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リアクション
白百合会の年越し
その頃、調理室に一人の少女がお盆を持って訪れていた。
「皆さん、お疲れ様です」
橘 舞(たちばな・まい)は、百合園の生徒達にお盆を差し出した。その上には小さめのおにぎりたちがちょこんと並んでいた。
「あまり料理が得意じゃないので、こんなものですが。宜しければ召し上がってください」
「ありがとうございます、助かりました。……宜しければあちらにお願いできますか?」
琴理が示したテーブルに舞が置くと、白百合会役員をはじめとしたお手伝いの生徒達が小さな歓声を上げて、次々におにぎりを手にした。
「皆さん作ってばかりで、食事をする時間もなかったものですから」
時計を見上げて琴理が言うと舞も大分鋭角的になった針の傾きを眺めて、
「琴理さんも、食事を抜かないでくださいね。新年には挨拶もあるでしょうし。それにしても……今年ももう終わりですね。何だか早いです」
「そうですね」
少ししみじみしかけた場だったが、舞の背後から物騒な呟きが聞こえてきた。
「カエルの姿焼きの方が美味しいのに……何で止めるのよ……」
舞のパートナー・ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が小声でぶつくさ言っている。
「……それは、止めて正解ですね」
「ですよね。さすがに年の初めから見るのは、ちょっとインパクトありすぎですからね」
(それに、ブリジットに作らせると……その……いろいろ創作が行きすぎて、ちょっと人が口にするには不向きなものが出来てしまいますからね。……特に味が)
頷いた舞は、ふと調理台のあいだを歩き回っている会長アナスタシアに気が付いた。
「そういえば、会長も試食ですか」
「そうなんです」
「さっき料理作ったことないと言ってましたからね。賢明な人選です。……えっと、グッジョブ、琴理さん」
舞がこっそり言えば、琴理は微笑んだ。琴理とアナスタシアはパートナーの間柄ではないし、舞よりも性格的にきつかったが、何となく共感するものがあったらしい。
「──ブリジット。アナスタシアさんも一人で全品試食するのも大変でしょうし、少し手伝ってあげればいいと思うんです。
アナスタシアさんも舌は確かだと思いますけど、ブリジットの舌は肥えてますから、試食役には適任ですよ」
舞が声を掛けると、ブリジットは頷いてアナスタシアの方へすたすたと歩いていった。途中、舞の心にに張り合うんじゃないかという一抹の不安がよぎり、背中に念を押す。
「あと、試食ですよ、大食い競争とか早食い競争とかじゃないですからね」
「……分かってるわよ」
分かって無さげな顔で返答すると、ブリジットはアナスタシアの前に立った。
「まぁ、それはともかく、すごく気になることがあるんだけど、アナスタシア。あんた、生徒会長のくせになんでつまみ食いばっかりしてるのよ、少しは……」
つい非難が口をついて出たブリジットだったが、ふっと笑って首を振る。何故かその横顔には余裕のようなものが漂っていた。
「いや、今のは忘れてちょうだい。気にすることはないの。
私達が料理しちゃうとお抱え料理人が失業しちゃうもの。言い換えれば私たちは彼等の生活を守っているようなものよね」
「そうですわね。それが何か?」
アナスタシアは至極当然、何が言いたいのか、といった風に首を傾げた。
その顔をブリジットは挑戦的に見据える。
「そういう訳だから、テイスティング、私も手伝ってあげるわ。
なぜ? 万が一にも、調理した生徒会の権威が年始から失墜しないようにっていう親切心よ、他意はないわ」
……。
「他意以外の何物でもないじゃないですのっ!」
アナスタシアは思わず全力で突っ込んだが、ブリジットはさっさと調理をしている生徒に「貸して」と言って味見用の小皿とお玉を奪い取った。
「ふむ、これは……本場千葉産のソイソースを使っているわね」
わざとドヤ顔で適当を言ってみるブリジット。それを舞は心配そうに見ている。
(アナスタシアさんは変な挑発には乗らないとは思いますけど……たぶん……)
……と。見事に挑発に乗ったアナスタシアは手を口元に当てて高笑いでもするようなポーズで。
「……ふっ、この私に勝とうなんて百年早いですわ! ……ふふっ、これはエリュシオン産の林檎を使ったスープですわね!」
