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リアクション
海鎮の儀:page07
「俺、ここに居ていいんでしょうか……」
「しかたないであろう、抜け出すタイミング無かったのだからな」
紫月 唯斗(しづき・ゆいと)とエクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)は、他の人に聞こえないよう小声でやり取りをしていた。
彼らの居る場所は、天御柱学院の校長室だ。
あの騒動のあと、エレベーターで脱出するとそこは天御柱学院の敷地無いだった。そして、教師を名乗る人物がいきなり安徳天皇を連れ去っていこうとしてきたので、信用できないから一緒に行くと付いていったらたどり着いたのがこの場所だったのである。
「久しぶりであるな。息災であったか?」
強持てのコリマ・ユカギール(こりま・ゆかぎーる)に対して、安徳天皇は堂々とした態度で接している。どうやら、知らぬ仲では無いらしい。
(よくきた、天御柱学院はあなたを歓迎しよう)
「うむ。しばらく厄介になる」
「ちょっと待った! あんたもしかして、最初っから安徳天皇の事知ってたんじゃないのか? あそこに、一人にさせてどういう事だよ!」
「……コリマ校長よ」
東雲 レン(しののめ・れん)は神条 和麻(しんじょう・かずま)の言葉をさらりと嗜める。幸いにも、コリマはおまえ呼ばわりされた事を気にとめる様子は無かった。その様子を見ていた唯斗が小さく息を吐く。
(そうだ。私は全てを知っていた)
「だったら! なんで安徳天皇を出してやんなかったんだよ。出す方法も知ってたんだろ」
「危険だからだ」
そう答えたのは、リア・レオニス(りあ・れおにす)だった。彼の手には、レポート用紙らしきものが見える。
リアは別件でコリマに会いに来たところだったのだが、校長室の中から聞こえてきた安徳天皇という言葉を聞いて入ってきたのだ。丁度、その件について確認と報告をするつもりでいたから、都合がいい展開だと踏んだのだろう。
「危険? それはどういう事ですか?」
「私達は、海鎮の儀について調べていたのです」
唯斗に問いに、レムテネル・オービス(れむてねる・おーびす)が答える。
「うちの生徒も参加しているって聞いたからな。もしかしたら、うちの生徒が何か悪い事に利用されてる可能性もある。こっちも結構苦労したんだぞ、コリマ校長から調査の許可をもらったはいいものの、どこから手をつければいいのかさっぱりだったからな」
「私達の苦労話はあとに回すとして、コリマ校長。海鎮の儀についての調査に目処がついたので報告に来たのですが、ここでみなさんにも聞いてもらって大丈夫ですか?」
(好きにするといい)
「ありがとうございます」
ほら、という視線をレムテネルに向けられ、リアは持っていたレポート用紙に目を落とす。
「口頭で報告するつもりじゃなかったんだけどな。詳しい事はここに書いてあるからあとで見てもらうとして、簡単に説明する。まず、海鎮の儀が行われていた場所だが、これは海京神社だ」
「海京神社って、あの小さい神社だよな」
「そうだ。といっても、俺達の知ってる海京神社は分社みたいなもんで、本体は地下深くにあるものだ」
「海京神社の地下にダンジョンが発見されたのはご存知ですか? その調査の結果、神社がもう一つあると判明したんです」
「それでだ。その神社の名前も、海京神社というらしい。詳しくはわからないが、この神社は海京を安定させるのに必要なもので、そのために人柱を立てていた」
「人柱とは、もしかして……」
みんなの視線が、安徳天皇に集中する。安徳天皇は、黙ってただ頷いた。
「そんな……」
「つまり、海鎮の儀っていうのは。その神社の人柱を……いや、言い方をかえるか。海京を守っていた神様を、解き放つためのものだったわけだ」
「皆さんはこの海京が太平洋の真ん中にあるメガフロート、つまり人工島であることは存知ですよね。公開されていませんが、メガフロートを安定させるには今の技術では足りないのです」
