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リアクション
富永 佐那(とみなが・さな)が宮殿内にてズタボロで倒れていたセルシウスを拾ったのは、暴走事故からおおよそ半刻程経った時であった。
「ぅぅ、セルシウスさんが畳なんかに興味を持つから……肥後の殿の魂に火を付けちゃったじゃないですか。放っておくと堀から天守閣まで再現しかねない勢いですよ……」
「……」
佐那の後を黙って歩くセルシウス。その顔には疲労の色が強く滲みでている。
「あ、肥後の殿っていうのは、私が使う加藤 清正(かとう・きよまさ)さんに対する呼び名です」
「……」
「と、言うわけで、私が肥後の殿の命でセルシウスさんを案内しますね?」
「……」
「あのぅ? 聞いてます?」
「……」
「(うぅ……まるでゾンビを連れて歩いてる気分です……)」
佐那は物言わぬセルシウスに溜息をつくと、清正から渡された施工リストと案内図をまじまじ見つめる。
「ええと、内約は……石垣、昭君之間、若松之間、本丸御殿に、闇り通路(隠し通路)、隠し部屋……隠し部屋? 隠し通路ぉ?」
佐那が立ち止まり、叫ぶ。
「な・ん・で・す・か・こ・れ・はーぁぁ!! 特に後の二つ!」
「……」
ドンッと立ち止まった佐那の背中にセルシウスがぶつかる。
「あ、すいませんっ! ……まぁ、熊本城は本当に、それ自体が『匠』の塊ですから、隠し通路や隠し部屋にも匠があるのかも知れませんね」
「たく……み……」
ポツリとセルシウスが呟く。
「あ、ようやく口を開いてくれましたね?」
「……わ、私は……もう、駄目だ」
「駄目じゃないです。幸いにも地図がありますし……行きましょう、セルシウスさん?」
「違う!! 私は、あろうことかアディティラーヤ宮殿を損傷させてしまったのだ!! 不注意とはいえ、これではアスコルド様に顔向けできぬ!!」
登校拒否する子供のように、膝を抱えてうずくまってしまうセルシウス。
「……セルシウスさん? 行きますよ?」
「いや、駄目だ!! どんな顔をして他の匠達に会えばよいのだ!!」
「……」
「貴公一人で行くが良い……」
「……こういう時、甘ったれるな! とか言うんでしたっけ?」
「え………うおっ!?」
「最初は石垣です。行きますよ?」
雰囲気は深窓の令嬢だが、母親の影響か度胸は相当に据わっている佐那。彼女はセルシウスの腕を掴むと有無を言わさず強引に引きずっていく。
二人はアディティラーヤ宮殿に隣接した場所を歩く。そこには綺麗に敷き詰められた石垣が並んでいる。
「これは武者返しと言いまして、地面付近は勾配がゆるく、上に行くにしたがって勾配がきつくなる独特の構造です。監獄要塞の殺風景な外観を少しでも隠せればとの観点から設置した次第です」
「上に行くに従って勾配がきつくなるのは……敵の侵入を防ぐ目的か?」
少しだけ立ち直ってきたセルシウスが、設計士としての興味を抑えきれずに佐那に尋ねる。
「多分そうですね。城の守りと美観を両立させるのって難しいんですよ」
佐那はセルシウスに答えつつ、石垣を見回す。
「えっと、次は闇り通路ですね。入り口は、確かこの辺りに……アレ?」
石垣をペタペタと触って歩く佐那。
5分が経過する……。
「ええと、すみませんがリング状の紋様の刻まれた石を捜して頂けますか?」
「紋様?」
「蛇の目紋の紋様なんですけど……ああ、ありました。えい」
佐那が石を押すと、「がこんっ……ごごご……」と音がして石垣が動き、通路が現れる。
「これは……?」
「此方が闇り通路になります。万一、アディティラーヤが陥落の危機に瀕した際はこの通路を経て先程の場所から脱出出来る様になっています」
「脱出用の通路か……私も今すぐ逃げ出した……」
素早く佐那がセルシウスの首根っこを掴む。
「さ! これから、隠し部屋を経由して肥後の殿の自信作『昭君之間』へ案内しますね?」
「……」
× × ×
闇り通路を歩き始めて一時間くらいが経過しただろうか?
