校長室
創世の絆 第三回
リアクション公開中!
ドーム内部に突入する・9 真っ黒な球体が、部屋の中央に浮かんでいた。 大きさは、直径一メートルはあるだろう。完全な球状で、何かの力場に支えられているらしく、何に触れることなく浮かんでいた。 「ここが、中枢、か」 長曽禰 広明(ながそね・ひろあき)は、眼前の未知の物体に対して、確かめるように言葉にした。 部屋の大きさは、バスケットコート二枚分ぐらいはある。部屋全体にいくつものモニターらしき薄い何かがあり、いくつかは映像が映し出されている。それは外の東京の様子であったり、ドームの中であったり、ブラッディ・ディヴァインとの様子であったり、ここに居れば、外で何が起きているか確かめるのは容易だろう。 そして、不思議なことにこの部屋には入力装置にあたるものが何一つ見当たらなかった。 あるのは、ただ一つの黒い球体である。 「ゲルバッキーの言葉を信じれば、これにブライドオブブレイドを叩き込めばいいのね」 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は球体に触れようとして、手が止まった。 「あれ?」 「どうした?」 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が同じように手を球体に伸ばし、同じように何かに触れて止まる。 「何か、あるようだな」 何か、膜のようなものがある。触れた感触としては、卵の殻のようだ。強く押してみてもびくともしないから、強度は卵の殻と比べるまでもないだろう。 「ブライドオブブレイドが必要な理由を考えていたが、もしかしたらブライドオブブレイドが無いと触れられないのかもしれないな」 「詳しい検証はあとにしよう。今は、ゲルバッキーの言葉を信じるしかない」 長曽禰も技術者として、この部屋や球体に強い興味があった。だが、今はそれを調査している余裕は無い。貴重な技術が失われる可能性が頭によぎるが、それよりも今は大事なものがあるのだ。 「下がっててください。何があるかわかりません」 指揮官を事故で失うわけにはいかないので、ルカルカはそう言って長曽禰を下がらせた。 ダリルと呼吸を合わせ、伝え聞いた通りにブライドオブブレイドを突き立てる。 先ほど触れた膜のようなものは、感触さえ感じずに、ブライドオブブレイドは赤い球体の中へと吸い込まれていった。 「……どうだ?」 長曽禰は何かが起こったようには思えなかった。事実、それで変化らしい変化は起きていない。月は今も下降している。 唯一の小さな変化は、真っ黒だった球体の上を、赤い線が走るようになった事だ。 「みんな、みんなもお願い!」 ルカルカが声をあげた。 ブライドオブブレイドを接続している二人には、これが自分たちで操作できるような代物ではないと理解できた。物凄い勢いで、警告が走り、二人を追い出そうとしている。 「夕菜ちゃん!」 神代 明日香(かみしろ・あすか)と神代 夕菜(かみしろ・ゆうな)のブライドオブブレイドが黒い球体に突き刺さる。 「これほど……拒絶されたのは初めてですわ」 夕菜は驚いたように口にする。言葉や態度ではなく、心に直接出ていけと言われる感覚だ。放していいのなら、今にも手を放してしまいたい。 「負けませんよぅ」 明日香は刃を食いしばって、耐えた。剣を振り回して戦っているよりも、もしかしたらこれはずっとずっと辛いかもしれない。 二人が行動を起こすと、見た目にも変化がでてきた。 黒い球体に浮かぶ線の数が、一気に増えたのである。それらは忙しく球体の上を、行ったりきたりしていた。それらは時折、くっついて幾何学模様を形成するが、長く残ることはなくすぐにバラバラに分解されていく。 「こんな形でダリルと共に力を注ぐ事になるとは思わなかったな」 ブライドオブブレイドを突き立てた月崎 羽純(つきざき・はすみ)は、思わずそんな言葉を口にした。 黒い球体と繋がったブライドオブブレイドから直接伝わる拒絶の意思は、耳を塞ぐことも目を閉じることもできない。 「羽純くん…!」 その背中を見守る遠野 歌菜(とおの・かな)の視線を背中に感じる。 「俺は守りたい。大切な人達とそいつらと笑って過ごせる場所を、そのための力なら喜んで使う」 さらに奥へと、ブライドオブブレイドを差込んでいく。深く刺さればささるほど、拒絶の意思は大きくなって、羽純を押し返そうとする。物理的な力ではなく、気を抜けば自分でブライドオブブレイドを抜いてしまいそうだ。 赤い線の一つ一つが太くなり、黒かった球体がまるで血を流しているように染まっていく。 「これが私達の絆の力!」 漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)を拒絶する意思は、次第にノイズが混じるようになっていた。 球体の処理能力が低下しており、防衛機能に支障をきたしているのである。 「黒い月は落とさせない。お前を壊してでも、絶対に止めてみせる!」 樹月 刀真(きづき・とうま)はブライドオブブレイド握る手に強い力を込めた。 拒絶の意思には、悲鳴のようなノイズが混じって、ブライドオブブレイドを突き立てた人の心を抉って削る。悲鳴のようなノイズそのものは、意味のないものではあったが、ブライドオブブレイドを通じてむき出しの心に響くため、偶然の産物として契約者達の心を削っていた。 「あと少し……お願いです止まってください!!」 ここで試されているのは、心の強さだった。いくら体が鍛えぬかれていたとしても、筋力や技術はこの場では役に立たない。 