リアクション
第2章 酔い回るころ賑やかなり 8
「なんと、ゲルバッキー! そなた、それは本当か!」
ンガイ・ウッド(んがい・うっど)は友人であり同胞のゲルバッキーからある話を聞くと、すっかり心酔した様子でさけんだ。
ゲルバッキーは芝居がかった身振りで、うなずいた。
(ああ、本当だよ。これがあれば、ビール新時代を築くことも夢じゃないだ)
ゲルバッキーが背中に背負っていた袋から取り出したのは、ある細菌を閉じ込めた試験管だった。
ンガイの赤と金のオッドアイの瞳が輝いた。
「おおっ、これはまさしく……。しかし、いったいどうやって?」
(かも専ポータカラ人たちの協力でね。真理子から逃げるのも苦労したんだ)
ゲルバッキーはため息をつく。
「ねー、それっていったいなんだい?」
横から、ある少年がいきなり二人(二匹?)の手許をのぞき込んだのはそのときだった。
(うわあぁっ!)
「な、なんだそなたは! って、我がエージェント! なにをしてる!?」
ンガイは、自分の契約者の五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)がその少年と連れ合っているのを見た。
車椅子の東雲は、隣のマシュー・チャーチル(ましゅー・ちゃーちる)を紹介した。
「ついさっき、そこで会ってね。友達になったんだ」
「どうも、よろしく」
マシューは二人に挨拶して、笑顔をうかべた。
そのとき、マシューを呼ぶ声がした。振り返ると、路地の向こうから知的な容姿の青年がやってくる。マシューのパートナーのエドガー・ポー(えどがー・ぽー)だった。
「マシュー、ここにいたのですか。探しましたよ」
「ごめんごめん。ちょっと面白い人たちと出会ってね。ほら、ペットが二匹」
(ペ、ペット……)
マシューの紹介に、ゲルバッキーとンガイの二人はひきつったが、誰も気にとめる者はいなかった。
「そうだったんですか。いえ、実は私も、ある方々と出会いましてね……」
エドガーがそう言ったとき、後ろから複数の人影があらわれる。
(げっ……)
今度こそ、ゲルバッキーとンガイは本気で固まった。
「やっと見つけたわよぉ……このクソ犬!」
それは真理子たちだった。エドガーと出会った彼女たちは、遠目にゲルバッキーたちの姿を確認し、こっそりと近づいたのだ。
慌ててゲルバッキーとンガイは逃げ出した。
「逃がすか!」
真理子たちはすかさず追いかける。
「え、なになになになにっ!?」
マシューは戸惑った。なにせ、二匹の犬と猫みたいな野郎どもが、彼を盾にしたからだった。
真理子の足の裏がマシューの顔を蹴りつけた。踏み台にして。
「がはっ……」
マシューは犠牲になったが、代わりに真理子はゲルバッキーたちとの距離を縮めた。
(か弱き少年を踏み台にするなんて……なんてヒドイやつだ!)
ゲルバッキーは叫ぶ。
「あんたらに言われたくないわよ!」
真理子は言い返して、ついにゲルバッキーの首根っこを掴んだ。
が、ンガイの手刀が手首に叩きこまれた。
「させん!」
「げっ、このっ……」
真理子は左腕でンガイの首を掴む。
「死ぬ死ぬ死ぬっ! ギブギブギブッ!」
(ンガイ、君の死は無駄にしない!)
その間にゲルバッキーは距離を離した。
「こら、待ちなさい!」
真理子は追いかけるが、すでに遠く離されている。
万事休すか、と思ったとき、ゲルバッキーはいきなり目の前に出てきたビール瓶で殴られた。
「オラオラオラ! もっとビールよこせよゴラァ!」
ビール瓶を振り回す正体は小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)だった。
なぜか酔っ払ってハイテンションになっている美羽は、ゲルバッキーを容赦なく殴りまくる。真理子たちがポカンとしているところで、遅れてベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)たちがやってきた。
「み、美羽さん〜! あー……やっと追いついた……」
息を切らしているベアトリーチェに、真理子はたずねた。
「ねえ、あれってどういうこと?」
「いえ、実は美羽さんがお父さんの造ったビールを飲んでしまって……」
ベアトリーチェの言うお父さんというのはゲルバッキーのことだ。
危険成分たっぷりのビールを飲んだ美羽は、すっかりハイな気分になってしまって大暴れというわけだ。自業自得とはこのこと。自分で振りまいた種は、自分に戻ってくるのだった。
「やれやれ……」
真理子はため息をついて、捕縛用のロープを取り出した。
●
(んぐうぅ、離せこのー!)