「あら、自分の国の何て判って当然じゃないの?」
「何ですって?」
「じゃあこのお雑煮を試食してみて。まさか分らない、なんて言わないわよね」
(……一応万が一の為に……えっと掃除機はどこにありましたかねぇ……)
舞の胸に一抹の不安が過った。周囲を見回すと、隅っこの台の上に、ぴかぴかに磨き上げられた新品の掃除機が鎮座していた。
「会長だけのため、というわけではないんですよ」
そんな舞に、会長も含まれるんだなぁという事を琴理は言っておいて、苦笑した。
「ブリジット、アナスタシアさん。おもちは粘りますから、少しずつ食べてくださいね」
舞はアドバイスを遠くの二人に投げたが、聞こえていないようだ。
──1時間後。
やがてエスカレートした、二人は荒い息を整えながら椅子に腰掛けていた。
「しょ、勝負は一休みですわ」
よろよろ立ち上がるアナスタシアに、ブリジットがなおも挑発する。そう言う彼女もお腹いっぱいで動きたくないのだけれど。
「何、逃げるの?」
「違いますわ! ……私……お花を摘みに……行ってきますわ。明るいから大丈夫ですし……」
「何、暗いのが怖いの? もしかしてオバケ?」
「なっ、なっ……何てこと仰るの!」
顔を赤らめるアナスタシア──図星だ。
ブリジットの目に、何か面白いおもちゃを見付けたような光が差した時だった。
「ねーねー、そろそろ挨拶に行く時間だけど、動ける?」
白百合会の副会長・鳥丘 ヨル(とりおか・よる)がホールから元気よく調理場に顔を出した。
お腹に手を当ててさすっている二人を交互に見てから、アナスタシアに向かって首をひねる。
「もしかして、お腹いっぱいで無理そう?」
「い、いえ……行きますわよ。勿論ですわ。生徒会長たるものこれくらいのこと、で……」
すっく、だが強がりと分かる口調で立ち上がったアナスタシアにヨルが真顔で、
「あ、口の周りに何かついてるよ」
「え、ええっ?」
ぱっと口元にハンカチを当てるアナスタシア。それをヨルはさらっと、
「……嘘だけど」
「からかわないでくださいません?」
まぁヨルさんのことですから、私の緊張を解くための軽い冗句でしょうけど、などと一人で勝手に納得してしまうアナスタシア。それをヨルは、そんなんじゃないけどと思いながら、本題に移ることにした。
「えーと、賓客へのご挨拶回りに行くんだよね。それで贈り物にユリのミニブーケを添えたいなって。あ、もう、用意はしてあるんだけど……」
ヨルはごそごそと、手に持っていた袋の中からリボンで結ばれた小さなブーケを取り出した。手のひらに収まるサイズのブーケに、ちょこんと小さな百合が咲いている。
「これ、日本で開発されたミニサイズのユリなんだ。ほらこんな風にあまりかさばらないし、かわいいと思うんだけど、どうかな?」
「それはいい考えですわね」
感心したようにアナスタシアは頷いた。
「それにしても意外でしたわね、ヨルさんがお花や可愛いものが好きだなんて」
くせっ毛に少年っぽい口調のヨルは、結構大雑把に見えるのだ。意外に細かいところに気が付くこと、配慮が出来ることをアナスタシアは知っていたが、可愛い物好きだとは。
「百合園っていったら百合だしね。百合園はヴァイシャリーの人達がいてこその学校だから、これからも仲良くやっていきたいな、って思って」
「そうですわね」
「……ところでアナスタシア、ヴァイシャリーの有力者が集まってるのは、探偵団を知ってもらうチャンスだと思わない?」
深く頷いたアナスタシアが顔を上げると、悪戯っぽい表情を浮かべたヨルの顔があった。
「学園祭の迷子センターもいいけど、たまには本格的な依頼が来るかもよ」
「そうしたいところですけど、今日は生徒会長としての立場ですから、それはまた地道に活動いたしますわ。
その──“本格的”な依頼には興味がありますけれど」
アナスタシアには、それが何を意味するのか本当に分かっているのかいないのか、物騒なことを言った。
ヨルはだから、と続ける。こちらも探偵団に参加するつもりがあるのかないのか。
「だから、高飛車な態度はひかえてね」
(……って言っても、あれが地だから難しいかな)
「高飛車? 私は自然体ですわよ?」
全く悪びれていないアナスタシアに、一応お嬢様だから最低限の礼儀と品はありそうだけど、もしあんまり上から目線だったら誤魔化して退場してしまおうと、ヨルは決めた。