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リアクション
■■■第六章
露店が並ぶ一角へと逃げ込んださゆみは、知恵子が出していた看板を見て不意に足を止めた。
「待ちなさいッ!」
追ってきたアデリーヌが彼女の手を取った時には、既にさゆみは一つ注文していたところだった。
「はいよ、ちゃんと持つんだぞ」
フォルテュナのその声に微笑しながら肉まんを受け取ったさゆみを一瞥し、アデリーヌが唇を噛む。肉まんは、頭頂部の皺の一つ一つが際だっていて、そのそれぞれが雪の中時折のぞく陽光を反射するように、白い光沢を放っていた。あつあつで、湯気もまた立ち上っている。すぐそばの鍋で言える豚汁の各種の具はといえば、その本能を刺激するような味噌の匂いを、周囲に対して自信あるそぶりで放っているのだった。
何となく腑に落ちない思いながらも、彼女は、隣にあるボルシチの露店へと視線を向けた。
「わたくしも、お腹がすきました。あのボルシチを――」
「ボルシチ一つ下さい」
半ば当てつけがましい気持ちで呟こうとしたアデリーヌが言い終える前に、さゆみが朗らかにジリヤに対し注文する。
「はいはい、どうぞ」
「た、食べたいなんて一言も未だ……」
「食べたかったんじゃないの? アディ」
うきうきとした気持ちを、全身からあらわにしながら、さゆみが綺麗な髪を揺らす。目の前で金銭のやりとりがかわされ、品を手渡された時、アデリーヌは思わず口ごもって俯いた。
「私、一緒に楽しみたいな」
パートナーのそんな声に、アデリーヌは静かに顔を上げる。確かに、その気持ちは同様だったから、彼女は温かいボルシチを口へと運ぶことにしたのだった。
そのすぐ隣の、ケバブが数種並ぶつばめの屋台の前で、アイギールが心配そうに瞳を揺らした。
「結奈さん……そんなに食べて、大丈夫なのですか?」
逆方向から露店を回っていた結奈は、すでにポークビーンズもロールキャベツも焼きそばもたこ焼きも完食した上、パラミタ芋で作られた焼き芋を食べた後、甘酒をすすって、そうしてこうして、この露店の前へと立っているのである。
「え? もう一周できるくらいの、なんて言うの、腹八分目なんだけど――あいちゃんこそ、もっと食べた方が良いんじゃない?」
首を傾げた結奈が、樹へと視線を向ける。
「ドネルケバブもう一つ。パンズで」
「え、あ、私は……」
繊細そうな緑の瞳を揺らしたアイギールが、慌てて手を挙げるが、その時には既に朗らかに樹が、パンに挟んだケバブを差し出していたのだった。
――雪まつりに来た人たちが喜んでもらえるようにしていこう。
そう考えていた樹は、ピンク色の長い癖のある髪を揺らしながら、笑み混じりの吐息をついている。
その表情に、受け取らないことなど気遣い故に出来ないアイギールが、おずおずと手を伸ばした。傍らではつばめに対し、結奈が代金を支払っている。常日頃あまり食欲があるというわけでもなく、本日も、パートナーの旺盛すぎる食欲をとどめようとこの場へ訪れていたアイギールは、溜息をついてから、意を決するように、その麗しい唇を開いた。
目の前で削ぎ落とされた肉――ケバブは、食欲をそそる艶やかな皮の内側で、優しい色合いの肉本来の鮮やかなピンクを露見させている。それらが樹の手によって、タマネギやピクルスと共に、香ばしいパンの合間へと挟まれた。緑とピンクが織りなすその色彩は、茶の色合いが濃いパンの外皮と、白い表面の間で、美味しそうに輝いている。
――一口。
「美味しい……」
思わず呟いた彼女のその言葉に対し、つばめと樹が同時に笑顔を浮かべたのだった。
その隣で、アークが作ったたこ焼きを買った貴瀬が、きまぐれにその内の一つを瀬伊の口の正面へと差し出していた。
「これはなんであろうか」
洒落た眼鏡のフレームの位置をただしながら瀬伊が、引きつった笑みを浮かべると、貴瀬が肩をすくめた。
「おすそわけだよ。一つくらい食べたら?」
「いらない」
外はカリカリであり、中はとろけるような食感で、見ているだけでもお腹がすいてくる程、形も綺麗に球を描いているたこ焼きに対し、瀬伊が唾液を嚥下しながらも顔を背けた。ソースの上ではマヨネーズと青のりが煌めいており、食欲を更に煽るそぶりで、鰹節が踊っている。なおその隣では、一本一本の面が艶やかに輝き、紅ショウガに彩られた焼きそばが、現在もパックに詰められようとしている。
そんな様子を見守りながら、彼は続けた。
「なんで、せっかくの露店だよ?」
「貴瀬こそ、さっきから食べ過ぎているという自覚はないのか」
結奈とはまさしく逆順に回りながらも、ほぼ同じ量を食べている貴瀬に対し、瀬伊が深々と溜息をついた。
「あ、ロールキャベツだ」
パートナーの辟易とした様子には気づかないようで、貴瀬が、幽那の露店へと歩み寄る。するとアルラウネ達が、彼らを取り囲んだ。
「ここで露店も最後だし、買っちゃおうよ」
