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リアクション
砕音入院
夜になると隠れ里の天井も暗くなり、月夜程度の明るさになる。
里には発電装置もあり、魔法の照明と共に電灯が闇を照らしていた。
砕音・アントゥルース(さいおん・あんとぅるーす)は病室で、持ち込んだノートパソコンを見ていた。地上のアンテナと交信する事で、里では携帯電話もインターネットも可能なのだ。
砕音が厳しい表情でモニタを見つめていると、病室のドアが開き、黒崎天音(くろさき・あまね)が入ってきた。
「またネットなんか見て。おとなしく寝ていろって、医師の注意は忘れたのかい?」
天音の苦言に、砕音は無言だ。
もし、この場に天音のパートナーブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)がいたら「おまえが他人に、そんな注意をするとはな」と、皮肉めいた指摘をされただろう。されたところで、天音は無視を決め込むだけなのだが。
天音は彼の横に行き、モニタをのぞきこんだ。
「なんだい、これ?」
「とある父親の親ばかブログ」
天音はマウスを借り、画面をスクロールさせてみた。幼い娘の成長記録をつづった個人ブログのようだ。少女の写真がアップされ、日々の何気ない生活の様子が書かれている。写真や記事の内容から、かなり裕福な家庭と思われた。
「今さらロリータ趣味に目覚めたんじゃないだろうね?」
天音のちゃかした言葉にも砕音は答えない。長い沈黙の後、モニタを見つめたまま、いつになく冷えた口調で言う。
「……彼女の父親は、鉱山開発を手がける企業の役員で、有力政党の議員でもある。彼の決定により、アフリカでは内乱が激化して難民が発生。アジアでは乱開発の結果、公害や洪水被害が起こってる。それに関して脱税や賄賂、手抜き工事で検察に追われもしたが、事件に関わる元秘書や運転手が不審な死に方をしており、証拠不十分で不起訴。……こいつが今、シャンバラ開発にも乗り出してる。各学校に圧力をかけた奴らの一人だ」
天音はまじまじと砕音の顔を見た。そして、おもむろにノートパソコンの電源コードを引っこ抜いた。たちまちブラックアウトするモニタ。
「…………な、何すんだーッ?!」
数秒フリーズした後、砕音は声をあげる。
「有害サイトの閲覧は良くないね」
天音はしれっと答えた。
「どこが有害サイトだ?! あれで有害なら、ネットのほとんどが有害だぞ?!」
「君の体調に対して、ずいぶんと有害なように見えたけどね。それに……」
天音はポケットをあちこち探った。だが何かのメモの切れ端が出てきただけだ。ブルーズがいないと、こういう時に困る。何かを探す天音に、砕音はいぶかしげだ。結局、天音は諦めて言った。
「意識できずに泣くぐらい辛いなら、世界やシャンバラの今後はとりあえず措いといて、休んだ方がいいと思うよ」
砕音はぎょっとして、自分の頬をぬぐう。天音はハンカチを探したのだが、そういう物の管理はブルーズの担当領域だった。
そこにラルクが戻ってくる。
「なんだ、砕音、起きてたのか?」
砕音の代わりに、天音が答える。
「今、先生に『その体調でネットなんて見るもんじゃない』って注意してたとこだよ」
「確かに顔色、すげぇ悪ぃな。色々気になるかもしんねーが、今はナンも心配せずに横になっててくれ」
「ああ……すまん」
ラルクに促され、砕音もベッドに横たわる。
「んん、今夜はなんか冷えるな。俺、ちょっと行って、毛布もらってくるぜ」
ラルクはバタバタと病室を出て行く。彼が行った方を見ながら、天音が砕音に言う。
「彼……君が何者でも、自分がどんな境遇になっても、本気で添い遂げるつもりらしいよ。僕は何も言ってないのに先に言われた。正体不明の相手に、馬鹿みたいに純情だよね」
「……」
砕音は布団に埋もれ、考えこんだ。
一方、毛布を調達に行ったラルクは、べしべしと自分の頬を叩いていた。
(いけねぇいけねぇ。危うく不安が顔に出るトコだったぜ。んな顔してたら、砕音まで不安になっちまわぁ)
先程、ラルクは魔法医に話があるからと呼ばれて、砕音の病室を離れていたのだ。
検査したところ、砕音の体は見た目以上に悪くなっているそうだ。
これ以上、心労を我慢して心身を酷使すれば、心筋梗塞等の発作を起こしたり、いわゆる精神崩壊を起こす危険が高い、と言うのだ。
もっとも、ラルク達が砕音をさらった事で、彼を仕事や任務から離しておけるのは好条件だ。
しばらくは心配や不安をなるべく持たずに、休息と栄養、愛情をたっぷり取る事が必要だ、と医者は忠告した。
(心臓発作に精神崩壊て……。砕音は是が非でも、ゆっくりさせねぇとな)
ラルクは決意を固めた。
翌日。砕音はラルクと二人きりになる。
「皆に『誘拐』されて、その言葉を色々と考えてみたんだ……。
ラルクには、もう少し俺の体の事を説明しておきたい。まず、これを見て欲しい」
砕音は右手を出した。手の平を、もう一方の指先でつつく。突然、そこから金色に輝くコードのような物が飛び出した。手からコードが生えたように見える。
「これはアナンセの部品と同じ物だ。パートナーを亡くした後遺症で神経に損傷を負ったのをカバーするため、手術で全身に埋め込んである」
「機晶姫の部品を人間に使って大丈夫なのか?」
ラルクは、コードと砕音を見比べながら聞く。砕音はうなずく。
「腕のある医者に頼んだからな。それにパートナー同士は、相手の技を使ったり、究極的には魔法学校校長のように合体できる。これは人工的に常時、合体してるようなものだ」
「合体ってなぁ」
ラルクは色々と心配になって、砕音をのぞきこむ。
砕音は見つめ返すと、自身の服のボタンを外していく。ラルクは驚き、彼の腕を押さえた。
「お、おい? 気持ちは嬉しいが、今はまだ静かに寝てろって」
砕音はきょとんとし、それから頬を染めた。
「え……? あ、あ、あほ。そういうのじゃない」
「へ?」
砕音は上半身だけ服を脱ぐと、集中するように目を閉じた。その体から闇の力が吹き上がる。
「!!」
ラルクは本能的に身構える。
砕音は先程のように右手を出した。コードは闇色に染まっていた。彼の露出した肌にも、まるで血管が浮くように黒い線が浮き上がっていた。
「ここは病院だから包帯は十分ありそうだけど……カラコンを調達するのは苦だな」
うなだれた砕音を、ラルクは包み込むように両腕で抱き寄せた。
「砕音……俺の気持ちは、前に言った通りだぜ。……この力が砕音を苦しめてンのか?」
ラルクの腕の中で、砕音はかすかにうなずいた。
「これが……真実の代償。俺をつなぐ鎖。力の源でもある呪縛」
「誰にやられた? 鏖殺寺院か?」
ラルクの言葉に怒気がこもる。砕音は苦しげに、彼を見返すだけだ。
「……言えないのか? いや、無理に言うな!」
ラルクは嫌な予感を覚えて、砕音の唇を指で押さえた。砕音の鼓動が異常に高まっているのを感じる。その体から力が抜け、ラルクの腕の中に崩れた。
「ちぃっ、そういう呪いって事かよ! 砕音、大丈夫か?!」
砕音はなんとか笑顔を作って、うなずいた。
「ラルク……もう俺がどこにも行かないよう、捕まえていてくれ……」