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リアクション
西の遺跡にて・9
人質を連れて現れたルバートの要求は、単純なものだった。
この遺跡から手を引け、それだけである。見逃してやるから、今すぐ荷物をまとめて帰ればいい。そう言っているのだ。無論、素直に飲み込めるわけがない。
すぐに返答できない事はわかっている、そう言われてよこされたのは通信機だ。ブラッディ・ディバインで利用されているものだろう。その通信機はもう一つの通信機とだけチャンネルが合っており、そのもう一つがあるのはパラ実分校だった。通信に出た相手は、そちらの状況を少ない言葉で確実に伝えてくれた。今ここで起きているのとさして変わりのないことが、向こうでも発生している事が確認できたのである。
「状況は飲み込めましたかな?」
悪いという事は確かだった。どちらも、人質を取っているのは少数で、戦力という点では勝負にすらなっていない。パラ実側の状況を完全に理解しているわけがないのでわからないが、調査の仮本部に詰めている人数とその技量なら人質を害される前に取り押さえることも可能かもしれない。パラ実側も、恐らくそうは状況に違いは無いはずだ。
もしも、完全な連携が取れる状況であったら、タイミングを図って反撃し、人質を取り押さえる手段を模索できたろう。だが、通信は相変わらず阻害されたままで、少しでもタイミングがずれれば、どちらかの人質を失う事になる。
そうなれば、双方に拭えない不信感が残る。パラ実で被害が出ても、こちらで被害がでても、そこに大きなわだかまりができるだろう。実際の理由は別のものでも、パラ実が勝手をしたから、あるいは調査隊がパラ実を見捨てたから―――そんな流言が飛び交うだろう。そこまで関係にヒビが入れば、それを亀裂にして分断するのにさほど労力はかからない。仮にこの場で彼らがギフトを手に入れなくても、十分な結果だったとほくそ笑むだろう。
テロリストには屈しないと両方を見捨てるか、あるいは素直に要求を受け入れて人質だけは取り戻すか。それが一番傷口が小さいように思える。ギフトの価値を棚上げしている計算であり、それも勘定に込めれば恐らく前者が一番浅くて済む。
「あんまり勝手はしない方がいいんじゃないかな?」
誰かの声と、小さなどよめき。
少佐は指示を出していなかったが、誰かが人質を助けようと動いたのを制止したようだ。どうすればいいか、思考に没頭していた少佐にとってこの行為はありがたかった。取り返しのつかない事態を未然に防いでくれたことになる。
だがその声の主、音無 終(おとなし・しゅう)は―――顔を見られないようにつけた仮面をつけた青年はそのまま舞台の注目を集めるように前へと躍り出ていく。
「自分勝手は慎んだ方がいい。どこで、誰が見ているかわからないんだ、だろ?」
振り返りながら、仮面の青年は言う。その後ろで、ルバートが頷いた。
誰かの暴走を制止したのではなかった。終は、最後の楔を打ち込んだのだ。この中には、ブラッディ・ディバインの誰か、あるいは協力者が紛れ込んでいるのだと宣言したのである。実際に、この場には銀 静(しろがね・しずか)がまだ衆目の中に身を潜めて周囲を警戒していた。
こうして、要求を受けるか突っぱねるかの二択以外の選択肢は丁寧に摘み取られた。
(このまま、見ているだけでよろしいのですか?)
中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)はただじっと身じろぎもせずに佇んでいた。放校中の身である彼女は、先ほど躍り出た青年のおかげで周囲から視線が向けられているのを肌で感じ取っていた。あまり余計な事はできないし、そもそもするつもりもないが、役者であるはずのアルベリッヒがこの状況で何のアクションも見せないのは少し気になった。
以前、捕虜になる前のアルベリッヒと面識がある綾瀬はテレパシーで問いかけてみたのである。
(それは、どういう意味でしょう?)
返事があった。あちらも、普段にも増して監視が厳しくなっている。お互い、表情に出さずに会話を続ける。
(そのままの意味ですわ。貴方様はこの状況でどう踊るのか、と問うているのです。今でしたら、古巣にお帰りになるのも容易でしょう?)
(ああ、なるほど。思いつきもしませんでしたよ。しかし、覆水は盆には返らないものです。今さら私がどっちにあっても、同じような扱いを受けるだけでしょう。でしたら、まだこちらの方が食事がおいしいだけマシというものです)
(ご冗談を。食事がそんなに大事でしたら、ニルヴァーナに留まっている理由はありませんわ。そうでしょう?)
