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リアクション
海鎮の儀:page05
賑やかな祭りも、そろそろ終わりを迎える頃合のようだ。
境内を眺めながら、リデル・リング・アートマン(りでるりんぐ・あーとまん)は最後の日に立ち会えた事を嬉しく思っていた。
「リデルさん、負けたのに嬉しそうですね?」
「思っていたよりは、ずっと面白かったからな。欲望がドロドロと渦巻いてる中で一緒に泳ぐのも、悪くはないものだな」
「う〜ん……楽し、かったのかな?」
「楽しくなど、ありませんでしたよ」
唐突に会話に入ってきたのは、六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)だ。
「それにしては、お隣の奴はほっとしているように見えるのだがな?」
ディング・セストスラビク(でぃんぐ・せすとすらびく)は言われて、慌てて表情を取り繕ったようだ。彼は、鼎に勝って欲しくなかったのだろうか。
「ま、せっかくだから最後まで見物しておくべきであろう。お互い、最後の一歩が届かなかった身どうし、な?」
「ふん、願いが叶わないというのなら興味はありません……と、言いたいところですが、確かにこの試合には少し興味がある」
「世界を平和に、とどちらも同じ事を想っている同士。私達にとっては、どちらの願いが叶ったとしても問題は無いように思えます」
そう言葉を紡ぐディングの表情は、やってくるであるはずの世界平和を歓迎する様子ではない。
「剣が叶える世界平和など、本当にあるとは思えぬのだがな」
「ついに決勝戦だよ、勇。これに勝てば、願いを叶える宝剣が手に入るんだよ?」
ミヒャエル・ホルシュタイン(みひゃえる・ほるしゅたいん)の言葉に、神無月 勇(かんなづき・いさみ)は返事を返さない。
海鎮の儀が始まってから、ミヒャエルは何度もこうして声をかけている。だが、それが本当に届いているのかどうか、確かめる術が無い。
「……大丈夫、勝ってみせるからね。だから、帰ってきてよ絶対」
今までだって、勝ち続けてきたのだ。
最後の最後、ここで負けるわけがない。
心の中で強がりを言って、自分の心を奮い立たせる。
絶対に、願いを叶える剣を手に入れる。
そうすれば、きっと勇の心が戻ってくるはずなのだからだ―――。
「何をぼーっとしているのですか?」
レイナ・ライトフィード(れいな・らいとふぃーど)の鋭い言葉に、閃崎 静麻(せんざき・しずま)ははっとなる。
「ああ、いや、大した事じゃない」
「大した事でないのなら、このような大事な場面ぐらいシャキっとしていてください」
既に目の前には、相手のイコンが立っている。試合が始まるまで、あと何秒もあるわけではないだろう。
「悪い悪い」
軽い口調でわびをいれつつ、確かにな、と静麻はため息をついた。
海鎮の儀が始まってからというもの、事あるごとにこうして小言を言われている気がする。いや、自覚はしているし、その理由も感づいているのだが。
「何でも願いが叶う宝剣……か」
「ええ、手に入れましょう。それほどの力があればエリュシオン帝国を退け、万難を排し、シャンバラ王国を磐石なるものにできるはずです」
「そうだな、くだらない戦争なんてもう御免だ」
人がせっかく賛同しているというのに、レイナの視線はあまり気持ちのいいものではなかった。
「大丈夫だ、やるよ。ちゃんと、最後までな」
「当然です」
「あんまり綺麗な戦いじゃないですね」
「今まで、綺麗な戦いなんて一つとしてありませんでしたわ」
試合を観戦している常闇 夜月(とこやみ・よづき)が不機嫌そうにそう言うので、まぁまぁと鬼龍 貴仁(きりゅう・たかひと)となだめる。自分達の試合が終わってしまったのは結構前だが、夜月はまだ納得している様子ではないようだ。
それでも、憑き物とでも言うべきか、何かに急かされているような感じが無くなっているように見える。
自分達が思っていたよりも、これはずっと危険なものなのかもしれない、なんて頭の隅で貴仁は考えてみる。
「案外、負けてよかったのかもしれないですね」
「何がですか! わくしは、わたくしは……貴仁様のためを思って……」