「……おかしいですね。熊本城の闇り通路ってこんなに長かったでしょうか?」
佐那が呟く。
「迷ったのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
二人が前方に一つの扉を見つける。
「漸く、付きました……って、ぇえ!?」
「ぬぅ!? ここは……」
驚く佐那とセルシウス。
その隠し部屋は、只の部屋ではなく、礼拝堂であった。
日が差し込まない部屋なので、壁面のステンドグラスには、日光の代わりに、灯りを当てると反射して光る岩塩を細工して壁面に敷き詰める事でその代用としている。
「此処が隠し部屋ですか……? いつの間に……こんな礼拝堂が……」
「なんたる荘厳な雰囲気だ……」
驚愕して室内を見渡す佐那とセルシウス。
「地球のポーランドにはヴェリチカと呼ばれる岩塩採掘場があり、その作業場に設けられた地下礼拝堂をイメージしていますわ」
振り返った二人の前に居たのは、セミロングの緑色の髪をした温和そうな女性、エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)であった。
「エレナ? あなたが……一体いつの間に?」
「ごめんなさい、佐那さん。お二人に無断で隠し部屋を改築して、礼拝堂にしてみました」
エレナがニッコリと微笑む。
「してみた……て、『歌ってみた』や『踊ってみた』とはわけが違うのよ? しかも、懺悔室付きなんて、本格的すぎるでしょ?」
呆れた表情を見せる佐那。確かに、ここ最近エレナの姿が見えない日があったが、まさか、こんな事をしていようとは思ってもいなかった。
「フフ……」
エレナは微笑んだまま、セルシウスの前に来ると、
「確か、エリュシオンというのは選帝神等、複数の神の棲まわれる国、でしたわね」
「む? ……まぁそうだな」
今度は佐那の方を振り向くエレナ。
「そうした国での礼拝方式は解りませんが……宮殿にも礼拝堂の一つも無いと寂しいですわよね、という事で作っちゃいました♪」
「作っちゃった……て、ハァ〜。もういいわよ、突っ込まない」
エレナの正体が、ロシアの祖とされるキエフ大公国の摂政にして聖人であるオリガ大公妃の英霊であることを知る佐那が、手をヒラヒラさせる。
「ところで、其処の方? 何か告解があれば、御申し付けを……わたくしが迷える貴方を導きましょう」
「……」
セルシウスは黙って懺悔室を指さす。
× × ×
「私は愚かにも、イコンに乗り、宮殿の一部を破壊してしまったのだ」
小部屋の中でセルシウスは、悔いるように話し出した。
「アスコルド様のお命はもう長くなく、皆が完成を急いでいる時だというのにだ……」
エレナは黙って話を聞き終えると、諭すようにセルシウスに話す。
「責任感の強い方なのですわね?」
「そ……いや、そうだな。責任感だけは人より有ると言い切ろう。しかし、それだけだ! 技術や精神が追いついていない!!」
「だからこそ、アスコルド大帝は、貴方に『涅槃の間』を任せた。そう考えられませんか?」
「……」
「起こってしまったことはどうしようもありません。犯してしまった罪がなくなる事はないのです。ですが、今あなたに出来ることをすることでその罪を薄くすることは可能です」
「私に出来ること……」
「宮殿の改装です。ここで逃げれば、あなたはもっと苦しむことになりますよ?」
「そうだな……ありがとう。決心がついた」
「いいえ。わたくしで良ければいつでもお話をお聞きしましょう。では、次の間へどうぞ……」
「次の間?」
「あのぅ? 終わった?」
懺悔室の扉を開けて佐那が顔を覗かせる。