アルベリッヒが捕らえられてから、シャンバラに送り返すのに十分な日数はあった。そうならなかったのは、少佐がそうしなかったと同じぐらいに、ここに居残りたい理由がアルベリッヒにもあったはずだ。少なくとも、戻りたくない理由があるようには見えない。
(踊ると言っても、衣装も用意してもらってない身としては、不恰好になるのが関の山でしょうがね)
まだ会話を続けたかったが、漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)の内密に注意を促す。何かしているのではないか、という疑惑の視線が強くなっているようだ。テレパシーの会話を拾われることなんて無いだろうが、用心は必要だろう。
(あまり私を失望させないでくださいましね)
最後にそれだけ伝えて、会話を切る。
やれやれ、とアルベリッヒは心の中で少し愚痴を零した。しばらくは蝙蝠であろうというのが、アルベリッヒの方針だった。ブラッディ・ディバインと、ニルヴァーナ探検隊の両方の情報を受け取っていれば、最後にどちらも出し抜くだけの初速は得られただろう。初速で十分だったはずだ、今はあまり多くは求めていはしないのだから。
とはいえ、ルバートにあまり好きに動かれると厄介だ。ブラッディ・ディバインが勢力を伸ばすという事は、その背後にいる何者かが有利になる事を意味する。彼らには悪いが、ニルヴァーナ探検隊より一歩か二歩劣り、背後の何者かの助力を引き出してもらわないといつまで立っても真実は闇の中だ。
「お久しぶりですね、御仁。相変わらず、姑息な手段が得意のようで安心しましたよ」
一歩前に出て、アルベリッヒは気軽な様子で声をかけた。視線が痛い、信用されてないのはわかっていたが、あからさまだなとも思う。少佐が「おい、何を」と声をかけてきたが、今会話しているのは彼でないので、手を出して言葉を止めさせて続ける。
「今さらそんな危険な橋を渡ろうとはらしくありませんね。撤退の必要があるのは、むしろあなた方でしょう?」
「貴様こそ、よくも姿を現せたものだな……ふん、どうやら憑かれていたというのは本当であったか。随分とすっきりとした目をしている」
「ええ、その件で恩がありますので、私はこちら側というわけです。というわけで、あまりあなた方の思い通りにされてしまっては困るのです。さっさと話しは終りにしましょう、こちらは要求を受け入れますので、人質を解放してください」
さすがに勝手が過ぎる発言で、少佐が掴みかかってきた。まぁまぁ、と今にも殴るなり投げるなりしそうな彼を宥めつる。余裕が無いなとは見ていたが、相当参っているのかもしれない。
「あくまで推測ですが、恐らくこの遺跡にもうギフトはありません。彼らの手中でしょう、最初からおかしいとは思っていたんですよ。なぜ彼らがいとも容易く目撃されているのか、まるで誰かを呼び寄せているみたいじゃありませんか」
少し落ち着いたとみて、説明をはじめる。よかった、ちゃんと話しは聞いてくれるようだ。
「呼び寄せるのが目的だった、と」
「ええ、そして時間を稼ぐ。それが彼らの目的でしょう。その時間は十分に稼いだので、こうして我々の前に姿を現してきたのです」
内通をさせている山田太郎は、今回の作戦の本意も、ギフトの入手の有無もわからないと言っていた。ルバートは慎重であるため、裏切り者になりうる彼に情報を流さないようにするのは当然だった。
そこまで徹底する彼が、目撃されているなんて時点で疑いを持つには十分だった。蝙蝠を目指す身としては、ここで彼らとの接触が必要であったために背中を押す必要があった。とはいえその目論見も、今は泡となって消えてしまったが。
「だが、だとしたらなぜわざわざ姿を現す? 時間を稼いだのならそのまま消えればいい。わざわざ、こちらに撤退しろと要求する必要はないだろう。お前の言うとおり、ギフトが無いのならな」
「ええ、その通り。実利を求めるだけなら、わざわざ出てくる必要はありません。恐らく彼もあまりこういう舞台を設置するのは不本意でしょう。しかし、する必要があったんですよ、宣伝のためにね」
「宣伝だと?」
鸚鵡返しの言葉に、アルベリッヒは頷く。
「ギフトを手に入れた、だけでは足りなかったというわけです。その真意まではわかりませんが、ギフトを奪ったという言葉が彼らは欲しいのです。とはいえ、本気で奪い合いを演じたら勝ち目が無いのは目に見えている。そこで、この撤退の要求なのです」
要求がどちらに転んでも、既にギフトは手の中にある。最初から損をしない取引だ。自身の身をさらす代価は高いが、それもアルベリッヒが生存していると知っているのなら下っ端をよこすよりは効率がいい。他の面子はわからないが、ルバートはもはやアルベリッヒを信用していない。すり寄ってきたら追い払うためにここに立つという理由がある。
「さて、余計なことをつらつらと述べてしまいましたが、最後に決めるのは少佐、あなたですよ。私のは推測ですが、あながち外れてもいないと思いますよ。ねぇ?」
ルバートに視線を投げかける。もっとも、表情から何かを読み取るのは無理だろう。一度だけやった彼とのポーカーで、眉一つ動かさないままロイヤルストレートフラッシュを決められた痛烈な思いでがある。あとで確認して、それがイカサマだったことも痛烈な記憶になる原因のひとつだ。
