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エデンのゴッドファーザー(前編)

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エデンのゴッドファーザー(前編)

リアクション

 オープンを間近に控えたカジノは、様々な業者が出入りして最後の仕上げに移っていた。

「おーらーい、おーらーい、おーらーい、はぁい、すとぉっぷ」

 シィ・ショウル(牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ))は花屋――戦場に咲く一輪のなんちゃらならぬ、戦地に構える一軒の花屋である。
 ピッ、ピッ、ピッとテール・ランプを光らせたトラックがシィの指示で止まる。
 運転席と助手席からはシィのパートナーであるシーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)の憧れの人、リク・ショウルとナコト・オールドワン(なこと・おーるどわん)が降り、荷台の戸を開いた。
 中には4色のバラの花が注文通りぎっしりと詰まって、それを見ながらシィは指差しながら確認を始めた。

「赤い花は多いからきっとオールドさん、青は、にゅー…ふぇいす? 黄色はロンド……ン?」
「ロンドですわ」
「そうそう、ロンド! で、白はおデブさん」
「おデブとは……カーズのことだろう」
「それですぅ!」

 リクとナコトに突っ込まれながらも、どの色がどのマフィアかを把握し準備を整える。
 外装、内装共に建物の寂しい部分をうまくデコレーションするようにと、オールドから依頼されたのだった。
 もちろん、ただポンポンと置いていけばいいわけではなく、青と黄色と白の花を敷き詰めたなら、その上に必ず赤い花を置くようにしなければならない。
 またオールドが依頼したのだから自然と赤い花が多く、それらが余りそうな時は、他の色を綺麗に取り囲めとの指示もある。

「随分情けない権力の誇示ですわ」
「そう言わない。戦いに身を置く者は少なからず何かしらの験を担ぐから、そういった類であると捉えた方が楽よ」

 何が楽かと言えば、花の飾りつけで妙な気持ちにならないで済むということ。
 こっそりと赤い花に唾しそうな気持ちも、験担ぎとも思えば少なからず心が荒むこともないだろう。

「そうしますわ。ではわたくし達も取り掛かりましょう。シィ1人では箱をひっくり返してしまいそうですわ」

 リクが荷台からシィとナコトに箱を渡し、彼女達はまずはトラックから全てを路肩に積もうとして――、

(うぅんっ!? あぁっ、シィ、人とぶつかるよぉぅっ!)

 シィの下着として魔鎧化されたラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)が声を上げると、シィはぶつかった衝撃で箱の花を盛大にひっくり返してしまった。

「赤い花ぁっ、オールドさん達が散っちゃったよぉっ! どこのマフィアの回し者ですかぁっ――?」
「わぁっ!? おまえ何て事、口走って――!?」

 シィとぶつかった柊 真司(ひいらぎ・しんじ)は慌てて彼女の手を取って強引に立ち上がらせた。
 それもそのはず、ここはオールドがオープンするカジノの前であって、どんな時でも彼らの構成員が見張りについて目を光らせているからだ。
 シィの大変縁起でもない素っ頓狂な声は彼らの耳に響き、膨らんだ脇に手を添えられてるのを見れば、真司としては寿命が縮む思いだ。

「ごめんね、真司のせいで。大丈夫? ちょっと凄いカジノがあるっていうから、ここかと思って見とれちゃってたのよ、彼」
「そうですかぁっ、観光ぉ?」
「ええ、そうよ」

 一緒に歩いてきたリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)が、彼女の服についた埃を手で優しく払った。

「へへ、何でもない、何でもない。ぶつかっただけだ」

 リーラが払う間、真司はオールドの見張りに向かって両の掌を向け、日常的な事故で他意はないとアピールしていた。
 彼らが脇から手を離すのを見て、真司はリーラと共にいくつか花を拾って箱の中に収め、少しの手伝いをしてからその場を後にした。

「シィ姉様、大丈夫でしたか?」
「うん、平気っ。カジノを見に来た観光の人だってぇ」
(もう、シィはおっちょこちょいなんだからぁっ……。んん? 何かラズンにくっついてたモノが無くなったような……)
「さぁ、飾り付けちゃおうっ」

 シィの元気な声と共に、3人と下着は再び作業にとりかかった。

*

 街中の緊迫感に耐え切れず、そろそろ誰かがひと暴れしそうなほどに茹で上がる頃が過ぎれば、ようやく一息つけるカジノ当日である。
 しかし落ち着いて呼吸が出来るのは、カジノに着くまでだ。

「おい、手前ッ、何をしてやがる――ッ」

 ロッソの屋敷――その前に幾台も縦列した黒塗りの高級セダンを前にしていた宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、ロッソの取り巻きに怒鳴られた。
 カジノへの準備が出来、パーティー・タイムへ向かう頃合いだった。

「どこの手の者だッ」
「ここの給仕の1人で、下っ端の1人ですよ。パーティーに出発するんです。せっかくの完成披露なんですから少しでも綺麗にしておかないと。ボスだって野郎の手垢がついた車に女性をエスコートしたくないでしょう?」
「おいッ」

 取り巻きはもう1人の黒服を顎で使い、屋敷に戻らせた。
 確認を取らせに戻ったのは明白だが、祥子とて怪しい動きを見せているものの立派な構成員の1人である。
 普段ならば何気ない洗車作業の1つも、ロッソがパーティーに他のマフィアを呼ぶと決めて以来空気が張りつめていて、まるで何か仕込んでいると見られている。
 こうやって怒鳴られたのも、確認するまでの待ちぼうけも何度目かわからず、慣れていた。

