リアクション
第3章 アプサラスの夜 1
イーダフェルトからそう遠くないヴァイシャリー湖上に、『アプサラス』という名の店があった。
これは水上レストランだった。水上ステージと一緒に特設されたそこは、『数多の歌声とパフォーマンスと一緒に楽しむエンターテイメントレストラン』をコンセプトに作られている。レストランからは、ステージが一望できるというわけだ。
蓮見 朱里(はすみ・しゅり)はそこのウエイトレスで、アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)はコックを担当していた。
アインが作る料理は見事なものだ。アイールハーブ園で収穫したハーブ類を使って、健康に良い料理をいくつも作っていた。鱈とアサリのアクアパッツァ(白ワイン蒸し)・香草仕立て。パスタ・ジェノベーゼ(バジルソース)。オレンジシャーベット・ミントソース添え。6月のバラのアイスティー。……パッと挙げただけでもこれだけのものがある。まさにアインさまさまだった。
ウエイトレス・ウエイターは朱里以外もいた。城姉弟だ。城 紅月(じょう・こうげつ)と城 観月季(じょう・みつき)。それに二人のパートナーのレオン・ラーセレナ(れおん・らーせれな)とアディール・テイェ・カーディフ(あでぃーる・ていえかーでぃふ)だった。
城姉弟は、どちらもある意味ではお客の視線を集めていた。
「お嬢様、おかわりはいかがですか?」と、眩しい笑顔で料理を運ぶ紅月には、女性客の黄色い声援や、ボッと赤くなった頬が。
観月季が歩くと、その豊満な胸が揺れて男性客がどよめく。何組かのカップルが女側からアッパーカットを食らっていたが、男性は運命と思ってあきらめるしかない。それだけ観月季は魅力的ということだった。
お客の注文が一段落したころ、朱里たちは厨房の近くのカウンターにいた。
「観月季さん、すごいですね……その、なんというか男のお客さまからの視線……」
朱里はすこし苦笑しながら言った。観月季は首をかしげた。
「そうですわね。なぜかすこし視線が強い気がします。……なぜでしょうか?」
観月季は自分の魅力に無自覚だった。朱里の苦笑はさらに大きくなった。
「それはもちろん、観月季ちゃんの大きなおっぱいのせいだよ!」
両手にいっぱいのゴミ袋を抱えたアディールが言った。
黙っていれば美女まっさおの顔立ちをしているアディールだけれど、彼女はいまやバックヤードでのゴミ出しや空き瓶回収係になっていた。顔とは裏腹に、アディールはすこし頭の出来が悪い。観月季が『役立たず』と認定したのだ。
観月季は自分の胸の谷間を見下ろして言った。
「私の胸ですか? まさか、そんなはずありませんわよ」
「謙遜はときに罪だよ、観月季ちゃん!」
アディールは頭を抱えた。
「アディール、姉さんには無駄な話だよ」
カウンターに戻ってきた紅月が言った。隣に寄り添うレオンもうなずいた。
「観月季君は自分の魅力というものがわかっていませんからね。これほど残念な素材もないでしょう」
観月季はまたもや首をかしげた。まったく話が分かっていなかった。
「ははは……」
朱里は苦笑する。
ちょうどそのとき、ドン、ドンッと大きな音が鳴った。
水上ステージの音だった。色鮮やかな明かりに包まれるステージからは演出のための爆発のようなものが起こって、続いてパフォーマンスをする演者たちが次々に現れた。まるでイリュージョンによって出現したみたいだった。
「朱里、見てみろ。さゆみたちだぞ」
「あ、本当だ」
厨房から顔を出したアインが見ている先に、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)たちの姿があった。
さゆみとアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)はコスプレアイドルユニット〈シニフィアン・メイデン〉という名前でステージに参加していた。〈シニフィアン・メイデン〉といえばちょっとは知られた名で、ライブには彼女たちのファンも詰めかけていた。もっとも、ステージの演目には最初から彼女たちの名前が載っていたわけではなかったが。
「飛び入り参加の〈シニフィアン・メイデン〉です! 大きな拍手をー!」
司会者がさけんで、湖の中やレストランにいたお客さんがいっせいにさゆみたちを迎えた。
「みんなー、盛り上がってるー!?」
水着衣装のさゆみとアデリーヌは観客に呼びかけ、激しいアップテンポの曲を披露した。
