空京

校長室

浪の下の宝剣

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浪の下の宝剣

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●海京神社の地下を探索する:page01

 階段を一段一段、踏むたびに虚空に、硬質の音が谺してゆく。
 ごつごつとした岩壁は濃厚な緑色、触れると氷のように冷たく、汗をかいてでもいるかのように湿っていた。階段はこの岩壁に沿って延々と続いており、松明を掲げ目を凝らそうとも、その先には、永遠に続くかのような闇が口を開けているばかりだ。時間の感覚、方角の意識が奪われるような世界ではあるものの、むせかえるほどの潮の匂いが、この地が海に直結していることを物語っていた。
 シルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)は数人連れの先頭、一歩一歩、滑らぬように歩を進めながら、ふと思いついたことを口にしている。
「宝剣ねぇ……」
 相づちを打つように、水の滴る音が聞こえた。
「『平家物語』に出てくる草薙の剣を連想させるじゃないか。だけど、草薙の剣が願いを叶えるって話は聞いた事ないな」
 こう切り出すと彼は、同行者となった十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)ウォルター・アーロン(うぉるたー・あーろん)柴崎 拓美(しばざき・たくみ)らに平家物語について自己の考察を交え話した。
「けど『平家物語』って、いわゆる口承文学なんだろう? 琵琶法師が謡い伝えたっていう……どこまでが本当の話か怪しいと思わないか?」
 宵一が問うた。彼の蒼空学園制服の襟は、洞窟を流れるひやりとした潮風に煽られ、ぱたぱたとはためいている。
「わたくし、よくは存じ上げませんが」ヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)も同じ疑問を抱いたらしい。宵一に頷いて言う。「源九郎義経っていう超人的なヒーローがいたりして、物語としては楽しいと思いますけれども……」
「そうだな。無論、全部が全部本当だとは思っちゃいないさ」シルヴィオは微笑をたたえて述べた。「せいぜい史実が半分、創作が半分といったところだろう。いや実際のところは、創作の割合がもっと高いかもしれない」
 だけど、という言葉を継いだのは拓美だ。端正な顔の顎に指を当てて、少女のように小首をかしげて語った。「だからといって、そこに隠された真実がないとは言い切れないでしょうね。伝承や伝説というのはしばしば、単なる史実以上に現実を物語ってくれるものですから」
「『隠された真実』かあ。拓美、あいかわらずロマンチストだな」彼のパートナーアース・フォヴァード(あーす・ふぉう゛ぁーど)が、巨木ほどもありそうな大きな上背を揺らして笑った。「まあ、面白そうではあると思うぜ」
 面白そう、というアースの意見にヨルディアも賛意を唱えた。
「実際、宝剣の正体がその『草薙の剣』だとすれば、千年におよぶ歴史ミステリー解明の鍵になるかもしれませんわね」
「この場所にその真実が眠っているのではないかと思いたいな」
 と言う宵一は言葉を抑えているものの、胸の内に熱い焔をゆらめかせていた。
「そう願いたいね」
 シルヴィオは今回、目立つ役割を担うつもりはなかった。戦闘で名を上げたり宝物を入手する気もない。新人の多いこの状況ゆえ、殺気看破や罠の発見などで味方を支援することこそ、彼がこの場所を志願した主目的なのだ。今も、こうして話しながら前方や頭上に留意している。同じ集団の末尾には、シルヴィオのパートナーアイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)がつけていた。
(「何があっても慌てないように……」)
 氷のようなブルーの瞳(め)で、アイシスは幾たびも後方を振り返り、壁と反対側の虚空も警戒していた。
 下り階段は続く。続く。海京――海の都の足元に、これほどの空間があったとは。もう何百何千の階段を下ったのかわからない。
 ひょっとするとこの地下は、海京以上の規模を持っているのかもしれない……と、拓美は考えるも思考はそこで中断された。
「見て下さい」
 ようやく、階段に終わりが見えたことを知ったのである。湿り気の多い暗闇に、緑がかった地底面があった。
「お先」
 宵一は飛び降りて一番乗りを宣言するも、殺気看破したシルヴィオが「何かいるぞ!」と声を上げた。これが間に合った。身をすくめた宵一は、飛んで来た最初の一撃を回避することに成功できたのだ。彼を待っていたのは冷たい地底だけでなかった。よくしなる尾の、先端についた針の一撃も待ち受けていたのだ。
 アースがバスタードソードを抜き、両手で握ってサソリに向かい構えた。地均しをするように、彼は足元を蹴って敵を牽制する。対するは鰐ほどもある大サソリである。毒針を持つ尾を立てると、高さはアースの首ほどもあった。黒みがかった外骨格は鈍く光り、シューッと威嚇の声を発していた。
「俺たちは招かれざる客、ってわけか」
「いいえ、アース。歓迎してくれてると言っても良さそうですよ」拓美はメイスの先端を闇の向こうに向けた。「みなさん総出でお出迎えです」
 その通りだった。巨大サソリは一匹ではなかったのだ。アイシスが闇目で敵の数を計上する。四方を囲んだサソリの尾は、ざっと三十はあるだろうか。歓迎してくれるにしても盛大な歓迎であろう。じりじりと包囲の輪を狭めてくる。
「嬉しくないなあ」
 という言葉とは裏腹に、宵一は大形戦斧(ブージ)を嬉しそうに構えた。ずっと階段つづきで少々退屈していたところだ。この展開はありがたかった。
「さて……」
 シルヴィオも一旦、平家物語の世界を頭から振り払った。
 戦いが始まった。