でも、だからこそ、ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は手を放さない。 パラミタとそこにいる大切な人を救いたいという気持ちは、こんなものに負けてはいけないのだと。 「こんなはた迷惑な行動プログラム、止まっちゃえー!」 テレサ・エーメンス(てれさ・えーめんす)が気合を振り絞る。 制御室には、少し前から警報が鳴り響いていたが、ブライドオブブレイドを握る彼らにはその音は聞こえていなかった。それよりももっとうるさくて煩わしく、無視できないものが鳴り響いていたからだ。 あちこちの様子が映し出されたモニターも、映像が乱れ、いくつかは砂嵐に、あるいは映像がシャットダウンされていく。傍目からこの戦いを見守っていた少佐を含む護衛の多くも、変化がおきていることだけは実感できていた。 球体は最初の黒からほぼ全て真っ赤になり、いくつものブライドオブブレイドが突き立てられている。だが、まばぽつぽつと黒い線が残されて、それは最初の赤い線のように蠢いて、何かを伝えたいかのようだった。 「あと少し、あと少しだ」 ダリルの声は、警報の音にかき消されて消える。 だが、言わなくてもそれは共有できていた。黒い球体とブライドオブブレイドを通じて、今彼らは繋がっているのだから。 黒い球体、今は赤い球体となっている制御装置を利用するのに、本来はブライドオブブレイドは必要ない。もう少し正確に説明するのであれば、ブライドオブブレイドが黒い球体に干渉できるのは、ある種のバグのようなものである。 そう証言したのは、他でもないこの時に黒い球体にブライドオブブレイドを突き立てた契約者達である。自分達が招かれざる客であると同時に、そこが客を本来招くべき場所でないことを、直感的に理解したのである。 球体の反応は幾重にもかけられた防壁プログラムを易々と突破し干渉してくる、理解不能の侵入者を排除しようとしているだけである。だが―――この球体には、その干渉を排除する方法は持ち合わせていない。いくら高度な技術によって産み出されたものだとはいえ、機械に人間の心を消すなんて機能を持ってはいなかったのだ。 排除は不可能であっても、この施設を月を守るのがこの球体の役割である。降伏などはせず、何もできないながらも何かをしようと空転し、それが膨大な不要の処理を産む。結果、情報オーバーロードを起こし、本来の機能が次々とシャットダウンされていく。映像が途切れ、空調が制止し、防衛用のレーザー砲台は動きを停止させていく。 それらの変化は、少佐達の元へ報告としてすぐに届いた。その時まで、通信機を用いた通信はジャミングによる妨害があってできなかったが、この時を前後して通信が回復したのだ。 必要な処理を捨て去り、対処できない事を理解しないまま、球体は契約者達を拒もうと機能の全てをそこに集約する。それは直接的な効果はないものの、繋がっている彼らには拒絶の意思となり、膨大な負荷は悲鳴となって届いていた。 だが、まだ月は止まらない。 ルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)は微かに震えていた。 それに気付いたのは、パートナーであるフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛ぃ)ただ一人である。 それが、フレデリカをほんの少し躊躇わせた。 過去に恋人を光条兵器の事故で失っているルイーザに、ブライドオブブレイドを抜かせるべきだろうか、と。 何が起こっているのか全てを把握できているわけではないが、球体と契約者達は静かに戦っている。赤く線が暴れているのはみんなの心にみえた。それが、球体を覆っていくことで、この制御を奪うことができるのではないか―――そう見える。 その赤い線は今、黒い球体のほとんどを覆っていたが、まだ足りない。ほんの僅か、黒い部分が残っている。 あと一押し、あと一撃を加えられれば、あの黒い球体は真っ赤になるだろう。 「ありがとう。フリッカ。私はもう大丈夫」 きゅっと、フレデリカの手がルイーザに握られた。その手は、まだ震えは止まっていない。 「ルイ姉……」 「だって、私は証明しなければならないもの。セディが私の為に命を落とした事が決して無駄ではなかった事を!」 強い言葉とは裏腹に、彼女の手はどこか頼りなく何かを探しているように、フレデリカの手の上で微かに震えている。 ぎゅっとフレデリカは、震える手を握り返した。 ルイーザは少し驚いたようだったが、すぐに決意を宿した眼で球体を見据えた。 フレデリカが震える体を支え、ブライトオブブレイドが放たれた。 「うっ」 その瞬間、繋がった球体から拒絶と悲鳴が二人を襲う。 思わずさがりそうになったフレデリカを、いつの間にかルイーザの手が支えていた。 それから瞬き程度の僅かな時間で、球体は真っ赤に染まった。だが、ブライトオブブレイドを突き立てた人達にとっては、永遠にも近い長い長い時間だと体感していた。 拒絶の意思が途切れクリアになった途端、彼らは次々とその場に倒れた。誰一人例外はなく、極度の疲労から気絶してしまったのである。 球体が真っ赤に染まると、一度全ての照明が落ち、モニターの映像も全てが完全に途切れた。それから、ほんの僅かな間を置いて、照明が非常用と思われる淡い光のものに切り替わっていった。 球体は真っ黒な姿に戻り、五月蝿く鳴り響いていた警報も全てが消えている。 「……終わったの、か」 見守っていた少佐達には、あまりにもあっけない幕切れだった。そのため、喜びの声があがるには、くじら型ギフトからの通信が来るまで、今しばらくの時間を必要とした。