「わかってますよ。ただ、なんて言いますか……、誰かに踊らされているような、そんな気がするんですよね」
「踊らされてと申しますと?」
「試合に勝っている間は、どこかこう自分が自分でないような。そんな、妙な気分になりませんでしたか?」
「そんな事は、無いと思いますわ?」
「そう、かな。じゃあ、きっと俺の気のせいですね。願いが叶う、なんて大きな話に振り回されてるだけかな、俺も、あの人たちも」
試合が始まって十分ぐらいが経っただろうか。
さすがに、ここまで勝ち抜いてきた最後の二人だ。その実力は、想いとやらが測られているのならそれも、大きな差にはなりにくいのだろう。
それでもイコンを用いた決戦が、そんなに長続きできるわけがない。自分の体ではなく機械の肉体であるイコンは、人間のような無理やりは通じない。
「どっちが勝つと思いますか?」
「今のところは、五分……ですわね。噂の剣の意思というものがあるのでしたら、見ているだけでは、わかりませんわね」
「だね、どっちが剣に好かれているのかが、勝負の分け目になるんでしょう」
「そんなものがあれば、ですわよ」
海鎮の儀の決着は、戦いが始まってから十分を超え、そろそろ二十分になろうかとしている。未だに、どちらに優位もつかないまま延々と続く戦いは、見る者にとっては緊張感から疲れを感じ始める頃合だ。
「まだ終わらないんだな」
ハルファス・ロングラード(はるふぁす・ろんぐらーど)はため息交じりにこぼす。
「決勝戦だもんね」
神崎 美伊奈(かんざき・みいな)は少し呆れている様子だ。あんな紙一重の動きを、かれこれ二十分、普通なら集中力がまず持たないだろう。
一緒に試合を観戦している安徳天皇は、二人と違って真剣に試合の行方を見守っている。
「もうすぐ、その宝剣の持ち主が決まるのね」
館下 鈴蘭(たてした・すずらん)が草薙の剣に視線を向けると、その刀身がうっすらと光を帯びてるように見えた。目をこすって、もう一度よく見てみる。確かに、光っている。
「宝剣が」
霧羽 沙霧(きりゅう・さぎり)も気付いたようだ。
二人の様子に気付いた安徳天皇は、驚く様子もなく振り返って剣を一瞥すると、すぐに視線を試合に戻した。
「間もなくじゃ、間もなく試合の決着がつくぞ」
重そうな見た目をしているくせに、ちょろちょろと動きすぎだよ!
集中力が増せば増すほど、一秒がどんどんと遠くなっていく。実際の時間がどれほど経過しているのか、ミヒャエルにはもうわからない。
だが、相手の動きはまだ見える。戦えている。負けてはいない。
今までと違って、妙な現象はミヒャエルの操縦するアインヘリエルIIにも、相手の震天にも確認できないでいた。それどころか、今までよりずっと頭の回転も自分の動きもよくなっているような気がする。
「もう、倒れろよ!」
繰り出したスピアは、虚空を切り裂く。
だが、それは向こうも同じで、こちらを苦しめていた震天のガトリングは既に弾切れ、弾の使い方も今ではかなり慎重になっている。
このままこの集中力を保って戦いを続けられれば、いずれ向こうは完全に弾切れとなるだろう。見たところ、震天には近接戦闘用の武装は見当たらない。
それまで、あとどれぐらいかかるだろうか。
三分か、五分か、十分か。どれも、あまり現実的な数字ではないように思える。戦いが続けば疲労するし、この集中力がまだまだ持つとは普通は考えない。
それでも、ミヒャエルはなんとかなるような気がしていた。今の自分は、何か強い力を借りているようで、すごく調子がいい。これだけやって、疲れというものを感じていない。
あと一時間でも、二時間でも、戦い続けられる。
楽観的なその考えは、なぜだか確信のように思えて仕方が無かった。
だから、戦う気持ちは折れない。
「もういい」
勇のその一言が無ければ、折れるはずがなかった。
「え?」
その不意の一言が、一瞬の隙を作った。
機体に激しい振動が走り、画面が落ちていく。暗闇が訪れて、赤い非常灯がすぐに点灯する。何が起こったのかはわからないが、自分達が敗北した事はすぐに理解できた。
「……負けたのか」
「……」
呆然としているミヒャエルは、ふと勇の顔を見た。
光の無い瞳のままだったが、勇もまたミヒャエルをじっと見ている。
