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リアクション
【四 百合園に於ける試練】
ヴァイシャリー・ガルガンチュアの球団事務所は、竣工間近のグレイテスト・リリィ・スタジアム内に移転が完了している。
そんなガルガンチュア球団事務所に、新たな戦力が加わった。
この程、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が球団専属スコアラーとして採用されたのである。採用面接には球団秘書である朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)とイルマ・レスト(いるま・れすと)が当たったが、正式契約の際にはアデリーヌが最も恐れていた人物――即ち、ゼネラルマネージャーのサニー・ヅラーが同席していたのである。
だが幸運なことに、その席にはラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)も姿を見せていた。
このラズィーヤという女性は、千歳とイルマの想像を遥かに上回る人物であった。というのも彼女は、僅か一ヶ月足らずで、サニーさんとの付き合い方をすっかり体得していたらしく、アデリーヌの正式契約の席に於いても、いつものハイテンションで暴走しがちなサニーさんを、ラズィーヤは上手くあしらっていたのである。
どういうことかというと、ラズィーヤが穏やかな笑みでとんでもないボケ台詞を放ち、それに対してサニーさんが大喜びで床を転げ回る。
その間にラズィーヤがアデリーヌとの間で正式契約をさっさと取り交わす、という寸法だ。
「す、凄い……」
思わず千歳は感心したように呟いた。
傍目から見れば凄まじく珍奇な光景なのだが、ことサニーさんと直接関わりを持つことの難易度を体感して知っている千歳とイルマからすれば、それはまさに奇跡といって良かった。
「さ、流石ですわ、ラズィーヤ様……!」
イルマはイルマで身悶えせんばかりの勢いで、ひたすら感動に浸っている。
今や敬愛するラズィーヤは、球団最高顧問として、文字通りサニーさんの手綱を自在に操る術を得ていたのである。
アデリーヌとの正式契約を終えたラズィーヤは、応接ソファーからすっと立ち上がり、イルマに視線を転じてきた。
「そういえば例のスポンサーの件はその後、どのような按配ですの?」
「あ、は、はい! それがですね……!」
いきなり話を振られて若干慌てはしたが、イルマはパウエル商会を始めとして、ヴァイシャリー商工会に属する様々な商人や職人達から諸々のスポンサー契約を勝ち取ってきており、それらをリストとして文書に纏めていた。
イルマからそのリストを受け取ったラズィーヤは、ざっと目を通しただけではあるが、満足そうに静かに頷き返す。
「見事ですわ。商工会は球団のスポンサーのみならず、大事なファンにもなって頂ける方々です。大切なお付き合いにしていかねばなりませんわね」
ラズィーヤからの言葉に、イルマは更に感激して卒倒しそうになった。
しかし、球団秘書の仕事はそれだけで終わりという訳ではない。ラズィーヤはイルマの様子にすっかり呆れ返っている千歳に面を向け直し、幾分引き締まった表情で次の指示を出す。
「ガルガンチュアとしては納会は実施しませんけど、地元商工会の皆様方をお招きして、球団発足記念パーティーを開催しなければなりませんわ。千歳さんにはその開催主任をお任せします。宜しくて?」
「あぁーっ、はいはい。了解っ」
それまで移籍選手達の契約更改用資料の作成や、地元メディアの取材日程等の業務が主だった千歳にとって、球団発足記念パーティの全てを取り仕切れというのは幾分無茶振りのような気がしないでもなかったが、しかしこれも、球団秘書としての業務であるといわれれば、やらない訳にはいかない。
ラズィーヤが球団事務所を去った後、入れ替わるようにして崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が事務所のドアをくぐってきた。
球団広報主任として正式に就任した亜璃珠は、シーズンオフであっても忙しく立ち回らなければならない身分である。
差し当たって当面の業務は、今、亜璃珠が完成を目指している『ガルガンチュア広報・2021秋冬創刊号』の校正であろう。
大方の誌面は出来上がっているのだが、まだ細かい部分でのチェックが残っており、これが終わらないことには印刷所への手配が出来ないのである。
「あらぁ、亜璃珠さんおかえんなさい〜。ゲラ版見せてもらったけど、結構良い出来なんじゃない?」
千歳が出迎えると、亜璃珠はその美貌を苦笑の形に歪めた。
「いいえ、まだまだですわ。特にベテラン殿方の特集面は、もっとこう、過去の百合園には無い新鮮さを打ち出したいと思っておりますの」
亜璃珠がいうベテランとは、アレックス・ペタジーニとサルバトーレ・ウェイクフィールドの両名を指す。
誌面上とはいえ、男子禁制の百合園に於いて大人の男をクローズアップするというのは、そうそう巡りあえる機会はない。
