校長室
創世の絆 第三回
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■ゲルバッキー ニルヴァーナ校。 出来立ての音楽室には、ピアノの音が響いていた。 梱包を解かれ、調律を済ませたばかりのグランドピアノは、最高級の上等品で、その音には品と深みがある。 あのジェイダスより寄贈されるのだから、生半可なものではないだろうと考えてはいたが―― 鍵盤に置いた指が誘われるように沈み、音を鳴らす。 思い描いた通りの機微を、ここまで細かに拾い、軽やかに涼しく、時に深く重く響かせてくれるものは珍しいだろう。 (奏者に寄り添うピアノだ) 黒崎 天音(くろさき・あまね)は、指先の動きとイメージを途切れさせぬまま、静かに笑んだ。 教室には、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)とラクシュミ、そして、吉井 ゲルバッキー(よしい・げるばっきー)が居た。 響く音は、アラビア風の何処か妖しさを秘めたメロディから、ストレートな煌めきを感じさせる高らかなメロディへと移った。 光の粒を振りまくような時間が過ぎ、それは、ふいに激しい旋律へと転じる。 重く、激しく奏でられる“戦いの音”。 大きな戦いはやがて収まり、緩やかに静けさを得ていく。 僅かな無音まで降りたところで、天音はクスリと先んじて笑みを零してから、指先を遊ばせて「子犬のワルツ」を鳴らした。 「――というわけで、まだ未完成だけれど」 鍵盤から指を離して、ラクシュミたちの方へと振り返る。 ラクシュミからは惜しみない拍手があった。 ブルーズもまた、手を鳴らしてくれている。 天音は二人へと視線を流してから、ゲルバッキーへと留めた。 「どうだったかな? 曲の名は『ニルヴァーナ』」 月の回廊の光景、常世の森、イレイザーとの戦い……。 今、奏でられるのは、ここまでだった。 この曲の続きがどうなるのかは、まだ誰も知らない。 (私に訊きたいのは曲の感想ではなかろう?) 天音は、改めてゲルバッキーへと向き直り、足を組んだ。 膝に手を掛ける。 「真の王……フレイムたん……」 彼は、ゲルバッキーを見据えたまま、確かめるように言葉を並べていった。 今のところ、取り立てて反応は無い。 「オーソン」 (ぷ) 笑った……ようなので、天音は「そこからか」と頭中で零し、続けた。 「知っているんだね? シャンバラに姿を現した“元”ポータラカ人の名だ」 (知っているというほどではない。 ただ、奴の持ちギャグ『貴様は狂っているぞ、ゲルバッキー』を思い出してしまっただけのこと) 「それ、持ちギャグじゃなかったんだと思う」 ラクシュミが半眼で言う。 「オーソンは、真の王と名乗る者に協力しているようだった。真の王について、何か知っていることは?」 (選ぶがいい) 「え?」 ゲルバッキーの言葉にラクシュミが首をかしげる。 (素直に「知りません」と白状する最もどうでもいい私が良いか、知ったフリをして壮大な大嘘をぶっこいた後に「嘘ぴょん」と可愛く舌を出す私が良いか) 「どうでもいいよ!」 ラクシュミに怒られたゲルバッキーは、誤魔化すようにハッハッハッと自分の尻尾を追い回し始めた。 天音は、さて、と首を少し傾けて。 「なら、【真なる世界】については、どうかな? 彼らの王は、その世界の王となることが目的らしい」 (…………ふむ、なるほど。 どうやら、パラミタでは私の知らぬことが起きているらしい。 じじじじつに、きょ、きょ、きょ、興味ぶかかかかかかいな) 「分かりやすく動揺しているのが逆に怪しい」 ラクシュミが胡散臭そうに、じっとゲルバッキーを見据える。 (ちょっ、まっ、お前! セラフィム・ギフトが奪われ、パラミタでもスッゲェ事件が起き始めてるみたいだってのに、ちょっとマジ真剣さが足らないんじゃない!? 世界救う気あんの!? このままじゃ、もう、ほんと、ドーンですよ!) 「だから、どうしてそんなに言動が怪しいのよ!」 「落ち着け、校長も」 ブルーズがこめかみを指で抑えながら、少しだけ疲れた声で問いかける。 「話題を変えよう……。 パラミタを支えるアトラスのパートナーは、石原肥満なのか?」 ゲルバッキーが、ヘッヘッヘと舌を出し息を吐きながら答える。 (そうだ) その返答に、天音は小さく息をついた。 「そして、2009年の6月、地球とパラミタを繋いだ者―― それも、波羅蜜多実業高等学校 校長 石原肥満だね」 ゲルバッキーが天音の方へ鼻先を向ける。 (その通りだ) 「君たちの手引きで?」 (幾つかの介入があったことは認めよう) 「知りたいね。君たちが世界にどんな実験を行ったのか」 (実験……) ゲルバッキーは笑ったようだった。心から。 (これは、そのような生温いものではない。 私は常に、永い永い刻を掛け、尚消えることのない昼ドラばりの激情に突き動かされている……。 私から全てを、女を、奪った存在を滅するため――とかではなくて、 皆がいつもニコニコ仲良く笑って暮らせる争いの無い平和な世界を創世するために!!) 「……我は、若干頭痛がしてきた」 コメカミを押さえるブルーズの肩に、ぽんっとラクシュミの手が置かれたのだった。 ■仮面の者 ブラッディ・ディヴァインが拠点として与えられたヴィマーナの広間の影。 彼らの協力者として動いていた音無 終(おとなし・しゅう)は、彼らにヴィマーナを与えた者と対峙していた。 「幾つか聞きたい事があるんですよ」 「必要ナ情報は、全てワたしていル」 衣装に覆われた顔がどんな表情を浮かべているのかは分からない。 ただ、それは超霊の面で顔を隠している終も同じことだった。 「それはアナタの意見。 例えば、アナタの名は?」 「名……?」 「そう、名前です」 頷く終の後ろでは、やはり面で顔を隠した銀 静(しろがね・しずか)が氷砂糖を食べていた。 カリ、と砂糖を齧る音だけが静かに響く。 僅かな間があってから。 「くイーん」 「クイーン? まさか、あなたが、このニルヴァーナの国家神、ファーストクイーンだと?」 「違ウ」 クイーンと名乗った者は、それだけを告げると、終の横を抜けて立ち去ろうとした。 おず、と静がクイーンの行く手に立つ。 終はクイーンの方へと表を向け。 「クイーン。 あなたは今まで何処にいたのでしょうか?」 最も気になるのは、クイーンの目的だった。 ブラッディ・ディヴァイン――ルバートに情報を与える理由。 そして、サンダラ・ヴィマーナの事。 だが、クイーンは言った。 『必要な情報は全て渡している』と。 ならば、その事については問いかけても無駄なのだろう。少なくとも、今、クイーンから聞き出すことは出来ない。 だから、違う角度から問うたのだ。その正体に少しでも近づくべく。 衣装で隠されたクイーンの顔が終へと向けられる。 僅かに覗いた口元は少女のものだった。 彼女は言う。 「ニンゲン」