校長室
創世の絆 第三回
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■脱出 その圧倒的な気配は、黒い月に居た者全てが感じることが出来た。 それは、これまで契約者たちが遭遇したインテグラルのそれのようだったが、その強さは彼らが知るものを遙かに上回っており……。 まさに“絶望”と呼ぶべきものだった。 クジラ型ギフト内部。 多くの者がクジラ船長の反応を取り戻すために尽力していたが、これといった手立てを得られぬまま、現場は焦りに包まれていた。 「……ッ」 沈黙していたクジラ船長へ必死に呼びかけを行なっていたエルサーラ サイジャリー(えるさーら・さいじゃりーは、肌が泡立つのを堪えながら、クジラ船長を睨みつけた。 「しっかりしなさい!! このままじゃ、あなたはきっと破壊される! 話したい事があったんじゃなかったの!? 永い間、ずっと、ずっと待ってたんでしょ!」 「無茶言っちゃ駄目だよ、エル……」 ペシェ・アルカウス(ぺしぇ・あるかうす)が、やはり辛そうな様子で呻くように言う。 エルサーラは小さく舌を打って。 「分かってるわ……本当は、今、船長だって頑張ってる事くらい分かってるわよ。 この黒い月の何かが邪魔をしていて動けない……きっと船長もその事を知っていて、それでも此処へ私たちを連れて来た。 もしかしたら、それが全てだったのかもしれない。 けど―― 皆は船長を守るために戦ってる。 諦めはしないわ。だから、船長、あなたも頑張りなさい!」 エルサーラがほとんど叫ぶように言った、その時。 ブン、と小さな音が響き――船長に反応が戻る。 「……皆がやってくれたんだ」 ペシェがそう呟く。 エルサーラは自身が感じているインテグラルのプレッシャーすら一時忘れ、微笑んだ。 「おかえり、船長。待ちくたびれちゃったわよ」 クジラ型ギフトの砲の照準が黒い月に形作られた東京の街に向けられる。 「クジラ船長と言ったか?」 足利 義輝(あしかが・よしてる)は語りかけていた。僅かな懺悔を込めながら。 「このような願い、そなたは望んでおらぬかもしれん。 だが、今一度、護る為の力を、我らに貸して貰いたい」 富永 佐那(とみなが・さな)が撤退する仲間たちに群がろうとするスポーンやイコンたちへと照準を合わせ、 「――頼みます!」 引き金を引く。 放たれた凄まじい砲撃は全てを飲み込み、一瞬の内に駆逐した。 その一方で、上空を覆う黒い空が裂かれる。 乱暴に引き裂かれた間から見えたのは、巨大な騎士の姿をしたインテグラルだった。 「インテグラル……」 「撤退を急ぐぞ!!」 空から降り注いだ、インテグラルの衝撃波を掠めながらクジラ型ギフトは低空を泳いだ。 その後、クジラ型ギフトはインテグラルの猛攻を凌ぎながら、黒い月を巡り、 中枢に居た者たちの回収に成功する。 そして、インテグラルへと砲撃を浴びせた――が、それは、ほんの僅かな足止めにしかならなかったようだった。 停止した黒い月ごと両断した、インテグラルの馬鹿げた一撃を辛くも避け、 クジラ型ギフトが再び、“自ら”砲撃を行った。 身体全体が悲鳴をあげるような軋みを響かせながら放たれたクジラ型ギフトの放った砲撃。 それは、割れた黒い月の中枢を撃ち抜き、巨大な爆発を引き起こした。 破裂した膨大なエネルギーの光がインテグラルを飲み込む。 その衝撃波に圧し弾かれるように、ニルヴァーナの大地へと向かい―― なんとか、ニルヴァーナ校付近へと不時着したのだった。 これで、あのインテグラルを倒せたのだ、など……誰も思うことは無かった。 ■夏來香菜 ニルヴァーナ校近くの仮設寮。 荒れた大地に幾つも並ぶ仮設住宅の一つに夏來 香菜(なつき・かな)は居た。 「頭が……痛いの。まるで、誰かに掻き回されたみたいに」 香菜は憔悴していた。 何人かの生徒が見舞いに訪れ、香菜に質問を投げた。 しかし、ほとんどの質問に、香菜は答えることが出来なかった。 次第に、香菜の表情には不安の色が広がっていた。 「黒い月の風景……ドージェ・カイラス……」 黒い月からもたらされた情報と、香菜との繋がり。 まるで、香菜とイレイザーとの繋がりを示すような。 何か、途方もなく不気味な気配に掴まれ、香菜の顔は、尚更血の気を失っていくようだった。 「わあ、黒い月の話を聞いたら、ますます顔色が悪くなっちゃったよ」 ローリー・スポルティーフ(ろーりー・すぽるてぃーふ)がベッドに腰掛け、ぐっと香菜の額に濡れタオルを押し付ける。 「やっぱり、素行不良のキロちゃんによる心労が原因だね」 「……それは、わりとどうでも良くて……」 「違う? じゃあ、どんな心労……」 ローリーはタオルから手を離してから、少しだけ考えてから、ぽんっと手を打った。 「大丈夫! 胸はいつか育つものだよ!」 「そんなんで寝込むかぁ!!」 バフッと顔面に枕を投げつけられ、ローリーはアレ? と首を傾げた。 と、ベッド脇の棚に置いてあったスマートフォンが落ちた。 