〈シニフィアン・メイデン〉は普段はしっとりした曲が多いユニットだ。アデリーヌはだから少し戸惑ったが、しだいに曲にも慣れてきて、普段の彼女とは思えないほどの疾走感でステージを動き回った。
そのうち全ての曲を歌い終えると、アデリーヌの心に達成感と疲労感が広がった。やった。やりきったんだ。汗と一緒に、そんな気持ちが心地よく浸透した。そのとき、最後のサプライズが起こる。
「きゃっ、さゆみっ……」
突然、アデリーヌの手を取ったさゆみは彼女にキスをした。
甘い口づけだった。アデリーヌの心をとろけるような甘美が溶かした。
●
「イエーイ、盛り上がってるかーい!」
続いてライブに登場したのは、ロックシンガーの
リョージュ・ムテン(りょーじゅ・むてん)だった。
リョージュはロックも好きだが女の子も好きだった。バカンスとくれば水着の女の子もたくさんくるし、ナンパして回ろうと思っていたが、ライブと聞いては彼のソウルも黙ってはいなかった。それにロックなら女の子たちの心を虜にも出来るだろう。彼は自分の歌で女の子たちをメロメロにしてやろうと考えていた。
「忍! おまえもそんなところで引っ込んでないで、こっちにこいよ!」
「え、ええっ、リョージュくん、でも、私……」
白石 忍(しろいし・しのぶ)は嫌がったが、リョージュに無理やり引っぱり出された。
水着もリョージュが選んだものだった。すこしきわどい危険な水着で、男たちの歓声がステージに響き渡った。忍の顔は真っ赤になる。だけどリョージュはそれを見て、むしろ誇らしげだった。
「似合ってるぜ、忍。やっぱり女の子はこうでなくっちゃ」
「もうっ……私、こんなのすごい恥ずかしいんですからね!」
忍はぷいっとそっぽを向いたが、本当に嫌がっているわけではなかった。
心の何処かでは開放的になった自分にすこし気持ちよくも思っていたし、リョージュが選んでくれたというのが嬉しかった。彼がたとえ、他の女の子たちに目を向けていたとしても。
「いくぜー、みんなー! 乗ってこいよー!」
リョージュはギターを演奏して、観客をあおった。
忍はそんなリョージュを微笑ましく見ながら、そっとステージの裏側に消えた。これからはリョージュの独壇場だ。邪魔をするつもりはなかった。それに、自分も彼の一人の観客でいたかったし。
「ね、ポムクルさんたち」
「なのだー?」
ステージの裏で照明や舞台衣装、タイムキーパーなどを担当していたポムクルの一匹が、首をかしげた。
忍と仲の良いポムクルの一匹だった。彼女はポムクルさんたちの手伝いをしながら、リョージュのライブを見守った。
「ラクシュミちゃんも、熱い心をさらして水着になろうぜ!」
リョージュはレストランにいたラクシュミに投げキッスを送っている。
忍はむっとして、口をへの字に曲げた。
●
ステージに続いて現れたのは、
早川 あゆみ(はやかわ・あゆみ)と
メメント モリー(めめんと・もりー)、ポムクルさんたちだった。
一変して和やかなムードが辺りを包んだ。タンバリンに、あゆみの抱えるショルダーキーボード、黄色や青のカラフルな照明と、軽やかなテンポが流れた。
ポムクルさんたちはパフォーマーに扮していた。
モリーとあゆみから、地球やパラミタに伝わる歌と童謡を習ったのだ。そしてそれに合わせるように、ジャンプや手拍子を交えた踊りも習った。踊りを習っているときのポムクルさんたちとあゆみたちは、まるでお遊戯の練習をする園児と保母さんのようだった。
「は〜い、それじゃ、ここでジャンプジャンプっ!」
モリーが言うと、ポムクルさんたちはいっせいにぴょんぴょん跳びはねる。
あゆみはキーボードを鳴らしながら、ポムクルさんたちと一緒に歌を口ずさんだ。森のクマさんに出会ってお友達になるお話や、お空に手をかざすお話、それにお姫様と王子様の星の世界でのお話もあった。
タンバリンの上で跳びはねるポムクルさんたちの様子が、ステージ上の大型モニターに映されて、観客はすっかり童心に返った気分だった。
「音楽っていうのは、音を楽しむって書くのよ。ポムクルちゃんたちも、みんなで楽しもうね」
練習中にそう言ったあゆみの言葉が、ダンスするポムクルたちの心によみがえっていた。
やがて踊りを終えて、ドーンとバックからクラッカーが飛び散る。わああぁぁと盛り上がるステージで、ポムクルさんたちと手を取り合って跳ねるあゆみは言った。
「これからも、音楽を大切にしてね」
ポムクルさんたちは、力強くうなずいた。