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エデンのゴッドファーザー(後編)

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エデンのゴッドファーザー(後編)

リアクション

 ホテルの屋上へ続く階段を登る前である――。
 ベレッタは待っていた。
 誰をとは言わずもがな、遊べる相手をである。


「美羽、コハク――お願いできる?」
 ポーカーのテーブルに座るアンジェリカは、代わりにプレイすることでも、チップを得ることでもないお願いを2人にした。
「ベレッタ……」
「僕はマルコ……」
 2人は互いに眼だけを流し見合って、ゆっくりと影を下ろした。
 誰にも見えない影――2人合わせて4つのフラワシはすっと地面を舐める様に滑っていき、マフィアのボスだけで密談するテーブルへ辿り着いた。
 まるでタチの悪い盗聴、盗撮である。
 だが、鍵を得て父親の役に立ちたいと思う無垢なアンジェリカの頼みをどうして断れようか――。
「ベレッタさん綺麗……。傷も目立つのにどうしてこんなに綺麗なお姉さんなんだろ」
「うう……こっちはなんか臭ってきそうな感じで……」
 美羽のフラワシが、思いもかけず鍵を見つけた。
 ハート・マークが取っ手に刻印された銀色の鍵は、彼女の豊満な胸の谷間に挟まっていた。
「――ッ」
 これではフラワシを使って強奪できないのだが、それよりも、ベレッタが見えることのないフラワシの辺りをじっと凝視しているのだ。
 葉巻をふかしながら、顎を上に向けてふんぞる大胆不敵な体勢のまま、視線だけが何もない虚空を見る。
 威圧――。
 圧倒的な威圧――。
 契約者である自分が一マフィアのボスに後ずさるほどの威圧――。
「大変だ……。こっちはダイヤの鍵が溢れてる――」
 マルコはいくつものダイヤの鍵を持ち合わせており、彼は気に入った女全てに1つダイヤの鍵を預けているのだ。
 本物と贋作の区別をつけなければ、マルコとマルコに関わる全ての女から奪う労力が必要となる。
「ベレッタを倒せば……きっと鍵が手に入るよ。ううん、こっちは偽物なんかじゃない。彼女の性格と強さなら、倒せば渡す潔さがある……」
「マルコはダメだ。僕達じゃ区別がつかない。持っている人から1つずつ奪っていくか、ダイヤの鍵では金庫が空かないと願わないと――」
 ハートとダイヤの鍵の目星はついた。
 あとは、どう奪うか――。
 そして、その鍵で金庫が空くのか――。


 ロッソの娘アンジェリカは、殺気看破でホテルの中で安全が確保される位置を見つけては、数分置きに居場所を変えていた。
 父の仇であるラルクはどうなったであろうか――。
 キアラは死んでいるのか、生きているのか――。

「お父様は軟弱者の私を嫌いますか?」

 ラルクやキアラの鍵を狙わないことに、死んだ父親はなんと答えるだろうか。
 裏切りに満ちたマフィアだから、今のボスを狙うべきだと憤慨するだろうか。
 仇をとってオールドの繁栄を任せたと言うだろうか。

「美羽、コハク――。どうか無事にお勤めを――」

 そんなアンジェリカの願いが届いたのか、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はベレッタに届いた数少ない1人だった。
 ただしその時には辿り着いたという感慨も、ようやくだと奮い立つ気持ちも美羽にはなかった。
 屋上へ続く階段の前――広めのホールには、ロンドの兵隊達がずらりと壁に沿って並んでいたが、彼らは緊張感を持っていなかった。
 勿論、外への警戒心は強めていたが、このホール自体に誰も緊急の目を向けていない。
 牧場の決闘でも見る気軽さがあり、それがベレッタの生み出した『ご褒美』で、ダンスをするのは彼女自身ということだった。

「随分余裕なんだね、ベレッタ!」
(随分余裕ですね、ベレッタ)

 そこに招かれたのはもう2人、倉崎 ヒロシ(御神楽 陽太(みかぐら・ようた))とルイーゼ・シュレッター(エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく))のペアだった。
 ホテルの屋上で華麗なる隠れ身を見せていたヒロシだが、あまりに時間がたってもこないベレッタを気にしてこっそり戻ってみれば、丁度美羽が来て言葉を発したところだった。
 隠れてこのまま見物をして、隙あらば参戦して鍵を奪うぞとエリシアに目配せするのだが、

「どうする――? 1対1でやるか? それとも3対1でやるか? 私はどちらでも構わんよ」

 ベレッタはどうやらヒロシ達の存在に気付いたらしい。

「隠れてないで出てらっしゃいな。鍵が欲しいのならば私と愉快に踊ればいいだけの話だ」

 なんとなくその空気に押され、スパイハットをとってヒロシが小さく頭を下げた。

「私が先だよ――! こっちが先にベレッタとお話ししてたんだからッ!」
「ああ、いいですよ……」

 何で俺と張り合ってるんだとヒロシは苦笑し、もう1つ、ニューフェイスの雇われ幹部として報酬分働いてない気がして最後まで残って今日ここにいるが、もういいんじゃないかと弱気を覚え出したからだ。
 きっと3人でベレッタを相手にすれば倒せるのかもしれないが、1人で勝てるかと言われると自信がなくなってきたのだ。
 時折いるのだ。
 全くの無能力者の中、人外のような強さを発揮する手合いが――。
 今のベレッタはまさにそんな空気を纏っていた。
 だが、それはヒロシの感じ方であって、アンジェリカの涙を思い出していた美羽にしてみれば、最大の好機だ。

