空京

リアクション

運だめし

　湖の上を低空で巨大な円陣を組んでいたイコンの群れが、ブラックホークから発せられたセーフティ解除信号を受けて一斉に散開した。
　けたたましい砲撃に恐れをなした動物たちが、木々の合間から逃げていくのが伺える。
　そんな中、草葉の陰からジッと戦いを見守る少女、邪馬壹之　壹與比売（やまとの・ゐよひめ）、愛称：壱与（いちよ）の姿があった。
　腕にはポムクルさんを抱いている。
「大丈夫なのだー？」
「まったく問題ございません。エリスには時として、これぐらいの思い切りも必要なのでございます。舞台度胸を養うには打って付けの機会でございます」
「でもエリスは、泣いてるのだー」
「おっしゃる通りにございます」
「エリスは武器を持っていないので、ございますのだー」
「りっぱな一本角が、エリスの眼前にそそり立ってございます」
「壱与は戦わないのだー？」
「はい。わたくしとそなたで、エリスを見守りましょう」
「わかったのだー。頑張れ、エリスなのだーっ」
　当のエリスこと清良川　エリス（きよらかわ・えりす）は、巨大カブトムシ豊布都にしがみついていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえーっ！」
　飛び交う銃弾を生存本能のまま人外の機動力で避ける豊布都に、彼女は完全に振り回されている。
「後生どすから、言う事を聞いておくんなはれえっ。このままやとうち、あかんえ」
　流れ弾の洗礼を受けて次々とイコンが脱落していく中、豊布都とは一体のイコンに狙いを定めていた。
「そ、そそそ、そちら行かはったら敵おらはるやありませんのーっ」
　敵の背後から隙を突くのは、捕食者の理だ。
　玉虫色に輝く大角が、リュミエールの頭上に浮かぶ標的――強化風船――ではなく、その機体を背後から突き上げた。
　衝突の強い衝撃のせいで、エリスは頬を豊布都の背中へと押しつける事になる。
　バランスを崩したリュミエールは直ぐに姿勢を持ち直した。
「標的と機体の両方に気を回さなくてはいけないなんて、少しコツが要りそうですわ。損害は極めて軽微よ、フィサリスちゃん」
「うんっ、お姉ちゃん。それで、えっと……これで装備をビームキャノンに持ち替えて、セーフティを――とっ！？」
　フィサリス・アルケケンジ（ふぃさりす・あるけけんじ）が装備のセーフティを解除しようとしたところで、カシス・アルケケンジ（かしす・あるけけんじ）が標的としてロックされたのを振り払うために、機体を湖面スレスレまで降下させた。水しぶきを上げながら、湖面をすべるように飛び続けている。
「さっきぶつかってきた敵さんは、どこに行ったの？」
「俯瞰レーダーには豊布都って出ていますけど、こうして常に動き回っていなければならない状況で、果たして狙えますの？」
「セミ・オートに切り替えて、狙いの先読みを重視したらダメかな」
「豊布都のパイロットに当たると危険ですわ」
　四方八方から降りそそぐ流れ弾が、機体の表面を覆う機晶フィールドを弾いていく。
「ひとまず上昇ですわ。相手の数が減ってくるまで、回避に徹します」
「うんっ。はあっ……」
　何事もそつなくこなす実姉のカシスに引け目を感じたフィサリスからは、思わずため息がもれていた。
　彼女の様子を予期していたカシスは、すかさずフォローを入れる。
「撃てるのなら、墜とせばいいのですわ。敵は少ないに越したコトありません。それがフィサリスちゃんの役目ですもの」
「――ぁ……。はい！　フィサリスもお姉ちゃんみたいになれるように、頑張ってみるよ」
「できないよりは、できた方がいいけれど。私たちは女の子なんですから。自分の身を守れる程度で、まずは良いのです」
　攻撃を回避しながらも、カシスはフィサリスが狙いを定める隙をあえて作りながらリュミエールを飛ばしはじめた。

「にょほほほほッ！！　これが麦から作る西洋の泡酒でおじゃるよ。そなたも麻呂と共に一杯どうでおじゃるか」