「ごめん、負けたよ。あと少し、だったのに……」
「……いい。あんなもの、いらない」
「どうして? 願いが、叶うんだよ。宝剣があれば、勇の願いを叶えてあげられるんだよ?」
すぐには、勇は答えてくれなかった。
戦っている時よりも長い時間がたったような気がした頃に、やっと勇が口を開く。
「声が、楽しそうな声が聞こえたんだ……。あいつのっ、あいつの声でっ! 笑ってるんだ、試合を見て! 醜く争ってんのを見て! 笑ってやがったんだ!」
「……勇?」
勇のこぶしが、イコンの内壁を強く叩く。あんな乱暴に腕を振ったら、痛めてしまうかもしれない。事実、こぶしが当った時に嫌な音が聞こえてきた。
勇は浅く早い呼吸が、しだいにゆっくりと落ち着いていく。
「ごめん……帰ろう、こんな場所に長く居たく無い」
「う、うん。そうだね、帰ろうか……」
圧倒されて、ミヒャエルはそれ以上の言葉を口にできなかった。
今まで、宝剣が試合に干渉しているのではないかという話はいくつかあった。しかし、偶然と言ってしまえばそれまでの些細なものがほとんどだ。
だから、わからない。
勇の聞こえた声というのが、本当に宝剣が行った干渉なのか、それとも別の原因が存在しているのか。恐らく、本人に聞いてもわからないだろう。
何か気持ち悪いものを残したまま、こうして二人の海鎮の儀は終わりを迎えた。
「ありがとう」
その言葉は、境内に向かってゆく静麻とレイナの耳には届かなかっただろう。
二人の姿はとっくに見えなくなっていた。二位尼は、彼らのあとを追う事なく境内とは逆方向に向かってゆっくりと歩いていく。
「おまえは、会いに行かなくていいのか?」
リコ・アイーダ(りこ・あいーだ)に呼び止められ、二位尼は小さくため息をついた。
「そうだよ、会いたいんじゃないの?」
エムドク・ロリドク(えむどく・ろりどく)も同じ用件のようだ。
「ひっそりと退場もさせてくれぬのか。のう? そのたも同じ用件かえ?」
「おまえが安徳天皇に会いに行くのを、咎めそうな奴は居ないと思うけどな」
「安徳天皇だって、喜ぶと思うよ」
七尾 蒼也(ななお・そうや)とペルディータ・マイナ(ぺるでぃーた・まいな)は、そう言いながら道を塞ぐ。
「そう思うのであれば、おぬし達が行ってくれ。我のできる事はもう終わったのよ。もう、あの子に乳母は必要あるまい」
「あの子は、あんたを信頼してるんだぜ?」
「信頼か。我のような嘘つきを、信頼か……。ふふ、ならば、なお更あの子の前になど出るわけにはいかぬのう」
「そんな事、無いんじゃないかな?」
「ならば、我の話に少しだけ耳を貸してくれ。我はな、あの子のためにこのような祭りを開いたのではないのだ。ただ、心残りがあっただけじゃ……あの時、冷たい海の中で彼女を放してしまった、その事だけが心残りで、こうして惨めにもいつまでも向こうに行かずに居たのじゃ。我はもう、疲れたのじゃ、ここに留まっているのはもううんざりなのじゃ。この儀は、我の魂を鎮めるために開いたもの。あの子が自由であれば、心から笑ってくれれば、我はこの窮屈な世を離れる事ができる。行くべき場所に行く事ができる……そう、あの頃と同じように我はあの子を利用していただけ、それがどのような顔をしてあの子の前に立てばいいのか、我にはわからぬよ」
「それって、結局安徳ちゃんのためだよね?」
二位尼は何も言わずに、四人の間を通って進んでいく。
その背中は、何故だからすごく小さく見えた。その背中にかけるべき言葉が、四人には咄嗟に出てこない。
「そうじゃ、おぬし等には伝えておこうか」
ふと立ち止まった二位尼が、振り返る。
「宝剣は、草薙の剣は決して善きモノではない。あれを持った者から目を逸らすでないぞ、あれは―――」
二位尼の言葉は、突然の爆発音で遮られた。
「なんじゃっ!?」
音の発生源は、そう遠くは無い場所だ。爆発音がしてから、何か大きな音が途切れる事なく続いている。
「この音は……? 水だ、どっか壁に穴が開いて水が入り込んでるんだ」
「って事は、ここって水の中だったの! 海の中とか?」
「どうりで誰も知らないわけだよ。ってそんな事より、これってどういう事なの?」
「侵入者だ!」