「……わかった。要求を呑もう」
こうして、ギフトの探索は終了した。
銃声、銃声、銃声。
そこまでくると、一つ一つの声ではなく、大きな一つの蛮声のようだった。
「避けようとするんじゃねぇ! 順番に並びな!」
そりゃ無茶な相談だろ、と九 隆一(いちじく・りゅういち)は思いはすれど口にはしなかった。狭い通路でトミーガンを乱射して、大豆生田 華仔(まみうだ・はなこ)の気分もだいぶ乗ってきているらしい。
「あとは兆弾の事も考えてくれるといいんだけどね、よっと」
サイコキネシスで彼女のばら撒く弾が、あらぬ方向に飛んでいかないようにサポートする。隆一自身も、簡単な援護はするがそれは射線に敵を引きずり出すためのもので、仕留めるのは華仔の役目。せっかくやってきた彼女の楽しみを奪うなんて、野暮な真似はしないのである。
逃げ回っていたブラッディ・ディバインが突然攻勢に転じたことは、その思惑は何でもあっても二人にとっては喜ばしいことだった。獲物を撃てること、獲物を撃つ華仔の姿を鑑賞できること。その為の哀れな羊が、彼らの役目だ。
そんな攻勢も、だんだんと大人しくなっていっていた。反撃は薄くなり、物陰に隠れて様子を伺ってばかりいる。二人もおや、とは思ったかもしれないが、そもそも遺跡の通路を席巻する大量の弾薬をばら撒いているのだから、消極的になってしまうのも仕方ないと考えただろう。
「ちっ、弾切れか」
ドラムマガジン一杯の弾を使い尽くして、攻撃の手が止まる。このタイミングが一番危うい、隆一はすぐにけん制を行い、華仔はその間に弾をリロード。
「くそっ、逃げるきか!」
駆け出す黒いパワードスーツ、流石に早い。闇へと飲み込まれていく背中に向かって、弾薬をばら撒くもののすぐにその姿は闇に紛れて確認できなくなった。
隆一は飛び出して追いかけようとするが、華仔はその場でタバコを取り出していた。
「あれ? 追わないのか?」
「ばーか、あっちは行き止まりだよ」
「行き止まり……だったっけか?」
道が繋がっているかといえば、その先にはまだまだ道があり分かれ道もあった。行き止まりであるかといえば、確かにそこは行き止まりだった。
「わざわざ面倒ごと持ち込んできたんだ、それ相応の代価は支払ってもらう」
ブラッディ・ディバインのパワードスーツは、個人での行動のために必要な機能が備わっている。暗視機能やサーモグラフィーもそのうちの一つだ。暗闇が彼らの味方であるのは、何も色が黒いからだけというわけではない。
そのセンサーが、最初に拾ったのは声だった。随分と近くから聞こえた声に、パワードスーツは虚をつかれ、足を止めた。振り返る、追手の姿はない。正面、誰の姿も見えない。
「闇の中こそは我らが戦場。逃がしはしない」
声と同時に、衝撃がパワードスーツを襲った。
とはいえ、二言目にもなれば場所の特定とまではいかなくても、方向はなんとなくわかる。声の主、八神 誠一(やがみ・せいいち)の攻撃に、遅れながらも対応して意識を刈り取られるような無様な醜態は見せないで済んだ。
「一人か、なら―――」
「こんな暗い所までご苦労な事なのだよ」
道をふさがれて、パワードスーツの口も一緒に塞がれた。どこに身を隠す場所があったのか、オフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)が行く手を塞いでいた。背後には誠一が立ち、狭い通路は完全に封鎖されている。とっさに背中を通路の壁に当てて、二人が視界に入るようには立ち回ったが、そこから先の動きができない。
「させないよ!」
その動作は、パワードスーツには理解の埒外だった。この状況で、生還はまず不可能。捕虜になるぐらいならば、自爆して二人もろとも仕留めようと考えていたパワードスーツの思考は、声と共に一閃の光にかき消された。次の瞬間、左腕部に搭載されていた操作用の端末ごと、切り落とされてしまっていた。
「ああ、腕があ、あああ!」
混乱して自分でも何を口にしているのかよくわかっていない。そんなパワードスーツの後頭部を、誠一は散華の柄で殴打した。防御も何もできないまま、一撃で意識を刈り取った。遺跡にはそれらしい静寂さと、彼の代わりなのか、慣れてしまった見知らぬ女性のうめき声だけが残る。
「……あまりスマートだったとはいえないねぇ。さて、最低限の止血をしようかな」
「殺すつもりだったのだろう? それに比べれば、いくらかはいい結果だと思うのだよ」
自爆を試みず向かってくるなら、二人は殺すつもりで対応していた。自爆のスイッチを起動させるより前に首を切り落とすよりも、その装置の根幹であるだろう腕を切り落とす方が容易かったというだけの結果である。
ひとまず簡単に止血を行っておく。
「うーん、捕虜なんてきっと溢れ返っていると思うんだよねぇ。どうしよう?」
その心配は、杞憂に終わることになる。
この時彼はまだ知らない。探検隊がパラ実分校を盾にされる形で、撤退を余儀なくされたことを。そして、そのせいで多く確保したブラッディ・ディバインの構成員の全てを開放しなければならなかった事実を。
かくして、この日の最後の戦いは、その言葉の豪華さとは裏腹に、しずかにあっさりと幕を閉じたのだった。