「飲むのだー」
「顔が真っ白で、おじゃるのだー」
　耳慣れない高笑いと共に現われたのは、藤原　時平（ふじわらの・ときひら）とポムクルさんである。
「そこの娘も観戦かえ？　どうじゃ、麿と一緒に酌を交わそうではないか。苦しゅうない。ほれ、近うよれっ」
「私はまだ未成年ですので、お酒はちょっと……」
「これは真の酒ではない。そなたのような小娘がどれ程のんだところで、ちぃとも酔いはせむ。にょほほほほッ。ささ、酌をいたせ」
「――お酌するのだー」
　リネン・エルフト（りねん・えるふと）の肩に腰を下ろしていたポムクルさんが、時平に駆け寄って酒瓶を抱き込んだではないか。
　麿に付いていたポムクルさんは、頭上に杯を掲げて注がれるのを待っている。
「ほほっ、小さいながらも頼もしいヤツらよの」
「好きなだけ飲むのだー」
「注ぐのだー」
「気に入ったぞっ、大義でおじゃる」
　杯に盛られた酒を一息で呑み干した時平の眼光は、いつしか鋭い光を放っていた。
「さて、フェイミィとやら。そなたの腹心、なかなか冴えておられる。我が主など、ホレ……斯様な次第」
　懐から取り出したセンスが指し示した先には、真っ白な天馬マリア・テレジアの背で矢をつがえるサオリ・ナガオ（さおり・ながお）の姿を認める。
　巨大なイコンを盾にしながら、跳ね馬のように空を駆け巡っているようだ。
　その不規則な動きを狙い撃つには、熟練の腕が要求されるだろう。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」
　サオリは必死に叫びながら、夢中で矢を放ち続けた。
　その狙いはかなり正確で、いくつもの強化風船を射貫いている。
　リネンのパートナーであるフェイミィ・オルトリンデ（ふぇいみぃ・おるとりんで）も、天馬ナハトグランツを意のままに操る。
「掴まってろよ。いいか、ポムクルさん。オレたちの戦いをよく見とけっ！　イコンより小さくても、ペガサスは強いんだぜ？」
「ペガサスは強いのだーっ。おっきなイコンを、倒しに行くのだー」
　ナハトグランツのたてがみにしがみついていたポムクルさんは、２本の槍を振るう巨大イコン、アンシャールを指さした。
　相手を正面から薙ぎ倒しておいてから、標的となる強化風船を刺し貫いている。
「いいぜ、しっかり掴まって見ていなっ！」
　大きく羽ばたいた天馬は、単調な動きにならないようジグザグに滑空を繰り返した。
　この急襲にアンシャールも気づいたようだが、フェイミィがウィッチクラフトライフルを適当に――充分に狙って――浴びせた事で、迎え撃たれる事はなかった。
　敵機の背面に回り込もうというところで、彼女は手近なイコンをライフルで狙い撃つ。
　その弾丸は稀緋斗の装甲版で小さな火花を散らして、音も無く弾けた。
「何か当たったのだー」
「そうですね。……行くか、緋布斗（ひふと）」
「望むところです、唯識（ゆしき）」
　上社　唯識（かみやしろ・ゆしき）が機晶ブレード搭載型ライフルから光刃を放たせると、戒　緋布斗（かい・ひふと）がアンシャールとの間合いへと飛び込ませた。
「羽純くんっ、来るよ」
「詠え、歌菜っ、俺に任せろ」
　月崎　羽純（つきざき・はすみ）はひと振りの暁と宵の双槍を振るって稀緋斗の大太刀を払うと、もう１本の槍を突き出した。
　アンシャールの反撃は、稀緋斗の頭上にある強化風船の直前で止まった。
　唯識が続けて打ち込んだ素早い第２撃は、無光剣である。
「大振りは控えてよ、唯識」
「強い相手と長く戦うのは得策ではないと思ってね」
「だけどさ……ん？　何か聞こえませんか？」
「なるほど、目の前の相手には、歌姫が乗っていますね」
「敵味方同士とはいえ、思いのほか、やる気になってきました」
　遠野　歌菜（とおの・かな）の唄声にはトランスシンパシーの作用があり、湖周辺において勝利を目指す戦士たちを奮い立たせた。