挽肉と大豆、そしてトマトの香しい匂いを辺りにまき散らしているポークビーンズと迷うようにしながら、貴瀬がロールキャベツへと視線を向けた。今回トマトソースがポークビーンズで、どうやら並んでいるロールキャベツはコンソメスープをベースとしているようだった。その為、野菜本来の鮮やかな黄緑が、食欲をそそっている。実際これまでに口にしている結奈に対して、仮に感想を尋ねたとすればそのロールキャベツが、いかに肉汁を滴らせ、頬がとけてしまうような美味な味だったかを教えてくれたことだろう。
「未だ食べるのか」
「瀬伊こそもっと食べればいいのに、あ、そうだ、ちょっとそこに立ってよ。雪像だけじゃなくて、ここも記念にもう一枚」
貴瀬のその言葉に、瀬伊が顔を引きつらせた。
その時丁度、レティシア達の屋台が戻ってきた。
――シャッターを切る音が辺りに谺する。
そこには、レティシアとミスティ、そして、ロールキャベツを裁いていたアルラウネ達と、その奥から顔を覗かせた幽那、隣の露店から興味津々といった様子で姿を現した葉月、そして通りかかった御空と和葉と共に、曖昧に笑う瀬伊の姿がおさまったのだった。
そんな撮影光景を、レティシア達から甘酒を買った加夜やリリア達は、雪像の正面から眺めていたのだった。
彼女達が体を温めながら見守る前で、御空と和葉が、まずは、阿童達の露店の前で立ち止まった。二人が向かった露店の並ぶ場所には、実に様々な商品が陳列されていた。
「先輩は何か気になるのあるっ?」
和葉がそう尋ねる前で、アークが喉で笑う。
「俺様の腕前は定評あるんだぜ」
「本当、美味しいんだよ」
アークと葉月のそんな声に、二人はまずたこ焼きを購入した。そうして歩き出しながら、御空がパックのふたを開ける。
「ところで和葉さん。こういう時のセオリーって御存知です?」
「セオリー? 分かんない。あ、カステラだ!」
「……すいません、カステラを一つ下さい」
御空の声に、ジリヤが頷いてパックを手渡す。再度歩き出しながら、御空は唾を嚥下した。これは、これは一つの機会なのである。そして次にいつ有るか分からない、機会でもあるのだ。しかし彼は表情にこそ冷静さを取り繕い、満面の笑みを浮かべたのだった。
「はい、あーん」
先輩が買ってくれたものをぼんやりと見ていた和葉は、不意の行為に瞠目した。
「そ、それじゃあ……あーん」
女の子扱いされることになれていない和葉はといえば――え、え、そういうものなの? と混乱しながら、口を開ける。何だかとっても恥ずかしい事をしている様な気がして、顔がほんのり紅くなってきたのだったが、それでも口内へと入ってきた感触に、緊張しながらも目と唇を閉ざしたのだった。それもそのはずである、何せ和葉は、外見を男の子だと間違われることがあるほどに、いやむしろ率直に言うのであれば、男の子として地球では育てられてきたのであるから。和葉は、裕福な家の末子として生まれ、本来なら姉達同様に淑女として育つはずだったのであるが、跡取り息子が欲しかった父の涙ながらの嘆願により、男の子として育てられたのだ。これも女系一族の婿養子として和葉の父が家へと入り、生まれた子供も全て女子だったせいなのかもしれない。だが、そんな父親の心中は別として、和葉は和葉として、こうして御空に『女の子』として恋心を抱かれているのだった。
二人はそのまま歩きながら、雪像が建ち並ぶ会場へと再度向かう。
合間にミルクティを購入し共に口にしながら、真司らが作成したコムーラント像を鑑賞し、その後ロップイヤー像の前へと向かった。
「天司先輩、これ、すごい可愛いねっ! て、あれ……手、繋いじゃったけれど、大丈夫っ?」
先程までよりも強く握りしめた掌の感触に、我に返るように和葉が声を上げた。
すると御空は、改めて、指と指との合間を縫うように手をつなぎなおし、力を込めたのだった。いかにも和葉が好きそうな、可愛らしい雪像を観覧しながら、巡り終えるまでにはしっかりと手をつなぎたいと考えていた彼は、半ば照れるように、片手で口元を覆う。
「――今日は、来てくれて有難う」
彼が思わずそう呟くと、和葉が、何度か瞬いた。それから満面の笑みを浮かべる。
「今日は楽しかったね。また一緒に遊ぼうね、『御空』先輩!」
そう口にした和葉は無意識だったのだけれど、気がつけば、コレまでは何処か距離がある名字で呼んでいたのであるが、下の名前を口にしていた。その些細な変化にも嬉しくなって、握る指先に力を込めながら御空が頷きながら目を伏せる。
「うん、こっちこそ今日は来てくれてありがとう。また誘うからその時は宜しくね。『和葉』――さん」
わざと名前と敬称の間に思い切り一拍空け、少し照れながらはにかむ様な笑顔を返した彼は、それから静かに双眸を開いたのだった。
その間に気づいているのかいないのか。
口にしてから、名を呼んだことを自覚した和葉はといえば、照れるように顔を背けていた。
――うん、何だか名前で呼ぶと距離が近づいた気がするよっ!
