声で、イトリティ・オメガクロンズ(いとりてぃ・おめがくろんず)が応じた。実は彼、犬の姿でありまだ人語を話す機能は持たないが、れっきとした機晶姫なのである。しかも、クランジΩことバロウズ・セインゲールマンのデータを流用しているという(の割に、彼と性格が全然似ていないのはなぜだろう……?)。
「オメガ……? まさかね」
さすがにパイは気づいたようで、一瞬怪訝な顔をイトリティに向けたが、気のせいかという顔をして切に向き直った。
「パイ……」
ローラが不安げな顔をしたが、パイは「大丈夫よ」と断じた。
「気にしなくて良いわ。こいつ、私とは無関係の変な男だから」
(「無関係……!?」)
切は傷つくが、そんなことでへこたれるような彼ではない。
「HAHAHA、なかなか厳しいねぇ。ところで今日、ワイが何しに来たか知りたいかい?」
「別に」
パイは実にそっけない。だが(「極端にそっけなくなるところが逆に怪しい」)と音穏は思った。
「知りたくなくても教える! 俺は、俺のお姫様を笑顔にしに来たのさ」
また怒るかと思ったが、パイは寂しげに笑った。
「そのバカバカしさ……イヤになるわ。イヤだけど、世界に残しておいてあげようと思う」
あんたたちもね、とパイは周囲の皆の顔を眺めた。
「やっぱりダメ……ローに黙ってることなんてできない。道連れになんて……」
「道連れってのはどういうこった!」
垂が詰問した。パイの口調に、並々ならぬものを感じたからだ。