「それじゃ、もしかして」
「今すぐどうにかなるという話でないよ。もしそうであるのならば、妾はてこでもってもあそこから一歩も動かなかったであろう。そうじゃな、妾は……保険のようなものだ」
「そう、保険だ。何も無ければ大丈夫だが、何かあったら間違いなく海京は使い物にならなくなる。安徳天皇は、そのもしもの時のためにずっとあそこにいたんだ」
「海京を失ってしまえば、その損害は計り知れません。海を鎮める霊力を持つ安徳天皇の存在は、海京に、ひいてはシャンバラ全体に大きな意味があったのです」
ふっと、安徳天皇は寂しそうな笑顔を見せた。
「ま、個人的な干渉を抜きにすれば、という話だけどな。俺達の報告はこんなところだ。他に細かい事はレポートにまとめてあるから、欲しければあとで俺に声をかけてくれればコピーしてやるぞ」
リアはひらひらと持ってきたレポートをしてみせる。苦労してまとめたレポートなのだから、できれば日の目を当ててやりたいのだろう。
報告が終わるのを待って、コリマは簡単な通達をその場に集まった全員に伝えた。内容は、この件は安徳天皇を知る関係者以外にはなるべく口外しない、という簡単な、それも口約束だった。
罰則も何も提示せず、ただそう約束を交わしたのは信頼からというよりは、形式的なもののようだ。人の口に戸は立てられない、この件はそう遠くないうちに公然の秘密と化すのだろう。
通達が終わると、コリマは全員を解放した。校長室に残ったのは、安徳天皇とコリマと、安徳天皇をここまで案内した小谷友美の三人だ。
しばらくは、コリマと安徳天皇の間で宝剣の行方や、侵入者についてのやりとりがあった。友美が居るからか、内容は表面的なものばかりで、驚くような事実が明かされることもなく淡々と二人の会話が続く。
そして、一通りの報告が終わったところで、唐突にコリマは友美の名前を呼んだ。
「は、はい!」
(少し歩いてくる、戻るまで彼女を見ていてくれ)
「わかりました」
コリマは緩慢な動作で校長室から出ていった。
残された友美は、やさしく閉じられたドアに目を向けていた。見ていてくれ、というのは逃げ出さないように注意しろ、と受け取ったのだ。それと、どう彼女に接していいかわからないというのもある。
友美は、小さい子供は少し苦手なところがあった。それは、嫌いだからというわけでなく、辛いからだ。トラウマなんて大層な言葉を使うほどでもないが、しかし意識せずに視線を逸らしてしまう。子供は敏感だから、そんな素振りを見せる友美には懐いてくれない。
今だって、直視できずにこうしてドアを見つづけている。
「のう?」
安徳天皇は、恐る恐るといった様子で声をかけてきた。
「なにかな?」
「……すまぬ、なんでもない」
友美が顔を向けると、ぷいと安徳天皇はそっぽを向いてしまった。
聡い子だから、という言葉が友美の耳に届いたような気がした。もう、あの人は居ないのに、悲しそうにそう零す声が聞こえたような気がした。
彼女のことが心配で心配で、ただそれだけの理由でずっと留まっていた人は―――、一緒に遊んであげたり、他愛の無い話をしたりすることもなく、まるでそれが義務であったかのように居なくなってしまった。
あの子は私の事を嫌っているだろう、なんてそんなわけがあるはずがないのに、現に今だってあの子はあなたの事を想っているというのに。
何か、何かしなくてはという焦りにも似た何かが友美の心を駆け巡る。
しかし、何をすればいいのか、何を口にすればいいのかがわからない。ありふれた言葉はいくつでもあるのだろうけれど、それはきっとあの人の想いとはかみ合わない。
「あの……少し、いいかな」
声をかけると、安徳天皇は友美の方を向いた。彼女と視線が合うように、かがんで正面から顔を見る。
「……これを、あなたに持っていて欲しいの」
言葉は浮かばなかった。だから、あの人の想いが一番こもっているであろう、あの仮面を渡すことにした。もう、今はただの仮面でしかないものだが、他の何よりもあの人の想いを伝えてくれるだろう。
「これは……そうか……尼ぜはもうおらんのだな?」
