|
|
リアクション
●イルミンスール:校長室
ジャタの森では、契約者と魔族との激しい戦いが繰り広げられていた。クリフォト内部でもやはり、同様に。
……そして、イルミンスール魔法学校、校長室でも、契約者同士のある意味で激しい戦いが繰り広げられていた――。
「……なるほど、お話は聞かせてもらいました。
失礼ながら校長、今すぐあなた自身の手でメニエス・レインを逮捕・拘束するべきです」
「さもなければ、イルミンスールは滅亡します!」
エリザベートから委細を聞いた宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)、そして同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)が、一段下がった位置に立つメニエス・レイン(めにえす・れいん)を指して言葉を発する。残念ながら「な、なんだってー!!」の合いの手は出てこなかったが。
「御存知の通り、そこに教頭として赴任してきたメニエスという人物は、鏖殺寺院メンバーとして凶行を繰り返し、各校と衝突し続けてきました。
それだけでも問題である所へ、さらにカナンでも敵対行為を行っています。そんな人物を教頭として校長が認めてしまえば、校長自身が分別や善悪観を疑われ、罪に問われるでしょう。犯人蔵匿罪、御存知ですか?」
「……犯人を匿う、もしくは証拠を隠滅したりして、国家……今の場合はシャンバラ王国ですね、その刑事司法作用を阻害する犯罪のことです」
問われ、視線で助けを求めるエリザベートに対し、ルーレン・ザンスカール(るーれん・ざんすかーる)が耳元に口を近付けて説明する。
「今イルミンスールは、ザナドゥ……魔族との生存をかけた“競争”の渦中にあるはずです。
それだけに校長には、強力な決断力とリーダーシップが求められます。『ダメなものはダメ』と、はっきり言わなくてはなりません。
……既に名目は十分立っています。たとえEMUがイルミンスールに対して絶大な影響力を持っていたとしても、それは平時のこと。今は緊急事態であり、そして判断を誤ったのは、EMUの方なのです」
「……お待ち下さい。今あなたの仰ることが全てその通りだとしても、イルミンスールの方からEMUの意思決定に反することは、両者の関係を致命的に悪化させます。万が一EMUがイルミンスールに牙を剥けば、無用な戦いが起きてしまいます」
「では、このまま隠匿すると? そうなれば今度はシャンバラ政府がイルミンスールに牙を剥くかもしれないわよ。
凶悪犯を匿った、“諸悪の根源”として」
暴言と取られるかもしれないが、シャンバラ政府が今のイルミンスールを“潰し”、“引き込んで”しまえば、シャンバラの特に外に影響力を示せるだろう。他国は今は崩れつつあるとはいえ、世界樹と国家神が一所に集まっている。もはや狂言レベルだが、どうもお飾り状態のシャンバラ政府がイルミンスールの危機に付け入ろうとしている、と見ることも出来る。……まあ実際の所は、『いやいや、犯罪者を要職に据えるなんておかしいでしょ』と言うだけだろう。
とはいえ引き渡せば、今度はEMUから『イルミンスールはEMUを裏切ろうとしている』と見られてしまう。この時シャンバラ政府が、『そうじゃないよ、犯罪者を要職に据えてたら、イルミンスールが立場上マズイことになるから言ってるんだよ』ととりなせばよいのだが、シャンバラ政府は、学校内の出来事は各学校内での処理を、と求めている。
どれもこれも可能性でしかないが、全て否定出来ないが故に、イルミンスールは方針を示せない。……そしてその『手が出せない』状態はイルミンスールを“敵”とする者にとって、最も望ましい状態であった。手を出されても困るし、かといって滅亡されても困るのだから。
「まあまあ、個人で言い争っても仕方ありません。
たとえ要職者であっても、EMUからの推挙であったとしても、シャンバラ王国が法治国家であるなら、“犯罪者”を捕らえることは可能です。
今はこのことを国軍、警察に通報し、様子見をするべきです。事を起こすのは国軍や警察が来た後。公的権力のお手伝い、という大義名分があれば、大手を振ってメニエス教頭に暴力を振るえます。事情が判明すれば、ホーリーアスティン騎士団に任命責任を問うことも出来るでしょう。まさかミスティルテイン騎士団に彼女が認められるはずありませんから、彼女を推挙したのはホーリーアスティン騎士団以外にない。蹴落とすのに十分な要素ですな」
