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リアクション
【七 秋の総仕上げ】
秋季キャンプも、終盤に差し掛かろうとしている。
ワルキューレの本拠地スカイランドスタジアムには、旧バスケス領のキャンプ地から引き上げてきたワイヴァーンズの選手達が、練習試合の為に姿を現していた。
練習試合とはいっても、本番さながらの要領で試合が実施される。
態々SPBから公認審判員のキャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)を招き、無料招待の観客でスタンドを埋める力の入れようであった。
ワルキューレのマウンドには、本来なら抑えのエースであるカリギュラ・ネベンテス(かりぎゅら・ねぺんてす)が先発として登っていた。いつもとは異なる順番で投げてみて、得る物を探ってみようという意図であった。
ところがこのカリギュラ、全身の至る所に妙な傷や痣が残っている。おまけにその表情も、どこか虚ろな色合いが強く、キャッチャーマスクを被っている真一郎が、本当に大丈夫なのかと心配に思う有様だった。
「ハァ〜イ、それじゃ始めるネ。プレイボール!」
カリギュラの様子などいちいち気にかけないキャンディスが、高らかに宣言した。
しかし、一部の観客の中には、矢張りどうしてもカリギュラの異様な雰囲気に首を傾げる者が少なからず存在した。
「う〜ん……あのピッチャー、何で片っぽだけ、眉毛剃ってんだ?」
ワルキューレが主催する球団納会にて、臨時雇いの料理人として仕事を任されることになっている弁天屋 菊(べんてんや・きく)も、招待客のひとりとして内野スタンドから観戦している。
実のところ、菊はカリギュラ以外にもうひとり、同じように据わった目つきで、妙な殺気を全身からばら撒いている姿に気づいていた。三塁を守る霧島 春美(きりしま・はるみ)である。
「何なんだろうな、あのどよ〜んとした空気は。瘴気っていっても良いぐらいだよな」
腕を組み、眉間に皺を寄せて菊が首を捻っていると、不意にその傍らから、にょほほほと笑う不気味な声が響いた。
「実は何を隠そう、このニャンコがあのふたりを特訓してやったんだわさ」
「お、おぉ?」
菊は思わず上体を仰け反らせながら、その一種異様な外観のゆる族に向けて変な声を返した。
この超 娘子(うるとら・にゃんこ)曰く、カリギュラと春美を山篭りさせ、徹底的に鍛え上げたのだという。
「あのふたりは、このニャンコの特訓に見事耐え抜いたのにゃ。もうニャンコが教えることは、何も無いにゃ。強いていえば、木人房突破にかかった時間を、もう少し縮めて欲しかったのが心残りにゃ」
「も、木人房!?」
一体何の話をしているのか――菊にはもう、訳が分からない。
ともあれ、プレイボールがかかった以上は試合に集中しなければならない。ワイヴァーンズの先頭打者は、こちらはシーズン中と同じくジェイコブであった。
カリギュラの放った第一球。
しかしどういう訳か、圧倒的な球威とキレで勝負する筈のカリギュラの直球にはいつもの力強さが無かった。どこか疲労を残したまま、無理矢理投げている、といった感じがしないでもない。
ジェイコブはこれまで何度もカリギュラと対戦している為、その球質の異様さに一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、練習試合とはいえ好球必打を徹底する彼である。
振り抜いたバットは、三塁へのライナー性の打球を放った。
その打球が、春美の目の前に轟然と迫ってくる。この時春美は、娘子に課された特訓の日々がまるで走馬灯のように、脳裏をぐるぐると駆け巡っていた。
滝壺に飛び込み、岩を叩き割り、箸で飛ぶ蝿を掴み取り、車の窓に左手でワックスを塗り、右手でそのワックスを拭い取り、畳を手刀でぶち抜き、最後の仕上げとして木人房にずらりと並ぶ木人達と戦った。
血反吐どころか、内臓まで吐き出してしまいそうな地獄の毎日だったが、春美は耐え抜いた。カリギュラも同様である。
どう考えても野球とは全く関係の無い特訓だったが、それでもふたりは最後まで完走した。充実感を得ると同時に、何かとても大事なものを失ったような気がしないでもなかった。
そして現在。
春美は迫り来る打球に対し、グラブを嵌めた左手を真っ直ぐ押し出す。それはまるで、正拳突きだった。
「ほわちゃあ!」
香港のカンフーアクションスターのような甲高い雄叫び(いや、女だから雌叫びか)をあげ、春美はジェイコブの放った打球を真正面から受け止めていた。
「おいおい……マジか」
内野スタンドの菊が呆れ返ったのも、無理からぬ話である。
ワイヴァーンズの先発投手は、こちらも本来であればクローザーである風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)が任されていた。ワルキューレがカリギュラに先発の役目を務めさせるということで、優斗も相手の趣向に合わせようということになったのだ。
打席に、クリムゾン・ゼロ(くりむぞん・ぜろ)が入った。
