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リアクション
(一体何が起きているんだ)
あちこちで混乱の声が上がるなか、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は密林のなかを駆けていた。
何がどうなっているのか、皆目分からない。仲間が仲間を攻撃しているように見えるが、あれは本当にそのとおりなのだろうか?
とまどいはあったが、彼のしなくてはならないことは変わっていなかった。密林にひそむ敵を倒すことだ。彼らはまだ掃討しきれていない。
(むしろ、この混乱に乗じて襲ってくる可能性が高い。そうなれば全滅もあり得る)
だから自分のすべきことは、ただ撃って、仕留めるだけだ。
むしろ今まで以上に気を張る必要があるだろう。もし……本当に、仲間が敵と化していっているのならば。
(撃てるだろうか?)
ふとアルクラントは自問する。
(敵になった仲間と遭遇して。そのとき、私はそいつを撃つことができるか?)
撃てる、と思う。
いや、撃たねばならないのだ。もしもだれかが狙われていたら。自分を殺そうと向かってきたら、それがだれであろうとも引金を引かねばならない。たとえ、友人であろうとも。
命を護るというのはそういうことだ。
その覚悟もない人間に、殺しの道具である銃を持つ資格などない。
彼はこのときまでそう信じていた。そして、自分にはそれができると。
だがそう時を置かずして、彼はそれがただの欺瞞であったと、まざまざと思い知らされることになる――。
「――えっ?」
仕留め損なった少年を追いかけ、掻き分けたしげみの向こうに見た光景に、アルクラントは愕然となった。
傷だらけの少年が、腕をかばうようにして木の根元に倒れていた。白いショートヘアにオッドアイの瞳。救護班を担当していた少年だ。たしか、名前はヴァイス・アイトラー(う゛ぁいす・あいとらー)だったか。
そしてそんな彼から少し離れて立つ、青い鎧をまとった精悍な顔立ちの黒髪の男。彼にも見覚えがあった。ヴァイスが具合を気にしていた……おそらく、彼のパートナーの青年だ。
だがアルクラントを絶句させたのは、彼らではなかった。
黒髪の青年の傍らに立つ、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)の姿だ。
あり得ない、と思った。
ここへ来る前、彼女を見舞い、声をかけた。彼女は高熱を出して、立てないほど体調を崩していて、ベッドへ寝かせてきたのだ。彼女は部屋で寝ているはずだ。
だが、彼女はシルフィアだった。幻でも、よく似た別人でもない。
ゆるく波打つ銀の髪も、静けさをたたえた青い瞳も。透き通るような肌、桃色の唇までも、残らず彼女のもの。ほかの者には持ち得ない、彼女独特の美しさ。
「シル、フィア?」
まだどこか信じきれない思いで名を口にする。アルクラントに気付いた黒髪の青年の顔が彼の方を向いた。
「だめだ……いけない、セリカ…」
ヴァイスが苦しげに吐き出す息の下で、パートナーの名を呼んだ。
ぐっと左手に力を入れ、地面を押して身を起こす。右腕は、先に受けた攻撃で折れていた。
「オレは、まだ、いい。けど、ほかのやつには手を出すな…!」
セリカ・エストレア(せりか・えすとれあ)の目が再びヴァイスの方を向く。
「いけない!」
はっとなって、アルクラントはプロミネンス・マスケットをかまえた。
「やめろ……セリカを撃たないでくれ!」
「大丈夫、死ぬわけじゃない」
ただ動けなくするだけ――そう考え、撃とうとした彼の前にシルフィアが両腕を広げて立ちふさがった。
「シルフィア、どいてくれ!」
「だめよ、アルくん」
言い合いをしている暇はない。幸いセリカはシルフィアよりかなり大きい。この距離ならシルフィアをはずしてセリカだけ撃つこともできるだろう。
そう思うのに、指が動いてくれなかった。
シルフィアも撃たなければならない。スナイパーとしての判断力が冷静に告げる。たとえあの青年を止めることができても、シルフィアが少年を襲うかもしれない、と。
2人並んだ今の状態は好都合だ。このまま撃ち抜け。この距離でその銃の威力なら、シルフィアごと貫ける。
(撃つ? シルフィアを?)
