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リアクション
【一 戦いの場は事務所にて】
ツァンダ・ワイヴァーンズの本拠地ツァンダ・パークドーム内にある球団事務所では、たとえシーズンオフであろうとも、職員達が慌ただしく駆け回る姿を見せている。
ワイヴァーンズ広報責任者である桐生 円(きりゅう・まどか)等は、まさにその筆頭といって良い。
先般、ヴァイシャリーで開催された合同トライアウトに於いて、円はこれまでの広報活動の中で、チアリーディングや球団マスコットガールに対する意識があまり無かったことを痛感し、このシーズンオフでは選手達のみならず、そういった脇を固める華やかな存在にもフォーカスを当てていかなければならない、と考えるようになっていた。
球団事務所内の自身のブースで、デスクトップの大きな画面と小難しい顔で睨めっこしながら、円は先程から何度も唸り声をあげている。
デスクトップ上には、球団ホームページの編集画面が映し出されている。従来であれば、選手達の画像を中心に切り貼りして記事をアップするだけだったのだが、ここにチアリーディングやマスコットガールをどうやって組み込んでいこうかと、必死に知恵を巡らしていた。
が、どうにも良いアイデアが浮かんでこない。
(う〜ん……やっぱり、何の素材も無しにいきなり着手しても、駄目かなぁ)
矢張りここは、まず本人達に軽く打診してからの方が良い。
そう考えるや否や、円はデスク脇の外線から、球団マスコットガールとしての地位をほぼ固めつつある五十嵐 理沙(いがらし・りさ)の携帯に電話を繋いだ。
数度のコール音の後、すぐに本人と分かる声がスピーカー越しに聞こえてくる。
『はいよ〜、こちら五十嵐の理沙でございますよ〜』
「あ、理沙さん? ボクだよ、円」
円は、理沙とパートナーのセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)が、ワイヴァーンズオーナージェロッド・スタインブレナーの許可を得て、球団マスコットガールの衣装を独自に製作し、球場で着用していることを、やや漠然とではあるが、把握している。
また、円が運営する球団ホームページとは別に、理沙は理沙で、球団マスコットガール公式ブログを開設しているのも、つい最近知った。
本来であれば、こういった球団広報にまつわる活動は全て頭の中に叩き込んでおかねばならない立場なのであるが、選手に対する意識ばかりが強過ぎた為、ほとんど視野に入っていなかったのが実情である。
円は素直に、己の迂闊さを悔いた。
もっと早めに理沙達と連携を取れていれば、シーズン中からもっと色々なことが出来たのではないか、とさえ思えたのだが、今はとにかく、理沙本人に頼み込んで、今後の広報活動に関して協力を取り付けるのが先決であった。
「ちょっとお願いがあるんだけど、納会の直前ぐらいに、時間貰えないかな? 出来れば、セレスティアさんもご一緒して貰えると、有り難いんだけど」
『良いわよん。予定空けとくから、場所と時間が決まったら、また連絡頂戴ね〜』
理沙との約束を取り付け、早速メモ帳の納会当日のスケジュールに、理沙とセレスティアとの面談についての予定を書き加える。
と、その時、球団事務所のエントランス方面がいささかざわめき始めた。
ブースのパーティション越しに視線をめぐらせると、ダブルのスーツと品の良いネクタイでドレスアップしたジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)の姿が見えた。
あ、そうか、と円は内心で頷く。今日はジェイコブ他、数名の選手達の契約更改が執り行われる運びとなっていたのである。
あのざわめきは、更改後の記者会見の為に球団事務所を訪れたマスコミ達の声であった。
そのジェイコブだが、応接室隣の待合室に案内されると、そこに先客の姿を認めた。
同じく、契約更改の為に球団事務所を訪れていた、風祭 隼人(かざまつり・はやと)とソルラン・エースロード(そるらん・えーすろーど)の両名であった。
隼人とソルランも、ジェイコブ程の高級なスーツを用意していた訳ではないが、それでも一応プロの選手としては恥ずかしくないよう、それぞれ落ち着いた色合いのスーツとネクタイで小奇麗に纏めていた。
「あっ、バウアーさん! お疲れ様ですっ! 凄いひとだかりでしたねっ!」
ソルランが待合室のソファーから跳ねるような勢いで立ち上がると、隼人も釣られたようにゆっくりと立ち上がり、軽い会釈をジェイコブに贈る。
対するジェイコブは、やれやれと小さくかぶりを振りながら、口角を僅かに苦笑の形へと歪めた。
「マスコミ連中は気が早い……まだ交渉も始まっていないというのに、もう更改が終わった後のコメントを求めてきたよ。今日中にサインするかどうかも分からんのにな」
サインという言葉を耳にして、隼人は思わず、印鑑を収めたセカンドバッグに視線を落とした。
アメリカ人は契約書に自筆のサインを入れるのが通例だが、日本では押印が一般的だ。妙な話だが、このパラミタに来て、まさか日米の文化の違いを再確認しようなどとは、思っても見なかった。
「それより更改の方は、もう終わったのか?」
ジェイコブの問いかけに、ソルランが幾分はにかんだような笑みを浮かべながら、頭を掻いた。その嬉しそうな表情から察するに、来季の年俸に上乗せを勝ち取ったのか、とジェイコブは踏んだ。