　２体のイコンの引き合わせに成功したフェイミィは、湖面スレスレから見上げるようにして魔法の投げ矢を放つ。
「下か」
　羽純はアンシャールをわずかに傾けて直撃を回避するが、矢に帯電していた電撃が装甲版にほとばしった。
「狙ってしまって、ごめんなさいで、ございますうーっ」
　更に上方からは天馬に跨がるナガオが放った神威の矢が振りそそぐ。
「潜って、羽純くんっ」
「よし」
　巨大な水柱をあげてアンシャールが湖に沈んだ。鋭いしぶきが一直線に並び、光の矢が湖面を貫いていく。
　飛び交う矢をギリギリの距離で避けた稀緋斗へ、急接近するフェイミィ。
　その手に構えられていた巨大な戦斧が繰りだされる。
「防ぐのだー」
「簡単に言ってくれますね」
「イコンだろうがナラカの魔獣だろうが、シャーウッドの名にかけて、たたき伏せてやるぜえええっ！」
　機晶ブレードと戦斧が激突し、互いの刃が薄く剥離した。
　してやったり、といった表情のフェイミィの素顔は稀緋斗でしっかりとモニタリングされていた。
　それを認めた緋布斗は戦慄する。
「機晶ブレードの発振器に傷が入ったぞ」
「残敵に紛れ込むようにして離脱しよう。小回りのきく相手だと分が悪い」
「そうだね、じゃあ決定です」
「標的変更なのだー」
　フェイミィの乗るナハトグランツが急上昇すると、それに呼応するように湖面が盛り上がってアンシャールが勢いよく飛翔した。
　更に水中へ戦いの場を移していたと思われる数体のイコンが後を追うように舞い上がり、水しぶきが太陽に照らされてキラキラと舞い散っていくではないか。
　すると水面が突沸するように真っ白く変色して、激しくはじけ飛んだ。
「何だいったい」
「なかなか無茶なことをするヤツが居るようだ」
　ナハトグランツは、どうということでもないといった風でフェイミィに応じた。
　湖から浮上したアペイリアー・ヘーリオスは、湖底へ大型ビームキャノン・エルブレイカーを数発ぶちこんで冷却をはじめた。
「むーっちゃくちゃだよー。あー、危なかったあっ」
「あっはははっ。なかなか面白かったじゃないか」
「あ、り、え、な、い、のっ。ボクとしてはね」
「いやいや、水中でソニックブラスターを使われると、こんな風になるんだって、いい勉強になったじゃないか。むしろ、めっけもんだっ」
「なーにがめっけもん、だよっ。自殺行為じゃないっ。撃った自分の強化風船だって水流に巻き込まれちゃうでしょ？　もっと慎重に戦うべきだねっ」
「まあまあアリカも落ち着けって。アイツが来るぞっ」
「なによケロッとしちゃってさー。いやいやーとか、まあまあーとか、超余裕だかんねっ。ボクがしっかりサポートしてあげてるからだよっ、感謝してよねっ」
「もちろんさ」
「まー、ステルス迷彩のお陰でちょっとぐらいは助かってるけどねっ」
「向かってくるのだー」
「えっ？」
　無限　大吾（むげん・だいご）と西表　アリカ（いりおもて・ありか）に割って入ったポムクルさんの言うとおり、アペイリアー・へーリオスの的を貫かんとする黒い筒状のものが迫りつつあった。
「水から上がるとステルスも形無しか。打って出るよ、アリカ」
「了解っ」
　機体の背面から伸びるウィングスラスターを大きく開いて機晶エネルギーを放出させたアペイリアー・へーリオスに、黒い筒状の兵器――無尽パンチ――が交差した。
「外したっ？」
「受け流されたみたい。敵機を捕捉」
「続けて行くわ、美桜ちゃん」
「はい。気をつけて、急速接近。ライト・アームのライフルはベヨネット（銃剣式）よ」
「分かったわ。一斉掃射。近寄れるものなら来てごらんなさいよっ」
「結（ゆい）、コンデンサーのヒートゲージに注意して」
「冷媒なら湖があるでしょっ」
「壊れるからそれだけはダメだよ」
　黒い筒の正体は、堂島　結（どうじま・ゆい）と仁科　美桜（にしな・みおう）が駆るライン・ハート【ルミナス】の片腕部であった。