浮かんだ考えにぞっとした直後。
「ワタシを撃つの? アルくん」
感情の希薄な声でつぶやかれたその言葉が、アルクラントの胸を射抜いた。
腕から力が抜けて、銃を落とす。
「シル――ああっ…!」
彼女に近付こうとした彼の肩に、どっと何かがぶつかった。肩を中心に燃えるような激しい痛みが沸き起こる。強く押されるように後ろへよろけた彼の目に入ったのは、己の体を貫いた槍の柄――。
「な…っ…。……え…?」
それはセリカの持っていた紺碧の槍だった。彼を敵とみなしたセリカが投擲したのだ。
痛みにひざをついた彼の体から、容赦なく引き抜かれる。
肺をやられたのか、血がこみ上げ、口からあふれた。嘔吐し、咳き込む彼を、セリカは容赦なく殴り、蹴り飛ばす。アルクラントにはそれを避ける気力もなく、ボロきれで作られた人形のように地面を転がった。
「セリカ、やめろ! ……! ……!!」
ヴァイスの怒声がしびれた耳にかすかに聞こえる。だがもう、何を言っているのか理解できなかった。
多分、抵抗することはできたろう。急所をかばうように身を縮めることも。転がって避け、立つことだって。
だがそうする気力が沸いてこない。
(……分かっていた…。本当は、分かっていたんだ…。私が銃を撃つのは、覚悟があるからじゃない……ただ逃げただけなんだと…)
この手でひとを傷つける、それすらも覚悟できず、銃に逃げた。
いつだって逃げてきた。自分では何ひとつ決められず、ただひとに従うことを受け入れてきた。何の問題もないからと、笑って…。
そんな彼を「大人だ」と評価する者は少なくなかった。「感情にとらわれない、冷静沈着な判断ができる強さを備えた者」と。
どこが大人だ。
あきらかに弱っているシルフィアを放ってこんな所へやってきて。弱った彼女を見ているのが怖かっただけじゃないか。
彼女にもしものことが起きたとき、そばにいるのが怖かった。知らなければ、遠くにいれば、それは自分にとって「存在しないこと」になるから…。
雷をおそれてベッドの下にもぐり込む子どもとどこが違う?
彼女を撃つこともできず、知るのが怖くて問うことすらできない。
(シルフィア…)
もはや痛みも感じない。
沈んでいく視界のなかで、アルクラントは己の銃を見た。銃と、その横に転がった、お守り。――シルフィアのお守り。
震える手を伸ばして、アルクラントはお守りを握った。
(ああ……シルフィアのお守りが血で汚れてしまったな…。せっかく作ってくれたのに…)
それを最後に、彼の意識は失われた。
「セリカ! やめろ!! ……っ! どうして、こんな……こんなことを…っ!!」
ヴァイスは憤った。
止めようもない涙がほおを伝う。
くやしくて、腹が立って。
セリカはこんなことを望んじゃいない。
正気に返ったとき、このことを知ったら彼は怒るだろう。自己嫌悪に陥り、そして深く傷つく。
そうと分かっているのに、自分には止めてやる力すらない。
「――くそッ! くそっ、くそっ、くそっ!!
セリカぁあっ!!」
飛ばされていた己の剣――光の刃を持つ大剣――を拾って、ヴァイスは再びセリカへ向かって行った。
「もう絶対に、おまえにだれかを傷つけさせたりしない! あくまでそうするというのなら、先にオレを殺してからにしろ!」
決意に燃える目で剣をふるう。しかし片腕で、しかも体じゅう裂傷と打撲だらけの満身創痍の状態では、その技に冴えはない。
反対にセリカの方はまだまだ余力がある状態だ。しかもシルフィアという、防御に長けた女騎士がサポートに回っている。到底ヴァイスに勝ち目はない。
「――くっ。
セリカ……正気に、返れ…っ!」
打ち合わせた刃先から伝ってくる衝撃にすら耐えられず、ヴァイスの腕は震える。
「――あっ…」
突き放され、よろめいて木に当たった彼の前、セリカがかまえをとった。ランスバレストだ。
もうヴァイスには避ける力もほとんど残されていない。防御したところで、防ぎきれる自信もなかった。
おそらくセリカの本気のランスバレストを受けたら、槍は後ろの幹ごと彼を貫く。
「セリカ…」
(弟に次いでオレまで死んだら、おまえ、どうなっちまうのかな…)
パートナーロストで死ななくても……心が壊れちまわないだろうか?
