空京

校長室

建国の絆(第1回)

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建国の絆(第1回)

リアクション



トンネル ヘル異変
 トンネル内。奥の方は岩場のようにゴツゴツとしていた。全体的には下っているのを除けば、登山に近い行軍だ。
 場所によっては腹ばいになって岩と岩の間を進んだり、オーバーハングの崖を上ったり、クレバスのような亀裂の間を延々と降りていかねばならない所もあった。
 もっとも先行するヘル一行は、それらを物ともしないスピードで進んでいた。と言うのも、空中移動の魔法を使えるヘルが「ちょっと待ってねー」と先行し、難所や時間のかかりそうな場所は通り越した上で、一同をテレポートで呼び寄せるという進み方をしていたからだ。
 途中で土の中から現れた魔物がヘルに襲いかかったようだが、これも彼の魔法だか怪力だかで、あっさり倒されたようだ。
「これはまた、随分と手ごたえのない洞窟探検だな」
 思わず真田幸村ももらす。
 一行は、枯れ場のような岩がごろつく場所を歩いていく。段差を昇っていた早川呼雪(はやかわ・こゆき)の足元の地面が突然、崩れた。
「……?!」
 衝撃を覚悟する。だが彼を受け止めたのは岩盤ではなく、テレポートしてその背後に現れたヘルだった。
「ナイスキャーッチ。怪我は無い?」
 ヘルが笑顔を向けてくるが、呼雪は急にいたたまれなくなって、その腕からもがき出る。
「悪い。不注意だった」
 ヘルの方を見ずに、それだけ言う。ヘルは心配そうに聞く。
「平気? 注意散漫なんて君らしくないなぁ。疲れちゃった?」
 すると少し前方で振り返った幸村が、冷たい口調で言う。
「こんな楽な遊山で疲れるとはな。これで我々の一員としてやっていけるのか?」
 ヘルは呼雪の肩を抱き、幸村に舌を出す。
「彼は君らと違って繊細なんだよっ。だいたい鏖殺寺院じゃない。僕がお客さんとして呼んだの! 自分を真田幸村だと思い込んだせいで成仏しそこなったカワイソーな幽霊さんは黙っててくれない?」
「そ、それは英霊に対する侮辱ぞ!」
「黙れ、妄想浮遊霊」
 しょうのない言い合いが始まりそうだったが、呼雪がヘルから離れ、言った。
「『門』を開けるんじゃなかったのか?」
「ふん、そうだったな」
 幸村が言い捨て、ヒダカを押すように歩きだす。
 やはり歩き始めた呼雪に、ヘルが話しかける。
「君、今日は何かおかしいよ? まわり中が鏖殺寺院で緊張するのは分かるけど……」
 呼雪が脚を止め、ヘルを睨むように見た。
「そんな事を言っても……どうせ俺の考えなんて、すべてお見通しだろ?」
 ヘルは困った様子で説明を始める。
「うーん、誤解を与えちゃったかなぁ。僕だって、敵意や害意を持った相手の思考は僕自身の安全や目的達成のために読むけど、そうじゃない人の考えまでは、あまり見ないようにしてるよ。そんな事したって、何も良い事は無いからね」
「……なら、今の俺の思考は読むべきだろう?」
 呼雪の言葉に、ヘルは眉をひそめる。
「どういう事だい?」
「…………」
 呼雪は顔を背け、答えない。
 先に行きかけた幸村や、ヘルの部下の少年たちも前方で立ち止まり、二人の様子をうかがっている。
 ヘルは大きく息を吐いた。
「なら本格的に君の頭の中を読んでみるから、頭にふれるよ」
 ヘルに軽く押され、呼雪は背後の岩盤に寄りかかる。黒髪をなでるように触れられ、思わず目を閉じた。