　エルブレイカーで無尽パンチを受け流したアペイリアー・へーリオスだったが、それを追いかけるように、無尽パンチの先端が弧を描いて反転する。
　縦横から降りそそぐサンダークラップに機体を舐められるアペイリアー・へーリオスだったが、ステルス機能が回復するにつれてライン・ハート【ルミナス】の照準にも誤差が生じてくるようだ。
「これでどうだっ」
　大吾は左腕部に組み込まれたガトリングガン・ケルベロスのトリガーを引き絞った。
　無数の銃弾がライン・ハート【ルミナス】の標的へと襲いかかるが、敵機は身を挺して銃弾を受け止めた。
「機晶フィールド２パーセント減衰。結、これは気持ちのいい対処方法ではないハズだよ。実戦ではトラブルのもとだね」
「そうだけど、直接斬り返せるもんっ。剣と拳で挟み撃ちにしてあげるっ」
　深紅のサイコブレードを抜いた結は、向かい来るアペイリアーに片腕で斬りかかった。
「結、逃げるのだー」
　ポムクルさんが叫ぶと同時に、湖底からの接敵警報が鳴り響いた。
　あと少しで無尽パンチが決まろうというところで、双方は距離をとって下方からの侵攻者を迎えた。
　漆黒の煙霧を沸きたたせながら湖面から現われたのはカムパネルラ。
　オルフェリア・アリス（おるふぇりあ・ありす）とミリオン・アインカノック（みりおん・あいんかのっく）の操るイーグリットの改修モデルは、通称ゴースト・イコン・ハンターと呼ばれている。
「少々腕が鈍りました。申し訳ございません、オルフェリア様」
　ふたりの会話は精神感応によるもので、コックピット内は静かなものである。
「でもでもっ、水中でソニックブラスターを使うなんて、凄いアイデアだと思うのですよっ。かなりの数の強化風船を割ることに成功しているのですから。きゃー」
「恐縮でございます。では視界に入ったものから始末いたしましょう」
「オルフェもがんばりますうっ」
　唐突に発射された高初速滑腔砲がライン・ハート【ルミナス】を襲うが、美桜の直感を察したＢＭインターフェイスが接触までの動作を算出して即座に反応を示した。
「……美桜ちゃんだって、なかなかやるじゃない」
「結を守るためなら、あらゆるものを武器にしたい……言い訳には少し苦しいみたいだね」
　主要兵装による応戦が間に合わないと判断したライン・ハート【ルミナス】は、迫る高初速滑腔砲の弾を蹴り返したのだった。
　結が想定していたよりも、ＢＭインターフェイスのシンクロはうまくいってるようである。
「すごーい、今の見たミリオンっ？」
「ええ、ちょっと意外でした。ですが我にお任せを。衝撃に備えてください」
「なになにっ――きゃあああああああああっ！？」
「オルフェリア様、ビームサーベルを」
　カムパネルラのコックピットが衝突警報と共に真っ赤な照明へ切り替わると、遙か上空から斬りかかってくるアンシャールの姿を捉えた。
　ビームサーベルを抜いたカムパネルラは、アンシャールの斬撃を正面から受け止めて湖へと突き落とされた。
　盛大な水しぶきを立てて、２体のイコンが湖中で衝突する。
「ご安心あれ。やられなければいいのです」
「もちろんなのですっ、あなたにも頑張って欲しいのですよ」
「御意に」
　猛烈な勢いで吹き出す増設スモークディスチャージャーの気泡が、外敵からの目視確認を困難にしていた。
「マジックカノンで牽制して、一気に仕留めるぞ」
「オーケー、羽純くんっ。いつもでいいわ」
　スコープ越しにカムパネルラを捉えた羽純は、マジックカノンを狙い撃って相手を左右に揺さぶった。
「歌菜っ」
「いけるわ」
　２体のイコンは武器を絡めて激しく拮抗する。
「……ふふ……我らを甘く見てもらっては困るんだよっ！」
　これが、アンシャールへ回線を開いたミリオンの第一声だった。
　彼は激昂すると、口調までもが変わってしまうのである。
「一筋縄ではいかないようだ。応戦するぞ、歌菜」
「はい、羽純さんっ」
　アンシャールとカムパネルラの戦いが、幕を上げた。