苦痛と疲労で麻痺しかけた頭でぼんやりとそんなことを思う。
「そんなの、だめだ。逃げて、逃げて……生きないと」
セリカのために。
もたれた木に手をつき、どうにかして転身したとき。
「むん!」
そんな声とともにしげみから飛び出してきた少年が問答無用でセリカをぶん殴った。
角刈り、太い黒眉の凛々しい、がたいのいい男だ。セリカよりも上背があり、2メートル近くありそうだ。
「ホリイよ、わしの補助はよい。おぬしはひとまずそちらの少年の手当てを」
若々しい外見に見合わない、古風なしゃべりで男は独り言のようにつぶやく。目は横倒しになったセリカを見つめ、反撃がくればいつでも対処できるかまえだ。
「はいは〜い」
どこからともなく元気よく返事が返ってきたと思った次の瞬間、男のまとっていた銀の装甲が消えて、その代わりのように小さな少女が脇に現れた。
少女はてててっと小走りして、木にもたれて立っているヴァイスに近付くと、ほわんとヒールをかける。
「ワタシ、ホリイ・パワーズっていーますです。あちらは夜刀神 甚五郎といいまして、ワタシのパートナーです」
「あ、オレはヴァイス・アイトラー……って、セリカを――」
「だいじょーぶだいじょーぶ。うちの甚五郎さんに任せてください。貴殿はまず、自分の傷を治さないとです」
押し戻し、ホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)はヒールによる治療を続ける。なにしろ、ヴァイスは1回のヒールでは治らないほど大けがを負っている。
ヴァイスは体から痛みがひいていくにつれ、余裕が出てきたせいか、はらはらしながら食い入るようにセリカと夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)の戦いを見守っていた。
甚五郎は初撃の不意打ちがきまったことを効果的に利用し、セリカの槍の間合いに持ち込ませず、素手の間合いでアンボーン・テクニックをうまく用いて戦っている。セリカはまだ新手の登場にとまどい、その戦い方を見極めようとしてか、防戦のみに集中しているようだった。
「はい、終わりました」
ぽん、と右腕をたたかれて、初めてヴァイスは折れた腕が元に戻っていることに気付く。
そして彼はまだ地面に転がったままのアルクラントへ駆け寄った。
「生きてる……よかった」
「この方、ものすごい重傷ですね」
横についたホリイが、まだ息があることにどこか感心したような言葉をもらす。
ヴァイスは彼の上で両手をかざし、命のうねりをそそぎ込んだ。強い生命力がアルクラントの隅々まで行き渡り、彼の傷を内外から修復する。
(……魔法で、心までは修復できないけど…)
お守りを握り締めたまま意識を失っている彼が、セリカにやられていた間じゅう浮かべていた悲しげな表情を思い出して、ヴァイスはなぐさめるようにぽんぽんと肩をたたいた。
「――ふっ!」
甚五郎のひねりをきかせた後足による上段回し蹴りがセリカの肩に決まる。
地面をすべった彼に甚五郎は、ビシィ! と指をつきつけた。
「まったく、なんたる醜態だ! そんなふうになって、己のパートナーに襲いかかるとは! 普段から気合いが足りん証拠だ!
気合いだ! 気合いを見せろ! そんなわけの分からぬ支配など吹っ飛ばしてしまえ!」
「甚五郎、今気合い論はいいですよぅ」
彼らの前、セリカはシルフィアからメジャーヒールを受けて立ち上がった。
シルフィアはオートガードをかけ、防御の強化を図る。
「……これではただの消耗戦だな」
甚五郎は高周波ブレードを抜き、周囲になぎ払いをかけた。両断された左右の木々がセリカとシルフィア目がけて倒れ込む。
「今のうちだ、退くぞ。ついて来い」
2人に指示を出すと同時に自身はアルクラントを肩にかつぎ上げ、その場を離脱する。
セリカとシルフィアは3人を追おうとしなかった。言葉を発することもなく。視線で語り合うように互いを見合ったのち、2人は申し合わせたように敵の気配のする密林へと消えて行ったのだった。