秋季キャンプを過ごし終えた新生ワルキューレの新たなスタートということで、外野スタンドではコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が鮮やかな蒼色の衣装を身に纏い、何人かの蒼空学園吹奏楽部員を率いて、クリムゾン・ゼロの新しいヒッティングマーチを演奏し始めた。
そのすぐ傍らでは、蒼空学園チアリーディング部を率いた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が吹奏楽部と同じく蒼色の衣装で飾り、健康的な美脚を惜しげも無く披露している。
「かっとっばせー! クーリッムゾンッ!」
美羽達が見せるチアリーディングは、従来のアクションから大幅にその内容を変えてきており、ヒッティングマーチに合わせた大振りの動きが主となっている。
日本の高校野球で見られるアルプススタンドでの応援を相当に研究している上に、プロ野球の各チームの応援団が見せる独特の応援風景なども参考にして、諸々考え抜いた末に考案したのが、今ここで見せているチアリーディングであった。
実際美羽は、非常な危機感を抱いていた。
ガルガンチュアにはリリィガールズという公認の応援組織が発足しているのだが、この蒼空ワルキューレはというと、蒼空学園チアリーディング部が半ば勝手連的に応援活動を展開しているに過ぎない。
応援での組織力不足がそのまま試合の優劣に直結する訳でもないだろうが、それでも美羽は一抹の不安が拭えず、せめて蒼空学園チアリーディング部が公認の応援組織並みの力量をつけられれば、との思いで、強化合宿を打ち出したという経緯があった。
そして実は、この強化合宿には蒼空学園チアリーディングのみならず、球団マスコットガールのセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)とセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の両名も招待参加、という名目で無理矢理引っ張り込まれたというエピソードがあった。
現に今、美羽達チアリーディング部が華麗なダンスを披露する隣で、セレンフィリティとセレアナの両名もチアリーディング部の蒼い衣装を身に纏い、観客達相手にインタビューを取るなどしている。
そして時折、大技が披露される際にはセレンフィリティとセレアナがチアリーディング部に合流して、技の一部を形成するということまでやってのけていた。
そうこうするうちに、クリムゾン・ゼロが豪快な先頭打者本塁打を放った。
マウンド上の優斗は練習試合ということもあり、習得中の様々な球種を試投しているうちに、つい指がかかっての失投だった為、打たれたことに対する悔いは微塵も無い。ただ苦笑を浮かべ、白球の行方を目線で追うばかりであった。
勿論、失投を見逃さずに一撃で仕留めたクリムゾン・ゼロも、秋季キャンプでの訓練の成果がここではっきりとした形で出たという点では、大いに評価出来る。
「やったー! ホームランだー!」
美羽が全身で歓喜の情を表現し、コハクも嬉しそうに手を叩いて何度も頷く。
「僕達の応援が効いた……って訳じゃないだろうけど、でもやっぱり嬉しいなぁ」
「だよねぇ! だよねぇ〜!」
素直に喜びの色を見せる美羽とコハクだが、そんなふたりの傍らに、いつの間にか蒼空ワルキューレ共同オーナーのひとり、ナベツネこと田辺 恒世(たなべ つねよ)が何食わぬ顔で姿を見せていた。
「うちのチームの為にこんなに見事な応援を見せてくれるなんて、嬉しいわねぇ」
何とも意味ありげな笑みを浮かべるナベツネだが、美羽とコハクは彼女の言葉を額面通りに受け取ったのか、然程気にする素振りもなく、ただ嬉しそうに頷くのみであった。
むしろ、恒世が言外に込めた意味を敏感に察知したのは、先の契約更改で、言葉の裏に潜む意味の理解を強いられたセレンフィリティとセレアナの両名であった。
「あ、もしかしてナベツネさん……また何か考えてるんじゃない?」
セレンフィリティが怪訝な表情で恒世の横顔を伺い見ると、矢張り案の定、恒世はしたり顔で頷いた。
「折角チアリーディング部と吹奏楽部のひと達が、強化合宿まで張ってくれたんだものね。うちとしては、お誘いしない訳にはいかないじゃない」
曰く、恒世は蒼空ワルキューレ球団公認の応援組織の発足を検討している、とのことであった。そしてこの応援組織の土台には、美羽やコハク達の選任こそベストだと考えていたようである。
この降って湧いたような超特急展開に、美羽とコハクは一瞬、言葉を失った。
恒世はふたりの表情を妖艶な笑みで眺めつつ、更に続けた。
「もしその気があれば、来季の春季キャンプの際に応援組織の名称案も添えて、私のところまで来てくれるかしら? 私も、人員の正式募集をそのタイミングでかけてみるから」
それだけいい残して、恒世は現れた時と同様、さりげなく観客席の人込みの中へと消えて行った。
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