ゲルバッキーはイーダフェルトの中庭の一つにある大きな木の幹にしばりつけられていた。
もちろん縛ったのは真理子たちで、ものすごい剣幕の
姉ヶ崎 雪(あねがさき・ゆき)がゲルバッキーに詰め寄った(実はンガイも縛られていたのだが、それは雪たちには些細な問題だった)。
「まったく、送金が途絶えた上に新しい商売が麻薬カルテル紛いとはどう言う事ですの? おかしな雑菌と交配させられたいのですか? あの時の除菌ビンタは足りませんでしたか? 新手の天麩羅にでもされたいのですか?」
ゲルバッキーはプルプルと震えて首を振った。
そして雪の契約者の
坂下 鹿次郎(さかのした・しかじろう)のほうをすがるように見た。こうしてしゅんとなっていると、それなりに愛らしい犬に見えるのだから不思議だ。世渡りに長けているとも言えるが。
鹿次郎は困ったように頬をかいた。
「流石にこればかりは拙者もフォローが難しいでござるなぁ……。吉井さんを巫女さんの格好にするとか、エメネアさんと拙者の仲を取り持ってくれるとか、誠意を見せて頂ければこっそり手助けはできたでござるが……」
「んっ、んんっ!」
さりげに話題に出される真理子が、咳払いする。
じろりと睨まれて、鹿次郎は苦笑した。
「さて、これからどうしようか?」
真理子が話題を戻すと、雪は続きを口にした。
「さっさと携帯電話のCMにでも出てしっかり稼いで下さいません? それとも以前のようにご自分を売られます?」
ゲルバッキーは首を振った。
「ねえ、お父さん。どうしてそんなにこれを守ろうとしたんですか?」
ベアトリーチェが優しい声でたずねた。
さすがにゲルバッキーもこれ以上は言い逃れや嘘を言おういうつもりもないのか、ぼそぼそとだが素直に答えた。
(まりこのさけ……)
「何……?」
(それは、吉井麹屋から真理子についてきた酵母の一つだ。それを用いて僕は”真理子の酒”を作ろうとしていたんだ)
「え……」
(いつも男にフラれてばかりの真理子を元気付けたくてね……)
ゲルバッキーは少し照れくさそうに続けた。
(既に「私がこの人にフラれました」という非リア充表示ラベルは発注済みさ。真理子の写真はともかく、相手の男に写真使用の了承を取るのに苦労した)
「人の古傷えぐっておちょくろうとしてただけじゃないのよ!!」
真理子のカカトがゲルバッキーにブチ込まれる。
(ぅぐううううっ! 男の方は「えっと……ああ、吉井さん? ですか?」ってウロ覚えな感じだったぞ、バーカ! ザマーミロ!)
「死ねッ! とにかく死ね!」
ゲシゲシと、真理子はゲルバッキーを蹴りまくった。
「まあ、奇抜というかなんというか、えらいものを造ろうとしたもんだ」
鹿次郎が苦笑いを浮かべながら言った。
ベアトリーチェはそれでもゲルバッキーを非難したりはしなかった。どこか母性を感じさせる顔で微笑むと、彼女はゲルバッキーにヒールをかける。傷が回復したゲルバッキーが顔をあげて、ベアトリーチェは提案した。
「もっと身体にいいものでビールを作ったらどうですか? そっちのほうが、きっとみんな喜びますよ」
(んぅ……)
ゲルバッキーは渋る。だけど、ベアトリーチェは笑みをくずさなかった。
「ねっ」
たとえどれだけヒドイことや、くだらないことを重ねても、ベアトリーチェにとってゲルバッキーはお父さんだ。
笑顔のベアトリーチェを見て、ゲルバッキーもしぶしぶうなずいた。
「娘は強し、かなぁ……」
真理子は頭の上で両手を組んで、ぼそっとつぶやいた。
「何か言ったでござるか?」
鹿次郎がたずねる。真理子は微笑みながら言った。
「なーんにも」