*

 招待を受けた振興マフィア――ニューフェイスは構成員の誰よりもボスのシェリーが昂る気持ちを堪えられずにいた。

「シェリーよく聞いて頂戴」

 ニューフェイス幹部の1人であるオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)は、シェリーの隠れ家でその機を窺って2人きりになっていた。
 チャンスが訪れた事に胸を撫で下ろすと同時に、シェリーがマフィアに向かないということもよく理解できた。
 オリヴィアは彼の胸に当たるか当たらないかの辺りで両の手の平を向け、彼が感情的にならないように先回りの行動をとった。

「おじ様の事、残念だったわ」
「……ああ、そうだね」

 シェリーは何度も深く頷きながら、息を吐くように言った。

「……こういう世界だから、血を流すこと、血で血を洗うこと、綺麗事で済まない。それは正しいわ」
「オルヴィア」
「だから――」
「オルヴィアッ!」

 向けた掌はいつの間にかシェリーの胸が触れていて、伸ばした肘は彼の圧力に耐え切れず曲がっていた。

「説教はいらない。僕は――継ぐ。父の跡を継ぐ。それだけだし、協力できないなら去ってくれて構わない。キミが、父から援助を貰って恩義に感じているのは十分に理解している。しかしながらそれはもう、ニューフェイスを作り、僕がボスになった時点で十分に果たしているとも言える」
「そうじゃない、聞いて。おじ様は恐怖だけでエデンを収めていたわけじゃない。それは仕えていた人皆が言う事よ。だから少し、少しでいいから――」

 このまま進むべき事が本当に良いのか考えて欲しかっただけなのだが、シェリーは何か言いたげに、しかし言葉を飲み込んでオリヴィアから離れようとした。
 彼女はその手を取るのだが、
 コンコン――。
 その時、2人きりの小部屋にノックの音が響いた。

「シェリー兄様? ここにいらっしゃいます?」
「呼ばれている。話のキリにはいいだろう?」
「無理をして親の跡を継ごうとしなくても、普通に生きていく道もあるわよ?」

 シェリーは振り返ることもなくその手を払い、この場を後にした。

*

「シェリーに余計は事を言うのはやめたまえ」

 シェリーと話を終え、部屋を後にしたオリヴィアは壁にもたれかかるアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)にそう告げられた。

「盗み聞きですか。随分と素晴らしいご趣味をお持ちで――」
「父親の跡を継ぎ、マフィアの頂点に立とうという強い信念を理解できないのは女だから、か――。否、失敬。何にせよシェリーは私と共に、頂点を目指す。私は彼と一心同体なんだ! だから――シェリーに返す言葉は私に言うのと変わらない」
「……私は女なので、そういった男の友情、気持ちは理解できませんから、これまで通りにさせてもらいます」

 アルクラントは大袈裟に腕を広げて仰ぎ、首を振ってその場を後にした。

*

「うん……? お邪魔でした?」

 シェリーを呼んでいたのは、ロメロの子――アナスタシア(茅野 菫(ちの・すみれ))だった。
 所謂腹違いの兄妹であって、ニューフェイスを創ると同時に帰ってきた1人だ。
 それも契約者という最上の兵隊を連れて、だ。
 シェリーは横目にアナスタシアを常に両脇で支えるマリオ(相馬 小次郎(そうま・こじろう))と、ロミオと(菅原 道真(すがわらの・みちざね))を見た。

「何も邪魔ではないさ」
「あら、そう? 彼女パーパが助けた人なんでしょう?」
「そうだ。でも、今は僕の兵隊だ」

 シェリーの力強い言葉にアナスタシアもこれ以上深く突っ込もうとはしなかった。

「……では、パーティーに行きましょう。兄様も顔を出すのでしょう?」
「勿論、立場は明確にしておかねば」

 ロッソからの招待を受け取ったのは、そのためだ。
 ニューフェイスとして、否、ロメロの息子として自分自身の立場を明らかにしなければなかなかった。

*

「ねえ、ロッソ様――?」

 カジノへ向かう車中で、幹部である御東 綺羅(みあずま・きら)は『運良く』同乗できたのを良い事に尋ねた。

「カジノではロンドやカーズ、それにニューフェイスも本当はまとめて叩くおつもりなんでしょう?」
「……新しいおもちゃをもらった時、それをいきなり砂場に持っていって遊ぶかね?」
「そう――でもニューフェイスの子達はどうかしら。新参者故にどこ構わず殺しにこないかしら? だから、ベレッタやマルコと一時的に――」

 サングラスの奥――ロッソの瞳が鋭さを増し、綺羅はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
 オールドというマフィアからくるプライドなのか、それとも上に立つボスという自尊心なのかはわからないが、ロッソに同盟を組むという選択肢はないらしい。
 なら勝手にさせてもらいましょう――と綺羅はパートナーであるピエール・コーション(ぴえーる・こーしょん)に連絡を取った。

*

 盛大なパーティーであればあるほど、情報というのは洩れていく。
 ロンドもカーズも各々車を走らせ、一同がカジノに集結していくのを、彼女は時計を見て判断していた。

「もううんざりだ……」

 住民区画の奥――。
 元オールドの幹部でアッシュ・ブラウナー(フレリア・アルカトル(ふれりあ・あるかとる))は、爪を噛みながら忌々しく吐き捨てた。

「ゴッドファーザーとして相応しいロメロが亡くなって、オールドはもう終わったのだ。なのにいつまでもいつまでも」

 オールドの内部抗争にうんざりした1人で、その忠誠心故にマフィアを離れたのだ。
 遠くで爆発音がした。
 それがカジノのオープンを祝った祝砲の花火なのか、それとも爆発なのかわからなかったが、唇がどんどん吊り上っていくのは止められそうになかった。

「さあ、踊れ――」

 アッシュは指を鳴らして、合図を送ったのだ。
 誰に――それはわからない。
 ただここからまた、新しいエデンが始まるのだと確信を持っていた。