「順調だったようだな」
「いやぁ、微増なんですけどね……でも、来季への期待のお言葉を頂いて、ちょっと良い気分です」
自慢の脚力を評価されたのが嬉しかった、とソルランはいう。
対してジェイコブは、僅かに渋い表情を作った。というのも、彼はこの2021シーズンでは、一番打者を任されていたのだが、シーズンを通して一番打者としての仕事を貫き通した、とはお世辞にもいえなかった。
「オレは……微妙なところかも知れん」
「あぁそうか……あんた、出会い頭の一発をぶちかますのが多かったもんな」
ジェイコブの懸念を、隼人は咄嗟に見抜いて軽く笑った。
投手の立場からすれば、塁に出て引っ掻き回されるよりも、本塁打一本でベンチに帰ってくれた方が気分的には楽なケースが多い。
パンチ力のある先頭打者、といえば聞こえは良いが、要するにジェイコブの打撃は一番を打つ者としては襷に長し、という感が否めなかったのである。
その時、カンファレンスルームに続くドアが開き、スーツ姿の見慣れた顔が現れた。
「あら……早いですわね」
たった今、自身の球団広報としての契約を終えたばかりのフィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)が、ジェイコブの仏頂面を認めて小首を傾げた。
更改を終えた以上は、ここからはフィリシアも、各選手達の更改交渉に同席する球団側の職員としての仕事が待ち受けている。
そんなフィリシアの美貌を、ソルランが脇から覗き込む。フィリシアの頬が微妙に緩んでいるのを、彼は見逃さなかった。
「フィリシアさん……良い契約をして貰えたみたいですね」
「えぇ、まぁ……そんなことより、次の更改予定は」
ソルランの追及をかわすようにして、フィリシアは手にしたファイルを慌ててめくる。続けて更改交渉に臨む予定になっているのは、先に待っていた隼人ではなく、ジェイコブの方であった。
「何? オレか?」
「あぁ、お構いなく。俺はちょいと早めに来ちまっただけだから」
戸惑うジェイコブに、隼人は気さくに笑いかける。隼人から先に更改交渉に入るものだとばかり思っていたジェイコブは、正直なところ、まだ心の準備が出来ていなかった。
それでも結局、ジェイコブ、隼人の順に更改交渉が執り行われた。
フィリシアが球団側の立場で更改の場に同席したのは、正直なところジェイコブには非常にやりづらいところではあったが、理由も無く席を外せといえる身分でも無い為、なるべくフィリシアの顔を見ないようにして、更改に臨むしかなかった。
交渉開始早々、査定担当からは契約書が提示された。
記されていた年俸額は、微増程度。
この後、査定担当から細かい説明を受けたのだが、矢張りジェイコブが予想した通り、出塁率、打率、打点のいずれに於いても打者としては十二分の働きをしていたものの、相手投手にプレッシャーを与える役割という観点から見ればは失格だ、というのである。
こうまでずばりといわれると、最早ぐうの音も出ない。
コントラクターとして幾つもの修羅場を駆け巡り、またプロ野球選手として1シーズンを過ごしたタフな男ジェイコブにとって、契約更改という事務机上の攻防は、今まで経験したことの無い苦境の連続だった。
小一時間程の交渉の末、ものの見事にいいくるめられたジェイコブは、すっかり気分的に参ってしまい、ほとんど力無い所作で契約書にサインした。
その様を、フィリシアは何ともいえない笑みを浮かべて、静かに眺めていた。
ジェイコブ程の男にも苦手なものがあったのかと、まるで新鮮な光景を発見したかのような思いにとらわれていたのである。
続く隼人は、結構な額を勝ち取った。
矢張りローテーションの柱として1シーズン、その位置を守り抜いた上に、何といってもチームの勝ち頭なのである。
契約更改後の記者会見でも、ソルランと並んでこれ以上は無いというぐらいの笑顔をカメラに向けていた。
逆にジェイコブは、相変わらずの渋い表情でにこりとも笑わず、淡々と記者達の質問に応じていたのが、却って印象的だった。
三人の記者会見を見届けてから球団事務所に引き返してきたフィリシアは、相変わらずうんうんと唸っている円のブースを、ひょっこり覗き込んでみた。
「あ、お疲れ……記者会見、無事に終わった?」
「はい、滞り無く……それは、新しいホームページのレイアウトですか?」
フィリシアに問いかけられて、円は一層眉間に皺を寄せ、鼻先と上唇の間にペンを挟み込み、背もたれにその華奢な体躯を預けて天井を仰ぎ見た。
「そうなんだけど……ぜーんぜん決まらないんだよぉ」
嘆く円に、フィリシアは幾分、申し訳無い気分になった。
広報担当という意味では、フィリシアにも円の業務を幾らか分担して請け負う義務がある筈なのだが、マスコミ対応がメインであるという彼女の現状を考慮して、円は敢えて、何もいわないのである。
流石にこのまま捨て置く訳にもいかず、フィリシアは腕時計をちらりと一瞥してから、円に視線を戻す。
「もうそろそろお昼ですし……ニラレバ炒めでも、食べに行きません?」
「あ、賛成! 行こ行こっ!」
今日は、無事に契約更改を終えたフィリシアの奢りだという。せめてこれぐらいのことでもしておかねば、何となく寝覚めが悪い、というのが正直なところであったが。
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