頷いて答える。
「そうか。馬鹿よの……ひっく、他の大人と同じように、ひっく、妾をただの神輿と見ていればよかったのに……大馬鹿者じゃ……!」
嗚咽を交えながら、安徳天皇は仮面に向かって話しかける。
あの人には、届いているだろうか。きっと届いているだろう。そうあってほしい。
「すまぬ、少し胸を貸してくれ、今の顔は……ひっく……人にあまり、見られとう、無い」
「うん」
少し遠慮しながら体を預けてきた安徳天皇を優しく受け止める。抱いた彼女の体は、本当に小さくて、抱きしめていいのかどうかさえ不安になってくる。
「私は気が付いてからずっと一人ぼっちで」
「うん」
「だから、もう一度尼ぜに会えて嬉しかったの」
「うん」
「私は外に出してもらえなくてもいいから、もっと一緒に居たかった……もっと」
「うん」
「まだお礼も言ってないのに……会えて嬉しかったことも、伝えてないのに!」
「うん」
「友達ができたことも……遊びに行く約束をしたのも……話したいことだって、いっぱいあったのに……」
「うん」
ただ頷いているだけの友美の言葉は、いつの間にか震えていた。
私も、もっと一緒にいたかった。
私も、何も伝えることもできなかった。
私も、話したいことがたくさんあった。
だけどその願いは決して叶わない。
私の願いも、この子も願いも、絶対に叶うことはないのだ。
気が付かないうちに、彼女を抱きしめる腕に力が入ってしまっていた。きっと苦しかったはずだ、だけど彼女は何も言わなかった。ゆっくりと力を抜いていく。すると、小さく息が漏れた。やはり苦しかったのだろう。
「尼ぜは、極楽浄土には行けたのかなぁ……」
ふと、誰に言うでもなくぽつりと彼女はそう言った。
「うん。行けたよ、必ず。少し時間がかかっちゃったけど、絶対に。だって、あの人はあなたに嘘をつくわけがないじゃない、ね?」
「うん……尼ぜだけは、いつも私に本当のことを教えてくれてたから……」
「そうだよ、ね?」
「……うん」
「龍宮に至る道への鍵、か」
鬼籍沢 鏨(きせきざわ・たがね)はぼんやりと空を眺めて呟いた。
「アクリトさんの話は、いまいち要領を得ないものでしたわね」
後鬼宮 火車(ごきみや・かしゃ)があまり浮かない顔で言う。
二人は空京大学のアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)のとろこに海鎮の儀について話を聞きに行ったのだ。そこで話を聞くことはできたのだが、いまいち要領を得ないというか、上手く誤魔化されてしまった気がしないでもない。
「ありゃ、わざとだな。たぶん、全部わかったうえで、情報を小出しにしてるんだ。知らないとは言えないが、かといって全てを公開するわけにはいかない事情があるんだろうな」
「それはつまり、宝剣は危険なものであるということでしょうか?」
「どうだろうな。けど、単純に危険なものだったら、誰かが海鎮の儀を妨害したはずだ。それを見逃したってことは、それ単体ではそこまで危険なものじゃないって考えた方がいいはずだ。なんたって、宝剣そのものは優勝者にあげちまうんだからな」
「そうですわね。アクリトさんも、あまりいい顔はしていませんでしたし」
「もっと単純に、残り二つの神器の話があると考えてたけど、どうもそれだけじゃない感じだ。ずいぶんとキナ臭くなってきたな」
「今は学長ではなくなったアクリトさんですら、そう迂闊に言えない話ですものね」
「そういうわけだ。確か、地下の神社は海京神社って名前だったな。龍宮とは別ものってことは、まだ見つかってない何かがある」
「海鎮の儀が鍵であるのでしたら、いずれ龍宮への道も開かれますわね」
「おとぎ話みたいに、綺麗な乙姫さまと金銀財宝、それにうまい料理が用意されてるってわけじゃないんだろうな」
見上げた空は、薄い雲がかかってぼんやりとしている。
天候はただの自然現象だ、それに意味を持たすのは人間の勝手でしかない。
それでも、どんよりとした空はこの先を知っているかのようで、いい気分にはなれなかった。