 サソリとの戦闘に、次々と新顔が加わる。
「あ゛ー、よく分っかんねぇが、サソリどもはブッ潰していいんだよな?」
「その通りですが、木春の生物調査は邪魔しないで欲しいのであります。純粋に好奇心を満たすための行為とはいえ、これが海京周辺の生態系研究の礎になると思われるためであります。簡潔に言うならば、地下探索よりも生態研究の利の方が大きいと判断しましたので」
「ごちゃごちゃややこしいな」サングラスの顔を振り向かせ、ディオード・ムスペル(でぃおーど・むすぺる)はその奥の赤・水色の両眼で睨んだ。「要するにオレは木春を守りゃいーんだろ? 出てきたモンスターは好きにしていいってことだな?」
「簡潔に言うならばその通りであります」椿 木春(つばき・きはる)は大真面目な顔で、自分のパートナーを見上げた。
「いいねぇ、やる気出てきたじゃねーか」牙のような八重歯をぎらつかせ呵々大笑、ディオードは階段から豹のように飛び降り、燃える剣を振り回した。「とっとと来やがれ、全部焼切ってやるよ!」
「ディオード殿、及ばずながら拙者も力を貸すでござる」
 一人の剣士が彼に並び立った。長身のディオードと比べれば背丈こそ見劣りすれど、抜刀し青眼に構えたその姿からは、触れなば切れそうな闘気が漂っていた。彼は武士、侍同好会の部長、葦原明倫館の杉原 龍漸(すぎはら・りゅうぜん)
「侍さんよ、助太刀無用と言いたいところだが」ディオードは背に木春をかばいながら口元を歪めた。「サソリ野郎め増援が来やがった。拒みゃしねぇが勝手にはじめてくれ。オレはそうしてる」次の瞬間炎のような赤毛をなびかせ、彼は剣をその柄まで、サソリの頭部に突き刺したのだった。
 龍漸も「そうさせていただこう。ここは良い修行場でござるな」言い切るや戦に飛び込む。「杉原龍漸。いざ参る!」
「にゅふ〜♪ 龍兄張り切りすぎ〜」
 とてて、と走って龍漸を追う、それは黒崎 椿(くろさき・つばき)なのである。彼女は治療役を受け持った。大きな救急箱を提げ、さっそく傷ついた宵一らに手をさしのべ、
「大丈夫? ちょっと痛むよ〜?」
 と傷の消毒や毒の吸い出しを行うのだった。
 階段を駆け下りて地底に到達、琥珀 亞莉亞(こはく・ありあ)烏丸 宗汰(からすま・そうた)の腕を引き、ぐいと押し出してサソリの密集地に追いやった。
「ほれ、行ってこい。力試しだ! わらわが見届けてやるから安心せよ」
 これに宗汰は大いに戸惑う。「見届け……って、わっ、なんかいっぱいいるじゃないか! 味方の姿は……」と首を巡らすも、拓美や龍漸の姿が遠くに見えるばかりで、手の届く近さには人間の姿はない。
「バカ者、いきなり人を頼るな。味方の少ないところを探してやったのだ感謝せよ」
「えーっ!」
 なんでこんなことに!? 宗汰は綾刀を抜き鞘を投げ捨てると、襲いかかってきたサソリ二匹を必死で押し戻しながら嘆いていた。そもそも宗汰は、新入生歓迎会に行く予定だったのだ。それが、「地下に行くぞ。あっちのほうが面白そうだ」と亞莉亞に言われ、半ば無理矢理ここに引っ張り込まれたのである。まだ入学したての宗汰である。かじった程度の剣術しか知らず、攻撃を避ける足取りもおぼつかない。
