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リアクション
●イルミンスール:校長室
『夜分遅くに失礼致します。……何分、生きて帰れるか解りませんので、先に申し上げておきます』
「どうした、改まって。……申してみよ」
淡い光を放つ水晶の奥に映る、アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)の決意を秘めた眼差しを受けて、一人校長室にて指示を飛ばしていたアーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)が話の続きを促す。
『司馬先生によれば、今回のような戦力差では拠点に固執するのは下策。町を放棄し敵を一気に前進させ敵の補給線を引き伸ばし、それが限界点に達した所で総攻撃をかけ撤退に追い込むのが上策とのことです。
もし万が一の時は、精霊塔の機能にロックをかけた上で、物資を全て引き上げ後退してください。それまでは、この命に代えましても敵の足を止めて見せましょう。
……何、最低でもミーミルの逃げる時間くらいは稼いでみせますよ』
彼のパートナーの意見を口にするアルツールは、イルミンスールとイナテミスの教師として、生徒や住民の安全を第一に考えると同時に、エリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)と共に精霊指定都市イナテミスにいるミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)、大切な“娘”のことも案じていた。
アーデルハイトもそのことは察しつつ、イルミンスールを束ねる者として意見を発する。
「……確かに、おまえの策は有用であると言えるじゃろう。
しかし、その策を実行するにはちと、こちらの練度が足りぬ。誰もがおまえのように叡智を有しておるわけではなかろう。
それに、戦闘・戦術・戦略の立案、遂行能力は、長らく軍という組織を維持してきたあちらの方が上じゃ。策を看破されでもすれば、敵にみすみす良質な拠点を献上することになりかねんよ」
エリュシオンは少なくとも五千年の間、軍組織を維持してきた(規模の大小はあっただろうが、途切れさせはしなかったと推測できる)。となれば、戦闘・戦略・戦術面において相当のノウハウが蓄えられていると推測できる。
アルツールの策を見破ること、それに対応した行動計画を立案することは、十分に可能と判断されるだろう。
また、生徒や住民たちの中には、撤退し、拠点を明け渡すことに抵抗を覚える者がいるだろう。
最終的には自らの居場所を守ることになる策(ここでは一旦撤退して相手の油断を誘い、然る後に総攻撃をかけて拠点を取り戻す)も、その意図を正しく理解されなければ、愚策と化す。
「拠点に固執することの愚は理解しておる。維持できぬのであれば早々に放棄し、無駄な戦力の喪失を防ぐ。それは分かっておる。
……しかし同時に、拠点をみすみす放棄すれば、生徒や住民の士気をも喪失させかねん。拠点が、生徒や住民の手で作り上げられたものとなれば、なおのことじゃ。
おまえの言う上策と、生徒や住民の感情、秤にかけて比べられるものでもないが、此度は後者を取った。……せっかくの意見、すまぬの。無論、イナテミスの住民の安全は最大限確保することに努めよう」
アルツールとの通信を終え、ふぅ、と息を吐くアーデルハイトの耳に、扉を叩く音が届く。
「失礼します、大ババ様」
扉を開けて中に入ってきたのは、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)であった。
「なんじゃ、まだ発っておらんかったのか」
「いえ、自分がここへ来たのには理由があります。
大ババ様、どうか自分に大ババ様の補佐を任せて頂けませんか」
ウィール支城、もしくは雪だるま王国への出撃を促すようなアーデルハイトの視線に反して、ザカコが自らの意見を口にする。
「お叱りは覚悟の上です。今回の戦いではイナテミスの防衛が第一なのも、重々理解しています。
ですが、校長が直接イナテミスに出ているのを見られれば、敵がこちらを狙う可能性も十分にありえます。
大ババ様程であれば、そうなったとしてもテレポートで対応可能かとは思います。ですが、校長の様に影響力の大きい方が無闇に戦場を移動するのは士気に関わります。
故に、最低限の戦力は残しておくべきかと。それに、敵がこちらに来なかったとしても、大ババ様一人でここでの情報の整理、判断、指示を行うのは大変だと思います」
イナテミス中心部では、【ミスティルテイン騎士団】および【アルマゲスト】の者たちが情報ネットワークを構築し、戦況の把握と対策に努める手筈が整おうとしている。よって、アーデルハイトが中心とならずとも、戦闘・戦術・戦略の立案、遂行に支障はない。
