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リアクション
大切な人、大切な場所 7
パラミタ内海は、まるで嵐が猛威を振るっているの如く、その海面は荒れに荒れていた。
異形の怪物と化した鯨の群れ――ここでは仮に、魔鯨と表現することととする――が、シャンバラ海軍の艦隊に襲いかかっているのである。
新造戦艦セント・アンドリューを旗艦とするケーランス第一艦隊は、次々に突進を仕掛けてくる魔鯨どもを大型荷電粒子砲による一斉砲撃にて迎え撃ちながら、徐々に戦闘範囲を軍港ケーランス近辺から内海の沖合方面へと広げつつあった。
ケーランス提督アーノルド・ブロワーズ提督が指揮を執る第一艦隊は、しかし、必ずしも戦局を優位に推し進めているとはいい難い。
寧ろ、一進一退の攻防を繰り返していると考えるべきであった。
「しかしよくもまぁ、これだけの数の魔鯨が潜んでいたものですな。パラミタ内海も、狭いようで案外広かったという訳ですかな」
艦橋で戦況全体をじっと眺めていたセント・アンドリュー艦長ホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)が、心底呆れた様子で、やれやれと小さな溜息を漏らしながら、片側の眉を僅かに持ち上げた。
傍らに立つブロワーズ提督は、その口元に僅かな苦笑を浮かべ、ネルソン艦長をちらりと見遣った。
「逆をいえば、これ程の猛威が顕在化したのだから、海軍の予算を積み上げる口実が出来た、ともいえるな」
「ははは。まさしく、仰る通りで」
これ程の激戦の中にありながら、茶飲み話でもするかのような呑気さで笑いを漏らす提督と艦長。
パラミタの海の男は、例え自身の命が危険と直面していようとも、決して余裕を失わない。
己の死そのものさえ笑い話にしてしまうような豪勇さが、彼らの持ち味であるといって良い。
「ノイシュヴァンシュタインより入電。左舷第三防衛線方面、維持困難との由」
主砲担当兼艦隊通信主幹を務めるローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)海軍少佐が、自らが陣取るオペレーター席から椅子を回転させて、僚艦ノイシュヴァンシュタインからの緊急入電を口早に報告した。
ネルソン艦長が、指示を窺うようにブロワーズ提督の渋みのある顔を横から覗き込む。
次に発せられる命令は、既にネルソン艦長の頭の中では予測済みであったが、しかしそれはブロワーズ提督の口から出て初めて、艦隊としての正式な意思へと変ずる。
ネルソン艦長はあくまでもセント・アンドリューの責任者に過ぎず、第一艦隊全体に対する命令権は許されていないのである。
それは、艦隊司令官であるブロワーズ提督ひとりに集約された権限であった。
「ヴェルサイユに入電。腹からえぐってやれ、とな」
「了解」
ローザマリアは機晶式潜水艦ヴェルサイユに向けて、左舷への援護に廻る旨の指示を送る。
すると数秒を置かずして、ヴェルサイユ艦長ロベルト・ギーラス中佐から、すぐさまヴェルサイユを回頭させて左舷へと向かう旨の応答が返ってきた。
「ヴェルサイユは、敵正面に横っ腹を見せる形で戦闘海域を横断することになる。その間の支援砲撃照準補正はクライツァール少佐、君に任せる」
「直ちに」
ブロワーズ提督からの指示を受けて、ローザマリアはヴェルサイユの航行ルートと、魔鯨の群れの突進ルートを海図上に描き出し、支援砲撃を叩き込むべきポイントを即座に割り出した。
* * *
パラミタ内海に現れた怪物は、魔鯨だけではない。
海岸線には、全身鱗だらけの人型魚類の魔物――即ち半魚人の群れが上陸し、点在する漁村に無差別攻撃を仕掛けつつあった。
この防衛戦にはシャンバラ陸軍が当たっていたが、各地での戦闘に多くの将校が駆り出され、人材不足は否定出来ない。
ケーランスに程近い要衝地に於いても、その傾向は顕著であった。
「……本来なら、私が前線に出て陣頭指揮を執るなど、有り得ん話なのだがな……人材不足、ここに極まれり、ということか」
将校用の国軍正式採用飛空船に搭乗しているマグナス・ヘルムズリー(まぐなす・へるむずりー)大佐は、傍らに補佐官として立つクエスティーナ・アリア(くえすてぃーな・ありあ)中尉が驚くのも意に介さず、幾分自虐的な笑みを浮かべて小さく肩を竦めた。
ヘルムズリー大佐は、米軍在籍時にはイラク戦争やソマリア紛争といった最前線に身を置き、現場での直接指揮の経験を豊富に積んでいた。
しかしシャンバラ国軍に於いては、法務局の長官を務めている。
法務局とは即ち、軍隊では事務方の典型ともいえる部局であると同時に、軍を監視する司法の役割も担っている為、その長官が自ら現場に出て指揮を振るうというのは、本来であれば有り得べからざる現象であるといって良い。
しかしながら、深刻なまでの人材不足の為に、そのような正論を押し通す訳にもいかず、地球での指揮経験が豊富なヘルムズリー大佐が、止む無くパラミタ内海沿岸での防衛戦指揮に廻らざるを得なかった、というのが実情であった。
「大佐殿……イコンの投入は、出来ないのでしょうか? サイアスのパイロットランクならば、三機一隊の小隊編成が可能なのですが」