 ヘルはいつも勝手だ。
 いきなり電話で呼び出され、目的も告げずに、ついて来いと言う。
 しかもキャラバンを皆殺しにした、嫌悪感を抱かずにはいられない相手と一緒に。
 そして、トンネルに入る前にヘルが言ったラングレイの事。
 ヘルに対して感じる、何なのか分からない感情も。
 それらに乱れる心も何もかも、すべて読まれているのだと思うと、どうしようもない無力感に襲われる。以前の自分に戻ってしまったような気がする。
 それすらもヘルには分かっているのかもしれないが……。

 ヘルは呼雪の頭に手をあて、ぶちぶち言っている。
「……うー……これは……。……あれ? この場合……え?!」
 手が離れるのを感じて、呼雪は目を開けた。ヘルはショックを受けた表情で、つぶやく。
「待てよ……。これは……そんな……」
 そのあまりにショックを受けた様子に、当の呼雪もいぶかしむ。
「どうした……? え……」
 ヘルの瞳から涙がこぼれるのを見て、呼雪は言葉を失う。
 ヘルは背後に怒鳴る。
「幸村! 先に『門』に行ってろ! 急用ができた」
 言うなり、呼雪をつれてテレポートで消える。
 幸村たちは、彼らが消えた空間を唖然と見る。
「なんだ、あれは? やれやれ、痴話ゲンカのシワ寄せを食らったな」
 ぼやく幸村に、クリストファーが怒りを抑えた調子で言う。
「早川くんは、そんな奴じゃないよ。……君たちは彼に一方的にケンカを売られたみたいに思ってるようだけど、自分たちのした事が人から、どう思われるか、よく考えてみた方がいいよ」
「……」
 ヒダカが無言で、来た方向に戻ろうとする。
「どこ行くんだよ? ヘルくんに先に行けって言われただろ?」
「奴らが、いつ戻るか分からん。追手への足止めが必要だろう」
 ヒダカは見かけの年齢に比べて固い口調で言うと、素早く走り去ってしまう。幸村も当然のように、彼を追った。
「おいおい、勘弁してよ」
 クリストファーは他の少年たちと顔を見合わせた。


 テレポートで現れたのは、何も無い空中だった。しかも体の向きも逆転している。
 ガシャガシャと物が壊れる音と共に、呼雪は軽い衝撃を感じた。ヘルが彼を守って抱きかかえ、衝撃を緩和している。
 そこはマンションの一室のようだ。ベッドやオーディオ機器があり、そばには今しがたの落下で破壊したCDラックが転がっている。
 室内の落ち着いた色調からは考えにくいが、状況を考えればヘルの新居だろう。
(テレポート失敗か?)
 いつもの瞬間移動と違い、奇妙な眩暈を覚えながら呼雪は身を起こす。だが愕然として、動作を止める。
「……ヘル?!」
 ヘルは胸を押さえ、苦悶の表情で横たわったままだ。見たところ外傷は無いが、呼雪が揺すっても、目を固く閉じ、苦しげな声を漏らすだけだ。
「……ぁ……っ」
「どうした……?」
 呼雪は背筋に冷たい物を感じながら、震える手でヘルにヒールをかける。効いたのかどうか分からない。今度はキュアポイゾン。やはり効いているのか分からない。
「しっかりしろ……どうしたんだ……」
 呼雪は泣きそうな声を出し、ふたたびヘルにヒールをかけた。
 ヘルがゆっくり目を開き、彼に小さく笑いかけた。
「呼雪のヒールはあったかいな……」
 その言葉に、いつものような力は無い。ヘルは悲しげな笑みを浮かべる。
「呼雪、それ以上、考えちゃダメだ。結論に達したら……僕は、鏖殺寺院の秘密を守るために……。呼雪を殺すなんて論外だけど……それに関わる記憶を消したら……君、僕の事も忘れて……そしたら絶対、僕の事なんか嫌いじゃないか。……呼雪が僕を忘れるなんて、嫌だよ……」
 またヘルの瞳から涙がこぼれた。
 呼雪は戸惑いながら、震える手でヘルの髪をなでる。何もかもが別の世界で起きている出来事のような気がしていた。
「ねえ、君は爬虫類って平気?」
 ヘルが唐突に聞いた。急に何を言いだすのか、と彼の顔を見ても、表情は真面目だ。
「平気も何も……俺の相棒はドラゴニュートだ」
 ヘルは呼雪のパートナーのファルの事を思い出した。
「そーいえば、おちびさんはドラゴンだっけ。じゃあ、少しは安心していいかな……。楽な姿に変わるけど、あまり驚かないでね」
 ヘルが体を震わせる。その下半身が姿を変え、長大な蛇へと変わる。薄い緑色の鱗に覆われ、人間の胴体並の太さがある。呼雪を不安そうに見る瞳も、瞳孔が細く変わっていた。
 呼雪はさらさらした鱗に手を沿え、言った。
「そうか。ヘル・ラージャの姓は、ナーガラージャから取ったという事か?」
 構えていたヘルは肩透かしを食らったようだ。
「そっ、そうだけど。なに、その冷静な対応。ドン引きされたらどうしよう、ってビクビクしてたのに」
「鱗はファルで見慣れてる。それに、実は鏖殺寺院だったとか、ナラカを召還だとか、頭を吹き飛ばされても死なないだとか……お前には散々、驚かされてる。今さら、そんなに驚く事など無いだろう」
 指摘されて、ヘルは少々へこむ。もっとも、そんな表情を見せるようになったのは、体調が回復してきたためだろう。
「じゃあさ、無理を承知でお願いしてみるけど。ちょっぴり呼雪の血、飲ませてくれない? 操ったり、吸血鬼化させたりしないから」
 すると呼雪は無言で、首もとのボタンを外しだす。ヘルの方が面食らった。
「……いいの?」
「体、辛いんだろう?」
 呼雪はむしろ、ヘルを回復させる手段がまだあった事に安堵していた。
「ごめんね。一瞬、痛いけど……」
 ヘルは蛇の体でずるずると呼雪を巻き、彼の首筋に慎重に牙を立てた。

