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リアクション
【二 大シゴキ祭】
蒼空ワルキューレの秋季キャンプは、本拠地であるスカイランドスタジアムにて実施されていた。
所属選手の大半が若手で構成されている為、球団初の秋季キャンプにはほぼ全員が参加するという、プロ野球チームとしてはちょっと珍しい光景が展開されていた。
だがその中でも、特に異彩を放っていたのが、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)をコーチ役として、鬼のようなメニューをこなしている一団であった。
主な面子はルカルカ・ルー(るかるか・るー)、朝霧 垂(あさぎり・しづり)、鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)、鷹村 弧狼丸(たかむら・ころうまる)といった顔ぶれだが、面白そうだとの理由で馬場 正子(ばんば・しょうこ)がアレックス・キャッツアイ(あれっくす・きゃっつあい)と安芸宮 和輝(あきみや・かずき)を引きずって加わってきたものだから、堪らない。
「どわーっ……こ、こんなにキツかったかぁ!?」
二塁付近の弧狼丸が半ば這いずる様な形で、ダリルが操作する特製バッティングマシーン(可変型機晶バイクを改造して、ボールを射出する設計らしい)から放たれた白球に飛びつくも、全く手が届かない。
「うむ……理論に基づいて実戦に近い練習をこなし、その効果を検証する……つもりだったが、本当に死のキャンプという様相を呈してきたな」
ほとんど死に体のような格好になっている選手達を興味深そうに眺めながら、ダリルは低く呟いた。
当初、ダリルが言い渡した練習メニューはノックや走り込み、或いは実戦を想定してのミニシート打撃といったところであったが、正子が全員に総重量100Kgのパワーリストバンドやパワーアンクレットを装着させた上に、やたら分厚くて密度の濃いマスクを着用させて呼吸を制限させるという、ほとんど拷問に近い装備を強要したのである。
いくらコントラクターとはいえ、これだけ過酷な練習環境を強いられては、半死半生の凄惨な地獄絵図を展開してしまうのも、無理からぬことであった。
ところが。
「しょ、正子さん……これは、さすがに、きつい……」
垂との内野連携守備を軽くこなしただけだというのに、真一郎は今にも死にそうな顔で正子に訴えかけた。
ところが正子はというと、他の面々と同じく超重量級の装備と分厚いマスクを装着しているにも関わらず、けろっとした顔で呆れたような視線を真一郎に返す始末であった。
「情けない声を出すな。コントラクターがこの程度で音を上げてどうする」
「いや、そういう、問題じゃ……」
垂も垂で、歩くのがやっとという有様ながら、必死に両脚を前に動かして正子の傍らへと歩を進めてくる。
途中、何度このまま倒れてしまおうかと思った垂だが、内野スタンドからライゼ・エンブ(らいぜ・えんぶ)が明るい声援を送ってくる度に、僅かながら体力が回復してきた為、倒れるに倒れられなかったのである。
「次、ルカ、いくぞ」
ダリルは容赦無く、バッティングマシーンから次々に白球を射出し続ける。
最初のうちはルカルカも、
「はいっ、コーチ!」
などと元気な声をあげていたのだが、それも数分とは持たなかった。今では、
「コ、コーチ、ちょっと……手加減、して……」
などと哀願する始末である。しかしダリルは、ルカルカの言葉に耳を貸す気配を見せない。寧ろ、更に射出速度を上げて白球を立て続けに送り出した。
「ルカ、まだまだこれからだ」
「お、鬼ー!」
こんな筈ではなかった。
垂や真一郎と、そして他のチームメイト達と、苦しくも楽しい特訓をこなして、来季に向けての着実なステップアップを踏む……それが、ルカルカ達の描いた青写真であった。
それなのに、現実はどうだ。
度を越した特訓メニューに加え、そのメニューを組んだダリルが、今度は正子達の参加にも同意する等、ほとんど阿鼻叫喚の地獄に等しい惨状をプロデュースしてしまっているではないか。
一方、アレックスと和輝はというと、正子直々に指名されたから、というのもあったろうが、とにかくこの地獄の特訓メニューに、必死に食らいついていた。
「や、やってやる……やってやる……ぞぉ〜」
へろへろした情けない声をあげつつも、アレックスはダリルの課した走り込みを、黙々とこなしている。
下半身の強化を今秋のテーマに掲げている彼にとっては願ったり適ったりだが、しかしまさかここまで厳しいとは、夢にも思って見なかった。
和輝も、2021シーズンの不甲斐ない成績を反省し、この秋季キャンプでは徹底的に鍛えて、数段レベルアップすることを目指している。
そんな彼にとっては、矢張りアレックス同様、ダリルのメニューと超重量装備による強化は望むところではあったのだが、この過酷な特訓が最早プロ野球の常軌を逸しているなどとは、まるで想像だにしていない。
「く、苦しいです……けど、これを乗り越えたら、きっと投手として一皮剥けている……筈」
半ば自分にいい聞かせるようにぶつぶつと呟きながら、和輝はバッティングマシーンから飛来する無数の白球に飛びついている。
投手とて、投球が終わった直後から九人目の野手として、守備力を発揮しなければならない。和輝は投球そのものも然ることながら、投手としての守備力向上も視野に含めて、幅広い上達を目指していた。