「生憎だが、無理だ。イコンのような大火力の破壊兵器は、一般市民の多い現戦場の沿岸防衛戦には、投入出来ん」
クエスティーナの問いかけに、ヘルムズリー大佐は渋い表情を返した。
「ああいうのは本来、空戦か局地戦にしか使えんものだ。最近の若い連中は、戦術兵器投入の是非も分かっておらず、そこかしこでほいほいとイコンを好き勝手に投入し過ぎるきらいがある」
ヘルムズリー大佐の苦言は、クエスティーナの耳にも非常に痛かった。
ただ戦力として優れているからという理由だけで、安易にイコンを投入しようと考えていた――その点は、大いに反省しなければならない。
と同時に、矢張りヘルムズリー大佐は一介の事務方ではないとの思いも更に強めた。
「現在、部下に避難誘導と護衛を指示しております。ところで大佐、サイアスが用意した装輪装甲通信車への搭乗は、如何致しましょうか?」
クエスティーナがいうには、サイアス・アマルナート(さいあす・あまるなーと)が地上での指揮車用にと、装輪装甲通信車を事前に用意しておいたのだという。
しかしこれも、ヘルムズリー大佐はかぶりを振って否、と答えた。
「いや……指揮官は、戦場全体を俯瞰出来る位置に陣取る必要がある。地上に降りてしまっては、どうしても視野が狭くなってしまうからな、それは避けたい。地上班の小隊長に都合してやれ」
それでは、とクエスティーナは自らが地上に降りて、避難誘導の指揮に当たることとなり、サイアスが用意した装輪装甲通信車もクエスティーナ自身が使用する運びとなった。
* * *
クエスティーナが今まさに、避難誘導の為に降り立とうとしている地上防衛線の一角――そこに、襲い来る半魚人の群れを、漫然と眺めている巨漢の姿があった。
「本当に、いらっしゃいましたわ……しかも、教導団が防衛戦を展開している作戦行動現場にのこのこと姿を現すなんて……矢張り、気まぐれな御方なのでしょうか」
海岸線を望む丘の上から、中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が幾分呆れたような様子で、しかしどこか懐かしげな色をその面に浮かべつつ、僅かに苦笑を浮かべた。
国家としてのシャンバラから指名手配を受けているにも関わらず、教導団が防衛戦を展開する戦場で、形として共闘する格好になっている若崎 源次郎(わかざき げんじろう)という男。
綾瀬が口にするように、気まぐれとしか思えない奇異な行動は、しかし、綾瀬の人物観察欲をこれ以上は無いという程に、強烈に刺激しているようであった。
同じく源次郎の登場に少なからず驚きを示していた魔王 ベリアル(まおう・べりある)は、綾瀬とは異なり、恐ろしく直線的な行動に出ていた。
即ち、半魚人の群れを軽くあしらうようにして撃退し続けている源次郎の傍らへと走り、その真意を問いただそうというのである。
「源ちゃんッ! こんなところで、何やってんのさッ!」
「ん? 何や、誰か思たら、綾瀬っちんとこの悪魔やないか」
必殺の能力時空圧縮を駆使して、迫り来る半魚人の群れを次々に消し去っている源次郎は、世間話でもするかのような呑気さで、大声を張り上げているベリアルにのっそりと振り向いた。
「まさかとは思うけど、今更ながら教導団に恩着せといて、指名手配を取消……なぁんてことはないよね? やっぱり、パラミタがなくなっちゃうと商売あがったりになるから、ってとこかな?」
「いやいや、全然ちゃう。そもそも、わしの市場はパラミタだけやないしな」
実際、源次郎の販路としては、パラミタよりも地球の方が規模としては大きい。
では何故――ベリアルが更に疑問の声をあげてみた。
すると源次郎は、思いもよらぬ返答を口にした。
「自分、サニー・ヅラーっておっさん、知っとるか?」
「ん〜……知らない」
ベリアルは、素直にかぶりを振った。
まぁそうやろな、などと源次郎は適当に相槌を返して更に曰く。
「このサニーっておっさんが、クイズ大好きやねんけどな。わしこないだ、あのおっさんの出すクイズに間違えてしもてん」
で、その罰ゲームとしてこの戦いに馳せ参じることになった、というのである。
ベリアルは呆れに呆れ果ててしまったが、しかしらしいといえば、これ程に源次郎らしい動機も無かったであろう。
源次郎とベリアルのやり取りを、自らが駆るイコン『サタナエル』の機内で、集音マイク越しに聞いていた綾瀬は、再び苦笑を浮かべた。
「やっぱり、相変わらずの源次郎様ですわ。妙なところで律儀といいますか」
綾瀬は操縦桿を握り直し、一呼吸入れた。
「微力ながら、お手伝いしますわ。私としましても、この先の物語をまだまだ、観ていきたいものですので」
この周囲一帯の一般市民は、既に源次郎が時空圧縮で遥か彼方の安全地帯へと退避させている。
つまり、この一角だけはイコンの火力が使い放題であるといって良い。
勿論、綾瀬の為に露払いした訳ではなく、源次郎自身が、非戦闘員が近くに居るとやり辛いということで、早々に退避させたまでであるが。
半魚人の大群はまだまだ、海岸を越えて内陸へと殺到しつつある。
綾瀬の駆るサタナエルはゆっくりと起動し、源次郎が陣取る丘の脇を通り抜け、一気に海岸線へと下降していった。