「うむ……ようやく私も立ち直れそうだ」
「よかった! じゃ、ちょっとごめんなさいね?」
佐那はセルシウスの入っていた懺悔室の横手に壁を触りだす。
「どうしたのだ?」
「ぇー、この礼拝堂の懺悔室の横手の壁を返すと……」
バタンと壁を返すと、そこは新たな空間へと繋がっていた。
「はしごと縄?」
「えーと、これを登ると書いてますね……行きましょう」
「……」
「……セルシウスさん、お先にどうぞ?」
「佐那殿が先に行かぬのか?」
「一応、私、スカートですから……」
「む……」
セルシウスは佐那に促され、はしごを登っていく。登り切ったあたりで、佐那に言われた通り壁を押すと、壁が回転し、目の前に新たな部屋が広がる。
「こ……この部屋は!?」
部屋のふすまや壁面には、中国の漢の時代の物語、すなわち、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれている、
「ようこそ昭君之間(しょうくんのま)へ!」
そこには待ち受けいた加藤 清正(かとう・きよまさ)がいた。
「貴公が清正か! 随分遠回りしたがやっと会えたな」
「そう言われてもなぁ。乱世じゃ隠し部屋、隠し通路の一つも作るのは当然の事だぜ」
「ふむ。しかし見事な部屋だな。いや、これまでの熊本城そっくりの造りも凄いが……」
「熊本城はオレの集大成だぜ、改築っつーか別物になるくらいの大工事だったが、それがまたいいのよ」
清正はそう言うと、自らが作った『昭君之間』とソックリの部屋を見渡し、悦に浸る。
「かつてオレが豊臣秀頼様を御迎えする為に作ったこの昭君之間なら、アスコルド大帝やアイリス皇女も文句あるめぇ!」
かつて熊本城を造った清正は、豊臣秀吉の子飼いの武将であった。そんな秀吉の遺児である秀頼に万が一のときは、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟があった。そのための部屋がこの『昭君之間』の由来と言われている。
「確かに。何か高貴な身分の者を迎えるような部屋だな」
「セルシウスよ、お前さん御所望の畳を使った『匠』の、完成形がこれだ。18畳の中に広がる、もう一つの世界を味わいやがれ!」
清正はそう言うと、部屋の鴨井の梁の表面を剥す。すると天幕を付けるレールが出て来る。
「ぬ?」
「此処にベッドを置けば、さぞかし善い夢が見られるだろうよ」
「なるほど! アスコルド様、いやVIPの寝室にも利用できるのだな?」
「そうだぜ……だが、これで全てじゃなぇ!」
「何!?」
「本丸御殿はこれから最後の仕上げだ。オレはそっちに向かう!」
「貴公のその情熱……一体どこからそんな力が?」
「知れたこと!」
清正はセルシウスの問いかけを鼻で笑う。
「何せこれ程の機会はそうそうあるまい。熊本城を丸ごと再現したいくらいの、この広大な敷地。たっぷりと使わせて貰うぜ!!」
清正は昭君之間の壁を押して回転させると、そのまま姿を消してしまう。
「……」
残されたセルシウスと佐那が沈黙していると、再び壁が回転し、清正が現れる。
「……佐那! てめえも手伝え!!」
「えぇ!? またですか、肥後の殿!」
「ったりめぇだぜ! オレの熊本城建設はいつも人手不足なんだ! ほら、行くぜ!」
「ああ、肥後の殿の魂に付いた火はまだまだ消えそうにないですね……」
少し泣きの入った声で呟くと、佐那は清正の後を追いかけて行くのであった。
「(清正殿も情熱を燃やしているのだ……私も、私に出来ることをやるぞ!)」
セルシウスは、清正の昭君之間を出ていく……が、佐那無しではやはり迷ってしまい、相当な時間を費やしたのだった。