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リアクション
置き畳の上をきゅ、きゅ、と足袋が踏んでいく。
度会 鈴鹿(わたらい・すずか)は端に置かれた座卓の前に白百合会有志の姿を見付けて、声を掛けた。
「こちら、差し入れです、宜しければどうぞ召し上がってください」
鈴鹿は抱いていた大きな風呂敷包みを座卓の上に置いて風呂敷を解く。中から出てきた黒塗りのお重の蓋を外すと、練り切りでできた松と紅白の梅が満開に咲いていた。
「まあ、これはご自分で?」
「はい。たまきさんにも手伝っていただきました」
鈴鹿は二、三歩後ろに立っていた鬼城 珠寿姫(きじょうの・すずひめ)を振り返る。
鈴鹿の背中越しに重箱の中身を見た珠寿姫は眉を潜めていた。
(む、形があまり綺麗でない和菓子は、私の作ったものだな……。こういうものは慣れん…料理上手の鈴鹿殿から学ばねば)
「和菓子がお好きでない方には、洋菓子もありますよ」
珠寿姫の隣から織部 イル(おりべ・いる)がケーキボックスを差し出した。
「ここはヴァイシャリーを訪れた際に、妾が必ず立ち寄る洋菓子店でな。中でもチーズケーキとガトーショコラが絶品での。どれ、周りの方々にもこの味をお裾分けせねば……とな」
「素敵な差し入れをありがとうございます。それでは、幾つかのテーブルに置いて皆様にご自由に取っていただきましょうか」
「私も手伝います。……イル様とたまきさんはどうぞくつろいでいてくださいね」
鈴鹿が申し出て和菓子やケーキを配っていった。途中、空になったカップや湯呑にはお茶を注いでいく。そうして空いたお皿を下げなどしていると、あっという間に時間は過ぎていってしまった。
やがて時計の針が一周ばかりしたころ、空になった重箱を持って歩いていた鈴鹿に、イルが声を掛けた。
「いい加減に休んだらどうじゃ? それでは普段と変わらんじゃろう?」
「つい体が動いてしまうんですよね……」
困ったように笑ってから、鈴鹿はイルたちのいるこたつに入ったが、イルは入れ替わりに立ち上がった。
「ほれ、そなたの分の食事も取っておいたぞ。妾はデザートを取ってくるからの、ちょっと待っておれ」
イルを見送った鈴鹿が静かになったこたつで、食事を簡単に済ませてそのままお茶をすすっていると……、
「今宵は大鋸殿をお誘いしなくて良かったのか?」
珠寿姫が小さく発した言葉に、鈴鹿は思わずむせて、けほんけほんと咳き込んだ。珠寿姫は鈴鹿の背を軽く擦り、済まぬと謝る。
「だ、大鋸さんだってお忙しいでしょうし……」
口元を拭った鈴鹿はそれだけ言って息を整えると、それに……と呟いて、湯呑を持つ手元に視線を落とした。
「今日はあの子が生まれた日なんです……。せめて、生まれた時間帯くらいは、穏やかにあの子の幸せだけを願って過ごしたいのです」
あの子──鈴鹿がマホロバ先代将軍の御花実であった頃に生んだ子供。
(一度の失敗により手を離す事になってしまい、二度と会わぬと大奥を去った後もあの子の事は片時も忘れた事はありませんでしたが……。
今どのように過ごしているか、健やかに成長しているか、辛く思う事はないか……。
私の事を恨んでいるか、それとももう忘れてしまったか……)
鈴鹿の、飲みかけの湯呑を持つ手に力が入る。
揺れる水面に子の顔が浮かぶ。それは昔の顔であって──今はどんな表情に顔になっているのか、彼女は知らない。どんな表情になるかも知る事は無いだろう。
正確には──そう、見ている筈なのだが、それを彼女は知らない。
「あの子はどんな年末を……、何を思って過ごしているのでしょう」
珠寿姫はそんな彼女の表情に、思う。
(……確かに何故傍にいてくれぬのかと、朧な面影を浮かべて恨む事もあった。だが、母の想いを知った今は……。
例え名乗りを上げる事はなくとも、私はここにいます。己の時代に帰る方法が見付かるその時まで、あなたを守る)
「案ずる事はない、鈴鹿殿の想いはきっと……姫君にも届いています」
声を上ずらせないよう気を付けて、言葉を紡ぐ。
鈴鹿は「たまきさん、ありがとうございます」と穏やかに微笑んだ。
──それからすぐに、イルが戻って来た。大きなお皿の上には幾つもの色とりどりのお菓子をちょっとずつ取ってきたのを置いて、
「待たせたな。これは来賓の方に頂いたチョコレートで、こちらはあられで……」
と説明しながら、もう一つ、珠寿姫の前にミニサイズのデコレーションケーキを置いた。どこか誕生日ケーキを思わせる外観だ。
驚いて声を詰まらせる珠寿姫にイルは目配せすると、何事か理解できていない様子の鈴鹿に、
「たまき殿も明倫館に編入して、無事年越しを迎えた故な。頑張ったご褒美じゃ」
「──ありがとう。来年もよろしく頼む」
イルと鈴鹿に頭を下げる珠寿姫に、
「たまきさん、来年もよろしくお願いしますね」と、鈴鹿も頭を下げる。
「……そうだな、イル殿も鈴鹿殿も食べないか。ご褒美と言っても、一人には多い」
珠寿姫が感情を悟られぬように早口で言うのを、イルはそれを孫を見るような優しい眼差しを注ぎながら、
「それじゃあ御相伴にあずかろうか。妾が紅茶を煎れよう。鈴鹿、取り分けてくれんかの。そうそう、その苺の大きいのはちゃんとたまきにやるんだぞ」
「はい」
三人はケーキを食べながら、ゆっくりとした年越しを過ごしたのだった……。