「あ……」 香菜が床に落ちたそれを拾い、確かめる。 その時、画面に現れていたのは、日本で一般的に公開されている自衛隊イコンに関する資料だった。 誰かが言う。 「黒い月には、不完全な自衛隊イコンが居たと……」 「ち、違う、私は――!」 怯えた香菜の手をタマーラ・グレコフ(たまーら・ぐれこふ)が握った。 「……大丈夫」 「っ……」 「落ち着いて」 ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)が、ふぅと息を零して言う。 「あなたの見たものや感じたものが黒い月に反映されていたのは、おそらく間違いないことよ。 随分とトんだ話だけど、事実、現実はぶっトんでるって考えた方が先へ進めそうなのだから仕方無いわ。 問題は、それがどんな意味を持っているのか。 女同士、気兼ねなく話し、考えてみましょう」 「……女同士?」 誰かの疑念に満ちた声が聞こえ、ニキータは、そちらへ、つるりと視線を流した。 「言いたい事があるなら、後でこの綺麗なおねえさんが二人っきりで、たっぷり時間を掛けて聞いてあげるけどぉ?」 「……黙ってて、ウザいオカマ野郎……」 タマーラが、ぽっそり呟く。 「…………」 マリー・ランチェスター(まりー・らんちぇすたー)が持つ疑念は強まるばかりだった。 (ニルヴァーナ探索が初めて行われた時、夏來ちゃんはメルヴィア大尉に救われた……。 その時の記憶が無い、という。 その後、訓練遺跡では、まるで夏來ちゃんを目指すかのようにイレイザーが現れたという話だった。 ……それは、本当に“狙って現れた”のかな) 香菜がメルヴィアに救われた時。 メルヴィアが水晶化してしまった後の事は誰も知らない。 香菜にはその時の記憶も無いという。 一連の奇妙な現象から辿り着ける、一つの可能性があった。 そして、ここに居る数人は、その可能性を頭に置いているようだった。 香菜の中に居る、もう一人の存在。 香菜の言動と、突拍子も無い影響力から考えれば、そんな者が存在している事に確信を持つのは何ら不思議なことではない。 (例えば……イレイザー) 何故、香菜だけが無事に救出されたのか。 その事を疑問に思った者は多く居た。 疑問を解決する最も手っ取り早い回答は、『香菜を生かす事がイレイザーにとって最良の手だったから』というものだ。 だが、あらゆる検査では問題が無く、香菜から異常が見つかる事はなかった。 加えて、その後の香菜の行動には、確かに幾つかの異常は見られたが、敵意を匂わせることは無かった。 いや――違う。黒い月の件は、違う。 それは、ようやく垣間見せた、明らかな“敵意”だった。 だからこそ皆は何かを予感し、香菜の元へ訪れていた。 測ったように様々な状況で現れていたイレイザー。 黒い月でシミュレートされていた東京の街、イコン、ドージェ……。 まるで、契約者や地球人という存在、その戦力、最強の存在を確かめるような……。 そして。 ――――検証ハ終わっタ。 その言葉は香菜が吐いた。 香菜が目を大きく見開き、己の口を手で抑えようとして、何か見えない力に阻まれる。 彼女の表情には、己に何が起きているのか何も分からないといった驚愕と恐怖が浮かんでいた。 香菜の口の奥から声は届いた。 『検証ハ終わっタ。 オ前達は脆弱デ、儚く、我々に駆逐サレ、消滅すル』 「お前は、誰だ……?」 早川 呼雪(はやかわ・こゆき)の問いかけに、香菜の怯えた瞳が其処に居る者たちを見た。 「……たす、け――」 強気な彼女が絞り出すように言い掛けた言葉を、もうひとつの声が遮る。 『我々ハ、オ前達がインテグラルと呼ぶシリーズ』 「……シリーズ……」 ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が小さく反芻する。 奇妙な言い方だったが、彼らが“造られた”物なのだとすれば、多くの事柄と繋がりそうだった。 「様々な種があるという事か……。 だとすれば、お前自身の、固有の名は……?」 『ワタシは、くイーん。シリーズノいレ……』 何かノイズが走るように聞き取れない部分があったものの、呼雪は、彼女をどう呼べば良いのかを知った。 「インテグラルのクイーン……それがお前か。 ……これは、お前が香菜に持たせたものだな」 呼雪はドージェの写真を見せた。 『地球……パラミタ……最強ノ存在。 理論値だケでもシミュレートするコトはデキナカった』 そんな対話を行なっている間にも、見舞いに来ていた者たちは迅速に行動していた。 既に寮の内外には多くの契約者たちが集まってきている。 初めから多くの者が警戒していたのだ。 香菜の身に何が起きても良いようにと。 だが。 『衛星実験場が破棄さレた今、この端末の役目ハ終わっタ。 こレ以上の調査ハ不必要と決定。 端末ヲ破棄、我々ハ殲滅を開始すル』 夏來香菜の姿は一瞬で色を失い、黒く固まり、その後、粉となって崩れ落ち、霧散したのだった。