「行くよ――ベレッタッ! 私が勝ったら鍵を貰うからね!」
「ふふ、いいだろう」

 美羽はブライトマシンガンを出し、ベレッタは1丁のオートマチック・ピストルを手に取った。
 獲物で勝負が決まるわけではないが、それにしても――と思わずにはいられない差である。

「そう言えば、1つ条件があるのを忘れていたよ」

 戦いに条件も何もないだろうと思ったが、それでもこの場を作ったベレッタから無茶苦茶なものは出ないだろうと踏んで美羽は聞いた。

「何よ?」
「部下に流れ弾は当てないで欲しい物だ」

 両腕両脚は小さく広げ、殺気を孕んだ物言いに彼女の部下での愛情が垣間見えたが、それで手を抜くことも、鍵を奪うのをやめることにもなりはしない。

「今度こそ、行くよ」

 銃を構えた美羽がアクセルギア――その最大の30倍の加速でもって、美羽がベレッタの前から消えた。
 最大加速を使えば肉体の負担も大きく、長くて5秒しか動けない。
 しかしながら、美羽は人の30秒の時間を自分の1秒としているわけだから、悠々とベレッタの背後をとれる。
 ベレッタが後ろかと気付き、振り返って銃の引き金を引くまで1秒かかるとしても、美羽は29秒好きに出来る。
 この差のなんと大きいことか――。
 だから1秒にも満たない時間でベレッタの両手両足をあっさり無力化出来る。
 最初の一秒で決めようと背後に周り、ベレッタの両腕両脚に引き金を引いた。
 避けようなどありもしないのだが、放たれた銃弾は全てベレッタにかすり傷を負わせる程度だった。
 半身をひねりつつ3歩動いただけで回避したのだ。

「うそッ!?」

 ベレッタの動きは、風になびく髪のように綺麗な流れる形だった。
 読まれていたのだと思った美羽は再度背後をとり、今度はベレッタにぶつかる壁になるように銃弾を撃ちこんだ。
 が、今度は大きく後ろへ地面を滑る様に回避された。
 何故当たらないのか、などと考えてる暇はなく、今度は先ほどよりも銃弾は少なくなるが四方――さらに四角をつくるように四隅までフォローして撃ちこんだ。

「こうなったらぁ――ッ」

 しかし真上に飛んで回避したベレッタを見て、美羽は白兵戦をしかけに彼女の背目掛けて飛んだ。
 このまま空中で後ろから抑え、首を圧し折ってやろうと考えたのだったが――、

「ようやく捕まえることができる」

 笑ったのはベレッタで背後へ手を回しては美羽の腕をとり、そのまま回転して逆に美羽を背後から羽交い絞めにして、地面に降り立った。
 丁度5秒である。
 美羽の力が抜けるのを腕の中で感じ、ベレッタは手を離した。
 そして銃を取り、土産をくれたのだ。

「私が『優しい』からだろう。なぜか『女々しく』お願いしてみれば、対峙した者が言うことを忠実に守ってくれるのだ。感謝しているぞ、私の『部下に当てないよう』配慮してくれたことに――」

 そこでハッとする。
 私はなぜわざわざジャンプをして斜めに撃っていたのだろうか、と――。

「私よりも背丈が高い部下たちが壁にぎっしりと詰まっていれば、そこに当たるような射線はとれまい。頭を撃ち抜こうと思ったら、真っ直ぐは引き金をひけない。斜めに位置する場所から狙わなければな。そうしてアクセルギアの5秒を間近にすれば、焦って白兵戦を仕掛けてくるだろう? 私は契約者を『そこそこ』知っているから、どういう技なのかは瞬時に判断がつくのだ。では、また――」

 鍵を手に隠れていたコハクが美羽のやられる姿を見て、唇を強く噛みしめ血を流しながらアンジェリカの元に戻った。
 が、素直にその事実を話したのが失敗だった。
 彼女は父の時よりも泣き崩れ、完全に信念を折られてしまったのだから――。

「さて、次は2人でいいぞ」

 ロンドの兵隊達が拍手に歓声をあげる中、ヒロシが耳元で言った。

「ねえ、ルイーゼ、これマズイと思う――」

 ヒロシから見ても美羽は十分に契約者の中でも高レベルの部類であったにも関わらず、この結果だった。
 臆して当然だ。
 が、口笛をピューピュー吹きながらルイーゼも拍手をしていた。

