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リアクション
41.失われることなき、灯火
折角なので、夏らしい気分を出して行こうと、黒崎 天音(くろさき・あまね)は黒地に蜻蛉柄の浴衣に、鮮やかな花火柄の風呂敷包みを持って、収監中のオリヴィエ博士を訪ねた。
「博士、こんにちは。すっかり暑くなってきたけど、調子はどう?」
道中が暑かったので、天音は右手に、朝顔が描かれた団扇を持って扇いでいる。
「まあ、暑いけれどね。いつもの年よりはずっといいね。
この建物は、空調というものがあるようで」
「ああ、確かに……」
ひんやり、という状態でもなく、無いよりはマシ程度ではあるが、これまで文明の利器と関わらずに生活していたオリヴィエには、充分な涼しさであるようだ。
「元気そうならよかった」
天音は微笑んだ。
「それは、君の国の民族衣装かい?」
いつもと違う装いを見て、訊ねたオリヴィエに、天音は頷く。
「女の子用の浴衣は、柄も色も可愛いよ。ハルカの浴衣姿も可愛いだろうね」
そう言って、天音は風呂敷包みをテーブルの上に置いた。
「今日は、ちょっと冷たいものの差し入れ。
本当はスイカとかが夏っぽくて良いなと思ったんだけど、
『美味いスイカの見極めは、一朝一夕にできるものではない! 我も行くぞ……うっゲホゲホッ!』
と騒がれたから、誰が買っても味の変わらない、市販のアイスとプリンなんだけどね」
風邪で寝込んでいるパートナーの口ぶりを物真似する天音に、成る程、とオリヴィエもくすくす笑う。
更に彼が見たら熱が上がるのではという話だが、天音自らアイスティーを用意して、天音は風呂敷包みを開いた。
「少し足をのばして、海京名物の抹茶アイスも買って来たんだけど、抹茶と今うちでブームな、極上プリンを凍らせた……」
するり、と、風呂敷から金魚が滑り出た。
ゴーレム製の金魚で、空中を泳ぐものだ。
去年天音に贈られた同様のそれが、今もオリヴィエの周囲を泳いでいる。
天音の金魚とフイッと寄り添い、ひらひらと涼しげに泳ぐ様は、まるで踊っているようにも見えた。
「二匹いるとこんなこともするんだねぇ……博士、どっちにする?」
優雅なダンスに微笑みながら、天音はアイスを勧めた。
今回、天音が用意した土産は、もうひとつあった。
アイスが食べ終わる頃、天音は監視の騎士に照明を落として欲しいと頼む。
面会の許可を取る際に、この件についても許可を得ていた。
「何だい?」
「プラネタリアームなんだけど、映像を差し替えてあってね」
暗くなった室内で、天音はスイッチを入れる。
再現されたのは、星空ではなく、ニルヴァーナの涅槃蛍。
蛍の淡い光が、天井の高い工房外の室内の壁や天井に瞬き、ふわりふわりと立体映像のように二人の周りをたゆたう。
「日本でも、夏には蛍を見に行ったりするんだよ」
故郷の夏の風景を、伝えられたらと思った。
少しでも、楽しんでくれると良いのだけれど。
オリヴィエは、椅子に深く腰掛けて、その光景を見上げていた。
やがて映像が終わり、再び照明が点いても、オリヴィエは、じっと黙して動かない。
虚空を見上げたままのオリヴィエに、天音は首を傾げた。
「……博士?」
「……世界が、美しいことを、忘れたことなどなかったよ」
視線はそのまま、オリヴィエは、呟くように言う。
「人が強くて優しいことも」
時の流れに寂しく取り残された後も、彼は世界を、人を愛した。
それでも、彼の目はすっかり曇ってしまっていて、全ては色褪せたようにしか映さなくなっていた。
――あの日までは。
オリヴィエは、視線を戻して天音を見、微笑む。
「ありがとう」
一度は滅び、息を吹き返して、復活しつつある世界、ニルヴァーナ。
かそけく、けれども消えることのない、それは未来へ導く灯火のような光だった。