 思ったよりも早くにヘルが身を放した。
「もういいのか? 変な遠慮ならいらないが」
 いぶかしげな呼雪に、ヘルは笑顔で答える。
「僕の場合、量は問題じゃないよ。吸血をさせてもらえるかが問題なの。僕の本体の白輝精は美女なので、そのイメージで考えると分かりやすいよー」
「……ラミア?」
「うんうん。……ん?」
 ヘルの携帯電話が鳴った。手に取って、彼は憂鬱な声を出す。
「やばー。お怒りの電話がキター」
 ヘルは気が進まない様子で電話に出た。電話の相手はブチ切れていた。
「くそへびーーーッ!!! ここで任務放棄たぁ三枚におろされてぇか、あぁ?!」
 ヘルは頭を振りながら、怒鳴り返す。
「耳がキーンってなっただろ!! 呼雪が驚くから、やめろよ!」
 電話の相手はハッと息を飲んだようだ。ヘルはテレポートで姿を消した。
 そして、呼雪に聞き取れる程ではないが、壁の向こうからヘルの話し声が聞こえてくる。別の部屋に移動して、電話で話しこんでいるようだ。
 しばらく後、二本足の姿に戻ったヘルがドアを開けて戻ってくる。服はどこからともなく現れるようだ。
「報告によると、ヒダカと幸村まで、どこか行っちゃったみたいだ。クリストファーたちが心配だから、もうトンネルに戻ろう」
「……体は大丈夫なのか?」
 ヘルはにこにこと笑った。
「愛の献血をしてもらったからねー。あと、なぜかミスター・ラングレイから君に伝言。『人魚姫の話は知っていますね?』だって。いったい何の事?」
「童話の『人魚姫』の事か?」
「うん。僕も彼に聞いたけど、それ以上の説明は無かったよ」
 ヘルがテレポートのために部屋の中央に行き、呼雪を抱き寄せる。腕の中で呼雪は思った。
(どんなに大切にしていても、失う時は一瞬だ。それでも、俺は……)