更に亜璃珠は以下の内容を誌面に盛り込んでおり、球団広報誌にしては非常に充実したコンテンツとして、ラズィーヤからも大いに期待されている。
・新規層向けの野球解説(基本から応用まで)
・秋季キャンプ密着レポート
・ペタジーニとウェイクフィールドのインタビュー特集
・有望な若手選手達の練習風景と、技術的な解説
・前季成績や契約更改による報酬増減を元にした、他チームの注目選手レポート
・開幕『好カード』予想
・リリィガールズ特集(それぞれの自己紹介と、身体スペックや趣味等の情報)
ペタジーニとウェイクフィールドへの取材は崩城 理紗(くずしろ・りさ)が、そしてリリィガールズへの取材は崩城 ちび亜璃珠(くずしろ・ちびありす)がそれぞれ担当しており、いずれも『美少女インタビュアー』を名乗ってはいるが、そのインタビュー内容は広く浅く、様々な話題を網羅しており、単なる色物インタビュアーではない事実を雄弁に物語っていた。
そんな理紗とちび亜璃珠が亜璃珠に続いて球団事務所内に姿を現したが、丁度その時、サニーさんがラズィーヤのボケ台詞から立ち直り(?)、新たな獲物を探そうとしているところであった。
理沙とちび亜璃珠は、思わず顔を見合わせた。ふたりの顔に、嫌なタイミングに立ち会った、という後悔の念が浮かんでいるのがよく分かる。
「さぁ皆さんお待ちかね! 窓辺のマーガレット渾身のクイズコーナーでございますっ!」
あぁ始まった……球団事務所内の誰もが、諦めの念が滲み出る、深い深い溜息を漏らした。
「JR大阪環状線の天満駅には、かつてとっても面白い看板がございましたっ! それは、次のうち、どれでっしょぉっかぁー!」
突然どこからともなく、マンボのメロディーが大音量で流れ出し、サニーさんはひとり意味不明な踊りを披露し始める。最早、見慣れたくはないけど、誰もが見慣れてしまった不毛な光景であった。
やがてマンボのメロディーが終了し、バックコーラスによる締めの『ゥゥウッ!』というお決まりの唸り声が響くと同時に、サニーさんは右掌で七三分けを払い上げる例のキメポーズをビシっと決めた。
出題された面白い看板の三択は、以下の通り。
1.東側の駐輪場をご利用くだちい。
2.東側の駐輪場をご利用へださい。
3.東側の駐輪場をご利用くだっしゃい。
勿論、誰も分かる筈が無い。
だが幸いなことに、今日のサニーさんは機嫌がすこぶる良い。
誰もラズィーヤ程に気の利いたボケを放つことは出来なかったのだが、サニーさんは馬鹿笑いを残しつつ、そして正解もいわずに、球団事務所を猛スピードで立ち去っていってしまった。
助かった――その場に居る全員の安堵感が、何ともいえぬ奇妙な空気を作り出している。
「もう本当に……何とかならんか、あのおっさん」
ちび亜璃珠が心底嫌そうな表情を浮かべて、サニーさんが飛び出していった事務所のドアを、じっと凝視している。傍らで理紗も、酷く疲れた様子でパイプ椅子に腰を下ろしていた。
「私も……選手にインタビューしてる時の方が、よっぽど楽だよねぇ……」
恐らく今、上司にしたくない人物アンケートなどを実施したら、間違い無くサニーさんがトップに躍り出るだろう。
安堵感と疲労感がない交ぜになった球団事務所だが、かといって、呑気に手を休ませる訳にもいかない。
各職員達が気を取り直して、それぞれの業務に戻ろうとした時、不意に事務所のドアが開いた。
すわっ、またもやサニーさんかっ――事務所内に一瞬、殺気にも似た不穏な空気が流れたが、顔を出したのは全く似ても似つかぬ人物だった。
「あ、あの……何でございましょう?」
一斉に視線を浴びた為、つい怯えた表情で室内を見回した茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)だったが、相手が清音と知り、事務所内の誰もが警戒心を解いて、それぞれの業務に戻った。
出会い頭で一斉に視線を浴び、そして一斉に興味が失われたことで、自分の存在感の薄さに酷く落胆した気分に陥った清音ではあったが、しかし彼女とて遊びに来た訳ではない。
ひとまず気を取り直し、千歳の事務机の傍らへと歩を寄せる。
「あのぅ、ラズィーヤ様から球団発足記念パーティーのお手伝いを言い渡されてきたんですけど」
「あっ、そうなの? それは助かるわ」
清音と千歳のやり取りに聞き耳を立てていたイルマは、この時もラズィーヤの細やかな心配りに感動して、またもや卒倒しそうになっていた。
しかしイルマだけではなく、亜璃珠も球団発足記念パーティーというフレーズに、敏感に反応してきた。
「あら、そのような催し物があるんですの?」
「らしいわね。私もついさっき、開催担当をいい渡されたばかりだから、まだ何も分かってないんだけど」
幾分困った様子の千歳だが、亜璃珠は既に別の着想を得ていた。
即ち――。
「そのパーティーの様子も、広報に載せないといけませんわね……ふたりとも、パーティーに出席する準備ですわよ」
亜璃珠の指示を受けて、理紗とちび亜璃珠は幾分、嬉しそうに立ち上がる。
パーティーに出席するということは、美味なる料理を堪能出来る、という論法である。嬉しくない筈が無かった。
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