それはあるいは、先輩を、先輩としてではなく、異性として認識した一瞬だったのかも知れない。
そんな二人の後ろを、レティシア達の屋台が通り過ぎていく。
そこでは博之が、熱々の焼き芋を手にしていた。彼は何を言うでもなく、パラミタ芋で作られた、地球の焼き芋とはまた一風異なる甘味に、静かに瞬きをしている。彼のそうした姿を見ていたからなのか、不意に声が響いてくる。
「マスター、焼き芋食べたいぃ」
すると近隣にいたエメトが、ジガンの腕を抱きしめながらそう口にしたのだった。
「まぁ、焼き芋ぐらいなら買ってやっらんことも無い」
素っ気ない調子で頷きながら、ジガンが屋台を止める。代金を受け取ったミスティが、そんな二人に微笑した。
「折角ですし、甘酒もいかがです?」
「ねぇマスター」
「――二つくれ」
パートナーと売り手の二人から向けられた視線に、溜息混じりにジガンが応えた。
「有り難うねぇ」
レティシアの明るい声が響き、屋台が再び動き出す。それを見送りながら二人は、前シャンバラ女王像へと視線を向ける。先程まで見てきた金団長像もすごかったが、この雪像にも一種の迫力があった。
「一仕事した後の見学というのも悪くないな」
ジガンが言うと、エメトが両頬を持ち上げた。
「でしょでしょぅ? あ、向こうに混浴の露天風呂が有るみたいだから、マスター、ねぇ、お願いぃ」
「露天風呂? それも悪くない」
頷き、さっさと歩き出したジガンの後を追おうと、エメトが一人焼き芋を飲み込んだ。
その時のことだった。
「ちょっと待った。俺も警備主任として見過ごせないんです」
一人残されたエメトの肩を掴んだのは、唯斗だった。
「無事に垂がヒーロー像を造ってくれたから良かったものの……エメト、自分がやったことが、もし解決しなかったらどうなっていたか分かりますね」
千歳達から報告を受け、彼女の行方を探っていた彼は、淡々とそう告げた。体を硬直させたエメトはといえば、ただ唾液を嚥下するばかりである。
「あの像は広告にも載っていて、子供達も楽しみにしていたんです」
一見眠そうな表情であり、ものぐさそうな性格が滲む黒い目をした唯斗だったが、任された仕事はきちんとこなすのであった。
そんな捕り物劇が開催されていることなどつゆしらず、刹那はその頃、コムーランとの雪像前でたたずむ二人の観客をスケッチしていた。
「雪像の立ち並ぶ風景、いい絵が描けそうっスよね〜。人が楽しそうにしている光景も入れば、完成度ももっとあがりそうっス!」
呟いた彼女は、黒色の瞳をまたたかせながら、二人の人影を見守っていた。
刹那の視線の先にいたのは、夢見とフォルテである。
「……ところで、終わったら後でお願いを聞いて下さるという事でしたね。寮に帰る前にねぎらいのキスを頂きたいのですが……」
そう呟いてからフォルテは、麗しい赤い瞳に妖艶さを滲ませるように呟いた。
だが、意を決して告げた彼の声は、夢見に届いているのかいないのか。
「本当に無事、雪祭りが開催できて良かった」
心底安堵するような口調で、彼女は青い髪を揺らした。装飾具が、雪から跳ね返ってくる日の光を反射して、静かに煌めいていたのだった。
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