「ふぁ……退屈な剣法だな。そんな弱腰ではサソリの餌食だぞ」
 千尋の谷に子を突き落とす獅子のように、亞莉亞はまったくもって容赦がない。手伝ってくれる素振りすら見せず、あくびをかみ殺しているという有様だ。
「ちょ……助けてくれたって……ええい!」
 追い込まれれば意外なほどの力を発揮する宗汰だ。小さな傷を大量に負いながらもなんとか一匹の頭を串刺しにし、剣を引き抜いた。頭部を貫かれたサソリは、ぴくぴくと痙攣するがもう生きてはいないようだ。これを見てもう一匹は慌てて逃げていった。
「やればできるではないか」綺麗に切り揃えられたプラチナの前髪を揺らし、亞莉亞はぱちぱちと拍手したが突然、その手を止め自身の背に手を伸ばした。そこには彼女の剣が吊ってあった。「どけ」宗汰を押しのけ、来るべき者に立ちはだかる。
 暗闇の奥から、何かが現れようとしていた。
「宗汰、とっとと逃げよ」亞莉亞の口調から、からかうような色が消えている。
「何言ってるの!」だが宗汰は首を振った。「嫌だ。キミはボクの……パートナーなんだから!」
 二人の前に、これまでとは比べものにならない特大サイズのサソリが姿を見せたのだ。戦車ほどもあるだろうか。鉄板を溶接したような外骨格をしている。
「聞き分けのないやつめ」亞莉亞はうっすらと口元に笑みを浮かべた。「この敵、わらわたちだけでは到底倒せんだろう。退きつつ味方と合流するぞ」
「わかってる。じゃあ、やるだけやってみようか!」
 数分の苦闘を経て彼らはアイシスら一行と合流を果たした。逆襲はここからだ。

 ロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)は状況を見回し、息をすることも忘れて立ち尽くした。大きなサソリの存在にも驚くが、なかでも巨大な一匹の姿には目を見張るほかない。
「すごい……」
「おい、貴様、呆然とつっ立って何のつもりだ」
 驚いてロアが振り向くと、そこには彼のパートナーレヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)の姿があった。レヴィシュタールは苦笑気味に言う。
「修行に来たのであろう? いきなり圧倒されてどうする?」
「そうだった。ごめん。いきなりなんで戸惑って……」と口調は申し訳なさげだが、すでにロアは自分を取り戻していた。「まずは修行、それから、金稼ぎだったな。サソリの針って売れるだろうか?」
 わざわざ学校に入学したというのに相変わらずだな、とレヴィシュタールは思ったが口にせず、
「売れるか売れないかはさておき、世の中実力と、先立つものが必要だ。ここで鍛えてお宝探しに行くとしよう」
「心得た!」
 ロアは細身の剣を手に、味方を救援すべく飛び込んでいった。レヴィシュタールもローブを翻して続いた。
 ロア・ドゥーエ、宝探しと冒険に満ちた彼の物語はここから始まる。