だが流石に、この長重量装備による疲労は想像を絶する。普通に考えればいつ倒れてもおかしくないのだが、同じ条件でありながら、涼しい顔で同じメニューをこなしている正子を見る度に、
「こ、このままではいけない!」
などと奮起し直し、何とか必死に練習(という名の拷問)に耐えていた。
「元来スポーツ選手ってのは、ある意味マゾでないと勤まらない、って話を聞いたことがあったなあ!」
どこか頭の螺子が一本飛んでしまったのか、いきなりアレックスが訳の分からない台詞を吐き出した。
「よぉし、俺もマゾになるぞ! 俺はマゾだ! マゾだー!」
余りの過酷な練習に、とうとう頭がいかれてしまったのか――ルカルカ、垂、真一郎、弧狼丸、そして和輝といった面々は、気の毒に思うと同時に、いつ自分も同じように気が触れてしまうのかと戦々恐々とする有様であった。
しかし、ダリルと正子はというと。
「ふむ……どうやら悟りの境地に至ったようだな」
「見事だ。わしも負けてはおれん」
このふたりもふたりで、どこかおかしい。
二塁付近で、垂は弧狼丸にそっと囁いた。
「なぁ……俺達、生きて帰れると思うか?」
「生きろ、そなたは美しい……って誰かいってたような気がするなぁ」
どうやら弧狼丸も、半ば匙を投げてしまっているらしい。
その時、垂は再び体力が妙に回復してきているのを感じた。同時に、ライゼが内野スタンドから笑顔で手を振っているのが見えた。
「まさかな……いや、でも何かおかしいぞ……」
おかしくはない。寧ろ、垂の感覚は極めて正確であるといって良い。実のところ、ライゼは密かに、回復の術を垂に仕掛け続けていたのである。
あくまでも実戦に近い形式で練習しなければ意味が無いということで、垂はコントラクターとしての技術一切を封印してキャンプに臨んでいる。その垂の心意気を気遣い、ライゼはなるべくばれないようにと細心の注意を払いながら、秘密裏に回復の術を施術し続けていた。
最初のうちは自分に意外なスタミナがあるものだと自分で自分に感心していた垂だが、これ程の過酷な特訓の中にあって、妙に体力が回復してきている為、流石に気づかずにはいられなかったようである。
「いやぁしかし……同じ発想をするひとって、やっぱり居るもんだな」
うぉぉと雄叫び(というより悲鳴)を上げながら走るアレックスを眺めつつ、氷室 カイ(ひむろ・かい)は幾分感心した表情で小さくかぶりを振った。
カイ自身も、コントラクターとしての技能を活かし、己に最大級の負荷をかけた状態でキャンプに臨んでいたのであるが、正子の極端な特訓装備には、素直に感心せざるを得ない。
しかしそんなカイの傍らで、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)が苦笑を浮かべてやれやれと肩を竦めている。
「いやいや……ありゃちょっとばかし、極端過ぎるんじゃないかなぁ」
お兄さんいささか心配だよ……などと呆れ気味に呟くクドだが、しかし性格柄、あのまま放ってもおけないという意識が言外からひしひしと伝わってくる。
「かといって、あんなに疲労困憊のお嬢さん達に変な冗談で場を和ませるってのも、それはそれで難しいんだよねぇ」
「……今そんなことしたら、和ませるどころか、確実に殺されるぞ」
ぎょっとした表情でクドを諌めるカイだが、勿論クドとて、そういった辺りの機微はしっかり弁えている。今はとりあえずあのまま放置するしかない。
「ま、最初に練習を引けさせてあげるってのが、今、彼らにしてやれる最低限のヘルプかも知れないねぇ」
「そういうことなら、適任者があそこに居る」
クドの台詞にヒントを得たのか、カイは一塁線上を小走りに駆けて、外野スタンドで練習風景を眺めている人影の足元へと急いだ。
その人影とは、火村 加夜(ひむら・かや)である。
カイはグラウンドから声を張り上げて、笑顔で手を振る加夜に呼びかけた。
「加夜さん! ちょっと助けてくれるか! 校長……じゃなくて、オーナーに伝言を頼みたいんだが!」
蒼空学園校長にして、蒼空ワルキューレの共同オーナーである山葉 涼司(やまは・りょうじ)であれば、正子の脅威からあのグループを救い出すことが出来る――妙な使命感に身をたぎらせて、カイはあるアイデアを実行に移そうと考えていた。
「あの、私に何かお手伝い出来ることがあるのですか!?」
加夜も、声を張り上げてカイに応じる。
カイは正子達の方を親指で指しながら、加夜に説明の言葉を添えた。
「正子さんなんだが、納会の料理担当も兼任してるらしいんだ! 納会の準備も忙しいだろうから、あのグループは先に引けさせてやれるよう、オーナーに伝えて欲しい!」
「あ、はい! そういうことでしたら、喜んで!」
自身も、納会に参加する予定の加夜である。カイのいい分に尤もらしさを感じた彼女は、早速その旨を伝える為に外野スタンドを後にした。
カイがそんな加夜の後姿を遠めに眺めていると、いつの間にかクドが傍らに佇んでいた。
「なぁるほどねぇ。そういう手がございましたか」
「ま……嘘をついてる訳じゃないからな」
地獄の元凶たる正子を何とかすれば、あの惨状を少しは和らげることが出来るだろう――カイの判断は、あながち間違ってはいなかった。
それから再び、カイは正子達の方角に視線を向ける。
今度はアレックスのみならず、和輝も悲鳴だか雄叫びだかよく分からない声を張り上げながら、三塁線上をホームとスタンドポール間に亘って、必死に走っている姿を見せていた。
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