ルーレンと祥子の間で不穏な空気が漂いかけているのを、クロセル・ラインツァート(くろせる・らいんつぁーと)が間に入ってとりなす。クロセルの読み通り、シャンバラ政府がメニエスに対し、手出しできないという理由はない。おそらくシャンバラ政府は、メニエスを逮捕出来るだろう。問題は、逮捕しておしまい、で話が終わらないと思われる点である。むしろイルミンスールが自ら『犯罪者を差し出します』とした方が、シャンバラ政府はそれ以上何も言えず、あっさり話が終わる。うっかり国軍に話を持っていったばっかりに、話が長くなる・こんがらがる・えらいことになる、かもしれない。イルミンスールから見ればシャンバラ政府は“上”だから、上がちゃんとしろと訴えるのはまあ、道理である。……しかし“上”は“神”ではない。何らかの指向性を持ってしまっている。少なくとも表向きは全ての者に平等、と訴えているが、裏では特定の団体に恵みを与えるようになっている。ちゃんとしろと訴えたら首を取られた(あるいは切られた)、は、あり得る。
……色々と長くなったが、祥子の主張はまとめるなら『イルミンスールの判断でメニエスを逮捕する』、クロセルの主張は『シャンバラ政府にメニエスを逮捕させる』となる。
(……あちらを立てればこちらが立たず、ですわね)
エリザベートの隣で密かに息を吐くルーレンは、事前にアルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)と交わしたやり取りを思い返す――。
「これから起こりうる最悪の事態について、我々は対処出来るようにならねばならない」
別室に集まってもらったルーレン、ミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)とヴィオラ、ネラの前で、司馬懿 仲達(しばい・ちゅうたつ)を背後に、『最悪の事態に備えさせる』心積もりのアルツールが切り出す。全員が一度に校長室を離れては怪しまれるので、フィリップ・ベレッタ(ふぃりっぷ・べれった)は校長室に控えている。
「最悪の事態、とは何でしょう、お父さん?」
「……考えられるのは、イルミンスールの自治権剥奪、校長の権力剥奪だろう。
これらについては、跳ね返せる策はあるにはある。しかし、策を実行するのは校長でなければ、『校長は権力のないお飾り』とみなされ、結局意味がなくなる。故に策は校長に授け、校長自身が実行してもらわねばならないが、まだ校長は9歳……腹芸は難しかろう。もし出来たとしても、心に深い傷を負うのは間違いない。さらにこのことで、王国内に大きな亀裂が生まれることも予想される。
しかし、このまま一連の騒動が落ち着かなければ、いずれ校長はお飾りにされてしまうだろう。どちらの結末も、校長には酷だ。
できれば、そういう事態が訪れる前にけりが付いてくれれば良いが……」
以上のように話すアルツールの“策”とはつまり、
・そもそも各学校にあったのは自治権ではなく、政府からの行動の黙認であることを主張する
・ありもしない自治権を持ち出すとは何事かと批難、もし介入が行われたとしても、責任の所在をシャンバラ政府とし、イルミンスールには責任を負わせない旨、約束を取り付けてしまう
であり、成功すればイルミンスールは“保険”を手に入れることになり、最低でも時間を稼ぐことは出来る。
「んなことしたら、うちらとっても憎まれそうやなぁ。筋は通っとるんやけどな」
「ああ……お母さんには、辛いな」
その点は理解したネラとヴィオラが、心配そうな表情で頷く。この策を実行することで、多くの者が『イルミンスールは何だ』という印象を抱くだろう。『嫌われるのを嫌う』エリザベートにとって、嫌われるのを承知すること自体が厳しい。
「ワシの見立てでは、軍事的には、ザナドゥに押し切られるということはあるまい。イナテミスへの備えも進んでいる、他の地でも対策が為されている。初動では不覚を取ったが、時間を稼げば膠着状態には持っていける。
それよりも問題は、政治だ。アルツール君の言うように、政府にも泣き所はあるから、押し切られる事はあるまいが……」
仲達が、懸念を口にする。もしかしたら人間は、彼が英知を振るっていた頃と何ら変わらないのかもしれない。それでも仲達は、合法非合法問わず、ではなく、一歩進んだ解決方法を見出して欲しい、と思っていた。故に表舞台に出ることはせず、せいぜいこうして口を挟むに留めていた。
「皆には、冷静な対応をしてもらいたい。特に娘達よ……校長がショックを受けた時には、支えてあげてくれ」
言ってアルツールが、深々と頭を下げる。まるで自らの無力を恥じるように。
「分かりました、出来るだけやってみます」
アルツールの思いを知ってか知らずか、ミーミルが真剣な表情で応える――。