「ちょっ、何を感心してるの」
「感心ではありません。別に問題なく、わたくし達なら勝てますわ」

 どこからそんな自信が出てくるのか――。

「要するにベレッタの要求を飲まず、周りのロンド兵も倒しながらひたすらに撃てばそれだけで十分ですわ」
「いやいや、ロンドの兵隊達の数を見なよ! オレ達がベレッタ以外を撃ったら瞬く間に2対1が2対100くらいの規模だよ」
「もお……現実に怯えるのではなくて、現実から活路を見出す方に集中した方がいいですわ。大丈夫、やれますわ」

 ルイーゼから詳細を聞き、ベレッタと同じ高さに2人は降り立った。

「ベレッタ……1つ確認をしたいが――」

 ヒロシは緊張を露わにしないように一歩踏み出し、ロンド兵にぶつかるくらいのギリギリの距離を沿う様に歩き始めた。

「これはオレ達とベレッタの決闘ということでいいんだな?」
「……何が言いたい?」
「アンタの部下が手を出さない、ということは守られるのか聞いている」

 なるほど、とベレッタは唇だけを動かして声は発さなかった。
 要するに、美羽がやったことを今度はベレッタにしてもらおうということだ。
 無論、破棄されれば全てが終わるのだが、確実に戦いやすくなる。

「諸君――覚悟はいいかッ!」

 ベレッタが叫ぶと、ロンドの兵隊達は一斉に気を付けをし、あろうことか武器を足元に放棄し、休めという号令と同時に手を頭を後ろに置いた。

「これで満足であろう? 貴様の条件は飲んでやった。今更怖気づいて逃げはしないわよね」

 最後は女性の言葉で妖艶に微笑まれた。
 あまりに部下を信じ、大事にするボスだからこそヒロシとルイーゼは見誤った。
 彼女がそうであるように、部下もまたベレッタのためなら命を賭すのは『屁』でもないタイプだった。
 この手のタイプは撃たれることが名誉なのだ。
 が、どちらにせよ今弱みをみせるわけにもいかない。
 引き金を引けばわかる。
 もしかすれば部下を守るために銃弾を避けない可能性だってある。
 ヒロシは2丁拳銃を構え、ベレッタに向かって引き金を引き――神業を見た。

「アダモフ伍長ッ! パンチェンコ曹長ッ!」

 ベレッタはヒロシが撃つ――もう力の伝達を脳に伝え指先が動くと決まった――瞬間、2人の兵の名前を叫び、肩を回し右手に持った銃で後ろに向けて発砲した。
 ベレッタの銃弾が先にロンドの兵隊に届き、彼らの腹を撃って身体をくの字に折る。
 次の瞬間ヒロシの銃弾をベレッタが避け、崩れゆく彼らの頭の上を通り抜けて壁を撃った。

「アンタ……全員の配置を覚えてるのか……。そして撃つのか……」
「何を驚いているかしらんが、部下の命を預かる者の責で、私はヤワな鍛え方をしているつもりはない」

 撃たれた兵2人は、腹を押さえながらも立ち上がり、再び声を張り上げて頭の後ろに手を持って行った。
 防弾チョッキを着込んでいたのは想定のうちだったが、だからと言ってその上から撃たれても衝撃は撃たれた時と変わらないほどだ。
 彼らが手を後ろにするのは攻撃の意志がない表示ではなく、腹で受け止める態勢作りにしかもはや見えない。
 怯えて身体を動かさないように、身体に力を込めやすいように、そんな意味合いだ。

「あまりこちらを見るな。ヤリたいのか勘ぐりたくなる」
「ありゃあ……これは想像以上ね……」

 そして階段付近でベレッタを窺い、ヒロシが倒せなかった場合に狙撃しようとして心構えていたルイーゼのライフルを、ベレッタがタイト・スーツの裾の中から取り出したもう一丁のピストルで撃った。
 全く無意味に壁として救世主を呼んだのは、自分は撃ち抜かれていたかもしれないと思った生存本能の反射だった。
 もう少し連射を試し、跳弾でイレギュラーでも起こせばどうかと思うヒロシだったが、完全に場の空気に飲まれて気持ちが前に向かなかった。
 伏せられた4枚のカードのうち、こちらがどういうカードで対抗しても絶対に勝てないジョーカー――それがロンド・ベレッタ。
 それを確信しただけで、もう十分報酬分は働いた、働いたぞシェリーと心の中で呟き、ヒロシは撤退の機を窺うことに意識を向け――、

「ベレッタ様、獣の群れがこっちにッ――!」

 慌てふためいた兵の1人がやってきて声を上げたのを機に、ルイーゼが煙幕ファンデーションを投げ、ヒロシもそれに呼応し、加速薬を使ってルイーゼを回収するとフライングボードで4足歩行の獣達の低い身長の上を滑って階下へ逃げていった。

「諸君、銃を取れ――。たかが動物だ。食肉加工センターにわざわざ飛び込んできた無能共をハンティングしてやれ――」

 やれやれとベレッタはため息をついた。
 随分耳障りな口笛が途中混じっていたかとは思っていたが、獣寄せの口笛だったとは、失念だった。

「これ以上、屋上での会合を待たせるわけにはいかんか。風邪を引いたなどと文句を言われれば、腹を抱えて死にたくなる――」

 ベレッタは最後に部下にいくつか指示を与えると、屋上へと上がっていった。