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リアクション
第2章 酔い回るころ賑やかなり 9
藤崎 凛(ふじさき・りん)は自らイーダフェルトの観光案内を買って出た。
これだけの美しい神殿群を紹介しないのは勿体ない。凜は自らもイーダフェルトを勉強するつもりで、ツアーコンダクターについてたくさんのことを学んだ。もちろんそれにはポムクルさんたちも一緒だった。彼らはイーダフェルトの住人であるし、ツアーのマスコットとも言えるものだった。ポムクルたちを肩に乗せた凜は、たくさんのルーズリーフを小脇に抱えて、そこに自分が学んだことを次々書き込んでいった。
シェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)は心配そうにそれを見守っていた。
まさか凜がガイドをやりたいと言い出すなんて思っていなかった。言ってはなんだけど、彼女は鈍くさいし、行動的な娘ではない。観光客を先導して施設を案内するなんて出来るだろうか? シェリルは不安だったが、凜のやる気を見ているとなにも言えなくなった。シェリルに出来ることと言えば、勉強疲れで瞼が重くなっている凜とポムクルたちに差し入れをしてやることぐらいだ。
「お疲れ様」
シェリルがテーブルにお茶とお菓子を置いてくれたのに気づいて、慌てて凜は顔をあげた。
「ね、寝てません! 寝てませんわ!」
シェリルはくすっと笑った。
「わかってるよ。でも、勉強もほどほどにね」
「ええ、わかってますわ」
凜はお茶を飲んで、お菓子をひとつまみしながら言った。
「ところで、イーダフェルトの案内にはどんな情報があるんだい?」
「いろいろありますわよ。例えばその、イーダフェルトは実はシャンバラのものではなく、他の大陸から流れてきたものなのではないかということとか、アトラスの足もとに封じられていたこととか、エルピスさんが神殿の中枢部に収められていたこととか」
「へぇ……よく勉強してるんだね」
シェリルは感心した。
「もちろんですわ。皆さんにもイーダフェルトを好きになって欲しいんですもの。ねえ、ポムクルさんたち」
「なのだー?」
すっかり瞼を落としていたポムクルさんは、目をこすりながらねぼけまなこに答えた。
凜とシェリルはお互いに笑い合って、それから夜明けを迎えた。
数日も経つと、イーダフェルトには出店通りができて、観光客やお店がずらりと並び、バカンスムードが広がった。同時に、あまり出店のような手の施されていない神殿群と庭には、イーダフェルトを見にきた観光客の姿が見られるようになった。ツアーガイドの服を着た凛とポムクル、それにシェリルの姿もそこにあった。
「まったく、どーして私までこんな服を着ないといけないんだ?」
シェリルはツアーガイド用の服の袖を引っぱりながら、不満を口にした。
「素敵ですわ、シェリル。よく似合っていますわ」
凜は笑った。なんの悪意も害意もない純真な笑みで、それを見ているとシェリルも自分の不満がバカらしくなった。
「ま、いいか」
凜が喜ぶなら、という一言は言わなかった。
とにかくシェリルも服には納得してくれたし、凛とポムクルたちはさっそく観光客を案内して回った。美しい草花が咲き並ぶ庭を通り過ぎて、苔むした神殿群に着く。
「えー、こちらに見えますのが、いまだ謎多きイーダフェルトの神殿群ですわ」
神殿の美しさと壮大さに、観光客は息を呑んだ。
その中には非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)とユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)。ジア・アンゲネーム(じあ・あんげねーむ)にダンケ・シェーン(だんけ・しぇーん)といった契約者とそのパートナーの姿もあった。
「これがイーダフェルトの神殿群ですか……」
近遠は感嘆の息を吐き出すように言った。
「これはいったい、なんのために造られたのでしょうかね?」
「詳しいことはまだ分かっていませんが、ソウルアベレイターと戦うために造られたというのが一説にありますわ。ねえ、ポムクルさんがた?」
「そーなのだー」
凜に同意を求められると、肩に乗っていたポムクルたちがうなずいた。
「ソウルアベレイターとの戦闘用ねぇ? あたしには、それ以外の目的がたくさんあるように思えてなりませんわ」
ユーリカが髪をひらりと靡かせてから言った。そして目を輝かせる。
「そうっ! 例えば人々の移民のためとか! そうだとしたら夢が広がりますわー! ……ポムクルさん方は、なにか知らないのかしら?」
「知らないのだー」
ポムクルさんたちは首を振った。凜が補足する。
「ポムクルさんたちは、どうやら自分たちがなぜここにいるのか。それになにがこのイーダフェルトに隠されているのか、覚えていないようなのですわ」
「ふぅん……なんだか複雑な事情がありそうですね」
近遠は神殿を見あげながら言った。
「エルピスさんはこの神殿に祀られてたって可能性もないわけではないですし、まだまだ、イーダフェルトは謎多き建物ですか」
「でも、だからこそ神秘に満ちているのですわ」
凜は笑顔でそう言った。
「ダンケ? どうしたのですか?」
ジアはじっと神殿を見あげるダンケを見て、声をかけた。
「とっても綺麗。なんだか、見てると不思議な気持ちになる」
ダンケは神殿に何かを見ていた。過去の人々の生活か、あるいは神殿を建てたときに託したなんらかの思いか。ダンケはわからないけれども、そこにいろいろなものが混じり合っていることだけは感じ取っていた。
「ダンケにも、わかりますか? ここにいた人々の願いが」
「ジアは、わかる?」
「いいえ。でも、感じ取ることや、想像することは出来ます。それがとても大切なことなんですよ」
ジアはどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。ダンケはまだ分からないことが多いけれど、分かろうとしているのだと思った。少なくともダンケなりの心で。
ツアーはまだ終わっていない。先へと歩きはじめたツアーガイドの背中を追って、ずらずらと歩きはじめた人々の中、ジアはダンケに言った。
「この観光が終わったら、出店通りに行きましょうか。そこでダンケの好きなものを買いましょう」
「ホントっ!? 嘘じゃないっ!?」
「ええ、ホントです」
ダンケの尻尾がぱたぱたと揺れて、彼女の顔に幸せそうな笑みが広がった。