が、ザカコの言う可能性を否定は出来ない。また、イナテミス同様にイルミンスールも、その内部に非戦闘員を多く抱えている。
防衛計画に変更が生じた際、より迅速な判断を下すためには、ある程度の人員は必要であろう。
「むぅ……そこまで言われては、私としても無下に断れんよ。
よかろう、おまえの力、私に貸してくれ」
「ありがとうございます、大ババ様」
「大ババ様言うでないっ」
魔法のゲンコツ(多少は小さかった)を食らいつつ、ザカコがアーデルハイトの補佐に入る。イナテミス各地と現在の状況を交信しつつ、二人は明日以降の戦闘方針について意見を交わし合う。
「イコンの整備はどうしますか? 確か、戦闘時の稼働時間はもって二時間とか」
「うむ。イルミンスールをウィール支城に近付ける案も検討したが、それは戦場に母艦を近付けるようなものじゃからのう。
よって、臨時の送魔線を張ることにした。一日やそこらは機能するはずじゃ。しかし、ある程度の損傷は魔力消費で回復出来るが、それ以上の損害はイルミンスールに戻らねば治療出来ぬな。運用には注意するよう伝達しておこう」
これにより、応急処置であればイルミンスールに戻らずとも、ウィール支城で賄えるようになるとのことであった。
「本気で攻めてくる敵を相手にする以上、情けをかけている余裕はありません。敵本隊の戦力は未知数で、第一波を防ぎきれるかも不明な状況で防衛側の方針がずれていては、命取りになります」
垂れ幕に映し出された周辺図を示して、ザカコが口にする。現時点で判明しているのは、雪だるま王国に向かっている歩兵部隊が五、六〇〇、その奥に一〇〇から二〇〇の竜兵、せいぜいこの程度であった。
「うむ……大陸随一の軍事力を誇るエリュシオン、まさか一龍騎士団がその程度の兵力ではあるまいな。奥にこの数倍から十数倍の兵力を控えさせていると見てよいじゃろう」
頷くアーデルハイトへザカコが、知り得た情報を元に今後の方針について意見する。
「一部の生徒の間で、『犠牲者ゼロ』を理念に掲げる動きが広まっているそうです。
……無論、殺せと言う訳ではありませんが、自分は、『犠牲者ゼロ』と言う考えは甘いと思います。もし大勢の命を預かる指揮者がその様な事を言えば、戦場が混乱してしまいます。
自分は、無駄な犠牲を防ぐ為にも、大ババ様からの指示と言う名目で、各地へと基本的な方針を伝達しておくべきかと思います」
ザカコの言葉に、アーデルハイトは腕を組んでううむ、と唸り、口を開く。
「フレデリカの方から、戦闘開始前に生徒たちに向けて演説をしてくれ、と頼まれとったな。
……のう、一つ確認するが、おまえは本当に、『犠牲者ゼロ』という理念がただの甘さだと思っておるのか?」
何を、といった表情を浮かべたザカコの、眉間を射抜くようにアーデルハイトの指が突き出される。
「ここで私がほんの少し魔力を開放しただけで、私はおまえを殺せる。
じゃが、この距離じゃ。もしやすればおまえはその自慢のカタールを抜き、私に殺される前に私を殺せるやもしれぬ。
おまえだけでなく、イルミンスールの生徒は誰しも、その気になれば人の一人や二人、いとも簡単に殺せる」
スッ、と手を降ろし、アーデルハイトが立ち上がり、振り返る格好でザカコに告げる。
「『犠牲者ゼロ』の理念は、自らをも含んでいるはずじゃ。
自らが殺されず、かつ相手を殺さず、そして戦いに勝利する。これは甘えなどではない、いわば自らに課す試練じゃ。
……無論、『犠牲者ゼロ』を掲げる者が、果たしてどのような思いでそれを口にしているのかは、私にも分からぬ。
ただ殺したくない、という思いはおまえの言うように、甘さじゃな。
じゃが、私は生徒を預かる者として、決して生徒がただ甘えだけで『犠牲者ゼロ』を理念に掲げているのではないと信じてやらねばならん。イルミンスールの生徒が皆、ここやイナテミスを守るために力を尽くしているのだと、信じてやらねばならん」
その言葉は、どこか、アーデルハイト個人の願望にも聞こえた。
ニーズヘッグ襲撃の際、一人のイルミンスール生徒の行動がエリザベートを危険に晒し、尊い犠牲が払われかねなかったことを、アーデルハイトは忘れていない。
「……私の思い違いであったら、すまぬな。私からは『犠牲者ゼロ』を推奨するでも、非難するでもない。ただ、おまえたちの居場所を守れ、と伝えておこう。
さて……私はアルマインの整備基地を見てくる。さっき言った送魔線を張る作業もあるしな。
しばしの間、ここのことは頼むぞ」
呆然とするザカコに校長室を任せ、アーデルハイトはテレポートでアルマインの整備基地へと向かった――。
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